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第1章
81.フランテール湖畔の戦い
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◆
空を焦がすように火の玉が宙を舞い、バリバリと大気を引き裂きながら雷が迸る。
だが、正規軍の放ったそんな魔法が兵士たちに直撃する前に、反乱軍の魔道士が展開した障壁によってすべて阻まれていた。
といっても、それは単なる開戦の合図だったのかも知れない。
前進を告げるラッパが高らかに鳴り響くと同時に、アドミラール将軍率いる騎馬隊が動きを見せ始める。
「来るぞ! 者共、迎え撃て!!」
シアード王子のそんな号令一下、前線に居る槍兵隊がじりっじりっと前進しながらも、騎馬隊に向かって槍衾を作る。
といっても、中央に突撃してきたアドミラール将軍の騎馬隊は100名足らずの小勢。
本格的な突撃を開始したわけではなく、小手調べにひと当てして相手の出方をうかがっているようにも感じられた。少なくとも反乱軍のほかの兵士は今のところ動きを見せていない。
と、正規軍の布陣により近い位置。
まるで大きなふたつの塊が衝突するような形で、双方の部隊がぶつかる形になった。
正規軍のほうもそれほど兵を動かさなかったのは、前線の兵が下手に突出すれば、敵方の魔法や弓矢の良い餌食になってしまうためだろう。
それに戦闘はまだ始まったばかり。
シアード王子としても、アドミラール将軍のあからさまな挑発に乗ろうとしなかっただけかも知れない。
が、突撃してきたアドミラール将軍や騎馬隊の様子がどこかおかしいことにシアード王子もすぐに気付いた。
騎馬隊は槍兵の繰り出す槍に真正面からぶつかっていくと、攻撃をくらいながらもそのままの勢いでひたすら突進してきたのだ。
もちろん途中で槍に刺されて絶命したり、落馬する者も多く見られる。
そんなことなどお構いなしに、アドミラール将軍と騎馬隊はまるで決死の突撃でも敢行しているのかのように、鬼気迫る勢いで槍兵の間を駆け抜けていく。
「ぐっ、今度はいったい何を……」
シアード王子が苦々しげにそう呟く。
あんな無茶な突撃をしたところで、シアード王子が居る本陣までは絶対に届くわけがない。前線にはまだ数千という兵士が残されているのだから。
現にアドミラール将軍率いる騎馬隊はその数を半分近くにまで減らしていたぐらいだ。アドミラール将軍が功を焦ったのだとしても、いくら何でも無謀過ぎるように思えた。
といっても、ウルシュナ平原、ガルバイン砦と、マクシミリアン侯爵にまんまとしてやられた経験がある。
シアード王子は何か策があってしているのではないのかと疑っていた。
が――、
アドミラール将軍が正規軍側の陣地内にたどり着いた瞬間。
突然起きた激しい爆発により、アドミラール将軍のことを取り囲もうとしていた兵士たちの動きが止まっていた。
その場で周囲に飛び散った何かが、べちょっ、べょちょっとそのまま地面に落下する。
それはついさきほど無謀にも突撃してきたアドミラール将軍の肉体の一部だった。
おそらく体内に埋め込まれた魔晶石が爆発したせいだろう。
要人暗殺の際にたまに用いられる手段だ。
といっても、障壁の魔導具のひとつでもあれば簡単に防がれてしまうので、成功率は決して高くない。
それに元々たいした規模の爆発でもない。爆発の巻き添えになった者が居たとしても、せいぜい数名程度だろう。
正規軍の魔道士たちだって同じことをしようと思えば出来なくもないが、あまりやる意味がない。いたずらに兵士の命を無駄にするだけで、敵側に甚大な被害を与えるのはいささか難しかったからだ。
「なっ! いったい何の真似だ、あれは?」
遠方からその様子を眺めていたシアード王子が、隣に控えていた参謀にそう問いただす。
何が起きたのか遠目のせいでわからなかったわけではない。マクシミリアン侯爵の意図が掴めなかっただけだ。
「アドミラール将軍の偽物だったのでは?」
「だからといって、それに何の意味がある? あれでは虚仮威しにもならぬわ。いったいあれにどのような意味があるのかと聞いているのだ」
「さあ。某にはそこまで……」
マガルムーク北東部にあるフランテール湖畔。
季節は冬に入る一歩手前だ。
本格的に冬に入ってしまえば、この地方一帯には雪が積り、身動きが取れなくなってくる。
おそらく両陣営とも、そうなる前に雌雄を決しようという考えだったのだろう。
朝早い寒空の下、異様な雰囲気の中で正規軍と反乱軍による戦闘が開始されていた。
◆
「提督、是非ともこの奴隷たちをお納め下さい。最低限の教育は施し済みにございます」
そう言った商人のすぐ後ろには、10名の奴隷の男女が緊張した様子で立ち並んでいた。
年のころは15歳から20歳程度だろうか。
男がふたりで、残りの8人は女の人族。
といっても、奴隷にしては見栄えがよく、急遽取り繕っただけなのかも知れないが、誰一人として小汚い恰好はしていない。
その商人はこの屋敷の主であるディアルガー提督に対して、セントルーア商会のロジャー・アボットと名乗っていた。
セントルーア商会はエルセリア王国全土においても1,2を争う商会らしく、ロジャー自身はそのセントルーア商会の中でも南部地域の統括を任される立場だという話だ。
ただし、エルパドールが仕入れた情報により、あまり評判がよくないこともわかっていた。
終始、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべるロジャーだったが、ディアルガー提督もその言動から油断のならない相手であるような印象を受けていた。
「ロジャー殿。これは少々扱いに困る贈り物ですな」
セレネ公国とエルセリア王国の間に仮調印が結ばれたあと、ディアルガー提督の屋敷にはひっきりなしに客人が訪れている。
是非ともセレネ公国相手に商売がしたいという商人たちだ。
その商人たちがお近付きの印として様々な手土産を持って、ディアルガー提督に会いにきていた。
なにしろ現在エルセリア王国内で供給量が少なくなっている塩は言うに及ばず、様々な物資が安く手に入りそうだという情報が、かなり信憑性の高い噂として出回っているのだ。
そればかりか、意外なものまで高額で買ってくれるという話なのだから、小ぢんまりと少人数で経営している商会でもないかぎり、即座に駆け付けないのは商売人としては失格だろう。
ただしセレネ公国とはまだ正式に国交が結ばれていない状態。
しかも、食料品だけは取り引きする許可が降りたものの、ディアルガー提督とストレイル男爵ふたりの承認を得ないかぎり、取り引きができないことになっている。
そんなわけで、港町ポートラルゴでお預け状態を食らっている商人たちが連日のようにディアルガー提督の元に押しかけているという次第だった。
「お気に召さなければ処分していただいても一向に構いません。セレネ公国のお方がエルセリア王国での奴隷売買に関してお尋ねにいらしたという話を聞きましたので、もしやご入用かと思いまして」
「ほう。どこからそのような話を?」
「いえ。たまたまそのような噂話を耳にしただけでございます。当商会の中には奴隷を扱っている者も何名かおりますので」
「なるほど。ですが、いささか間違って伝わってしまったようですな。新港の建設のために数十名ほど奴隷を雇おうかと迷っていただけですよ。ですが、本国に労働力を寄越すようフローラ姫様が掛け合っていただけることになったので、その問題はもう解決しましたよ」
「そういうことだったのですか。それは何とも早とちりを」
「せっかくのご厚意だ。今回は有り難く贈り物を頂戴しますがね。だからといって、セントリーア商会を他商会よりも優遇するようなことは出来ませんぞ」
あきらかに賄賂だと思われる贈り物を持参してくる商人も多い。
だが、その贈り物が人間だったのはこれが初めて。
とはいえ、貰うものだけは貰って素知らぬ顔をする強欲な貴族も多い。
そんな貴族と同じで、ロジャーにとってディアルガー提督は見込み違いの相手だったはずだ。
だが、その程度のことはロジャーとしても想定内だったのか、にこやかな笑顔を崩さずに返答を続けている様子だった。
「いえいえ。当商会はこれまでも誠実に取り引きを重ねてまいりました。そんな下心などどこにもありませんとも」
「ふむ、なら良いが。便宜上、私とストレイル卿が承認する形にはなっているが、買い占めや不当な値上げなどをしないかぎり、私が口を挟むことはないと思ってもらって結構だ」
「承知いたしました」
そう言って恭しく頭を下げるロジャー。
相変わらず態度だけは礼儀正しく見える。
が、その下に隠された下卑た表情のほうはディアルガー提督の視界の中に入っていなかった。
◆
ガキンという剣同士がぶつかる音をデインはこのとき兜の内側から耳にしていた。
今にも振り下ろされようとする敵の刃。
それがいくら待っても襲いかかってこないことに胸を撫で下ろすとともに、自身の未熟さを悟り冷や汗が浮かんでくる。
剣の技術を磨き、自分ではそれなりにやれるつもりでいた。
つい先日もジェネットの街に侵入してきた魔物たちを何匹も屠ったぐらいだ。
いざ対人戦になってくると実戦経験があまりなかったが、盗賊を始末した経験なら幾度かある。それに模擬戦でなら隊長格相手でもそれなりにいい勝負になっていた。
が、ここは戦場。
正々堂々、1体1の勝負なんてものはそうそう起こるもんじゃない。
ひとりの敵兵を倒して気を緩めた際、不意に誰かに足首を掴まれてしまったせいで、その場に尻もちをついていたのだ。
重い全身鎧を着ていたこともあって、身が軽いデインでも咄嗟には起き上がれなかった。
そのときデインの視界に映っていたのは敵兵がこちらへと近付いてくる姿。
その敵兵だって兜をかぶっていたのに、デインの目にはまるでその敵兵がニヤついているように見えていた。
そしてデインが起き上がる間もなく真上から振り下ろされた刃。
自分の命が味方の手により救われたことに気付いたのは、一瞬ほど経ってからのことだった。
「すまない、助かった」
「いいから早く立ち上がりなさい。すぐに別の敵兵がやってくるわよ」
「あ……、ああ」
デインの耳に聞こえてきたのは若々しい女性の声だった。
グラン領の兵士の中に女性がまったく居なかったわけでもないが、かなり珍しい存在だ。
といっても、現在はほかの領地から来た兵士たちと共に戦っている最中。
軍装も少しだけ異っていたので、所属が違うのかとデインもすぐに納得をする。
そんなデインをよそに、さきほど襲ってきた敵兵と切り交え、見事にトドメを刺している女性兵士。
そのときにはデインもどうにかひとりで地面から立ち上がることができていたが、ここが戦場であることも忘れるぐらい、その見事な腕前に見惚れていた。
全身鎧姿だったために容姿のほうはまったくの不明だが、まるで伝説に聞くワルキュリアのようだ、と。
その後も近くで敵兵と切り結ぶ女性兵士の姿を見かけるたびに、そんな感慨をデインは覚えていた。
むろんデインだって、ずっと女性兵士の姿を目で追っていたわけじゃない。
そんなことをしなくても、女性兵士の洗練された剣技が戦場の中で自然と目に付くほど際立っていただけの話だ。
いや、もうひとりの化け物の姿もやたらとデインの目には留まっていた。
そっちのほうは剣技が少々荒削りのように見えたが、それゆえにヤバさを感じてしまう。
あまり剣を振るったことがない初心者の天才が、身体能力のみで熟練者の剣技をも凌駕してしまうことが稀にある。言ってみればその兵士の剣筋にもそれに近い異様な鋭さが感じられた。
だが、そのふたりのおかげで、かなりの味方が救われたはず。
それにお互いの背後をカバーしながら戦っているその姿は、あきらかにふたりが知り合いだとわかるものだった。
戦闘が開始されてから何時間ぐらいが経過したのかはわからない。
が、日が中天にかかるころになって、ようやくデインの耳にも一時後退の合図が聞こえてくる。
これで勝敗が決まったわけじゃない。
それでも今日という日を生き延びることができたことをデインがイシュテオールに感謝している間に、ふたりの兵士の姿は忽然とどこかへ消えていた。
空を焦がすように火の玉が宙を舞い、バリバリと大気を引き裂きながら雷が迸る。
だが、正規軍の放ったそんな魔法が兵士たちに直撃する前に、反乱軍の魔道士が展開した障壁によってすべて阻まれていた。
といっても、それは単なる開戦の合図だったのかも知れない。
前進を告げるラッパが高らかに鳴り響くと同時に、アドミラール将軍率いる騎馬隊が動きを見せ始める。
「来るぞ! 者共、迎え撃て!!」
シアード王子のそんな号令一下、前線に居る槍兵隊がじりっじりっと前進しながらも、騎馬隊に向かって槍衾を作る。
といっても、中央に突撃してきたアドミラール将軍の騎馬隊は100名足らずの小勢。
本格的な突撃を開始したわけではなく、小手調べにひと当てして相手の出方をうかがっているようにも感じられた。少なくとも反乱軍のほかの兵士は今のところ動きを見せていない。
と、正規軍の布陣により近い位置。
まるで大きなふたつの塊が衝突するような形で、双方の部隊がぶつかる形になった。
正規軍のほうもそれほど兵を動かさなかったのは、前線の兵が下手に突出すれば、敵方の魔法や弓矢の良い餌食になってしまうためだろう。
それに戦闘はまだ始まったばかり。
シアード王子としても、アドミラール将軍のあからさまな挑発に乗ろうとしなかっただけかも知れない。
が、突撃してきたアドミラール将軍や騎馬隊の様子がどこかおかしいことにシアード王子もすぐに気付いた。
騎馬隊は槍兵の繰り出す槍に真正面からぶつかっていくと、攻撃をくらいながらもそのままの勢いでひたすら突進してきたのだ。
もちろん途中で槍に刺されて絶命したり、落馬する者も多く見られる。
そんなことなどお構いなしに、アドミラール将軍と騎馬隊はまるで決死の突撃でも敢行しているのかのように、鬼気迫る勢いで槍兵の間を駆け抜けていく。
「ぐっ、今度はいったい何を……」
シアード王子が苦々しげにそう呟く。
あんな無茶な突撃をしたところで、シアード王子が居る本陣までは絶対に届くわけがない。前線にはまだ数千という兵士が残されているのだから。
現にアドミラール将軍率いる騎馬隊はその数を半分近くにまで減らしていたぐらいだ。アドミラール将軍が功を焦ったのだとしても、いくら何でも無謀過ぎるように思えた。
といっても、ウルシュナ平原、ガルバイン砦と、マクシミリアン侯爵にまんまとしてやられた経験がある。
シアード王子は何か策があってしているのではないのかと疑っていた。
が――、
アドミラール将軍が正規軍側の陣地内にたどり着いた瞬間。
突然起きた激しい爆発により、アドミラール将軍のことを取り囲もうとしていた兵士たちの動きが止まっていた。
その場で周囲に飛び散った何かが、べちょっ、べょちょっとそのまま地面に落下する。
それはついさきほど無謀にも突撃してきたアドミラール将軍の肉体の一部だった。
おそらく体内に埋め込まれた魔晶石が爆発したせいだろう。
要人暗殺の際にたまに用いられる手段だ。
といっても、障壁の魔導具のひとつでもあれば簡単に防がれてしまうので、成功率は決して高くない。
それに元々たいした規模の爆発でもない。爆発の巻き添えになった者が居たとしても、せいぜい数名程度だろう。
正規軍の魔道士たちだって同じことをしようと思えば出来なくもないが、あまりやる意味がない。いたずらに兵士の命を無駄にするだけで、敵側に甚大な被害を与えるのはいささか難しかったからだ。
「なっ! いったい何の真似だ、あれは?」
遠方からその様子を眺めていたシアード王子が、隣に控えていた参謀にそう問いただす。
何が起きたのか遠目のせいでわからなかったわけではない。マクシミリアン侯爵の意図が掴めなかっただけだ。
「アドミラール将軍の偽物だったのでは?」
「だからといって、それに何の意味がある? あれでは虚仮威しにもならぬわ。いったいあれにどのような意味があるのかと聞いているのだ」
「さあ。某にはそこまで……」
マガルムーク北東部にあるフランテール湖畔。
季節は冬に入る一歩手前だ。
本格的に冬に入ってしまえば、この地方一帯には雪が積り、身動きが取れなくなってくる。
おそらく両陣営とも、そうなる前に雌雄を決しようという考えだったのだろう。
朝早い寒空の下、異様な雰囲気の中で正規軍と反乱軍による戦闘が開始されていた。
◆
「提督、是非ともこの奴隷たちをお納め下さい。最低限の教育は施し済みにございます」
そう言った商人のすぐ後ろには、10名の奴隷の男女が緊張した様子で立ち並んでいた。
年のころは15歳から20歳程度だろうか。
男がふたりで、残りの8人は女の人族。
といっても、奴隷にしては見栄えがよく、急遽取り繕っただけなのかも知れないが、誰一人として小汚い恰好はしていない。
その商人はこの屋敷の主であるディアルガー提督に対して、セントルーア商会のロジャー・アボットと名乗っていた。
セントルーア商会はエルセリア王国全土においても1,2を争う商会らしく、ロジャー自身はそのセントルーア商会の中でも南部地域の統括を任される立場だという話だ。
ただし、エルパドールが仕入れた情報により、あまり評判がよくないこともわかっていた。
終始、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべるロジャーだったが、ディアルガー提督もその言動から油断のならない相手であるような印象を受けていた。
「ロジャー殿。これは少々扱いに困る贈り物ですな」
セレネ公国とエルセリア王国の間に仮調印が結ばれたあと、ディアルガー提督の屋敷にはひっきりなしに客人が訪れている。
是非ともセレネ公国相手に商売がしたいという商人たちだ。
その商人たちがお近付きの印として様々な手土産を持って、ディアルガー提督に会いにきていた。
なにしろ現在エルセリア王国内で供給量が少なくなっている塩は言うに及ばず、様々な物資が安く手に入りそうだという情報が、かなり信憑性の高い噂として出回っているのだ。
そればかりか、意外なものまで高額で買ってくれるという話なのだから、小ぢんまりと少人数で経営している商会でもないかぎり、即座に駆け付けないのは商売人としては失格だろう。
ただしセレネ公国とはまだ正式に国交が結ばれていない状態。
しかも、食料品だけは取り引きする許可が降りたものの、ディアルガー提督とストレイル男爵ふたりの承認を得ないかぎり、取り引きができないことになっている。
そんなわけで、港町ポートラルゴでお預け状態を食らっている商人たちが連日のようにディアルガー提督の元に押しかけているという次第だった。
「お気に召さなければ処分していただいても一向に構いません。セレネ公国のお方がエルセリア王国での奴隷売買に関してお尋ねにいらしたという話を聞きましたので、もしやご入用かと思いまして」
「ほう。どこからそのような話を?」
「いえ。たまたまそのような噂話を耳にしただけでございます。当商会の中には奴隷を扱っている者も何名かおりますので」
「なるほど。ですが、いささか間違って伝わってしまったようですな。新港の建設のために数十名ほど奴隷を雇おうかと迷っていただけですよ。ですが、本国に労働力を寄越すようフローラ姫様が掛け合っていただけることになったので、その問題はもう解決しましたよ」
「そういうことだったのですか。それは何とも早とちりを」
「せっかくのご厚意だ。今回は有り難く贈り物を頂戴しますがね。だからといって、セントリーア商会を他商会よりも優遇するようなことは出来ませんぞ」
あきらかに賄賂だと思われる贈り物を持参してくる商人も多い。
だが、その贈り物が人間だったのはこれが初めて。
とはいえ、貰うものだけは貰って素知らぬ顔をする強欲な貴族も多い。
そんな貴族と同じで、ロジャーにとってディアルガー提督は見込み違いの相手だったはずだ。
だが、その程度のことはロジャーとしても想定内だったのか、にこやかな笑顔を崩さずに返答を続けている様子だった。
「いえいえ。当商会はこれまでも誠実に取り引きを重ねてまいりました。そんな下心などどこにもありませんとも」
「ふむ、なら良いが。便宜上、私とストレイル卿が承認する形にはなっているが、買い占めや不当な値上げなどをしないかぎり、私が口を挟むことはないと思ってもらって結構だ」
「承知いたしました」
そう言って恭しく頭を下げるロジャー。
相変わらず態度だけは礼儀正しく見える。
が、その下に隠された下卑た表情のほうはディアルガー提督の視界の中に入っていなかった。
◆
ガキンという剣同士がぶつかる音をデインはこのとき兜の内側から耳にしていた。
今にも振り下ろされようとする敵の刃。
それがいくら待っても襲いかかってこないことに胸を撫で下ろすとともに、自身の未熟さを悟り冷や汗が浮かんでくる。
剣の技術を磨き、自分ではそれなりにやれるつもりでいた。
つい先日もジェネットの街に侵入してきた魔物たちを何匹も屠ったぐらいだ。
いざ対人戦になってくると実戦経験があまりなかったが、盗賊を始末した経験なら幾度かある。それに模擬戦でなら隊長格相手でもそれなりにいい勝負になっていた。
が、ここは戦場。
正々堂々、1体1の勝負なんてものはそうそう起こるもんじゃない。
ひとりの敵兵を倒して気を緩めた際、不意に誰かに足首を掴まれてしまったせいで、その場に尻もちをついていたのだ。
重い全身鎧を着ていたこともあって、身が軽いデインでも咄嗟には起き上がれなかった。
そのときデインの視界に映っていたのは敵兵がこちらへと近付いてくる姿。
その敵兵だって兜をかぶっていたのに、デインの目にはまるでその敵兵がニヤついているように見えていた。
そしてデインが起き上がる間もなく真上から振り下ろされた刃。
自分の命が味方の手により救われたことに気付いたのは、一瞬ほど経ってからのことだった。
「すまない、助かった」
「いいから早く立ち上がりなさい。すぐに別の敵兵がやってくるわよ」
「あ……、ああ」
デインの耳に聞こえてきたのは若々しい女性の声だった。
グラン領の兵士の中に女性がまったく居なかったわけでもないが、かなり珍しい存在だ。
といっても、現在はほかの領地から来た兵士たちと共に戦っている最中。
軍装も少しだけ異っていたので、所属が違うのかとデインもすぐに納得をする。
そんなデインをよそに、さきほど襲ってきた敵兵と切り交え、見事にトドメを刺している女性兵士。
そのときにはデインもどうにかひとりで地面から立ち上がることができていたが、ここが戦場であることも忘れるぐらい、その見事な腕前に見惚れていた。
全身鎧姿だったために容姿のほうはまったくの不明だが、まるで伝説に聞くワルキュリアのようだ、と。
その後も近くで敵兵と切り結ぶ女性兵士の姿を見かけるたびに、そんな感慨をデインは覚えていた。
むろんデインだって、ずっと女性兵士の姿を目で追っていたわけじゃない。
そんなことをしなくても、女性兵士の洗練された剣技が戦場の中で自然と目に付くほど際立っていただけの話だ。
いや、もうひとりの化け物の姿もやたらとデインの目には留まっていた。
そっちのほうは剣技が少々荒削りのように見えたが、それゆえにヤバさを感じてしまう。
あまり剣を振るったことがない初心者の天才が、身体能力のみで熟練者の剣技をも凌駕してしまうことが稀にある。言ってみればその兵士の剣筋にもそれに近い異様な鋭さが感じられた。
だが、そのふたりのおかげで、かなりの味方が救われたはず。
それにお互いの背後をカバーしながら戦っているその姿は、あきらかにふたりが知り合いだとわかるものだった。
戦闘が開始されてから何時間ぐらいが経過したのかはわからない。
が、日が中天にかかるころになって、ようやくデインの耳にも一時後退の合図が聞こえてくる。
これで勝敗が決まったわけじゃない。
それでも今日という日を生き延びることができたことをデインがイシュテオールに感謝している間に、ふたりの兵士の姿は忽然とどこかへ消えていた。
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