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第1章
47.荷馬車の行方
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◆
ガタゴトと重そうな音を鳴らし、荷馬車が小石を跳ねながら郊外のほうに向かって進んでいく様子が見える。
商人も行き交うような主要な街道だ。
普通に考えれば荷馬車が通り過ぎる光景なんか珍しくも何ともなかったに違いない。もしすれ違う人々が荷馬車を見かけたとしても、振り向きすらしなかっただろう。
だが、その荷馬車はずいぶんと立派な様子。
前の御者席から後ろの積み荷部分までが丸々すっぽりと高さのある幌におおわれている状態で、前方からも後方からも幌の中がまったく見えなくなっていた。
先頭には4頭の馬車馬が繋がれており、幌の中にぎっしりと荷を積んでいることが予想できたほど。
そんな豪華な荷馬車なら人々の注目を集めてもおかしくないはず。
主街道とはいえ、まったく盗賊が出没しないわけでもない。こんな豪華な荷馬車なら恰好の標的になってもおかしくなかった。
だが、たまたま近くに盗賊が隠れていたとしても、おそらくその荷馬車には手を出さなかったはずだ。
荷馬車の側部に描かれている紋章から、グラン家が所有する荷馬車だということが一目瞭然だったからだ。
外に護衛らしき騎兵の姿こそ見当たらなかったが、荷馬車の中に兵が隠れていることも充分に考えられる。
それにジェネットの町近くでそんなことをすれば、本気になって兵を差し向けられることが目に見えている。盗賊たちだって、おいそれとは手を出せないはずだ。
「あと、どれくらいで着きそうかしら?」
そんな荷馬車の中から、優し気な女性の声が聞こえてくる。
おそらく御者席に座る男へと向けられたものだろう。
積み荷と一緒に幌の中に乗っているのか、姿こそ見えなかったが、その声の主は最近亜人たちの間で聖女だと称えられているクリスティーナその人に間違いなかった。
「お嬢様。そんなに慌てなくても、まもなく到着いたしますよ」
「そう……。あの子がお腹を空かせていなければいいのだけど」
昨晩、アンドリュース伯爵から最近の行動について注意をされたばかりだというのに、クリスティーナの顔には悪びれた様子もない。
アンドリュース伯爵の小言など聞く耳を持たないのか、今日も今日とてせっせと城壁の外に出て、食料となる積み荷を荷馬車で運んでいる最中のようだった。
と、そのうち車輪が地面を跳ねる音が止み、荷馬車が止まるのがわかった。
「さあさあ、教会に着きましたよ。あっしは中に積み荷を運んじまうので、お嬢様は先に奥に入っていてくださいね」
「ええ。モンドさん、お願いしますわ」
そう言ってクリスティーナが荷馬車から降りると、御者をその場に残し、ひとり古びた教会の中へと入って行く。
どうやらジェネットの町を離れ、ずいぶんと遠い場所までやって来たらしく、周囲には住人たちの姿どころか建造物すら一切なく、遠くのほうまでずっと薄暗い森が続いている様子だった。
それどころかクリスティーナが教会の中に入ってみても、そこに居たのは奴隷用の首輪をした少年がひとり。
わざわざこんな遠くまで荷馬車で食料を運んできたというのに、この少年のためだけということはあるまい。
だが、それにしては周囲に人影はなく、静まり返った様子がある。
それに何故か、クリスティーナの姿を見た瞬間、その少年が恐ろしいものでも見たかのようにブルブルとその身を震わせ始めていた。
「っ! ク、クリスティーナお嬢様」
「マル。フロイド神父様はどこかしら?」
「は、はい。えーっと、その……多分、今は地下だと」
「また?」
そう呟いたクリスティーナの目尻が咎めるように吊り上がる。
その顔を見たマルは顔を伏せるようにして、その場に縮こまってしまう。
「まあいいわ。あなたに言っても仕方ないことですものね」
「す、すぐにフロイド神父様をお呼びいたしますので」
「いいわ、マル。私が直接出向きますから。地下への扉だけ開けてくれればいいわ」
そんなクリスティーナの言葉に逆らう気はないのか、マルが黙ったままコクリと頷く。そのまま壁に遮られ正面から死角になっている場所までいくと、マルは鍵を使って床板を外していた。
「ありがとう。それと、すぐにモンドさんが荷物を持ってやってくると思うので、そのつもりでよろしくね」
マルにそのことを伝えたクリスティーナが、床下に現れた階段を使って地下へと下りていく。
その階段を下りた先にあったのは、まるで洞窟のような地下回廊だった。
石畳の床以外は自然の土壁がむき出し。
一応、木材を使ってところどころ補強をしてあるようだが、天然の洞窟に少しだけ手を加えただけのようにも思える。
壁にかけられた松明の灯りが地上から吹き込んだ風で炎を揺らし、どことなく恐ろし気な雰囲気を漂わせている様子もあった。
そんな薄暗い回廊を、勝手知ったる様子でコツコツと足音を響かせながら奥へ奥へと進んでいくクリスティーナ。
といっても、地下回廊はそれほど奥まで続いておらず、すぐに突き当りまでたどり着いてしまったが。
ただ、その回廊の突き当たりに見えるのは鉄で出来た、いかにも頑丈そうな扉。そして、地下回廊の両脇にも木製の扉がいくつか並んでいた。おそらくこれらの扉の先にそれぞれ部屋があるのだろう。
と、脇にある部屋のほうから少女の叫びらしい声が聞こえてくる。
「神父様、クリスティーナです」
そんなクリスティーナの呼びかけにも、扉の向こうからは反応が返ってこない。
聞こえるのは、泣き声にも似た悲鳴のみ。
だが、クリスティーナが執拗に声をかけ何度も扉叩いたことで、ようやく中に居る人間も気付いたのか、しばらくして部屋の中からひとりの男性が出てくる。
「ああ、クリスティーナ様でしたか。私はてっきりマルなのかと」
「マルなのかではありませんよ。さきほどから何度、声をお掛けしたことか」
「すみません、気が付きませんでした。それで本日はいかなる御用向きでしょうか?」
「食料を運んできましたのよ。というか、せっかく私が用意した食料に、悪戯されては困るのですが」
「まあまあ。良いではないですか。私が少しぐらい味見をしたところで、減るものではなし」
「神父様もサイード導師様から直接お聞きになられているはずですよね? 王に捧げる食料は、なるべくなら健康で無垢な少女のほうが良いと」
「はて? そうでしたかな?」
「何をお惚けになられているのですか。というか、そろそろその粗末なものを仕舞ってくださらない?」
そう言ってクリスティーナが自分の目線辺りに手をかざし、さも嫌そうにしながら顔を背ける。
クリスティーナの目の前に現れたフロイド神父が、薄布ひとつ纏っていない全裸の格好のままだったからだ。
「おっと、これは失礼を。何分、個人的な儀式の最中だったものでして。何ならクリスティーナ様も一緒に楽しみませんか?」
「お断りいたしますわ」
「ふふふ。クリスティーナ様は魔物の世話のほうがお好きと見えますな」
「何か文句がおあり?」
「いえいえ。汝の欲求に忠実なれ。混沌と背徳、淫蕩に我欲こそが我らが主の好むところ。クリスティーナ様の御心の赴くままに」
「そのようなことより、早いこと王に食事を与えねばなりません。クローリーニードルが蟲の王へと成長するためには、大量の食糧を必要としているのですからね」
「わかっておりますとも。それでは早速、王の元へと向かいますかね。それで食料はどういたします? 部屋の中に居る少女を連れていきますか?」
「今日は新鮮な食料を用意したので、それを使うつもりです」
「ならば、今少しあの少女で楽しめるということですな」
「けっしてあなたの楽しみのために食料を用意しているわけではないのですよ」
「蟲の王に魔を宿すための呪術をこの私が唱えるためにも、あれだって必要な儀式の一部なのですよ」
「ふんっ。いい加減なことを……」
そう言ったきり、まともにフロイド神父の相手をすることを諦めたのか、クリスティーナは黙って突き当りの奥に見える鉄扉のほうへと歩いていく。
目の前に見える鉄扉は硬く閉ざされており、中の様子がまったくわからないようになっていたが、クリスティーナが向かう鉄扉の奥からは、禍々しくおどろおどろしい気配が漂ってくるような雰囲気があった。
◇
「まだるっこしい駆け引きは苦手だから、単刀直入に言うね。是非ともディーディーに、僕の配下に加わってもらいたいんだ」
夕方過ぎ、護衛のカイルに案内され、屋敷へと招かれた俺たちにルメロが持ち掛けてきたのはそんな突拍子もない話だった。
おそらくついさきほどまで出掛けていたのだろう。
俺たちより少しだけ遅れて部屋に入ってくるなり、ふうっとひとつ大きなため息をこぼし、革張りの高級そうなソファに腰を落ち着けたルメロの第一声がこれだった。
「配下だって? それはいったい、何の冗談だ?」
「冗談でも何でもないよ。この僕はいつだって本気さ」
「いや、本気なら尚更だろ。いきなり自分の配下になれだなんてことを言われて、素直に頷く人間がどこかに居るとでも思っているのか?」
「どうだろ? そりゃ驚くかも知れないけど、けっして悪い話ではないと思うんだよね」
「昨日、会ったばかりの素性もよく知らない相手にそんなことを言われてもな」
「そういや、きちんとした自己紹介がまだだったね。僕の名前はルメロ・ドランガル・ジェス・マガルムーク。これでも一応この国の王子なんだよね」
あっけらかんとした様子で自分の正体をバラしてくるルメロに驚く。
といっても、ルメロが王子だということは、なかば予想していたことだが。
昼過ぎ頃、天翔けるアヒル亭にやってきたデニウスという名の若者が、どうやらここの領主の跡取り息子らしいということは、ふたりの会話から察することができていたし、そのデニウスがやたらと気を遣っていた相手だ。
ルメロが王族であることはほぼ間違いないだろうという結論に、俺たちは至っていた。
だが、そのマガルムークの王子であるルメロが、いかなる理由から僻地であるジェネットの町を訪れたのかも謎だし、俺たちに目を付けた理由もいまいち不明だった。
さすがに、エルセリア王国の冒険者が物珍しかったというルメロの言い分をそのまま鵜呑みにするつもりはない。
俺たちに、自分では気付かない何か不審な点があり、そのせいでルメロに目を付けられたのではないのかと考えていたぐらいだ。
とはいえ、俺たちのことを頭から怪しい存在だと決めつけているわけではなく、微々たる違和感程度のものを感じ取っているだけだろう、とも思っていたが。
時折見せるルメロの眼光が、俺たちのことを品定めでもしているかのような鋭い光を放っていたからだ。
この屋敷に呼ばれたのも、ルメロがその違和感の正体を確かめようとしていると見るのが正解であるような気がしていたのだ。
「なるほどな。殿下なんて呼ばれているぐらいだ。さぞや偉い立場の人間なんだろうと思っていたが、まさか王子様だったとはね」
「といっても、いわゆる庶子の生まれでね。かろうじて王族の片隅に席を置かせてもらっているような身なんだよね。公式な場所以外では今までどおり普通に接してくれて構わないから」
「いや、まあそのなんだ。そっちがそれで良いって言うのなら、俺としては正直助かるが」
庶子か。
つい先日崩御した前王ガルミオスに何人の子供が居たのかは知らないが、庶子ということなら、王子といえどそこまで身分は高くなく、こんな地方都市に身を寄せていたことにも頷ける。
ただ、どういった理由から俺のことを召し抱えたいだなんて言い出したのかはさっぱりだった。
たしかにそんな身の上なら、腕の立つ護衛がほしいと思ってもおかしくはない。
だが、ルメロが気まぐれから、腕が立ちそうな冒険者に対して片っ端から声を掛けているようにも見えなかった。
「それでどうかな? さっきの提案のほうは? 自分で言うのもあれだけどさ、ディーディーにとって、けっして悪い話じゃないと思うんだよね」
「この俺はエルセリア人だぞ?」
「実はエルセリアの貴族だったり、貴族に連なる家の出自ってことではないんだよね?」
「そりゃ貴族なんかとはまったく縁がない、ただの平民ではあるが」
「そう……。だったら何も問題はないよ」
自分からこんな話を持ち掛けてきているくせに、ルメロは俺の平民だという言葉には少しだけ引っ掛かっている様子も見受けられる。
俺の出自を探ろうとしているかのようにも見えるそんなルメロの態度に、俺は警戒心を抱かずにはおけなかった。
「だが、いったいどういう了見で、俺なんかを召し抱えようと思ったんだ? ドレイク退治の話を聞き、腕が立ちそうだと考えたんだとしたら、いくら何でも短絡的過ぎやしないか? 100%俺が嘘を吐いているとまでは思わなくとも、大袈裟に言っているだけかも知れないだろ?」
「もちろんディーディーが腕の立つ冒険者だってことも疑っていないよ。でも、そういう話とはちょっと違うんだよね」
「と、言うと?」
「いきなりこんな話を持ち掛けているんだ。そりゃあ、こちらの手のうちを見せないと信じてもらえないか」
「殿下。出会ったばかりの相手に易々と秘密を漏らすのは……」
何事かを迷った末に、ついには意を決して話しだそうとするルメロのことを、護衛のカイルが慌てた様子で止めに入る。
「カイル。言いたいことはわかるけど、こちらのほうが誠意を見せずに一方的に相手に信用してくれっていうのは、いくら何でも虫がいい話だと思うんだよね」
「それはそうかも知れませんが」
「何、大丈夫さ。ディーディーに秘密を喋ったところで、彼らにとってはそこまで意味がある話でもないんだ。シアード兄さま辺りに伝わらないかぎりはね」
「わかりました、もうお止めしません。殿下のお好きになさってください」
何となく話の流れだけは掴めたが、どうにもふたりのやり取りが演技がかっているような気がしてならない。
わざとらしいとまでは言わないが、あらかじめ打ち合わせいていたかのような、うさん臭さを感じていたのだ。
とはいえ、俺のことを配下に加えたいという気持ちはおそらく本心なのだろう。隠している秘密を打ち明けてまで、俺の信用を得ようという話なのだから。
「そういうことでさ、ディーディーたちにもカイルしか知らない僕の秘密を打ち明けようと思うんだ。実は僕って、ギフト持ちなんだよね」
ガタゴトと重そうな音を鳴らし、荷馬車が小石を跳ねながら郊外のほうに向かって進んでいく様子が見える。
商人も行き交うような主要な街道だ。
普通に考えれば荷馬車が通り過ぎる光景なんか珍しくも何ともなかったに違いない。もしすれ違う人々が荷馬車を見かけたとしても、振り向きすらしなかっただろう。
だが、その荷馬車はずいぶんと立派な様子。
前の御者席から後ろの積み荷部分までが丸々すっぽりと高さのある幌におおわれている状態で、前方からも後方からも幌の中がまったく見えなくなっていた。
先頭には4頭の馬車馬が繋がれており、幌の中にぎっしりと荷を積んでいることが予想できたほど。
そんな豪華な荷馬車なら人々の注目を集めてもおかしくないはず。
主街道とはいえ、まったく盗賊が出没しないわけでもない。こんな豪華な荷馬車なら恰好の標的になってもおかしくなかった。
だが、たまたま近くに盗賊が隠れていたとしても、おそらくその荷馬車には手を出さなかったはずだ。
荷馬車の側部に描かれている紋章から、グラン家が所有する荷馬車だということが一目瞭然だったからだ。
外に護衛らしき騎兵の姿こそ見当たらなかったが、荷馬車の中に兵が隠れていることも充分に考えられる。
それにジェネットの町近くでそんなことをすれば、本気になって兵を差し向けられることが目に見えている。盗賊たちだって、おいそれとは手を出せないはずだ。
「あと、どれくらいで着きそうかしら?」
そんな荷馬車の中から、優し気な女性の声が聞こえてくる。
おそらく御者席に座る男へと向けられたものだろう。
積み荷と一緒に幌の中に乗っているのか、姿こそ見えなかったが、その声の主は最近亜人たちの間で聖女だと称えられているクリスティーナその人に間違いなかった。
「お嬢様。そんなに慌てなくても、まもなく到着いたしますよ」
「そう……。あの子がお腹を空かせていなければいいのだけど」
昨晩、アンドリュース伯爵から最近の行動について注意をされたばかりだというのに、クリスティーナの顔には悪びれた様子もない。
アンドリュース伯爵の小言など聞く耳を持たないのか、今日も今日とてせっせと城壁の外に出て、食料となる積み荷を荷馬車で運んでいる最中のようだった。
と、そのうち車輪が地面を跳ねる音が止み、荷馬車が止まるのがわかった。
「さあさあ、教会に着きましたよ。あっしは中に積み荷を運んじまうので、お嬢様は先に奥に入っていてくださいね」
「ええ。モンドさん、お願いしますわ」
そう言ってクリスティーナが荷馬車から降りると、御者をその場に残し、ひとり古びた教会の中へと入って行く。
どうやらジェネットの町を離れ、ずいぶんと遠い場所までやって来たらしく、周囲には住人たちの姿どころか建造物すら一切なく、遠くのほうまでずっと薄暗い森が続いている様子だった。
それどころかクリスティーナが教会の中に入ってみても、そこに居たのは奴隷用の首輪をした少年がひとり。
わざわざこんな遠くまで荷馬車で食料を運んできたというのに、この少年のためだけということはあるまい。
だが、それにしては周囲に人影はなく、静まり返った様子がある。
それに何故か、クリスティーナの姿を見た瞬間、その少年が恐ろしいものでも見たかのようにブルブルとその身を震わせ始めていた。
「っ! ク、クリスティーナお嬢様」
「マル。フロイド神父様はどこかしら?」
「は、はい。えーっと、その……多分、今は地下だと」
「また?」
そう呟いたクリスティーナの目尻が咎めるように吊り上がる。
その顔を見たマルは顔を伏せるようにして、その場に縮こまってしまう。
「まあいいわ。あなたに言っても仕方ないことですものね」
「す、すぐにフロイド神父様をお呼びいたしますので」
「いいわ、マル。私が直接出向きますから。地下への扉だけ開けてくれればいいわ」
そんなクリスティーナの言葉に逆らう気はないのか、マルが黙ったままコクリと頷く。そのまま壁に遮られ正面から死角になっている場所までいくと、マルは鍵を使って床板を外していた。
「ありがとう。それと、すぐにモンドさんが荷物を持ってやってくると思うので、そのつもりでよろしくね」
マルにそのことを伝えたクリスティーナが、床下に現れた階段を使って地下へと下りていく。
その階段を下りた先にあったのは、まるで洞窟のような地下回廊だった。
石畳の床以外は自然の土壁がむき出し。
一応、木材を使ってところどころ補強をしてあるようだが、天然の洞窟に少しだけ手を加えただけのようにも思える。
壁にかけられた松明の灯りが地上から吹き込んだ風で炎を揺らし、どことなく恐ろし気な雰囲気を漂わせている様子もあった。
そんな薄暗い回廊を、勝手知ったる様子でコツコツと足音を響かせながら奥へ奥へと進んでいくクリスティーナ。
といっても、地下回廊はそれほど奥まで続いておらず、すぐに突き当りまでたどり着いてしまったが。
ただ、その回廊の突き当たりに見えるのは鉄で出来た、いかにも頑丈そうな扉。そして、地下回廊の両脇にも木製の扉がいくつか並んでいた。おそらくこれらの扉の先にそれぞれ部屋があるのだろう。
と、脇にある部屋のほうから少女の叫びらしい声が聞こえてくる。
「神父様、クリスティーナです」
そんなクリスティーナの呼びかけにも、扉の向こうからは反応が返ってこない。
聞こえるのは、泣き声にも似た悲鳴のみ。
だが、クリスティーナが執拗に声をかけ何度も扉叩いたことで、ようやく中に居る人間も気付いたのか、しばらくして部屋の中からひとりの男性が出てくる。
「ああ、クリスティーナ様でしたか。私はてっきりマルなのかと」
「マルなのかではありませんよ。さきほどから何度、声をお掛けしたことか」
「すみません、気が付きませんでした。それで本日はいかなる御用向きでしょうか?」
「食料を運んできましたのよ。というか、せっかく私が用意した食料に、悪戯されては困るのですが」
「まあまあ。良いではないですか。私が少しぐらい味見をしたところで、減るものではなし」
「神父様もサイード導師様から直接お聞きになられているはずですよね? 王に捧げる食料は、なるべくなら健康で無垢な少女のほうが良いと」
「はて? そうでしたかな?」
「何をお惚けになられているのですか。というか、そろそろその粗末なものを仕舞ってくださらない?」
そう言ってクリスティーナが自分の目線辺りに手をかざし、さも嫌そうにしながら顔を背ける。
クリスティーナの目の前に現れたフロイド神父が、薄布ひとつ纏っていない全裸の格好のままだったからだ。
「おっと、これは失礼を。何分、個人的な儀式の最中だったものでして。何ならクリスティーナ様も一緒に楽しみませんか?」
「お断りいたしますわ」
「ふふふ。クリスティーナ様は魔物の世話のほうがお好きと見えますな」
「何か文句がおあり?」
「いえいえ。汝の欲求に忠実なれ。混沌と背徳、淫蕩に我欲こそが我らが主の好むところ。クリスティーナ様の御心の赴くままに」
「そのようなことより、早いこと王に食事を与えねばなりません。クローリーニードルが蟲の王へと成長するためには、大量の食糧を必要としているのですからね」
「わかっておりますとも。それでは早速、王の元へと向かいますかね。それで食料はどういたします? 部屋の中に居る少女を連れていきますか?」
「今日は新鮮な食料を用意したので、それを使うつもりです」
「ならば、今少しあの少女で楽しめるということですな」
「けっしてあなたの楽しみのために食料を用意しているわけではないのですよ」
「蟲の王に魔を宿すための呪術をこの私が唱えるためにも、あれだって必要な儀式の一部なのですよ」
「ふんっ。いい加減なことを……」
そう言ったきり、まともにフロイド神父の相手をすることを諦めたのか、クリスティーナは黙って突き当りの奥に見える鉄扉のほうへと歩いていく。
目の前に見える鉄扉は硬く閉ざされており、中の様子がまったくわからないようになっていたが、クリスティーナが向かう鉄扉の奥からは、禍々しくおどろおどろしい気配が漂ってくるような雰囲気があった。
◇
「まだるっこしい駆け引きは苦手だから、単刀直入に言うね。是非ともディーディーに、僕の配下に加わってもらいたいんだ」
夕方過ぎ、護衛のカイルに案内され、屋敷へと招かれた俺たちにルメロが持ち掛けてきたのはそんな突拍子もない話だった。
おそらくついさきほどまで出掛けていたのだろう。
俺たちより少しだけ遅れて部屋に入ってくるなり、ふうっとひとつ大きなため息をこぼし、革張りの高級そうなソファに腰を落ち着けたルメロの第一声がこれだった。
「配下だって? それはいったい、何の冗談だ?」
「冗談でも何でもないよ。この僕はいつだって本気さ」
「いや、本気なら尚更だろ。いきなり自分の配下になれだなんてことを言われて、素直に頷く人間がどこかに居るとでも思っているのか?」
「どうだろ? そりゃ驚くかも知れないけど、けっして悪い話ではないと思うんだよね」
「昨日、会ったばかりの素性もよく知らない相手にそんなことを言われてもな」
「そういや、きちんとした自己紹介がまだだったね。僕の名前はルメロ・ドランガル・ジェス・マガルムーク。これでも一応この国の王子なんだよね」
あっけらかんとした様子で自分の正体をバラしてくるルメロに驚く。
といっても、ルメロが王子だということは、なかば予想していたことだが。
昼過ぎ頃、天翔けるアヒル亭にやってきたデニウスという名の若者が、どうやらここの領主の跡取り息子らしいということは、ふたりの会話から察することができていたし、そのデニウスがやたらと気を遣っていた相手だ。
ルメロが王族であることはほぼ間違いないだろうという結論に、俺たちは至っていた。
だが、そのマガルムークの王子であるルメロが、いかなる理由から僻地であるジェネットの町を訪れたのかも謎だし、俺たちに目を付けた理由もいまいち不明だった。
さすがに、エルセリア王国の冒険者が物珍しかったというルメロの言い分をそのまま鵜呑みにするつもりはない。
俺たちに、自分では気付かない何か不審な点があり、そのせいでルメロに目を付けられたのではないのかと考えていたぐらいだ。
とはいえ、俺たちのことを頭から怪しい存在だと決めつけているわけではなく、微々たる違和感程度のものを感じ取っているだけだろう、とも思っていたが。
時折見せるルメロの眼光が、俺たちのことを品定めでもしているかのような鋭い光を放っていたからだ。
この屋敷に呼ばれたのも、ルメロがその違和感の正体を確かめようとしていると見るのが正解であるような気がしていたのだ。
「なるほどな。殿下なんて呼ばれているぐらいだ。さぞや偉い立場の人間なんだろうと思っていたが、まさか王子様だったとはね」
「といっても、いわゆる庶子の生まれでね。かろうじて王族の片隅に席を置かせてもらっているような身なんだよね。公式な場所以外では今までどおり普通に接してくれて構わないから」
「いや、まあそのなんだ。そっちがそれで良いって言うのなら、俺としては正直助かるが」
庶子か。
つい先日崩御した前王ガルミオスに何人の子供が居たのかは知らないが、庶子ということなら、王子といえどそこまで身分は高くなく、こんな地方都市に身を寄せていたことにも頷ける。
ただ、どういった理由から俺のことを召し抱えたいだなんて言い出したのかはさっぱりだった。
たしかにそんな身の上なら、腕の立つ護衛がほしいと思ってもおかしくはない。
だが、ルメロが気まぐれから、腕が立ちそうな冒険者に対して片っ端から声を掛けているようにも見えなかった。
「それでどうかな? さっきの提案のほうは? 自分で言うのもあれだけどさ、ディーディーにとって、けっして悪い話じゃないと思うんだよね」
「この俺はエルセリア人だぞ?」
「実はエルセリアの貴族だったり、貴族に連なる家の出自ってことではないんだよね?」
「そりゃ貴族なんかとはまったく縁がない、ただの平民ではあるが」
「そう……。だったら何も問題はないよ」
自分からこんな話を持ち掛けてきているくせに、ルメロは俺の平民だという言葉には少しだけ引っ掛かっている様子も見受けられる。
俺の出自を探ろうとしているかのようにも見えるそんなルメロの態度に、俺は警戒心を抱かずにはおけなかった。
「だが、いったいどういう了見で、俺なんかを召し抱えようと思ったんだ? ドレイク退治の話を聞き、腕が立ちそうだと考えたんだとしたら、いくら何でも短絡的過ぎやしないか? 100%俺が嘘を吐いているとまでは思わなくとも、大袈裟に言っているだけかも知れないだろ?」
「もちろんディーディーが腕の立つ冒険者だってことも疑っていないよ。でも、そういう話とはちょっと違うんだよね」
「と、言うと?」
「いきなりこんな話を持ち掛けているんだ。そりゃあ、こちらの手のうちを見せないと信じてもらえないか」
「殿下。出会ったばかりの相手に易々と秘密を漏らすのは……」
何事かを迷った末に、ついには意を決して話しだそうとするルメロのことを、護衛のカイルが慌てた様子で止めに入る。
「カイル。言いたいことはわかるけど、こちらのほうが誠意を見せずに一方的に相手に信用してくれっていうのは、いくら何でも虫がいい話だと思うんだよね」
「それはそうかも知れませんが」
「何、大丈夫さ。ディーディーに秘密を喋ったところで、彼らにとってはそこまで意味がある話でもないんだ。シアード兄さま辺りに伝わらないかぎりはね」
「わかりました、もうお止めしません。殿下のお好きになさってください」
何となく話の流れだけは掴めたが、どうにもふたりのやり取りが演技がかっているような気がしてならない。
わざとらしいとまでは言わないが、あらかじめ打ち合わせいていたかのような、うさん臭さを感じていたのだ。
とはいえ、俺のことを配下に加えたいという気持ちはおそらく本心なのだろう。隠している秘密を打ち明けてまで、俺の信用を得ようという話なのだから。
「そういうことでさ、ディーディーたちにもカイルしか知らない僕の秘密を打ち明けようと思うんだ。実は僕って、ギフト持ちなんだよね」
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『スマホ』の能力――それは鑑定、検索、マップ機能、動物の言葉が翻訳ができるほか、他人やモンスターの持つスキル・魔法などをコピーして取得が可能なうえ、写真に撮ったものを現物として出せたり、合成することで強力な魔導装備すら製作できる最凶のものだった。
貴族家から放り出されたリュークは、朱鷺色の髪をした天才美少女剣士アニスと出会う。
『剣姫』の二つ名を持つアニスは雲の上の存在だったが、『スマホ』の力でリュークは成り上がり、徐々にその関係は接近していく。
『スマホ』はリュークの成長とともにさらに進化し、最弱の男はいつしか世界最強の存在へ……。
どん底だった主人公が一発逆転する物語です。
※別小説『ぶっ壊れ錬金術師(チート・アルケミスト)はいつか本気を出してみたい 魔導と科学を極めたら異世界最強になったので、自由気ままに生きていきます』も書いてますので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
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