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第1章
42.ジェネットの日没
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ロイド隊長との話し合いを切り上げるなり、何を思ったのか俺たちのそばまで近寄ってくるルメロ。
亜人や兵士を抜きにしても、俺たち以外の人間がその場にまったく居なかったわけでもない。
城門の入口付近には夕暮れとともに家に帰るらしいジェネットの住人の姿も見かけたし、荷馬車を降りて検問を受けている様子の外部からやって来たのだと思われる商人らしき姿もあった。
にもかかわらず、ルメロが俺たちに目を付けたのはレミたちと一緒だったからだろうか?
それ以外の理由が思い当たらない俺は、ルメロに対してどういう対応を取るべきなのかで頭を悩ませていた。
「どんな関係かと言われてもな。この亜人の子供とは旅の途中、成り行きでたまたま一緒になっただけだ」
俺の言葉を耳にした護衛の眉間に皺がよる。
ルメロの外見からすれば俺より何歳か年下のはず。それに検問をしている兵士に聞かれたわけではないのだ。俺がまともに答える義務もない。
とはいえ、相手はおそらく王族。そんな相手に対する口の聞き方としては相応しくないのも明らかだったが。
さきほどからルメロとロイドのやり取りを遠巻きにずっと見ていたのだ。
ルメロが身分を明かしていないにしても、高貴な身分であることを俺が気付いていないのはおかしい。
まあ、マガルムーク国民でもない俺たちが貴族だと名乗ったわけでもない相手にそこまで謙る必要はないし、俺の勝手なイメージなのかも知れないが冒険者という連中が礼儀を弁えない粗野な人間の集まりだという印象を持っていたこともある。
ただ、そういった理由からだけではなく、単にルメロの出方を見たかったってのはある。
以前、マガルムークの王族との間にパイプを繋いでおくという案があったぐらいだ。
俺はこのとき面倒臭いことになりそうだなと思いながらも、これは絶好の機会なのではないかという考えが頭に浮かんでいた。
バルムンドですらいまだにジークバード伯爵にすら接触できていないのだ。
エルセリア王家との間に繋がりを持てるようになるには、この先何回もの段階を踏まなければならないはず。
そんな状況下で、マガルムークとはいえ王族だと思われる人間と知り合う機会がやってきたのだから、このチャンスを逃す手はないと。
ただし、その相手がどのような立場の人物で、どのような性格の持ち主なのかは見極める必要があった。
もしルメロが自分の身分を明かしてくるようなら改めて非礼を詫び、頭を下げるつもりでいたが、それでも目くじらを立てるような人物なら、わざわざ相手にする価値はないと思っていたという感じだ。
だが――、
「ふむ、たまたまね。で、旅の途中という話だけど、君たちはいったいどこからやってきたのかな?」
「昨日まで居たのはディララの村だな。といっても、そのディララ村も途中で立ち寄っただけで、俺と妹のローラはエルセリアから来たんだが」
「確かに少しだけエルセリア訛りがあるようだね」
「さきほど兵士が城壁内への入場を制限しているようなことを言っていたが、やはりエルセリア人だとマズかったりするのかい?」
「いいや、大丈夫さ。エルセリア人だって商売で何人もこの町を訪れているぐらいだからね。その点は心配しなくていいよ。ただ、見たところ君たちは旅の商人ではなさそうな感じだけど?」
ルメロは俺の無礼な口の聞き方を特に気にした様子もなく、俺たちの素性を調べようとしてきただけ。
どうせ城壁の中に入るとき、門衛に同じようなことを聞かれると思っていたので色々と質問されることは覚悟していたが、俺の無礼な態度などまるで意に介さぬ様子のルメロに、俺のほうが気勢を殺がれたぐらいだ。
さきほどの様子からしても、ルメロがそこまで狭量な人間でないことはわかる。
が、さすがに見ず知らずの相手に癇癪を起こしたりはしないにしても、もう少し何らかの反応が返ってくることを期待していたのだが。
「俺と妹は冒険者なんだ。俺たちの住んでいる村が今塩不足でな。商人も滅多に訪れないような小さな村なので、俺たち兄妹が直接マガルムークまで買い付けに出向いたって感じだ」
「ふーん、塩の買い付けね。うーん、どうだろう? 遥々エルセリアからジェネットまで出向いてもらって悪いけど、今この町で塩を購入することはきっと難しいと思うよ?」
「いや、今すぐにという話じゃないんだ。一応ディララ村で多少塩を売ってもらえたんでな。しばらくはこれでやりくりできると思う。とはいえ、この先継続してディララ村で購入することが難しそうだったんで、このジェネットの町にも様子を見に来たってわけだ」
「なるほど。戦争の影響で塩にかぎらず、すべての物が入りにくくなっているからねえ。もう少しすれば戦争も収まって、状況もよくなってくるはずなんだけどね」
肝心のルメロが何も言ってこない以上、俺のほうも礼儀知らずな冒険者のフリを続けるしかない。
ルメロのすぐ後ろに佇む護衛の何か言いたげな視線には気付いていたが、俺はしっかりととぼけてみせていた。
護衛だけじゃない。
もしかしたらそんな俺の態度がラァラにも不自然に見えていたのかも知れない。俺のことを見上げてくる視線に少しだけ驚いたような様子が混じっていた。
といっても、それでラァラが余計な口を挟んでくるようなこともなかったが。
そうでなくともラァラは俺のことを信頼している様子だ。何か理由があってしていることもすぐに理解したのだろう。
まあ、馬鹿正直にルメロの反応を見たなんてことも言えないので、ラァラには適当な理由を付けて誤魔化すしかないが。
「やはりこの町でも塩は手に入れづらいって感じなのね。兄さん、時期が悪かったみたいだけど、どうする?」
「まあ、ある程度予想はしていたことだけどな。とはいえ、どうしたものかね。一応村の人間に頼まれた最低限の量は確保できているので、このままとんぼ返りしても問題ないんだがな」
悩む素振りを見せる俺の思惑に気付いたのか、ラウフローラが黙ったまま頷いて返してくる。
というのも、今のはルメロに聞かせるために喋っていた会話に過ぎなかったからだ。
ルメロという人間に興味が湧いてきたというと少し大袈裟かも知れないが、もう少しルメロとその周辺の人物を探ってみて、マガルムークに関する情報を集めたほうがよさそうだと俺は考えを改めていた。
と、ラウフローラと俺がそんな小芝居を続けていると、横合いからレミが遠慮がちに話しかけてくる。
「あの……私たちはもう行っても?」
「ああ、レミ。ちょっとだけ待ってくれ」
はやく仲間の元に行きたそうなレミにそうひと言だけ言うと、俺は再びルメロのほうへと向きなおり、改めて尋ねる。
「ちょっといいか? さきほどの話に戻るが、この白狼族のちびっ子どもがそこの亜人連中と、ここに来る途中はぐれてしまったらしいんだ。で、道中偶然にも出くわした俺たちがここまで連れてきたというわけだ。ただ、ジェネットの町に着いてみたらさきほどのような有様でな。兵士と何やら揉めていたようだが、もうあちらの亜人と合流させても問題ないよな?」
目の前でマルカという亜人が兵士に斬られたばかりだ。
ルメロがあの場を上手く収めたことはわかっていたが、そんな場所へレミたちを向かわせても大丈夫なのか少しばかり心配だった。
「うん。もう大丈夫だから安心してもいいよ。万が一、兵士たちが横暴を働くようなことがあったとしても僕に言ってくれればすぐに対処するからね」
「だそうだ。ローラ、手を離してもかまわないみたいだぞ」
「わかったわ、兄さん。それとレミに薬を渡してもいい? マルカと言ったかしら? あのままにしておくと危なそうだから何か手を打たないと。といっても、そこまで効果がある薬を今は持っていないのよね」
「薬を渡すのは構わないが、どんな薬だ?」
「止血効果と感染症の予防ね」
「ローラちゃん、その感染症の予防っていうのは?」
と、それまで大人しくしていたラァラがラウフローラに声を掛けていた。
薬草に詳しいラァラでもさすがに感染症の知識はない様子。
まあ、目に見えない細菌が傷口から侵入するなんてことを言ったところで、この世界の人間には理解できない可能性が高い。そこまで医療技術が進んでいる様子もなく、ましてや医者でもないラァラにそんな話をしても無駄だろう。
ただ、どんな状態を言っているのかぐらいなら、これまでの経験則から理解してもらえると思うが。
「傷を放置しておくと、化膿して熱が出たり傷跡が膿んできたりすることがあるでしょ? そうならないための薬よ」
「となると、クレーメル草とバルモア草辺りかしら? ローラちゃんって薬草に詳しかったのね」
「冒険者なんてものを続けていると傷を負うこともあるから、多少はね」
ラァラの質問に漠然とした答えで濁したラウフローラが背嚢の中から薬を取り出す。
いつの間にそんなものを用意したのか、この俺も知らなかったくらいだ。
容器自体はダンに渡した薬草の入れ物のうちのいくつかをラァラから譲り受けていたことは知っている。おそらくその容器にウーラアテネから持参した薬品を入れ替えたってことだろう。
マルカの傷が今すぐ命に係わるものではないとしても、そのままの状態で放置していたら感染症やら何やらで危険なことは確かだ。
ラウフローラはそう判断して、レミたちに薬を渡してもいいか聞いてきたのだろうが。
ただ、ラウフローラが差し出したその薬をレミはなかなか受け取ろうとしなかった。
「この薬を持って行きなさい。斬られた傷をそのままにしておくと危険だわ」
「でも……」
「私たちから施しを受けたくないと思う気持ちはわからなくもないわ。だけど、あなたがこの薬を受け取らなければ、あのマルカという男性が命を落とすかも知れないわよ」
「……わかりました、有難くいただきます」
ラウフローラから薬を受け取ったあとペコリと頭を下げたレミは、そのあとすぐプッチの手を引いて亜人の仲間たちの元へと駆けていく。
どうやら亜人連中もレミたちのことに少し前から気付いていたらしく、駆け寄ってくるレミたちに大丈夫だったかと声を掛けている様子があった。
といっても、今はレミたちの心配どころではないのか、倒れているマルカの周りに集まり、何やら騒いでいる様子ではあったが。
本来ならマルカが倒れている場所に俺たちが直接出向き、ラウフローラに傷の様子を調べさせるのが一番なのだが、今の状況でそんなことをしたら目立って仕方ない。
ただ、これからは表立ってアケイオスが使えるはず。
おそらくアケイオスの容姿ならば、亜人たちの中に忍び込ませても気付かれないはずだ。
まあ、100%バレないとは断言できないが、試してみる価値は充分にあるだろう。
「君たちって優しいんだね」
「お節介なだけさ。そういうあんたこそ亜人に対して随分と慈悲深い様子だったがな。というか、ある程度立場が上の人間のように見えたが、まさかあんたってお貴族様なのか?」
「あはは。単なる風来坊さ。まあ、ここの領主様に懇意にしてもらってるおかげで多少偉そうにはしているけどね」
まるで今気付いたかとでも言うような俺の空とぼけた言葉に、苦笑混じりの笑顔で返してくるルメロ。
「まあ、実際のところあんたが何者だろうとこちらは構わないんだがな。俺たち兄妹は所詮余所者だし、すぐにここから出ていく身だ。ただ、田舎者のせいで言葉遣いに失礼があるかも知れないんで、そこは見逃してくれると助かる」
「そんなの気にしていないから大丈夫だよ。というか、すぐに帰ってしまうのかい?」
「いや。なかなか塩が手に入らないことを考えて、ある程度日程に余裕を見ていたからな。この後どうするかは妹と話し合ってから決めるつもりだ」
どうやらルメロは自分の身分に関しては触れてほしくなさそうな感じらしく、俺のほうも乱暴な言葉遣いを正す必要はないらしい。そんなルメロだってさきほど兵士を相手にしていたときとは違い、くだけた口調で喋っている様子だ。
それならそれで、こちらとしても今までの感じで話を進めればいいだけだが。
「せっかくエルセリアから来たんだ。僕としては是非このジェネットの町でゆっくりしていってほしいところだけどね」
「だが、色々な物資が不足している状況なんだろ? それにさきほどの様子からしても余所者はあまり歓迎されそうにない雰囲気だったが」
「そんなの気にしなくても平気だって。エルセリア王国とはずっと友好的な関係が続いてるんだ。なんなら、この僕の客人ってことにしてもいいし」
「ルメロ様! いくら何でも出会ったばかりの相手を」
「カイルだってさっきのを見ていたよね。亜人のために貴重な薬を分け与えるような人間だ。けっして悪い人間じゃないって。それにエルセリアの話も詳しく聞いてみたいし」
「それはそのとおりだと思いますが……」
ニコニコとした笑顔を浮かべながら気さくな調子で話しかけてくるルメロのことを護衛の男が慌てた様子で窘めようとしていた。
それにしても、俺たちに対してルメロは随分と好意的な印象を抱いているように見受けられる。
その様子に何か裏があるのではないかと勘ぐりそうになるが、ラウフローラが何の反応も見せていないことからすると多分俺の杞憂に過ぎないのだろう。
ルメロは亜人に対して同情的な様子だった。もしかしたらレミたちを連れてきたことや薬を渡した一件を見て、俺たちのことを信用したのかも知れない。
「そう言ってくれるのは有り難いが、俺たち兄妹はエルセリアの辺鄙な場所にある小さな村に住んでいるただの平民だ。面白い話なんかできないと思うぞ」
「君たちってさ、冒険者なんだよね? 今までこんな魔物を倒したとかでもいいんだ。この町に来てからというものずっと退屈な毎日で、けっこう刺激に飢えているんだよね。えーっと、君たちの名前を聞いてもいいかな?」
「俺の名前はディーディーで妹のほうはローラ。そしてこっちの美人の連れがラァラだ。ラァラとはディララ村で知り合ってな。ジェネットの町に移住するつもりらしく、ここまで一緒にやってきたってわけだ」
「ディーディーにローラちゃん。それとラァラさんか、よろしくね。僕のことはルメロって呼び捨てにしてくれればいいからさ。後ろにいるカイルっていう男がもしかしたら口喧しいことを言うかも知れないけれど、こいつのことはまったく気にしなくてもいいから」
ルメロの視線が一瞬だけラァラの上に止まると、すぐに俺たちのほうへと戻ってくる。俺はそんなルメロの様子にどことなく違和感を覚えていた。
といっても、はっきりとここがおかしいと言えるようなレベルでもない。
さきほどから俺たちのことをやたらと気に掛けている様子があるのに、何となくラァラのことだけは無視しているような雰囲気があるといえばあるのだが……。
「そうだな。さすがに日が暮れてからの移動はこちらとしてもなるべく控えたいところだ。とりあえず今夜はジェネットの町で宿を取り、このあとどうするかを考えるか」
「そうね。そのほうがよさそうね」
「だったらいい宿を知っているんだ。そこまで宿代も高くないし、料理のほうも美味しいんだよね。そこを紹介するからこの僕に付いておいでよ」
そう言ってルメロが先頭に立つと、ジェネットの城壁の中へと俺たちを誘導し始める。
そんなルメロの背中に続き、俺たちもジェネットの町の中へと入っていく。
概ねこちらの思惑どおりとも言えたが、あまりにも都合よく運び過ぎる展開に俺は一抹の不安を覚えなくもなかった。
地平線の彼方で、まもなく夕日が沈みそうな中。
城壁のすぐそばでルメロに敬礼する兵士を横目に眺めながら、俺たち一行は誰に邪魔されることもなくジェネットの町の中へと入っていった。
亜人や兵士を抜きにしても、俺たち以外の人間がその場にまったく居なかったわけでもない。
城門の入口付近には夕暮れとともに家に帰るらしいジェネットの住人の姿も見かけたし、荷馬車を降りて検問を受けている様子の外部からやって来たのだと思われる商人らしき姿もあった。
にもかかわらず、ルメロが俺たちに目を付けたのはレミたちと一緒だったからだろうか?
それ以外の理由が思い当たらない俺は、ルメロに対してどういう対応を取るべきなのかで頭を悩ませていた。
「どんな関係かと言われてもな。この亜人の子供とは旅の途中、成り行きでたまたま一緒になっただけだ」
俺の言葉を耳にした護衛の眉間に皺がよる。
ルメロの外見からすれば俺より何歳か年下のはず。それに検問をしている兵士に聞かれたわけではないのだ。俺がまともに答える義務もない。
とはいえ、相手はおそらく王族。そんな相手に対する口の聞き方としては相応しくないのも明らかだったが。
さきほどからルメロとロイドのやり取りを遠巻きにずっと見ていたのだ。
ルメロが身分を明かしていないにしても、高貴な身分であることを俺が気付いていないのはおかしい。
まあ、マガルムーク国民でもない俺たちが貴族だと名乗ったわけでもない相手にそこまで謙る必要はないし、俺の勝手なイメージなのかも知れないが冒険者という連中が礼儀を弁えない粗野な人間の集まりだという印象を持っていたこともある。
ただ、そういった理由からだけではなく、単にルメロの出方を見たかったってのはある。
以前、マガルムークの王族との間にパイプを繋いでおくという案があったぐらいだ。
俺はこのとき面倒臭いことになりそうだなと思いながらも、これは絶好の機会なのではないかという考えが頭に浮かんでいた。
バルムンドですらいまだにジークバード伯爵にすら接触できていないのだ。
エルセリア王家との間に繋がりを持てるようになるには、この先何回もの段階を踏まなければならないはず。
そんな状況下で、マガルムークとはいえ王族だと思われる人間と知り合う機会がやってきたのだから、このチャンスを逃す手はないと。
ただし、その相手がどのような立場の人物で、どのような性格の持ち主なのかは見極める必要があった。
もしルメロが自分の身分を明かしてくるようなら改めて非礼を詫び、頭を下げるつもりでいたが、それでも目くじらを立てるような人物なら、わざわざ相手にする価値はないと思っていたという感じだ。
だが――、
「ふむ、たまたまね。で、旅の途中という話だけど、君たちはいったいどこからやってきたのかな?」
「昨日まで居たのはディララの村だな。といっても、そのディララ村も途中で立ち寄っただけで、俺と妹のローラはエルセリアから来たんだが」
「確かに少しだけエルセリア訛りがあるようだね」
「さきほど兵士が城壁内への入場を制限しているようなことを言っていたが、やはりエルセリア人だとマズかったりするのかい?」
「いいや、大丈夫さ。エルセリア人だって商売で何人もこの町を訪れているぐらいだからね。その点は心配しなくていいよ。ただ、見たところ君たちは旅の商人ではなさそうな感じだけど?」
ルメロは俺の無礼な口の聞き方を特に気にした様子もなく、俺たちの素性を調べようとしてきただけ。
どうせ城壁の中に入るとき、門衛に同じようなことを聞かれると思っていたので色々と質問されることは覚悟していたが、俺の無礼な態度などまるで意に介さぬ様子のルメロに、俺のほうが気勢を殺がれたぐらいだ。
さきほどの様子からしても、ルメロがそこまで狭量な人間でないことはわかる。
が、さすがに見ず知らずの相手に癇癪を起こしたりはしないにしても、もう少し何らかの反応が返ってくることを期待していたのだが。
「俺と妹は冒険者なんだ。俺たちの住んでいる村が今塩不足でな。商人も滅多に訪れないような小さな村なので、俺たち兄妹が直接マガルムークまで買い付けに出向いたって感じだ」
「ふーん、塩の買い付けね。うーん、どうだろう? 遥々エルセリアからジェネットまで出向いてもらって悪いけど、今この町で塩を購入することはきっと難しいと思うよ?」
「いや、今すぐにという話じゃないんだ。一応ディララ村で多少塩を売ってもらえたんでな。しばらくはこれでやりくりできると思う。とはいえ、この先継続してディララ村で購入することが難しそうだったんで、このジェネットの町にも様子を見に来たってわけだ」
「なるほど。戦争の影響で塩にかぎらず、すべての物が入りにくくなっているからねえ。もう少しすれば戦争も収まって、状況もよくなってくるはずなんだけどね」
肝心のルメロが何も言ってこない以上、俺のほうも礼儀知らずな冒険者のフリを続けるしかない。
ルメロのすぐ後ろに佇む護衛の何か言いたげな視線には気付いていたが、俺はしっかりととぼけてみせていた。
護衛だけじゃない。
もしかしたらそんな俺の態度がラァラにも不自然に見えていたのかも知れない。俺のことを見上げてくる視線に少しだけ驚いたような様子が混じっていた。
といっても、それでラァラが余計な口を挟んでくるようなこともなかったが。
そうでなくともラァラは俺のことを信頼している様子だ。何か理由があってしていることもすぐに理解したのだろう。
まあ、馬鹿正直にルメロの反応を見たなんてことも言えないので、ラァラには適当な理由を付けて誤魔化すしかないが。
「やはりこの町でも塩は手に入れづらいって感じなのね。兄さん、時期が悪かったみたいだけど、どうする?」
「まあ、ある程度予想はしていたことだけどな。とはいえ、どうしたものかね。一応村の人間に頼まれた最低限の量は確保できているので、このままとんぼ返りしても問題ないんだがな」
悩む素振りを見せる俺の思惑に気付いたのか、ラウフローラが黙ったまま頷いて返してくる。
というのも、今のはルメロに聞かせるために喋っていた会話に過ぎなかったからだ。
ルメロという人間に興味が湧いてきたというと少し大袈裟かも知れないが、もう少しルメロとその周辺の人物を探ってみて、マガルムークに関する情報を集めたほうがよさそうだと俺は考えを改めていた。
と、ラウフローラと俺がそんな小芝居を続けていると、横合いからレミが遠慮がちに話しかけてくる。
「あの……私たちはもう行っても?」
「ああ、レミ。ちょっとだけ待ってくれ」
はやく仲間の元に行きたそうなレミにそうひと言だけ言うと、俺は再びルメロのほうへと向きなおり、改めて尋ねる。
「ちょっといいか? さきほどの話に戻るが、この白狼族のちびっ子どもがそこの亜人連中と、ここに来る途中はぐれてしまったらしいんだ。で、道中偶然にも出くわした俺たちがここまで連れてきたというわけだ。ただ、ジェネットの町に着いてみたらさきほどのような有様でな。兵士と何やら揉めていたようだが、もうあちらの亜人と合流させても問題ないよな?」
目の前でマルカという亜人が兵士に斬られたばかりだ。
ルメロがあの場を上手く収めたことはわかっていたが、そんな場所へレミたちを向かわせても大丈夫なのか少しばかり心配だった。
「うん。もう大丈夫だから安心してもいいよ。万が一、兵士たちが横暴を働くようなことがあったとしても僕に言ってくれればすぐに対処するからね」
「だそうだ。ローラ、手を離してもかまわないみたいだぞ」
「わかったわ、兄さん。それとレミに薬を渡してもいい? マルカと言ったかしら? あのままにしておくと危なそうだから何か手を打たないと。といっても、そこまで効果がある薬を今は持っていないのよね」
「薬を渡すのは構わないが、どんな薬だ?」
「止血効果と感染症の予防ね」
「ローラちゃん、その感染症の予防っていうのは?」
と、それまで大人しくしていたラァラがラウフローラに声を掛けていた。
薬草に詳しいラァラでもさすがに感染症の知識はない様子。
まあ、目に見えない細菌が傷口から侵入するなんてことを言ったところで、この世界の人間には理解できない可能性が高い。そこまで医療技術が進んでいる様子もなく、ましてや医者でもないラァラにそんな話をしても無駄だろう。
ただ、どんな状態を言っているのかぐらいなら、これまでの経験則から理解してもらえると思うが。
「傷を放置しておくと、化膿して熱が出たり傷跡が膿んできたりすることがあるでしょ? そうならないための薬よ」
「となると、クレーメル草とバルモア草辺りかしら? ローラちゃんって薬草に詳しかったのね」
「冒険者なんてものを続けていると傷を負うこともあるから、多少はね」
ラァラの質問に漠然とした答えで濁したラウフローラが背嚢の中から薬を取り出す。
いつの間にそんなものを用意したのか、この俺も知らなかったくらいだ。
容器自体はダンに渡した薬草の入れ物のうちのいくつかをラァラから譲り受けていたことは知っている。おそらくその容器にウーラアテネから持参した薬品を入れ替えたってことだろう。
マルカの傷が今すぐ命に係わるものではないとしても、そのままの状態で放置していたら感染症やら何やらで危険なことは確かだ。
ラウフローラはそう判断して、レミたちに薬を渡してもいいか聞いてきたのだろうが。
ただ、ラウフローラが差し出したその薬をレミはなかなか受け取ろうとしなかった。
「この薬を持って行きなさい。斬られた傷をそのままにしておくと危険だわ」
「でも……」
「私たちから施しを受けたくないと思う気持ちはわからなくもないわ。だけど、あなたがこの薬を受け取らなければ、あのマルカという男性が命を落とすかも知れないわよ」
「……わかりました、有難くいただきます」
ラウフローラから薬を受け取ったあとペコリと頭を下げたレミは、そのあとすぐプッチの手を引いて亜人の仲間たちの元へと駆けていく。
どうやら亜人連中もレミたちのことに少し前から気付いていたらしく、駆け寄ってくるレミたちに大丈夫だったかと声を掛けている様子があった。
といっても、今はレミたちの心配どころではないのか、倒れているマルカの周りに集まり、何やら騒いでいる様子ではあったが。
本来ならマルカが倒れている場所に俺たちが直接出向き、ラウフローラに傷の様子を調べさせるのが一番なのだが、今の状況でそんなことをしたら目立って仕方ない。
ただ、これからは表立ってアケイオスが使えるはず。
おそらくアケイオスの容姿ならば、亜人たちの中に忍び込ませても気付かれないはずだ。
まあ、100%バレないとは断言できないが、試してみる価値は充分にあるだろう。
「君たちって優しいんだね」
「お節介なだけさ。そういうあんたこそ亜人に対して随分と慈悲深い様子だったがな。というか、ある程度立場が上の人間のように見えたが、まさかあんたってお貴族様なのか?」
「あはは。単なる風来坊さ。まあ、ここの領主様に懇意にしてもらってるおかげで多少偉そうにはしているけどね」
まるで今気付いたかとでも言うような俺の空とぼけた言葉に、苦笑混じりの笑顔で返してくるルメロ。
「まあ、実際のところあんたが何者だろうとこちらは構わないんだがな。俺たち兄妹は所詮余所者だし、すぐにここから出ていく身だ。ただ、田舎者のせいで言葉遣いに失礼があるかも知れないんで、そこは見逃してくれると助かる」
「そんなの気にしていないから大丈夫だよ。というか、すぐに帰ってしまうのかい?」
「いや。なかなか塩が手に入らないことを考えて、ある程度日程に余裕を見ていたからな。この後どうするかは妹と話し合ってから決めるつもりだ」
どうやらルメロは自分の身分に関しては触れてほしくなさそうな感じらしく、俺のほうも乱暴な言葉遣いを正す必要はないらしい。そんなルメロだってさきほど兵士を相手にしていたときとは違い、くだけた口調で喋っている様子だ。
それならそれで、こちらとしても今までの感じで話を進めればいいだけだが。
「せっかくエルセリアから来たんだ。僕としては是非このジェネットの町でゆっくりしていってほしいところだけどね」
「だが、色々な物資が不足している状況なんだろ? それにさきほどの様子からしても余所者はあまり歓迎されそうにない雰囲気だったが」
「そんなの気にしなくても平気だって。エルセリア王国とはずっと友好的な関係が続いてるんだ。なんなら、この僕の客人ってことにしてもいいし」
「ルメロ様! いくら何でも出会ったばかりの相手を」
「カイルだってさっきのを見ていたよね。亜人のために貴重な薬を分け与えるような人間だ。けっして悪い人間じゃないって。それにエルセリアの話も詳しく聞いてみたいし」
「それはそのとおりだと思いますが……」
ニコニコとした笑顔を浮かべながら気さくな調子で話しかけてくるルメロのことを護衛の男が慌てた様子で窘めようとしていた。
それにしても、俺たちに対してルメロは随分と好意的な印象を抱いているように見受けられる。
その様子に何か裏があるのではないかと勘ぐりそうになるが、ラウフローラが何の反応も見せていないことからすると多分俺の杞憂に過ぎないのだろう。
ルメロは亜人に対して同情的な様子だった。もしかしたらレミたちを連れてきたことや薬を渡した一件を見て、俺たちのことを信用したのかも知れない。
「そう言ってくれるのは有り難いが、俺たち兄妹はエルセリアの辺鄙な場所にある小さな村に住んでいるただの平民だ。面白い話なんかできないと思うぞ」
「君たちってさ、冒険者なんだよね? 今までこんな魔物を倒したとかでもいいんだ。この町に来てからというものずっと退屈な毎日で、けっこう刺激に飢えているんだよね。えーっと、君たちの名前を聞いてもいいかな?」
「俺の名前はディーディーで妹のほうはローラ。そしてこっちの美人の連れがラァラだ。ラァラとはディララ村で知り合ってな。ジェネットの町に移住するつもりらしく、ここまで一緒にやってきたってわけだ」
「ディーディーにローラちゃん。それとラァラさんか、よろしくね。僕のことはルメロって呼び捨てにしてくれればいいからさ。後ろにいるカイルっていう男がもしかしたら口喧しいことを言うかも知れないけれど、こいつのことはまったく気にしなくてもいいから」
ルメロの視線が一瞬だけラァラの上に止まると、すぐに俺たちのほうへと戻ってくる。俺はそんなルメロの様子にどことなく違和感を覚えていた。
といっても、はっきりとここがおかしいと言えるようなレベルでもない。
さきほどから俺たちのことをやたらと気に掛けている様子があるのに、何となくラァラのことだけは無視しているような雰囲気があるといえばあるのだが……。
「そうだな。さすがに日が暮れてからの移動はこちらとしてもなるべく控えたいところだ。とりあえず今夜はジェネットの町で宿を取り、このあとどうするかを考えるか」
「そうね。そのほうがよさそうね」
「だったらいい宿を知っているんだ。そこまで宿代も高くないし、料理のほうも美味しいんだよね。そこを紹介するからこの僕に付いておいでよ」
そう言ってルメロが先頭に立つと、ジェネットの城壁の中へと俺たちを誘導し始める。
そんなルメロの背中に続き、俺たちもジェネットの町の中へと入っていく。
概ねこちらの思惑どおりとも言えたが、あまりにも都合よく運び過ぎる展開に俺は一抹の不安を覚えなくもなかった。
地平線の彼方で、まもなく夕日が沈みそうな中。
城壁のすぐそばでルメロに敬礼する兵士を横目に眺めながら、俺たち一行は誰に邪魔されることもなくジェネットの町の中へと入っていった。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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