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第1章
31.アグランガル教
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村の住人たちが三々五々と酒場から立ち去っていく中、俺はラァラとふたり酒場に残っていた。
俺たちと同じように酒場に残った村の住人も数名ほど居たが、さきほどまでの村の英雄扱いなどまるでなかったかのように俺のことなど見向きもせず、皆おのおの勝手に酒を煽っているだけだった。
ユーリだけは時折、こちらの様子をチラチラとうかがっていたが、どうやら今は客たちが残していった食器などを片付けることで忙しいらしい。
それほどバームの殺害が村の住人に与えた衝撃は大きかったということだろう。
俺としてはバームのことより、さきほどジャックやコルトの話していた内容のほうが気になっているが。
邪教徒や亜人、そしてアグランガル教に関してだ。
重苦しく沈んだ雰囲気の中、俺はそれとなくその質問をラァラにぶつけてみることにした。
「実を言うとバームとは昼ぐらいまで一緒だったんだ。急に姿が消えたんで、皆で探していたんだが……。まさか、こんなことになっていたとは。ラァラはバームとは親しかったのか?」
「ダンやジャック、コルトなんかと同じ程度には親しかったと思うわ。知らない仲でもないって感じよ」
「誰かと揉めていたってことは?」
「私が知るかぎりではないはずだけど。お調子者だけど、けっして喧嘩っ早い性格ではなかったし」
「となると、ラァラも亜人の仕業だと?」
「それは……何とも言えないわね」
さっきの話の流れだと、ディララ村の住人はアグランガル教の信者を邪教徒と呼んでいるということになる。そのことからすればイシュティール教と対立している宗教はアグランガル教とみて間違いないだろう。
現在起きているマガルムークの内乱もこの対立が原因という話だったはず。
そこまではいい。
おそらく間違っていないはずだ。
だが、問題はそこから。
本来なら一方の言い分だけで善悪を決めつけるのは非常に危険な行為だが、今回はバームの殺害が絡んでいる。
アケイオスから送られてきた画像データを見たときには単なる切り傷かと思ったのだが、言われてみれば何かの印に見えなくもない。
あれが本当にアグランガル教の刻印だとするならば、ジャックの言うとおりバームの殺害は邪教徒の仕業で、邪悪なのはアグランガル教のほうという話になってくるが。
ただ、その辺りがいまいち断定できないところでもあった。
そう見せかけた可能性もあるし、たまたま傷跡がそう見えただけという可能性だってなくはない。傷跡だけでは何とも言えない状況で、犯人が亜人という話に至っては何の証拠もないはず。
それどころか俺とローラは、ディララ村の住人が怪しいのではないかと睨んでいるぐらいだ。
遠方からの監視に付くと言っていたバームが、持ち場を離れて移動しているからだ。そしてそこで背中を一突きにされている。
現場で揉み合った痕跡もなく、死体を引きずった形跡もない。
相手がよく見知った関係でないと、こうはならないのではないのかと。
本当のところはアグランガル教についても詳しく聞きたいところだが、さきほどの雰囲気からしてその部分にはあまり触れないほうがよさそうな気がする。
ジャックがその名前を口にするまでその名前が一度も村人の口から出てこなかったことを考えても、タブー視されていることはほぼ確実だろう。
ジャックが口にしたとき、酒場の空気がガラリと変わったぐらいだ。
本来は口にすることすら躊躇われるような名前なのかも知れない。
「実はね……」
「ん、なんだ?」
「今回が初めてじゃないの」
「と、いうと?」
「似たような事件が起きたのはこれで3回目ってこと。私がデイララ村に来る以前に1回。それと私がディララ村に来て半年ぐらい経った頃だったかしら? サシャっていうお婆さんが同じように村の外で遺体で発見されてね。そのときにもやっぱり例の印があって、村中大騒ぎになったのを覚えているわ」
「なるほど、そういう意味か。そうなると怨恨ではなく、無差別の犯行っぽいな」
「それは私にはわからないけど。ただ、村のみんなは亜人の仕業だって……」
不幸中の幸いというべきか、元々俺たち兄妹は容疑者から外れていたみたいだ。それにラァラも。
それ以前に村の連中は亜人の仕業だと考えているようだが。
「亜人か。もしかして、そのことで揉めて亜人は出て行ったのか?」
「それだけが理由じゃないけど、関係なくはないわ。ジルさんがね、事件のあった少し前にサシャお婆さんと亜人が揉めているところを見かけたらしいの。だから亜人どもがやったんじゃないかって言い出して」
「ジルってあいつか。そういえば帰ってきてからあいつの姿を見ていないな」
「ごめんなさい。自分から言い出しておいてなんだけど、やっぱり話題を変えましょ。ディーディーにはまったく関係がない話だし」
そう言って無理やり話題を変えようとするラァラが、少しだけ寂しそう顔をして俺に尋ねてくる。
「そうそう。ディーディーは明日、自分の村へ帰るのよね?」
「ああ、そうだな。昼前にはここを出ていくことになると思う。ただ、自分の村へ帰る前に一度ジェネットの町に立ち寄るつもりではいるが」
「え、そうなの?」
「今回は首尾よく塩を調達できたが、引き続きディララ村で取引することは難しそうなんでな。ジェネットの町の状況もちょっとだけ見ておきたい」
「そういうことね」
「何となくジェネットの町もディララ村とそう状況が変わらないような気がしている。正直望み薄だがな」
「ジェネットの町の状況が少しでもよければいいんだけど。でも、ちょうどよかったかも」
「ん? 何がちょうどよかったんだ?」
「実はね、私もジェネットの町に移ろうかと思っているの。どうせだったら私もディーディーたちと一緒にジェネットの町へ行っていい?」
「なんだ。ディララ村から離れるのか?」
「元々考えていたことだけど、バームの一件で踏ん切りがついたというか……。ここ最近は物騒な話ばかりで稼ぎも少なくなってきているし。この村の生まれってわけでもないから、そこまで愛着もないしね」
「だが、そんな急な話で旅支度のほうは間に合うのか?」
「ええ、大丈夫。着の身着のまま、持って行くものなんてほとんどないから。それに今住んでる部屋にしても酒場のマスターが所有している物件を間借りしているだけだから」
「なるほどな。ローラに聞いてみてからにはなるが、俺としては構わないぞ」
ラァラを連れていくとなれば、道中行動が制限されてしまうが、そこまで長い旅でもない。
ジェネットの町までなら構わないだろう。
問題があるとすればラァラとの関係性だ。
ここまでアプローチされて、ラァラの好意に俺が気付かないはずもない。
容姿も俺好みの女だ。
それにこちらの世界の人間は地球人と生殖機能もおそらく変わらないという話で、充分恋愛関係が成り立つということはウーラから聞いている。
そうはいっても、結局のところ微妙にDNAが違う異種交配であるのも事実で、現代の医療技術を以ってしても子孫を残せる可能性は極めて低いだろうとも語っていたが。
まあ、子供が欲しいと思ったことは一度もない。
俺のほうに手を出さない理由もなかったのだが。
だというのに、俺のほうが積極的にならないのは昨日会ったばかりの女にこれほど好かれる理由が見当たらなかったからだ。
ユーリと違って、ラァラの好意はドレイクを退治する以前から感じているので、ドレイク退治のせいでのぼせ上ったということもなさそう。
むろん単純に見た目や雰囲気が好みだったとか、ふとした切っ掛けで一目惚れされたとか、そういった可能性があるのは否めない。
ただ、それにしては過剰なアプローチをされているような気がしてならないのだ。
現に今も、俺の腕を抱きかかえながら整った顔を寄せてくるラァラの表情は、どこか愛しい恋人に対するもののように見えた。
当然、そこに何かしらの意図があって、ラァラが演技している可能性も考えられる。
だが、ラウフローラによれば、ラァラはまったくの嘘は吐いていないという話だ。
ただし、たまに隠し事をしているような感情の揺らぎも見られるということだったが。
その隠し事が何なのかはっきりとはわからないが、出自に関することや赤い目など、ラァラがあまり喋りたがらない自らのアイデンティティに関する部分のような気がする。
ラァラが俺の村のことをあまり聞いてこないのも、自分が聞かれたくないからだと思う。
俺のほうは村のことを聞かれても、そこまで困らないのだが。
そこら辺はきちんと対策を講じてあるからだ。
格納庫から少し離れた盆地を選んで、隠れ里という設定でダミーの村を建設済み。
短期間なら人が来ても偽装できるように、いつでも自動機械を村人として配置する準備もしてある。
別に今回誰かを隠れ里に呼ぶ予定もないので、わざわざ辻褄合わせのためだけに村を建設する必要はないといえばないのだが、何も今回にかぎった話ではない。
この先、マガルムーク関連はディーディーとしての立場で動くつもりだ。
そうなった場合、仮初めの住居が必要になってくる場面が訪れるかも知れない。そのために、あらかじめ用意しているって感じだ。
といっても、山あいの盆地を切り開き、人数分の粗末な家を建てただけだが。
もちろん生活感を出すために最低限の内装等を整えてあるし、いかにも月日が経っているように建造物に劣化工作も施してある。
勘のいい人間には多少違和感を覚えられてもおかしくないが。
まあ、あくまで万が一の保険のために用意した施設だ。そこまで手をかけられないのも仕方がないことだろう。
「それじゃあ明日の朝までに旅の支度をしておくわ。きちんとマスターに話すのはローラちゃんの返事を待ってからにするけど」
「ローラのことはそこまで心配しなくてもいい。ただ、ラァラが急にディララ村を出て行くとなると、村の住人が悲しむんじゃないかと心配だが」
「仲良くしてくださった方は確かに居るけど、いつものことだからね。町や村を渡り歩いて生活する踊り子なんて、運命の相手を見つけて腰を落ち着けるまではずっとこんな感じだもの」
「そうか……」
そんなことを言いながらも、どこか寂し気な様子を見せるラァラ。
俺はそんな寂しげな表情を、しばらく黙ったままマズい麦酒と一緒に呑み込んでいた。
◇
「ローラちゃん、ずいぶんと遅いわね」
「そうだな。もしかしたらどこかに寄っているのかも知れんな。まあ、もう少ししたらやって来るだろ」
「バームのことがあったから、私心配で……」
「大丈夫だ。ローラだって用心しているはずだ。一人で村から出て、勝手に遠くまで行ったりしないさ。ほれ、そんなことを言ってるうちに戻ってきたようだぞ」
「あっ、本当だわ。……よかった」
2,30分ほど経っただろうか。
ようやくラウフローラが酒場の中へと戻ってくる。
ラウフローラがバームの一件で何かを調べに行ったことは見当が付いていたが、俺が指示したことではないので何を探りにいったのかまではわかっていない。
ラウフローラの独断で動いたってことだ。
本来そんなときは、イヤーカフ型の通信機で逐一連絡を取り合う段取りになっているのだが、それだとどうしてもやり取りする声が漏れて、周囲に聞かれてしまうおそれがある。
そのことをラウフローラも理解しているからだろう。
今回はこちらからも連絡を取っていないし、ラウフローラからも一切連絡はなかった。
まあ、犯人捜しなど俺にとっては緊急の用件でも何でもない。どこに何をしに行ったのかは、ふたりきりになってから聞けば済む話だ。
「お帰りなさい、ローラちゃん。遅かったからちょっと心配しちゃった」
「ごめんなさいね。心配をかけて」
「ローラ。ラァラがこの村から出て行くことに決めたんだと。そういうことだからジェネットの町まで一緒に行くことになるが、それでも構わないか?」
「あら、そうなの。私のほうは全然構わないわよ」
「ありがとう。こう見えても旅慣れしてるから、迷惑はかけないつもりよ」
「気にしないで大丈夫よ。それに道中、兄さんとふたりきりになりたくなったら、そう言ってね。私はその間、しばらく散歩にでも行ってくるから」
「え……」
「すまんな、ラァラ。ローラ流の冗談だ」
「ふふふ、ビックリした。ローラちゃんも冗談を言うのね。でも、いいのかしら? お兄さんのことを私が独り占めしちゃっても」
「はあ……。ラァラも悪乗りしないでくれないか」
「あら、私のほうは冗談じゃないんだけどな」
そう言ってラァラが意味ありげに微笑む。
どこまで本気かはわからないが、ラァラが俺に好意を抱いていることは間違いなさそう。
ラァラの今の言葉を真に受けて俺が手を出してたとしても、拒否されないような気がしているほどだ。
だが、恋人関係や夫婦になりたいとまでは思っていなさそうな雰囲気も、俺は同時に感じていた。
最後の最後に壁のようなものがあるのを感じているからだ。それが何なのかわからないうちは、手を出しにくいってのは確かにある。
まあ、男と女の間のことだ。
そこはなるようにしかならないのだろうが。
と、そのとき、甘くなりかけた雰囲気をある野太い声がぶち壊してきた。
「バームのやつ、くたばったんだって? まだどこかに亜人の野郎が隠れていやがったのか」
その声は、昼過ぎからすっかりどこかへと姿を隠していたジルのものだった。
俺たちと同じように酒場に残った村の住人も数名ほど居たが、さきほどまでの村の英雄扱いなどまるでなかったかのように俺のことなど見向きもせず、皆おのおの勝手に酒を煽っているだけだった。
ユーリだけは時折、こちらの様子をチラチラとうかがっていたが、どうやら今は客たちが残していった食器などを片付けることで忙しいらしい。
それほどバームの殺害が村の住人に与えた衝撃は大きかったということだろう。
俺としてはバームのことより、さきほどジャックやコルトの話していた内容のほうが気になっているが。
邪教徒や亜人、そしてアグランガル教に関してだ。
重苦しく沈んだ雰囲気の中、俺はそれとなくその質問をラァラにぶつけてみることにした。
「実を言うとバームとは昼ぐらいまで一緒だったんだ。急に姿が消えたんで、皆で探していたんだが……。まさか、こんなことになっていたとは。ラァラはバームとは親しかったのか?」
「ダンやジャック、コルトなんかと同じ程度には親しかったと思うわ。知らない仲でもないって感じよ」
「誰かと揉めていたってことは?」
「私が知るかぎりではないはずだけど。お調子者だけど、けっして喧嘩っ早い性格ではなかったし」
「となると、ラァラも亜人の仕業だと?」
「それは……何とも言えないわね」
さっきの話の流れだと、ディララ村の住人はアグランガル教の信者を邪教徒と呼んでいるということになる。そのことからすればイシュティール教と対立している宗教はアグランガル教とみて間違いないだろう。
現在起きているマガルムークの内乱もこの対立が原因という話だったはず。
そこまではいい。
おそらく間違っていないはずだ。
だが、問題はそこから。
本来なら一方の言い分だけで善悪を決めつけるのは非常に危険な行為だが、今回はバームの殺害が絡んでいる。
アケイオスから送られてきた画像データを見たときには単なる切り傷かと思ったのだが、言われてみれば何かの印に見えなくもない。
あれが本当にアグランガル教の刻印だとするならば、ジャックの言うとおりバームの殺害は邪教徒の仕業で、邪悪なのはアグランガル教のほうという話になってくるが。
ただ、その辺りがいまいち断定できないところでもあった。
そう見せかけた可能性もあるし、たまたま傷跡がそう見えただけという可能性だってなくはない。傷跡だけでは何とも言えない状況で、犯人が亜人という話に至っては何の証拠もないはず。
それどころか俺とローラは、ディララ村の住人が怪しいのではないかと睨んでいるぐらいだ。
遠方からの監視に付くと言っていたバームが、持ち場を離れて移動しているからだ。そしてそこで背中を一突きにされている。
現場で揉み合った痕跡もなく、死体を引きずった形跡もない。
相手がよく見知った関係でないと、こうはならないのではないのかと。
本当のところはアグランガル教についても詳しく聞きたいところだが、さきほどの雰囲気からしてその部分にはあまり触れないほうがよさそうな気がする。
ジャックがその名前を口にするまでその名前が一度も村人の口から出てこなかったことを考えても、タブー視されていることはほぼ確実だろう。
ジャックが口にしたとき、酒場の空気がガラリと変わったぐらいだ。
本来は口にすることすら躊躇われるような名前なのかも知れない。
「実はね……」
「ん、なんだ?」
「今回が初めてじゃないの」
「と、いうと?」
「似たような事件が起きたのはこれで3回目ってこと。私がデイララ村に来る以前に1回。それと私がディララ村に来て半年ぐらい経った頃だったかしら? サシャっていうお婆さんが同じように村の外で遺体で発見されてね。そのときにもやっぱり例の印があって、村中大騒ぎになったのを覚えているわ」
「なるほど、そういう意味か。そうなると怨恨ではなく、無差別の犯行っぽいな」
「それは私にはわからないけど。ただ、村のみんなは亜人の仕業だって……」
不幸中の幸いというべきか、元々俺たち兄妹は容疑者から外れていたみたいだ。それにラァラも。
それ以前に村の連中は亜人の仕業だと考えているようだが。
「亜人か。もしかして、そのことで揉めて亜人は出て行ったのか?」
「それだけが理由じゃないけど、関係なくはないわ。ジルさんがね、事件のあった少し前にサシャお婆さんと亜人が揉めているところを見かけたらしいの。だから亜人どもがやったんじゃないかって言い出して」
「ジルってあいつか。そういえば帰ってきてからあいつの姿を見ていないな」
「ごめんなさい。自分から言い出しておいてなんだけど、やっぱり話題を変えましょ。ディーディーにはまったく関係がない話だし」
そう言って無理やり話題を変えようとするラァラが、少しだけ寂しそう顔をして俺に尋ねてくる。
「そうそう。ディーディーは明日、自分の村へ帰るのよね?」
「ああ、そうだな。昼前にはここを出ていくことになると思う。ただ、自分の村へ帰る前に一度ジェネットの町に立ち寄るつもりではいるが」
「え、そうなの?」
「今回は首尾よく塩を調達できたが、引き続きディララ村で取引することは難しそうなんでな。ジェネットの町の状況もちょっとだけ見ておきたい」
「そういうことね」
「何となくジェネットの町もディララ村とそう状況が変わらないような気がしている。正直望み薄だがな」
「ジェネットの町の状況が少しでもよければいいんだけど。でも、ちょうどよかったかも」
「ん? 何がちょうどよかったんだ?」
「実はね、私もジェネットの町に移ろうかと思っているの。どうせだったら私もディーディーたちと一緒にジェネットの町へ行っていい?」
「なんだ。ディララ村から離れるのか?」
「元々考えていたことだけど、バームの一件で踏ん切りがついたというか……。ここ最近は物騒な話ばかりで稼ぎも少なくなってきているし。この村の生まれってわけでもないから、そこまで愛着もないしね」
「だが、そんな急な話で旅支度のほうは間に合うのか?」
「ええ、大丈夫。着の身着のまま、持って行くものなんてほとんどないから。それに今住んでる部屋にしても酒場のマスターが所有している物件を間借りしているだけだから」
「なるほどな。ローラに聞いてみてからにはなるが、俺としては構わないぞ」
ラァラを連れていくとなれば、道中行動が制限されてしまうが、そこまで長い旅でもない。
ジェネットの町までなら構わないだろう。
問題があるとすればラァラとの関係性だ。
ここまでアプローチされて、ラァラの好意に俺が気付かないはずもない。
容姿も俺好みの女だ。
それにこちらの世界の人間は地球人と生殖機能もおそらく変わらないという話で、充分恋愛関係が成り立つということはウーラから聞いている。
そうはいっても、結局のところ微妙にDNAが違う異種交配であるのも事実で、現代の医療技術を以ってしても子孫を残せる可能性は極めて低いだろうとも語っていたが。
まあ、子供が欲しいと思ったことは一度もない。
俺のほうに手を出さない理由もなかったのだが。
だというのに、俺のほうが積極的にならないのは昨日会ったばかりの女にこれほど好かれる理由が見当たらなかったからだ。
ユーリと違って、ラァラの好意はドレイクを退治する以前から感じているので、ドレイク退治のせいでのぼせ上ったということもなさそう。
むろん単純に見た目や雰囲気が好みだったとか、ふとした切っ掛けで一目惚れされたとか、そういった可能性があるのは否めない。
ただ、それにしては過剰なアプローチをされているような気がしてならないのだ。
現に今も、俺の腕を抱きかかえながら整った顔を寄せてくるラァラの表情は、どこか愛しい恋人に対するもののように見えた。
当然、そこに何かしらの意図があって、ラァラが演技している可能性も考えられる。
だが、ラウフローラによれば、ラァラはまったくの嘘は吐いていないという話だ。
ただし、たまに隠し事をしているような感情の揺らぎも見られるということだったが。
その隠し事が何なのかはっきりとはわからないが、出自に関することや赤い目など、ラァラがあまり喋りたがらない自らのアイデンティティに関する部分のような気がする。
ラァラが俺の村のことをあまり聞いてこないのも、自分が聞かれたくないからだと思う。
俺のほうは村のことを聞かれても、そこまで困らないのだが。
そこら辺はきちんと対策を講じてあるからだ。
格納庫から少し離れた盆地を選んで、隠れ里という設定でダミーの村を建設済み。
短期間なら人が来ても偽装できるように、いつでも自動機械を村人として配置する準備もしてある。
別に今回誰かを隠れ里に呼ぶ予定もないので、わざわざ辻褄合わせのためだけに村を建設する必要はないといえばないのだが、何も今回にかぎった話ではない。
この先、マガルムーク関連はディーディーとしての立場で動くつもりだ。
そうなった場合、仮初めの住居が必要になってくる場面が訪れるかも知れない。そのために、あらかじめ用意しているって感じだ。
といっても、山あいの盆地を切り開き、人数分の粗末な家を建てただけだが。
もちろん生活感を出すために最低限の内装等を整えてあるし、いかにも月日が経っているように建造物に劣化工作も施してある。
勘のいい人間には多少違和感を覚えられてもおかしくないが。
まあ、あくまで万が一の保険のために用意した施設だ。そこまで手をかけられないのも仕方がないことだろう。
「それじゃあ明日の朝までに旅の支度をしておくわ。きちんとマスターに話すのはローラちゃんの返事を待ってからにするけど」
「ローラのことはそこまで心配しなくてもいい。ただ、ラァラが急にディララ村を出て行くとなると、村の住人が悲しむんじゃないかと心配だが」
「仲良くしてくださった方は確かに居るけど、いつものことだからね。町や村を渡り歩いて生活する踊り子なんて、運命の相手を見つけて腰を落ち着けるまではずっとこんな感じだもの」
「そうか……」
そんなことを言いながらも、どこか寂し気な様子を見せるラァラ。
俺はそんな寂しげな表情を、しばらく黙ったままマズい麦酒と一緒に呑み込んでいた。
◇
「ローラちゃん、ずいぶんと遅いわね」
「そうだな。もしかしたらどこかに寄っているのかも知れんな。まあ、もう少ししたらやって来るだろ」
「バームのことがあったから、私心配で……」
「大丈夫だ。ローラだって用心しているはずだ。一人で村から出て、勝手に遠くまで行ったりしないさ。ほれ、そんなことを言ってるうちに戻ってきたようだぞ」
「あっ、本当だわ。……よかった」
2,30分ほど経っただろうか。
ようやくラウフローラが酒場の中へと戻ってくる。
ラウフローラがバームの一件で何かを調べに行ったことは見当が付いていたが、俺が指示したことではないので何を探りにいったのかまではわかっていない。
ラウフローラの独断で動いたってことだ。
本来そんなときは、イヤーカフ型の通信機で逐一連絡を取り合う段取りになっているのだが、それだとどうしてもやり取りする声が漏れて、周囲に聞かれてしまうおそれがある。
そのことをラウフローラも理解しているからだろう。
今回はこちらからも連絡を取っていないし、ラウフローラからも一切連絡はなかった。
まあ、犯人捜しなど俺にとっては緊急の用件でも何でもない。どこに何をしに行ったのかは、ふたりきりになってから聞けば済む話だ。
「お帰りなさい、ローラちゃん。遅かったからちょっと心配しちゃった」
「ごめんなさいね。心配をかけて」
「ローラ。ラァラがこの村から出て行くことに決めたんだと。そういうことだからジェネットの町まで一緒に行くことになるが、それでも構わないか?」
「あら、そうなの。私のほうは全然構わないわよ」
「ありがとう。こう見えても旅慣れしてるから、迷惑はかけないつもりよ」
「気にしないで大丈夫よ。それに道中、兄さんとふたりきりになりたくなったら、そう言ってね。私はその間、しばらく散歩にでも行ってくるから」
「え……」
「すまんな、ラァラ。ローラ流の冗談だ」
「ふふふ、ビックリした。ローラちゃんも冗談を言うのね。でも、いいのかしら? お兄さんのことを私が独り占めしちゃっても」
「はあ……。ラァラも悪乗りしないでくれないか」
「あら、私のほうは冗談じゃないんだけどな」
そう言ってラァラが意味ありげに微笑む。
どこまで本気かはわからないが、ラァラが俺に好意を抱いていることは間違いなさそう。
ラァラの今の言葉を真に受けて俺が手を出してたとしても、拒否されないような気がしているほどだ。
だが、恋人関係や夫婦になりたいとまでは思っていなさそうな雰囲気も、俺は同時に感じていた。
最後の最後に壁のようなものがあるのを感じているからだ。それが何なのかわからないうちは、手を出しにくいってのは確かにある。
まあ、男と女の間のことだ。
そこはなるようにしかならないのだろうが。
と、そのとき、甘くなりかけた雰囲気をある野太い声がぶち壊してきた。
「バームのやつ、くたばったんだって? まだどこかに亜人の野郎が隠れていやがったのか」
その声は、昼過ぎからすっかりどこかへと姿を隠していたジルのものだった。
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