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第2話 闇夜の邂逅
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今宵は満月であった。
進之介は頭上から照らされる青白い燐光を頼りに、林道の中をひたすらに歩いていた。
周りには家屋もなく人気もない。
ただ雑木林の群がうっそうと生い茂る、ゆるやかな坂道になっている林道であった。
この辺りは追い剥ぎや辻斬りの出没が多く、武芸に秀でた武士でも決して一人では訪れない場所で有名であった。
進之介は飯屋の前で京馬と別れた後、人気のある大通りを抜けてこの人気のない林道まで足を運んできた。
別に誰かと会うわけではない。
この林道の先にある、今ではもう使われていない古びた神社に用があったのである。
しばらく歩いていると、進之介の視界には所々欠けた部分が目に付く石製の鳥居が見えてきた。
目的の神社の鳥居である。
鳥居の側まで来ると、隣には鳥居と同じように欠けた部分が目に付く石塔があった。
石塔には『時坂神社』と彫られていた。
この時坂神社は、曰く付きがあることで有名な神社であった。
何でもこの近くでは昔から〝神隠し〟に遭う人間が続出したらしく、近隣の人間はこの神社に住み着いた妖魔の祟りだと恐れ、今ではもう誰も近づこうとはしない廃寺となってしまっていた。
だが進之介は平然とした様子で鳥居を潜り抜けると、境内に続く五十段ほどの石段を見上げた。
荒れ果てた雑草が石段を挟み、境内の部分は漆黒の闇に閉ざされて何も見えない。
いつものことである。
進之介は夜半になるとこの神社に足を運び、境内で人知れず剣の修練に励んでいた。
今でこそ道場内では敵無しと言われている進之介だが、それは何も天賦の才ばかりではない。
それ以上に努力を重ねた修練の賜物なのである。
そしてこの時坂神社は人知れず修練に励める絶好の場所でもあったが、修練以外にも進之介がこの神社を選んだのには理由があった。
時坂神社にまつわる不思議な噂――神隠しである。
進之介はこの神社に足を運べば自分も神隠しに遭うのではないかと、心のどこかで淡い期待をしていた。
神隠しに遭えば、自分も梓と同じ場所にいけるのではないか……と。
しかし神社に通いだしてから半月が経つというのに、一向に何の変化もなかった。
当然である。
そんな都合のよいことがあるはずがない。
そもそも、梓の行き方知れずの原因が神隠しであるという根拠はどこにもない。
しかし、ただじっとしているのも進之介は嫌で仕方なかった。
何かに没頭していないと、梓のことや道場のことで気が変になりそうだったからだ。
進之介はため息を付きながら、石段に足を一歩踏み出した。
いつもと同じ石段を上がった先の境内で剣の修練に励むためであったが、この日は何かが違っていた。
進之介が石段に足を一歩踏み出した瞬間、身体に落雷が落ちたかのような衝撃に見舞われた。
気である。
闇に支配された境内に充満する圧倒的な〝気〟の波動。
その漏れ出た気の波動は、大気を伝って石段の下にいる進之介の身体にまでまとわりついてきた。
何かいる。
進之介はそう思った。
もしこれが普通の人間ならば、本能の赴くまま一目散に逃げ出していることだろう。
しかし、剣士であった進之介の本能は逃走の選択を与えなかった。
進之介は腰に差していた大刀の唾に親指を掛けると、そのまま疾風の如く石段を一気に駆け上がった。
進之介が石段を上がり終えると、まず二つの石灯籠が真っ先に目に飛び込んできた。
そしてそのずっと奥には、半ば朽ち欠けた本殿が存在している。
月明かりのせいか、さほど広くない境内は普段よりも明暗がはっきりとしていた。
だからこそ違和感があった。
月明かりとは違うぼんやりとした光が、境内のある一角に浮かんでいたのである。
古池であった。
奥にある廃堂と化した本殿の横にある古池の水が、まるで血のように赤く光り輝いていたのである。
そしてその古池の横には、全身黒一色の不思議な格好をしている人間が、夜鷹と思われる女を両手で抱えて佇んでいた。
「貴様っ、何者だ!」
進之介は声を上げながら、鯉口を切っていた。
夜鷹を抱えていた人間は布ではない滑らかな黒服を上半身に纏い、腰から下も袴ではなく二本の足がくっきりとわかるような馬乗袴らしき物を着用していた。
そしてさらに上半身には足先まで届くほど黒く長い上着を羽織っており、頭の部分をすっぽりと覆い隠す異様な服装で身を包んでいた。
この国の人間ではない。
背丈や纏っている衣服の印象から、進之介は目の前の人間は異人ではないかと疑った。
格好もさることながら、五尺四寸(約160センチ弱)の進之介よりも、頭二つ分くらい抜きん出ているほど背丈が高かったからだ。
黒服の人間は進之介に気が付いたのか、ゆっくりと振り向きながら素顔を晒した。
相手は男であった。
艶のある漆黒の前髪が口元の辺りまで垂れ下がり、まるで女性のような顔の作りをしていたが、衣服の上からでもわかるくらいに発達している筋肉により、男だと進之介は判断した。
しかし次の瞬間、進之介は腹の底から戦慄した。
垂れた前髪の間に浮かんだ男の双眸が、異様な輝きを帯びていたのである。
獣が暗闇で光らせる眼光の如く、男の双眸は不気味な光を宿した金色であった。
「お兄ちゃん、誰?」
男は進之介に子供のような口調で話しかけてきたが、進之介は無言であった。
なぜなら、男の言葉を進之介は理解できなかったからだ。
男が口にした言葉は、見知らぬ異国の言葉だったのである。
進之介は門下生の一人が、異人について話していたことを思い出した。
門下生の話では長崎の出島や浦賀に訪れた異人たちは日本人とは違う金色の髪に蒼い瞳をしており、鬼のような巨漢であるということだった。
だが目の前の男は鬼のような巨漢ではなかった。
枯れ木よりは太く、大木よりは細い。
じつに均整が取れた柔軟さが感じられる体格の持ち主であったが、もしかすると男が放っている強烈な気は鬼以上であったかもしれない。
凄まじすぎるのである。
じっと佇んでいるだけでも魂を根こそぎ持っていかれそうな圧迫感を放つ異人の男は、神威一刀流の極意を身に付けた進之介だからこそ対峙できているのである。
もしこれが並の剣士ならば、とうに戦意を喪失していることだろう。
異人の男は夜鷹の女を地面に投げ捨てると、進之介に向かって満面の笑みを浮かべた。
動けない。
剣の柄を握っていた進之介の右手は微かに震えていた。
「……って言ってもこの世界じゃ言葉はわかんないか。アズサさまみたいにこっちに来ればわかるのに」
「!」
進之介は異人の男が話す言葉の意味は理解できなかったが、たしかに進之介の耳にはある名前が聞こえた。
はっきりと〝あ・ず・さ〟と。
その言葉を聞くなり、進之介の全身からは異人の男が放つ強烈な気を真っ向から打ち消してしまうかのような剣気が迸った。
「きさまかああああああ――ッ!」
進之介は剣の柄を握り締めながら、異人の男に一気に斬りかかった。
進之介は頭上から照らされる青白い燐光を頼りに、林道の中をひたすらに歩いていた。
周りには家屋もなく人気もない。
ただ雑木林の群がうっそうと生い茂る、ゆるやかな坂道になっている林道であった。
この辺りは追い剥ぎや辻斬りの出没が多く、武芸に秀でた武士でも決して一人では訪れない場所で有名であった。
進之介は飯屋の前で京馬と別れた後、人気のある大通りを抜けてこの人気のない林道まで足を運んできた。
別に誰かと会うわけではない。
この林道の先にある、今ではもう使われていない古びた神社に用があったのである。
しばらく歩いていると、進之介の視界には所々欠けた部分が目に付く石製の鳥居が見えてきた。
目的の神社の鳥居である。
鳥居の側まで来ると、隣には鳥居と同じように欠けた部分が目に付く石塔があった。
石塔には『時坂神社』と彫られていた。
この時坂神社は、曰く付きがあることで有名な神社であった。
何でもこの近くでは昔から〝神隠し〟に遭う人間が続出したらしく、近隣の人間はこの神社に住み着いた妖魔の祟りだと恐れ、今ではもう誰も近づこうとはしない廃寺となってしまっていた。
だが進之介は平然とした様子で鳥居を潜り抜けると、境内に続く五十段ほどの石段を見上げた。
荒れ果てた雑草が石段を挟み、境内の部分は漆黒の闇に閉ざされて何も見えない。
いつものことである。
進之介は夜半になるとこの神社に足を運び、境内で人知れず剣の修練に励んでいた。
今でこそ道場内では敵無しと言われている進之介だが、それは何も天賦の才ばかりではない。
それ以上に努力を重ねた修練の賜物なのである。
そしてこの時坂神社は人知れず修練に励める絶好の場所でもあったが、修練以外にも進之介がこの神社を選んだのには理由があった。
時坂神社にまつわる不思議な噂――神隠しである。
進之介はこの神社に足を運べば自分も神隠しに遭うのではないかと、心のどこかで淡い期待をしていた。
神隠しに遭えば、自分も梓と同じ場所にいけるのではないか……と。
しかし神社に通いだしてから半月が経つというのに、一向に何の変化もなかった。
当然である。
そんな都合のよいことがあるはずがない。
そもそも、梓の行き方知れずの原因が神隠しであるという根拠はどこにもない。
しかし、ただじっとしているのも進之介は嫌で仕方なかった。
何かに没頭していないと、梓のことや道場のことで気が変になりそうだったからだ。
進之介はため息を付きながら、石段に足を一歩踏み出した。
いつもと同じ石段を上がった先の境内で剣の修練に励むためであったが、この日は何かが違っていた。
進之介が石段に足を一歩踏み出した瞬間、身体に落雷が落ちたかのような衝撃に見舞われた。
気である。
闇に支配された境内に充満する圧倒的な〝気〟の波動。
その漏れ出た気の波動は、大気を伝って石段の下にいる進之介の身体にまでまとわりついてきた。
何かいる。
進之介はそう思った。
もしこれが普通の人間ならば、本能の赴くまま一目散に逃げ出していることだろう。
しかし、剣士であった進之介の本能は逃走の選択を与えなかった。
進之介は腰に差していた大刀の唾に親指を掛けると、そのまま疾風の如く石段を一気に駆け上がった。
進之介が石段を上がり終えると、まず二つの石灯籠が真っ先に目に飛び込んできた。
そしてそのずっと奥には、半ば朽ち欠けた本殿が存在している。
月明かりのせいか、さほど広くない境内は普段よりも明暗がはっきりとしていた。
だからこそ違和感があった。
月明かりとは違うぼんやりとした光が、境内のある一角に浮かんでいたのである。
古池であった。
奥にある廃堂と化した本殿の横にある古池の水が、まるで血のように赤く光り輝いていたのである。
そしてその古池の横には、全身黒一色の不思議な格好をしている人間が、夜鷹と思われる女を両手で抱えて佇んでいた。
「貴様っ、何者だ!」
進之介は声を上げながら、鯉口を切っていた。
夜鷹を抱えていた人間は布ではない滑らかな黒服を上半身に纏い、腰から下も袴ではなく二本の足がくっきりとわかるような馬乗袴らしき物を着用していた。
そしてさらに上半身には足先まで届くほど黒く長い上着を羽織っており、頭の部分をすっぽりと覆い隠す異様な服装で身を包んでいた。
この国の人間ではない。
背丈や纏っている衣服の印象から、進之介は目の前の人間は異人ではないかと疑った。
格好もさることながら、五尺四寸(約160センチ弱)の進之介よりも、頭二つ分くらい抜きん出ているほど背丈が高かったからだ。
黒服の人間は進之介に気が付いたのか、ゆっくりと振り向きながら素顔を晒した。
相手は男であった。
艶のある漆黒の前髪が口元の辺りまで垂れ下がり、まるで女性のような顔の作りをしていたが、衣服の上からでもわかるくらいに発達している筋肉により、男だと進之介は判断した。
しかし次の瞬間、進之介は腹の底から戦慄した。
垂れた前髪の間に浮かんだ男の双眸が、異様な輝きを帯びていたのである。
獣が暗闇で光らせる眼光の如く、男の双眸は不気味な光を宿した金色であった。
「お兄ちゃん、誰?」
男は進之介に子供のような口調で話しかけてきたが、進之介は無言であった。
なぜなら、男の言葉を進之介は理解できなかったからだ。
男が口にした言葉は、見知らぬ異国の言葉だったのである。
進之介は門下生の一人が、異人について話していたことを思い出した。
門下生の話では長崎の出島や浦賀に訪れた異人たちは日本人とは違う金色の髪に蒼い瞳をしており、鬼のような巨漢であるということだった。
だが目の前の男は鬼のような巨漢ではなかった。
枯れ木よりは太く、大木よりは細い。
じつに均整が取れた柔軟さが感じられる体格の持ち主であったが、もしかすると男が放っている強烈な気は鬼以上であったかもしれない。
凄まじすぎるのである。
じっと佇んでいるだけでも魂を根こそぎ持っていかれそうな圧迫感を放つ異人の男は、神威一刀流の極意を身に付けた進之介だからこそ対峙できているのである。
もしこれが並の剣士ならば、とうに戦意を喪失していることだろう。
異人の男は夜鷹の女を地面に投げ捨てると、進之介に向かって満面の笑みを浮かべた。
動けない。
剣の柄を握っていた進之介の右手は微かに震えていた。
「……って言ってもこの世界じゃ言葉はわかんないか。アズサさまみたいにこっちに来ればわかるのに」
「!」
進之介は異人の男が話す言葉の意味は理解できなかったが、たしかに進之介の耳にはある名前が聞こえた。
はっきりと〝あ・ず・さ〟と。
その言葉を聞くなり、進之介の全身からは異人の男が放つ強烈な気を真っ向から打ち消してしまうかのような剣気が迸った。
「きさまかああああああ――ッ!」
進之介は剣の柄を握り締めながら、異人の男に一気に斬りかかった。
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