BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

20.交易

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 ◇

『何、この飲み物? これってラーヴァじゃないわよね。すごく飲みやすいし、美味しいわね』

 スクリーンの中、魔導船の一室でひとりの女性が感嘆の声を上げていた。
 船員に扮する自動機械が運んできた葡萄ジュースを、女性が一口その口に含んだときに出てきた言葉だ。
 完全に安全性が証明されたわけではないが、ラーヴァに似通った味で成分的にも近い葡萄ジュースなら飲ませても問題ないと判断したのだろう。
 俺はそこまで細々とした指示をしていないので、おそらくウーラの判断によるものだ。

 驚くことにその女性が名乗ったのはジークバード伯爵の娘、エレナ・ジークバードだった。
 嘘か誠か現状わからないが、魔導船に乗り込んできた怪しいふたりを、これまでとは違った意味で歓待する意義が出てきたことに違いはない。
 こちらの命令により、リリアーテとバルムンドが捕まえたふたりは奇妙にも賓客として船内の客室に案内されていた。 

 ジークバード伯爵といえば、我々が最重要人物として挙げているうちのひとり。
 こちらの計画上、積極的によしみを結ぶべき相手だという認識で俺とウーラも意見が一致している。
 まあ、まずは港町ポートラルゴのストレイル男爵との間に繋がりを持ち、それからジークバード伯爵を取り込みにかかる予定だったが。
 むろん、国交自体はエルセリア王国との話し合いになるはずなので、ジークバード伯爵がどれほど国交問題に関与してくるのかはわかっていない。
 それでも俺はジークバード伯爵のことをかなり重要視していると言ってよかった。

 それはこの国の中央集権が、あまり上手く機能していないかも知れないという予測からだ。
 港町ポートラルゴの代官はストレイル男爵。
 だが、さらにそのうえに領主としてジークバード伯爵が存在するという話だ。
 普通に考えれば、港町ポートラルゴはストレイル男爵の領地であるか、ストレイル男爵が代官だとしたら王の直轄領になるのではないかという疑問が俺の中にはあった。

 王と家臣という主従関係の中にできている、さらに小さな主従関係。
 もしかしたら長年の権力争いなどを経て、その間に構築された派閥のようなものなのかも知れない。
 実際にどういった理由からそんな複雑な関係が生まれたのかわからないが、これは単純な縦社会ではなく、寄り親寄り子制度に近い主従関係が貴族間においても成り立っていると見るべきだろう。
 だが、王権制である中央集権体制にもかかわらず、その下に寄り親寄り子制度があるとなれば、それだけ中央の力が弱いのではないかという話にもなってくる。

 現時点で判明しているだけでも、ジークバード伯爵が港町ポートラルゴを始め、居住地でもあるリンガーフッド、そしてリアード村と、けっこうな領地を所有していることがわかっている。
 おそらくジークバード伯爵の領地はこれだけではないと考えたほうが無難だろう。
 その領地がエルセリア王国のどれほどを占めるのか?
 正直、国同士の国境線も、ジークバード伯爵が所有する領地も定かではない現時点では、はっきりとしたことは何も言えない。
 が、簡易通信衛星から送られてきた情報と照らし合わせた結果では、エルセリア王国の中でもけっこうな一大勢力であるとの見方が有力だった。
 そんな勢力をそのまま放置している状況だというのが、エルセリア王国の王権の脆弱さを物語っているように俺には思えたのだ。
 まあ、そんな体制でも、王と貴族の間に円滑な主従関係が成り立っている可能性もなくはない。言ってみれば、すべてこちらの勝手な憶測に過ぎないのだから。

 だが、いずれにせよ重要な相手には違いない。
 この先、エルセリア王国との関係を築くためにも、ある程度権力者とも繋がりを持っておきたいところだ。
 そう考えれば、今このタイミングで伯爵令嬢と関わりができたのは、歓迎すべき吉兆のように思えた。

 とはいえ、エルセリア王国と接触を計った途端、ジークバード伯爵の娘だと名乗る女がやってきたのはいささか怪しいのも事実。
 こちらがどんな相手かもわからない状況だというのに、突然伯爵令嬢が忍び込んできたりするものだろうか。いくらなんでも不用心過ぎないか、と思うのが普通の考えだろう。
 その辺りに探りを入れるためにも、賓客としてもてなす方向に軌道修正したってわけだ。

『お気に召しましたか? それはセレネ公国本島で栽培されている【ブドウ】という果実を絞った飲み物になります』

 エレナの言葉にリリアーテが答える。
 机を挟んだ向こう側に見えるのは、エレナという女性とマーカス少年のふたり。
 手前側にはバルムンドと角を無くしたリリアーテ、そしてようやく落ち着いたらしい孫六が大人しく椅子に座っており、ふたりのことを客人としてもてなしている最中だった。

『へええ、【ブドウ】ね。初めて聞いたわ。えっと、お名前はリリアーテさんだったわよね?』
『はい。セレネ公国から今回の通訳を任されているリリアーテ・ラカンと申します。そしてこちらが当魔導船の船長であられるバルムンド・ディアルガー提督。提督はまだこちらの言語を完全に習得しておられないため、交渉等はこの私を介して行わせていただくことになります』
『えーっとですな、リリアーテはこう申していますが、私だってそれなりにこちらの言語を扱えるようになったつもりなのですよ。とはいえ、些細な行き違いが大きな問題に繋がりかねないので、言語学者であるリリアーテに一任しているといった次第でして』
『充分お上手だと思いますよ、ディアルガー提督。むしろ、セレネ公国の方がこれほど流暢に大陸共通語をお使いになられているのが驚きなくらいですわ。おおかたのあらましはストレイル男爵から聞いていますけれど』

 そんなことを言いながらも、エレナがわざとらしく驚きの表情を作ったのがわかった。
 ここでストレイル男爵の話が出てきたってことは、本物の伯爵令嬢である可能性が高い。そもそもこの状況下で上流階級の身分を騙るのはデメリットしかないように思える。
 まあ、そういった安易な決めつけは早計だろうが、伯爵令嬢という話に信憑性が出てきたのも事実だろう。

 正直なところ、言語の点を疑われるのは仕方がない。
 俺としても、いささか強引だとは思っているからだ。
 とはいえ、言葉が通じないフリをして1から交渉を始めるのでは、時間がかかって仕方ない。言語に関しては、無理やりにでもこちらの強弁を押し通すしかないという方針で固まっていた。
 
『リリアーテは言語学者として驚くほど優秀ですからな。わずか半年で大陸共通語の辞書のひな型を作ったほどです。本人はこれでは完璧には程遠いと、さらなる翻訳の精査のため、今回の船旅の同行に同意したぐらいでして』
『未知の言語の翻訳というものは、それほど奥深いものなんです、提督。この一年でどれほどの言葉を理解できたか。半分も翻訳できたかどうか怪しいほどです。こればかりは時間をかけて、少しずつ言葉を解明していくしかないのですが』
『おふたりの話っぷりを聞いているかぎりでは、まるで不自由なく大陸共通語を話されているように感じますわ。多少、イントネーションの点でおかしな点は見受けられますけれど』
『そうおっしゃっていただけて幸いです。それはそうと話が逸れましたね。紹介を続けましょうか。あそこに座っている【オッター】は孫六と言います。一応、この魔導船の船員ということになっていますね。さきほどは孫六が大変失礼をしました』
『みょ?』

 自分のことを呼ばれたとでも思ったのだろう。リリアーテの言葉に孫六が反応する。
 すでに孫六はフルフェイスヘルムを外した状態になっており、ずいぶんと身の丈に合わない全身鎧からひょっこりと顔だけが覗いている状態だった。
 そんな孫六を一瞥したエレナが、訝し気に言葉を繋ぐ。
 
『【オッター】? 多分、ミュール族のことよね。もしかしてセレネ公国って、マガルムークみたいに亜人が多い国なのかしら?』
『エルセリア王国では孫六の種族のことをミュール族と呼ぶのですか?』
『そうよ。こちらも【オッター】なんて言葉は初耳だわ』
『勉強になります。それと、ご質問の亜人に関してはどう答えればいいものか。基本的には人間主体の国ですが、人間以外の種族も少数ながら一緒に生活していますよ。その口振りからすると、エルセリア王国では違うんですね』
『ええ、そうね。エルセリアには亜人がほとんど住んでいないわ。といっても、勘違いしないで。エルセリアはドゥワイゼ帝国みたいな人族至上主義ってわけじゃないから。ほとんどの住民は亜人に対する理解もあるし、差別なんか滅多にないのよ。そうよね、マーカス?』
『はい、エレナお嬢様のおっしゃられるとおり、エルセリア王国は亜人に対して寛容な国だと思います』
『なるほど……』
『といっても、私もこんな間近でミュール族を見るのは初めてだわ。知らなかったけど、随分と人懐っこいものなのね。触ってもいいのかしら?』
『エレナお嬢様、さすがにその言い方は少々失礼にあたるのでは?』
『えっ、ああ。亜人のことを愛玩用に見ているとか、そういうことを言っているわけではないのよ……』
『大丈夫ですよ、お気になさらないで下さい。ただ、孫六が過剰な反応を示すかも知れませんので、気軽に触ったりするのはお控えになって欲しいかと』

 亜人に関しては、リアード村やポートラルゴの住人の話にも以前から出ていた。
 ただ、どういった種を亜人と呼んでいるのかが不明で、こちらとしても判断に迷っていたところだ。
 孫六のように見た目からしてまったく違う種を亜人と呼んでいるのか、はたまた外見的に存在するわずかな差異を蔑み、人種差別的に亜人と呼んでいる可能性が絶対にないとは言えない。
 今の話を聞くかぎりでは、身体的特徴に差がある、まったく違う種と考えたほうがよさそうだが。

 ともあれ、エレナの言葉じりや態度から苦々しい想いが伝わってきそうな感じではあった。
 ドゥワイゼ帝国だったか。
 その国ほどではないにせよ、多少なりとも差別的な思想が市井しせいの間にくすぶっているのかも知れない。
 気のせいかも知れないが、俺にはエレナの言葉や態度が、あまり触れられたくない話題だと暗に語っているような気がした。

『そうそう。そんなことより、あなたがたセレネ公国はエルセリア王国と交易がしたくて、わざわざこんなところまでやって来たという認識であっていますよね?』
『はい。そのとおりです。そこに何か問題でも?』
『いえ、そういうわけじゃないわ。個人的には交易相手が増えることは歓迎すべき事態だと思っているから』
『ハワード殿にもそうおっしゃっていただいております。といっても、結局は国同士の話し合いになってしまいますので、上手いこと話がまとまって良い取引ができるようになればいいのですが』
『そうね。この飲み物……たしか【ブドウジュース】だったわよね。色も味もラーヴァにちょっと近いけど、こっちのほうが飲みやすいし、私は好きだわ。この果実も交易品のひとつになるいうことでよろしいのかしら?』
『果実は長期保存が難しいので、交易の主品目に考えていません。いずれは交易も考えておりますが、船内に長期輸送用の設備を整えてからの話になりますね。ただ、加工品なら少量にはなりますが、現状でも交易する予定がありますよ』

 バルムンドがリリアーテの代わりにエレナの問いに答える。
 輸送に2週間かかるという前提で話さなければならない以上、保存が効かないのは事実だ。
 保存の魔道具があることにして、新鮮な状態のものを輸送することも考えたのだが、目下のところ思案中。
 何でもかんでも魔道具ということで片付けた結果、魔道具の常識の範疇をあまりにも超えているのではないかと、勘ぐられる事態になってしまうのを恐れているからだ。

 安易に交易品として出せない理由はほかにも色々あった。
 現在、ウーラアテネ内にある農業プラントと、格納庫付近の土地に設置した実験農場において、かなりのペースで農作物の栽培が進められている。
 だが、それらだけではとてもじゃないが他国に輸出するほどの生産量が望めないのだ。

 そもそもこちらの計画では、塩や鉱物などを交易の主要品目とすることになっている。
 もちろん、それらの交易品の中に農作物を一切含めないというわけにもいかない。
 そのためにも、これから農作物を大量生産する予定になっているのだが。

 基本的に栽培するのは地球産の農作物。
 だが、まだまだ地球産の食物摂取による毒性や悪影響が完璧に判明していないのが痛いところだ。
 ウーラの話では生物学的にもそこまで悪影響を及ぼさないだろうという予測ではあるものの、はっきりと実証するには現地人を使って食物に対する臨床試験を行うしかないとの話でもあった。

 それに農作物を栽培するにあたって、広大な農地が必要になってくる。
 土壌や気候、栄養素、水分量など栽培に必要な諸々の条件は、ある程度こちらでコントロールできるので問題はないが、こちらの大陸にそんな大規模な農業施設を作るとなると目立って仕方ない。
 そういった理由から、海を越えて東側へと向かわせたピットに、適切な場所がないか調べさせていたところだった。
 その結果、候補地として上がったのが、東大陸の西側に位置しており、この先セレネ公国になる予定の無人島だったってわけだ。

『加工品なら少量だけど売ってくれるのね。だったら私の家で買い上げてもいいわ。マーカス、セバスに交易が始まったらそう手配するよう頼んでおいて』
『はい、わかりました』
『それほど気に入って頂けたのなら、優先的に取引するように致しますわ。失礼ながら、あなたが本当にジークバード伯爵のご息女であればの話ですが』
『何よ、もしかして私のことをまだ疑っているわけ?』
『いえいえ、頭から疑ってかかっているわけではないのですよ。ですが、いささか信じられないというか……。いかなる理由からジークバード伯爵令嬢ともあろうお方が、ろくに供も連れずにこの魔導船にやってきたのか理解しかねます。しかも、こんな夜更けとあらば、なおさらの話ではありませんか?』
『そ、それはあれよ。視察……というか立ち入り検査かしら?』
『ハワード殿からそのような話は一切伺っておりませんが。エレナ様のような立場のお方がいらっしゃるならば、いくら何でもひと言ぐらい断りがあってしかるべきだと思いますけれど』
『おかしいわね、もしかして話が通ってなかった? だとしたら、どこかで伝達ミスがあったのかもね。まあ、検査なんていっても形だけのものよ。港町ポートラルゴを治める領主の娘として、セレネ公国の皆さまにご挨拶に伺ったと気楽に考えてくれればいいわ』

 必死に弁明するエレナの姿を見て、俺は逆に肩透かしを食らったような気分になっていた。
 最初からこちらを騙すつもりだったにしては、言い訳があまりにも杜撰過ぎるのだ。これでエルセリア王国から送られた密偵の類いだとしたら、あまりにも計画が稚拙だ。

「どう思う? ウーラ。間者や密偵の類いではなさそうな気がするんだが……」
『視察の話が出たときに、一瞬心拍数、脈拍、眼球の動きや表情の変化に多少嘘を吐いているときの反応がありましたが、それ以外はおおむね正常値の範囲だったかと』
「ん? いつのまにそんなものを調べたんだ?」
『事後報告になってしまい、申し訳ありません。甲板で争った際、密かにふたりの体内にバイタルチェッカーを注入済みです。1週間ほど効果が続きますので、逃がしたあとの居場所を掴めないかと』
「いや、構わん。魔導船での成り行きについてはウーラの裁量に任せたんだ。それよりこのお嬢様のことだが、どうみても考えなしに行動している我儘娘のようにしか見えないんだが」
『少なくとも、あまり嘘や計略が上手いタイプには見えませんね』
「だよなあ。うーん、どうするか? 裏に隠されたものがないのなら、このままお帰りになってもらって構わないんだがな。どうせなら、上手いこと言ってこちらの協力者として抱き込んでみるか? 本当に伯爵の娘なら、有益な情報が聞きだせるかも知れん」
『よろしいのではないでしょうか。この先話を誘導して、我々に対して好意的になるよう仕向けてみますか?』
「そうだな、そうしてくれ。かといって、あまり強引なやり方はしなくていい。多少なりとも繋がりができるだけで充分だ。そうだな、俺のほうも明日から動くので、今後できるだけ通信は控えたい。こちらのことはよほどのことがないかぎり、ウーラの独断に任せることにする』
『了解しました。船長のほうは予定どおりで?』
「ああ、ラウフローラとアケイオスを連れていく。少なくとも、そちらの話がまとまる前には合流する予定だ」
『わかりました』

 スクリーン上では、いまだにリリアーテたちとエレナたちの間で話し合いが続けられていた。
 エレナとマーカスいう突然の訪問者に、依然として興味が尽きないところではあったが、ずっとこうして付き合っているわけにもいかない。
 あとは勝手にウーラが情報を集めてくれるはずだ。
 俺はスクリーンから目を離すと、明日のために備えて眠ることにした。
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