BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

30.祝杯

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 ◇

「ドレイクの討伐と、ディララ村の安寧を祝して乾杯!!!」
「乾杯!」

 そんなダンの音頭とともに、あちこちのテーブル席でガツンと麦酒ビールの木製ジョッキを打ち鳴らす音が聞こえてくる。
 なみなみと注いだ麦酒のジョッキをぶつけ合ったことで、テーブル上にだいぶ中身がこぼれてしまっていたが、皆そんなことお構いなしだった。
 なんせディララ村の住人にとって、大きな不安要素がひとつ減ったのだ。
 久々の吉事に、昨日はあれほど閑散としていた酒場が人々で溢れ返り、活気に満ちあふれていた。

「ねえねえ。ディーディーってさあ、独り身なんだよねえ。村に恋人とか居るの?」
「いや、特に居ないな。今は自分たちの生活のためでいっぱいいっぱいだしな。村からちょっと外れた場所に妹とふたりで暮らしているってのもあるが。それが何か?」
「ううん。エルセリア王国かあ。戦争になったら他国に避難しなきゃならなくなることもあるから、そこで新たに暮らすのは大変そうだなと思っていたんだけど、実はそんなに悪くないかもって。仮にそんなことになったら、結婚相手はエルセリア人になるのかなあ……ってね」

 俺にそう話しかけてきたのは酒場で給仕の仕事をしているユーリという少女。
 さっきから仕事の合間を盗み、事あるごとに俺の隣に腰掛けてきている。

「ユーリ、仕事が溜まってんだ。お喋りもほどほどにな」
「はーい。今、いきまーす。ごめんね、またあとで」 

 酒場の店主に呼ばれたユーリが、俺の足を意味ありげに触ったあと、俺の隣から離れていく。
 いかにも田舎娘丸出しといった感じのユーリだが、一応酒場の看板娘だけあって、なかなか愛嬌のある顔立ちには違いない。
 そんな少女に色目を使われて悪い気がする男は少ないだろう。
 俺の横顔を少しだけのぼせたような上目遣いで見上げてくる視線が、すっかり好意を含んだものへと変わっていることは、その場に居る誰の目にもあきらかだった。
 といっても、この世界でも感情的なものは地球人と何ら変わらないように思える。
 おそらくこの手の好意も一過性の熱に浮かされているに過ぎないのだろう。
 田舎の村娘が英雄譚に憧れるあまり、ドレイクを討伐してきたこの俺を勇者かなんかだと勘違いしているなんてことは、充分あり得そうな話だった。
 それにしても、ずいぶん昨日とは打って変わった態度だが、それはユーリだけにかぎらず、ほかの住人にしてもそうだ。向こうから喋りかけてくる人間がかなり増えたし、中には俺たち兄妹のことをディララ村の英雄とまで持ち上げてくる住人も居た。

 そこまでドレイク退治が、ディララ村の住人にとって英雄的行為だったというわけだ。
 俺たちにとっては畑を荒らす害獣をちょっと駆除するぐらいの感覚でしかなくとも、ディララ村の住人には日々頭を悩ませる大問題だったことがうかがい知れる。
 それにコルトの話の中で村の冒険者たちも相当活躍したことにはなっているが、最終的にドレイクを倒したのはこの俺という部分だけは話を捻じ曲げていない。
 普通に考えて、戦闘中ドレイクの頭部にあんな大穴を開けるのはこいつら冒険者には無理だ。
 さすがにその点を誤魔化すことはできなかったのだろう。

 村長のラカムにしても、ドレイクを討伐したとの報告を受け、あっさりと約束した岩塩を寄越してきたほど。
 もうちょっと難癖をつけられるかと思っていただけに、こちらのほうが拍子抜けしてしまったぐらいだ。
 といっても、ダンが自分たちも含めた報酬の上乗せをさかんに要求していたが、それ以上の報酬となると頑として首を縦に振らなかったが。

「コルト、酒はほどほどにしとけよ。この後すぐ、お前の見張り番だろ」
「わあってるって。さほど飲んじゃいねえ」
「それならいいが。ドレイクの素材が他人に盗まれないよう、交代で見張るって言い出したのはお前なんだぞ」
「万が一、貴重な素材をこっそり掻っ攫おうなんていう不届きな野郎が居たら困るだろうがよお」
「村中の人間がドレイクを倒したのはお前たちだと知っているんだ。そんな心配は無用だと思うがな」

 近くのカウンター席で、黙ってダンとコルトのやり取りを聞いていたゲイツが口を挟む。

 ドレイクの巨体を丸ごとすぐに持って帰るのは無理がある。
 小分けにしたところで何往復もしなければならないだろう。とりあえずその場で有益な素材だけを剥ぎ取るにしても、さすがにそれをするには時間が遅過ぎた。
 結局、明日の日の出とともに、皮職人であるアイルズを交えて総がかりで片付けようという話になり、それまではバームも含めた村の冒険者4人が交代で見張るつもりらしい。
 そして俺たちはアイルズが現場に赴き、査定して出したおおよその素材の代金をダンたちから受け取ったのち、ディララ村を立ち去る段取りになっている。
 出立はおそらく昼前後になってしまうだろう。
 
「にしてもジャックのやつ、いったいどこをほっつき歩いてやがんだ」
「そういえばバームが家には居なかったので、別の場所をあたってみると言ってきたきりだな」
「別の場所を探すったって、あれからいったい何時間経つと思ってんだよ。つうか、バームの野郎。いったいどこに雲隠れしやがったのさ?」
「ディーディーたちもまったく姿を見ていないんだよな?」
「どちらかといえば、あんたらのほうが最後まで一緒だったはずだが。遠方から監視に付くのであんたらと一緒に離れると言って、それきりだ」
「そうか。あの後、再びディーディーたちのほうにも戻っていないとなると……」

 実をいえばついさきほどアケイオスから連絡が入り、俺とローラはジャックの居場所を知っている。
 そして現在慌てた様子でディララ村へと駆け戻ってきていることも。
 おそらく後10分もしないうちに、この酒場に飛び込んでくるものと俺は予測していた。
 問題はそのときに見せるジャックの態度が演技か素かの、どちらだということだ。

 そんなことを漠然と考えていたとき、酒場の入口からこちらにやってくる人物に気付いた。
 その姿はそれまでの会話の渦中の人物ジャックではなく、ラァラだった。

「ほっ。無事だったのね」

 赤いドレスからこぼれ落ちそうになるほど大きく胸を弾ませたラァラが、俺たちの座ったテーブル席へと駆け寄ってくる。その手には野草で山盛りになったバスケット籠を持っているのも見えた。
 俺たちが帰ってきてから今の今まで姿を見掛けなかったので、野草でも取りに村の外にでも出掛けていたのかも知れない。

「無事も何も、俺は勝算のある戦いでなければ挑まないと言ったはずだろ」
「確かにそれは聞いたけど。でも、よかった。首尾よくドレイクを誘導することができたのね」

 ラァラのその言葉にコルトが答える。

「なんだ。もしかしてラァラはまだ見てねえのか?」
「え、見てないって何をなの? みんな揃ってここに居るってことは、ドレイクの誘導に成功したのよね?」
「ドレイクの頭さ。今も村の広場に飾ってあるぞ」
「え?」
「誘導じゃなく、倒したのさ。この俺たちでな」
「うそっ!」
「本当のことだ、ラァラ。まだ実物を見ていないのなら、信じられないのも無理はないがな」
「そうそう。そりゃあもう大変だったぜ。なんせ最低でも30人は居なければ倒せないっていう化け物だ。それを俺たち5人だけで退治したんだからな。まあ、何と言ってもディーディーの活躍があったればこその話だけどよ」

 最初はゲイツの話と同じく、討伐には最低20人が必要という話だったのに、コルトが自慢げに話すたびにどんどん数が増えていき、遂には30人になってしまったことに苦笑する。
 その俺の苦笑を覗き込むように不思議そうな顔で見ていたラァラが、さっきまでユーリが座っていた俺の隣に自然な様子で腰掛けてくる。

「本当なの? ディーディー?」
「ああ、本当だ」
「そうだったのね。そっかあ……。ディーディーがドレイクを退治してくれたのね。ありがとう」
「ちっ、なんだよ。俺の話は疑ってかかるのに、ディーディーの言うことならすぐに信じちまうってわけか?」
「そうじゃないわ、コルト。みんながそう言うのなら、そうなんだろうなと思っただけよ」
「へえへえ、さいですか。ユーリといいラァラといい、なんだかんだ言って色男のほうに惹かれるってわけかい」
「え? もしかしてユーリちゃんも?」
「ユーリちゃん、ねえ。はあ……。ディーディー、お前のことをぶん殴ってもいいか?」

 どうやらこうやって軽口を叩いてくるくらいにはコルトからも信頼されたらしい。
 多少棘のある口振りではあったものの、同時に気のおける仲間に対する言葉のようにも聞こえたからだ。
 ただ、このとき俺はコルトとの関係性より、ラァラがテーブルの上に置いたバスケット籠のほうに目が向いていた。

「それはそうと、この野草は?」
「ん? ああ、これ? これはクレーメル草よ。中のほうにミアンゼ草も少し混ざってるけどね。クレーメル草は切り傷によく効くし、ちょっとだけ止血効果もあるの。ディーディーがドレイクの依頼を受けたって聞いたときに私も何か役に立てないかと思って。余計な心配だったみたいだけどね」
「危ないから俺は止めておけと忠告したんだがな」
「ん、ゲイツ? 危ないっていうのはどういうことだ?」
「昼間、ディーディーたちが酒場から出て行ったあと、ラァラがクレーメル草を採りに村の外へ出ていこうとしてたんでな」
「ほかの住人だって普通に村の外へ出ていると思うが」
「クレーメル草は湿地帯の辺りでよく採れるんだ」
「なるほど、そういうことか。ラァラ、俺のために悪かったな」
「ううん。そんなに遠くまで行っていないから大丈夫よ」
「俺もドレイク程度ならまったく問題にならないことを、ラァラにはっきりと話しておければよかったんだが。実際に戦ったのは初めてだったんでな」
「それにしても、ラァラさんって薬草にも詳しいのね。ちょっとだけ触らせてもらってもいい?」
「ええ、構わないわ。というか、色んなところをひとりで旅しているうちに自然と詳しくなったのよね。あっ、それとミアンゼ草のほうは喘息を抑えるための薬で、煎じたあとゲイツさんの娘さんであるアリアちゃんに渡すものだから」
「いつもすまんな、ラァラ」
「いいのよ。本当はもっと効果があればいいのだけど……」

 ラウフローラが横から口を出してきたのは、本当に効能があるのかどうかを確かめるためだろう。
 ラウフローラが実際に手に持って成分分析を試みれば、効能があるかどうかもすぐに判明するはず。
 といっても、魔法的な何かが作用するのだとすればそのかぎりではないのだろうが。
 ただ、現在のラウフローラの反応を見るかぎりでは少なからず効能がありそうな感じではあった。

「まあまあ。結局のところ、万事上手いこと運んだんだからいいじゃねえか。今日はディララ村にとってめでてえ日なんだ。みんなでそのことをお祝いしようぜ」
「ああ、そうだな。コルトの言うとおりだ」

 その言葉を受け、その場で再び祝杯が掲げられる。
 酒場の中は喜びと、酒が入ったことでずいぶんと高揚したらしい賑やかな声で溢れ返っていた。
 すでに俺たち兄妹に対する排他的な視線も消え、まるでディララ村の一員だとでも言わんばかりの歓迎ぶり。
 いつの間にかまるで恋人のように俺の腕に自分の腕を回してきたラァラの姿を目撃したコルトが、俺に対して嫌味を飛ばしてくるという一幕もあったが。

 だが――、

 そんな明るい酒場の様子も、ジャックが慌てた様子で酒場の中に駆け込んでくるまでの話だった。

「ダン! コルト! バームのやつが見つかった。湿地帯の近くで倒れているのを発見したんだ。どうも誰かに殺られたっぽい。とにかくすぐに来てくれ!!!」

 俺たちの近くまで駆け寄ってくるなり、血相を変えたジャックが人目も憚らず、そんなことを大声で叫ぶ。

 そのジャックの様子を見て二度ほど首を横に振ったラウフローラ。
 その仕草は、ジャックが演技からではなく、心の底から驚いていることをバイタルが示しているという、あらかじめ決めておいたサインだった。

 アケイオスの報告では、ジャックはディララ村から出たあと湿地帯のほうへ向かうと、比較的簡単にバームの場所までたどり着いたらしい。
 こんな夜中で辺りが暗い状態であるにもかかわらず、岩場の陰に隠れた死体をすぐに見つけるなんて、あまりにも不自然な話。
 そのことから俺たちはジャックのことを怪しんでいたのだが、バイタルの様子からするとそれはただの偶然という結果になってしまう。
 むろんそれ以前にダンかコルトに、バームと離れたあとジャックがどこかに行っていないか聞けばジャックのアリバイが成立する可能性もあったが、冒険者3人が共犯という可能性だってなくはない。
 それにバームの死体が見つかる前に俺がそんなことを聞いてしまえば、のちのちになって疑われかねないという問題もある。

「は?」
「ジャック、それは冗談だよな?」
「冗談じゃねえ。本当のことだ。それと刺し傷の上にアグランガル教らしい刻印が刻まれていた。間違いなく邪教徒のやつらの仕業だ」
「アグランガル教?」

 初めて耳にする言葉に俺は思わず聞き返してしまう。
 だが、その問いに対する答えは返ってこなかった。
 それどころかダンもコルトもゲイツも、さらにはラァラまでもが何となく視線を合わせないように皆押し黙っている状態。
 どことなく忌避しているような、その名を口に出すことすらはばかられるような、そんな雰囲気がその場からは感じられた。

「クソっ! またか。まだどこかに亜人のやつらが隠れていやがったとは」
「わかった、ジャック。すぐに行く。ゲイツは村長にこのことを報告してくれ」
「ああ、了解した」
「兄さん、私ちょっとお花摘みに行ってくるから」
「わかった、ローラ」
「ディーディー……」

 冒険者たちやラウフローラが席から離れたあと、ふたりきりになったラァラが俺の腕を強く抱きかかえ、ぴったりと寄り添ってくる。
 不安そうなラァラの心臓の鼓動がそこから聞こえてきそうなほどに。
 酒場に集まった村の男たちの慌ただしく立ち去る足音がその場に鳴り響く。
 さきほどまで喜びに満ち溢れていた酒場内は、一転して深い沈黙と暗澹あんたんたる空気が支配していた。
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