BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

43.無為徒食

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 ◆

 小高い丘の上にジェネットの町を見下ろすように建った古城が見える。
 どうやらその城は、かつてグラン家が隆盛を誇った時代に建てられたものらしい。
 立ち並ぶ白亜の石柱が物々しくも荘厳そうごんな雰囲気を醸し出しており、地方貴族の居城としては過分に思えるほど立派な造りだった。

 しかし、そんな栄華など今は昔。
 石柱にはところどころ亀裂が入っており、苔むした石壁は長らく手入れされていないように見える。そんな寂れた様子が月日の流れを感じさせ、まるで廃城のような雰囲気すらあった。
 
 だが、けっして人の気配がしないわけではない。城の二階部分からは煌々と灯りが漏れているのもわかった。
 といっても、この世界で広く使用されているロウソクや松明、ランタンなどの灯りとは少しばかり違う様子。
 外はもうすっかり薄暗くなってきているというのに、その部屋だけまるで真昼のような明るさがあったからだ。
 それによく見ると、部屋の天井に吊るされたシャンデリアが部屋全体を明るく照らしていることもわかる。
 電気など存在しない世界だ。これだけの明るさを放てるということは魔道具による灯りにほかならないのだろう。

 と、その部屋から若い男の怒鳴り声が聞こえてくる。

「ちっ、無駄飯食らいが! 出過ぎた真似をしおって」
「デニウスよ、そう怒鳴り立てるでない。そもそも亜人たちの処遇など、どうなろうとも構わなかったのだ。何人か見せしめにしておけば、大人しくなると思ったまでの話よ」
「ですが、父上!」
「なんだ、まだ納得がいかぬのか?」
「ええ、納得いきませぬ。問題は亜人ではなく、ルメロのやつですから。父上は、グラン家でもない人間がこの領の統治に口出ししてくることをよしとするのですか?」
「別によしとしているわけではないぞ。が、多少はあやつの名分も立つようにしてやらねばならぬのでな」
「元々、あれの母親は卑しい身分だったと聞き及びました。それを今は亡き叔父上が猶子(*1)にしてやったのですよね。名分も何も、あやつのほうが我らに対して恩義を感じて、しかるべきなのではないでしょうか?」
「前王陛下との婚儀にあたり、名門である我がグラン家の名がどうしても必要だったのでな。ルメロとてさすがに多少の恩は感じていよう。その縁があったからこそ、ルメロも我が領に逗留する気になったのだからの」
「ならば、我らにとっては分家筋とも言える人間。それにいくら王子といえど、妾腹めかけばらに過ぎないルメロに、そこまで配慮する必要があるのでしょうか?」
「妾腹だろうと何だろうと、前王陛下の血をひいていることが重要なのだ、デニウスよ。青き血とはそれほど尊いものだからの」
「それはそうかも知れませんが、まるで我らのことを家臣とでも思っているかのようなルメロの態度には、我慢できそうにありません」
「ふぅむ、どう言えばよいものかの」

 部屋の中に居るのはこの古城の主であるアンドリュース伯爵と、その家臣のクラウス、そして伯爵の長子デニウスの模様。
 そのアンドリュース伯爵は南方産のウバ茶を片手に持ち、深くソファに腰掛けている状態。
 どうやらついさきほどまでクラウスとふたりで談笑していたらしく、煌びやかな部屋着のガウンを身に纏い、すっかりとくつろいでいる様子だった。
 ただ、息子のデニウスのほうは顔を真っ赤にしながらアンドリュース伯爵に詰め寄っている様子が見受けられる。

「アンドリュース様。そろそろデニウス様に詳しい話をしてもいい頃なのでは?」
「うーむ、まだ時期尚早ではないかの」
「サイード導師のほうも順調な様子。あとは実が落ちてくるのを待つだけか、と」

 と、事情を知らないデニウスのことを置いてけぼりにするように、アンドリュース伯爵とクラウスの間でいささか意味不明な会話が交わされる。

「父上、それはいったい何の話です? もしかして私に何か秘密にしている仕儀が?」
「ふぅむ、仕方あるまい。といっても、いずれ話すつもりではいたのだがな。デニウスよ、ルメロの王位継承権が現在何位なのか知っておるか?」
「王位継承権ですか。現在の序列はしかとわかりませぬが、以前はたしか13位だったように記憶しております」

 逆にアンドリュース伯爵から質問を返され、顎に手を当てて考え込むデニウス。

「そうだ。だが、今回の内乱の折に王位継承権を持つ王族の大半がお亡くなりになっているであろう。それに伴いルメロの継承順位が棚ぼたで随分と上がっていてな」
「はっ……。まさかルメロのやつに王位継承の目が出てきたと?」
「そうだと言ったら?」
「しかしながら、此度の内乱さえ無事に片付けば、シアード殿下が即位することになるのは必定。それにシアード殿下にもしものことがあっても、老齢とはいえジュリアス公がいまだ健在のはずです」
「ジュリアス公は先月から病に伏せっておる。おそらく今年の冬は越せぬだろうよ」
「そ、それは真の話ですか?」
「サイードからの情報だ。まず間違いあるまいて」

 父親から知らされた思いがけない報せにデニウスは相当驚いている様子。
 それでもルメロの王位継承についてはいまだに疑問視しているのか、懐疑的な表情がその顔には表れていた。

「いや、それでも……」
「確かに第3王女であらせられるリミエル姫もご存命ではある。が、元来リミエル姫は病弱なため、地方でずっと静養しておられるような状態だ。そもそもあのお方は継承権がルメロより上だと言っても、単なるお飾りに過ぎない立場。男系継承が筋であることを説けば、他の貴族とてルメロの王位継承に異を唱えようとはしまい」
「それ以前に、シアード殿下が反乱軍に負けることが前提の話のように私には思えますが?」
「お主の申すとおりだ。すべてはシアード殿下が上手いこと内乱を治められるかどうかにかかっているというわけよ」

 アンドリュース伯爵がさも当然のことだと言わんばかりに、デニウスに微笑んで返す。
 ただ、デニウスのほうは父親の言っていることをいまいち呑み込めていない様子で、さらに疑問をぶつけていた。

「ただでさえ数で上回る正規軍が、反乱軍に負けるとは到底思えませんが。それに正規軍にはガウルザーク将軍がおられる」
「だが、シアード殿下が貴族連中を纏めきれないていない一面も見られるのだ。元々は第1王子グレコイシス殿下を跡継ぎに推すつもりだった連中が多いことにくわえ、シアード殿下に対する悪辣な流言飛語が現在陣営内に流れているらしい。シアード殿下を裏切るような真似まではしなくとも、積極的に動こうという貴族が思いのほか少ないというのが現状なのだよ」 
「ですが、その結果マクシミリアン侯爵が勝ってしまっては、本末転倒なのではありませんか?」
「そうはならぬので安心せよ。いや、たとえ一時的にマクシミリアン候が勝利したところで、それは束の間の勝利に過ぎないということだ。マクシミリアン候が禁忌の邪法を使った事実をこちらは掴んでおるからの」
「それは真ですか! マクシミリアン侯爵がグールを使ったという、あの噂が本当だったと?」
「うむ。先日のことになるが、サイードが王宮内に忍び込み、地下牢に閉じ込められているグールをその目でしかと見てきておるからの。グールの件が公になれば、誰もマクシミリアン候に味方しようなどとは申さぬはず」
「流石はサイード導師、厳戒態勢をかい潜って王城内に忍び込んでくるとは。それにしても、まさかあのマクシミリアン侯爵が邪教徒だったとは……」
「ようやく理解したか? ルメロはこの先我らが担ぐことになるであろう神輿。多少はあやつの顔も立ててやる必要があるというわけよ」
「なるほど。ということは、ついに我がグラン家が再び日の目を見る時が来たということですね」

 アンドリュース伯爵のその言葉に、それまでの怒気などどこかに忘れたのか、ニヤリとデニウスの口角が上がる。
 ルメロのことを無為徒食の食客に過ぎないと考えていた以前とは違い、王位を継ぐ可能性があると気付いたのだ。デニウスとしてもルメロに対する見方が変わってくるのは当然の話だった。

 幸いなことに、これまで直接的にルメロとぶつかり合った経緯があるわけではない。
 多少、不機嫌そうな顔をしていたかも知れないが、その程度のことならこの先いくらでも軌道修正が利くだろう。このとき、デニウスは頭の中ではそんな計算が働いていた。
 
「それとだ。クリスティーナをルメロに嫁がせる予定なので、お主もそのつもりでいてくれ。ルメロの母親が分家の猶子というだけでは、いささか繋がりが弱いのも事実だ。このワシが王の岳父となることで、初めてマガルムークの実権を握ることができるというものだろう」
「妹のクリスティーナをですか。本人にはそのことを?」
「いや、まだだ。グラン家としてどう動くのが得策なのか、見極めてからの話だったのでな。これまでお主に秘密にしていたのもそのせいよ」
「わかりました。これからは態度を改め、私もルメロの義兄として、いや無二の友人のように振る舞うことを心掛けます」
「それはよいが、あまりやり過ぎぬようにな。こちらが変にすり寄れば、ルメロのように清濁併せ呑むことができぬ世間知らずの人間には、却って警戒されてしまうだけのような気がする」
「わかっております。ただ、そうなるとロイド隊長にはそれとなく言い含めておかねばなりませんね。むろん今の話については一切口外いたしませんので、その点はご安心下さい」
「うむ。まあ、どうなるかはすべてシアード殿下次第だがの。その展開次第では今の話もすべてなかったことになる可能性がある。だが、ワシはルメロという手駒をそう易々と手離すつもりがない。お主もそのつもりでルメロの相手をしてくれ」
「ええ、承知いたしました。それでは私はこれからロイド隊長に話してきます」

 すべて得心がいったとでも言うかのように、そう言って部屋を出て行くデニウスの顔には、入って来たときとはまるで違う表情が浮かんでいた。
 だが、部屋の扉が閉まると、それまで大人しく親子の会話を聞いていた家臣のクラウスが、突然口を開き始める。

「あれでよろしかったのですか?」
「ん? どういう意味だ?」
「いえ、もう少し詳しくお話になるものかと」
「ジュリアス公に毒を盛っている件か? それともシアード殿下のあらぬ噂を広めているのが、実は我々だということか? いずれにせよ、今デニウスが知る必要のないことだ」
「アンドリュース様がそうおっしゃられるのなら……」
「それにあいつがワシの跡を継ぐときには、グラン家がマガルムーク内にて絶大な権力を握っているはず。後ろ暗い策謀など必要としないかも知れんぞ」
「それはもう間違いなく。行く行くは必ずやグラン家の治世になりましょうぞ」
「うむ。それはそうと、クリスティーナはいったいどこに行きおった? また城壁の外にでも出掛けておるのか?」
「はい。おそらくそうではないかと」

 クラウスからその言葉を聞いたアンドリュース伯爵が眉間にしわを寄せる。

「あやつにもほとほと困ったものだな。亜人などに情けをかけおって。サイードに教育を任せてからというもの、少しばかり奇行が目立つようになったのではないか?」
「領民と接する機会を作ることで、クリスティーナ様の見識を広めるつもりだというお話です。それにクリスティーナ様が勝手に城内の食料を持ち出すといっても、その量などたかが知れていますので、あまり問題にならないかと」
「ふんっ、まあよい。確かにそういう性格のほうがルメロのやつも気に入るだろうて。そうだな。クリスティーナが帰ってきたら、すぐに部屋に通してくれ。今すぐにどうこうという話でもないが、ルメロに嫁ぐ可能性があることを話しておかねばならん」
「御意に」

 そう言ってアンドリュースに対して深々と頭を下げるクラウス。
 ただ、その伏せたその面の下で、クラウスは愉快そうに口元を歪めていた。


 1)養子とは違い親の姓は名乗らず、基本的に家を継いだり、財産を分与されたりはしない名目上の親子関係。後見人的な意味合いが強い。
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