BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

87.貴人

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 突如現れた黒い影の不気味な声が森に響く。
 その影に向かって、すかさずアケイオスが踊りかかっていた。
 一歩踏み込むと同時に横薙ぎに大剣を払うアケイオス。
 が、アケイオスの振るった剣が黒い影を斬り裂いたように見えた直後、何もなかったかのように黒い影が後方へと移動していた。

「ちっ、跡をつけられていたのか」
「生体反応には引っかかっていなかったはずだけど……」
「何か誤魔化す手段があるんだろ。それにしてもさっきの敵の攻撃はそんなにヤバかったのか?」
「いいえ。咄嗟のことだったから万が一の場合を考えてね」
「そういうことなら仕方ないが……。ただ、次回はもう少しお手柔らかに頼むな」
「善処するわ」

 そう言いながら俺は立ち上がる。
 いまだ俺は全身鎧を身に着けたままだったが、頭部だけは兜を外している状態。
 そんな頭部に向けていきなり攻撃を受けたので一瞬だけ肝を冷やしたが、俺には軽口を叩けるぐらいの余裕があった。
 むろん正体不明の敵だ。ラウフローラが危惧したように、さきほどの攻撃がこちらの想定外の威力であることも充分に考えられる。
 が、シールドを突き抜けるほどの威力があるとは考えにくい。
 それに今この場にはラウフローラだけでなくアケイオスも居る。楽観的かも知れないが、この後対処できない事態ではないと俺は踏んでいた。

「アケイオス。今の攻撃は外れていたのか?」
「いえ、間合い的に当たっているはずです。わずかながら手応えもありましたので」
「俺の目にもそう見えていたが。だが、まるで効いてない様子だぞ」
「剣が通り過ぎた直後、細胞同士が再結合しているように見えましたが」
「そんな馬鹿な。アメーバみたいに細胞を変形させることができるとでも? いや、何でも有りっちゃあ有りなのか。動く死体が存在するぐらいだからな」

 イヤーカフを通じて、戦闘中のアケイオスの声も聞こえてくる。

「というか、あれもグールの一種なのかしら? 喋るグールというのは初めてだけど」
「さあな。だが、攻撃は当たっているはずなのにその痕跡すら見当たらなかったんだ。グールだとしたら効かないにしても傷跡が残るはずだろ? かといって、投影や幻覚の類いではないような気もするが」
「暗視モードでもしっかりと人体や武器の様子が映っていたわ。けっして投影や幻覚の類いではないわね」
「そうか……」
「ただ、人間にしてはやけに体温が低かったわね。体温だけでいえば首なしに近いはずよ」
「だが、首なしと同じだとは思えないな。ローブのようなもので隠れてはいるが、頭部もちゃんと付いているように見えたんでな。まあ、そこはあまり関係ないのかも知れないが」
「どうなのかしらね。いずれにせよ、一応は生身の肉体を持っている相手よ」
「となると、空中に浮かんでいるのは魔法の仕業ってわけか?」
「多分そうでしょうね。魔法でどんなことができるのか確認しておくいい機会だけど、どうする?」
「いや、さっさと片付けるべきだな。戦場から多少離れているとはいえ、こちらの騒ぎに気付かれるとマズい」

 俺とラウフローラがそんな悠長に会話を交わしていられるのも、アケイオスがひとりで黒い影を相手取っているからだ。
 が、何度かやり合ったあと黒い影がアケイオスから一旦離れて、こちらに向かってくる。
 俺がアケイオスよりも狙いやすいとでも思ったのか?
 それともこの俺が重要人物であることに気付いたからか?
 ラウフローラが張り付いてずっと俺のことを守っている状況。
 もしかしたら黒い影がアケイオスよりも先に倒すべき相手だと認識したのかも知れない。

「ちっ、こっちに来るぞ」

 俺のその言葉にラウフローラが即座に弓矢を放つ。
 1体目の首なし相手に披露したサーモバリック弾による攻撃だ。
 ギリギリまで弦を引き絞った矢が一直線に黒い影の顔がある部分へと放たれると、黒い影の周辺で大きな爆発を引き起こす。

「駄目ね」

 ラウフローラがそう呟く。
 俺も今のラウフローラの攻撃が通じなかったことはすぐに気付いた。
 さきほどアケイオスが攻撃したときと同じだ。
 爆風の中から現れた黒い影の身体はバラバラになるどころか、傷ひとつ残っていない様子だったからだ。

「それにしてもいったいどんな仕組みなんだ?」

 と、今度はアケイオスが動く。
 一瞬で間合いを詰めて、黒い影が俺のほうへ来ようとするのを邪魔するアケイオス。
 そんなアケイオスに対し、左方向から黒い影の鎌が迫っていた。
 すぐさま俺の耳に鈍い金属音が響く。それは黒い影の鎌による攻撃がアケイオスの手甲に当たった音だった。
 相手が攻撃してきたタイミングなら、こちらの攻撃も通じる可能性がある。
 そう考えたアケイオスが敢えて攻撃を受けてみせたのだろう。
 が、相手の攻撃を受けると同時にアケイオスが突き出した剣の切っ先はさきほどと同じように黒い影の身体を素通りしていた。

「無駄だ。我に貴様らの攻撃など通じぬわ」

 と、黒い影から不気味な声が漏れる。
 2体の首なしと戦ったときにはなかった反応だ。

「爆発も効かないか。それにしてもまともに会話する気があったとはな」
「これまでのグールとはちょっとだけ違うみたいね」

 そんなラウフローラの声が聞こえていたのか、黒い影が咆哮にも似た怒りの声を上げていた。
 
「貴人である我をグールだと? 無知な鼠とはいえ、無礼にもほどがあろう」
「貴人? すまないがこちらはあんたのことをまったく知らないんでね。是非ともご尊名をお聞かせ願いたいもんだね」
「よかろう。どのみちお主らはこのあと死にゆく身。しかと我が名をその胸に刻み込んでから、ザルサス様の御許おんもとへと赴くが良い。我が名はゼ・デュオン」
「ゼ・デュオン?」
「たしかイシュティール教の聖典の中に貴人に関する記述があったはずよ。ゼ・デュオンという名前までは記載されていなかったように思うけど」

 貴人という名称を聞き、思い出したようにラウフローラが呟く。
 アグラに関わってくる話だったので、俺も貴人については報告を受けていた。
 といっても、そこまで詳しい記述は残っておらず、俺も漠然としか理解していなかったが。
 貴人とはイシュテオールと邪神ザルサスの戦いにおいて邪神側に付いた人間だったはずだ。
 が、それは少なくとも今から700年以上前の話になるはず……。

「まさかとは思うが、あんたがその貴人本人だとでも言いたいのか?」 
「いかにも……」
「そりゃあ驚いた。だが、貴人であるあんたが何故マクシミリアン侯爵なんかの味方を?」
「ふっ。このあとダラハンとして生まれ変わる貴様らは知る必要のないこと。あの世でザルサス様にでもお尋ねするが良い」

 そう言ったあと、空中にふわりと浮いたまま更に後方へと下がるゼ・デュオン。
 そして何やら詠唱のようなものをその場で唱え始めていた。

「兄さん。ちょっとだけヤバそうな雰囲気だわ。念のために私の後ろに隠れていて」

 そう言ってラウフローラが俺の前へと躍り出る。
 そんなラウフローラの向こう側では現在アケイオスとゼ・デュオンが舞い踊るようにしながら戦っていた。

 黒い影の懐に飛び込んで大剣を振り回すアケイオス。
 その攻撃をひらりと躱しつつも詠唱を続けるゼ・デュオン。
 相変わらずアケイオスの大剣はゼ・デュオンの身体を素通りしている。
 ただ、さきほどとまでは少しだけ様子が異なっていた。
 ゼ・デュオンがアケイオスの攻撃を避けるようにふわふわと浮かびながら逃げ回っていたからだ。
 今のところアケイオスの攻撃によりゼ・デュオンが傷付いた様子もないが、こちらの攻撃がまったく通じないのなら最初から逃げ回る必要などないはず。
 もしかしたら、どこかに弱点があるのかも知れない。
 俺がそんなことを考えてるうちにもゼ・デュオンの詠唱は止まっていた。

「冥界の纏わりつく霧よ、我が眼前に吹きいでよ。朧気に浮かぶそのうつつの中にかの者を閉じ込めん! フォグス・デ・トゥム」

 そんな詠唱の終わりとともに、周辺の様相が一変する。
 森の中に一瞬で深い霧が立ち込め、俺の視界からゼ・デュオンの姿が消え失せていた。
 たしかに霧が俺の視界を悪くしていたが、周囲の様子がまったく見えなくなったわけじゃない。にもかかわらず、その場から掻き消えるようにゼ・デュオンの姿が見えなくなってしまった。

「兄さん」
「ああ、わかってる」
「それでどう対処する?」
「攻撃が効かないんだったら効くようにすればいいだけだろ? やりようならいくらでもある」
「まあね」
「あまり時間をかけたくない。さっさと片付けるぞ」
「わかったわ」

 俺は左腕にはめているガントレットの可動部分をスライドさせ、マルチプルデバイスに触れられるようにすると、即座に視界を暗視モードに変える。
 そして射撃モードも冷撃へと切り変えていた。

「悪いが、こちらからはバレバレなんだよ」

 そう言い放った俺は再び姿が丸見えになったゼ・デュオンに向けて特大のレーザー光を射出する。
 レーザー冷却と呼ばれる量子光学兵器だ。
 レーザー光に当たり運動エネルギーを奪われた気体分子が絶対零度にまで冷却され、ゼ・デュオンの身体を瞬時に凍りつかせる。

「なっ! き、貴様……」

 ゼ・デュオンが声を上げようとしたその瞬間――。

 アケイオスの振るった大剣がゼ・デュオンの身体をまともに捉え、その肉体はバラバラに砕け散っていた。

 ◆

 その場から立ち去ろうとする男女ふたりとひとりの亜人の姿を、ケイゼルは息を潜めたまま遠くから眺めていた。
 
 かなり危険な相手には違いない。
 もしかしたら狭間の牢獄から逃げ出した貴人を追うためにイシュテオールが放った番犬ではないのかと考えたほど。
 が、ケイゼルが臆したわけでもなかった。
 ケイゼルからすればあの3名とこの場で戦う意味がなかっただけの話だ。

 ゼ・デュオンの存在に気付き、急ぎこの場に駆け付けてはみたものの、そもそもケイゼルにはゼ・デュオンのことを助ける気などまるでなかったのだから。
 とはいえ、邪神ザルサスからひと言でもそう命令されればケイゼルとしても戦わざるを得ないのだが。
 とはいえ、今のところそんな命令を受けた覚えがない。

 ザルサスからの寵愛を得るために、ときには貴人同士が協力し合うことだってある。
 その逆に貴人同士が敵味方に分かれて戦いを繰り広げたこともこれまでなかったわけではない。
 そのすべては盟主争いのためだ。
 ケイゼルとしてはそんなレースに参加するつもりがなかった。
 ケイゼルがザルサスに魂を売ったのはゼ・デュオンとはまるで異なる理由だったからだ。
 邪神ザルサスが与えるという永遠の命や、強大な力などケイゼルにとっては正直どうでもいい話。
 ケイゼルの望みはたったひとつのことだけだった。

「ベルエルミナには一応このことを伝えておくべきか?」
 
 が、あの3名は最後までゼ・デュオンの本体に気付いた様子がなかった。
 復活するまでにけっこうな時間がかかるとはいえ、トドメを刺さなかったのはイシュテオールが寄越した番犬にしては少々詰めが甘いような気もする。
 そう考えると単に時代時代に生まれてくる英雄と呼ばれる存在なだけか?
 ――ケイゼルの頭の中でそんな考えがよぎる。

「いや、わざわざ教える義理もないか。そんなことよりもワルキュリアが俺の帰りを首を長くして待っているはずだからな」

 そんなひとり言を呟いたあと、リグルズ・ケイゼルの姿は短い詠唱とともに光の中へと消え去っていた。


 
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 これにて一章が終了となります。
 一応、全体は3章構成のつもりで現在の3倍ほどの量になる予定です。(まだどうなるかわかりませんが)
 次回は人物紹介を挟み、書き溜め分が溜まったあと2章を開始しますので、申し訳ありませんがしばらくお待ちください。
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