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第二十五話 レオ・メディチエールの裏の顔 ⑥
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「ねえ、二人とも倒したら情報が得られないよ。どうするの?」
そう言ったのはドナテラを倒した人間だった。
口調や声色からすると二十歳にも満たない少女の声だと分かる。
少女は徐に目元だけを露出させていた頭巾を脱ぎ捨てた。
頭部を軽く左右に振って絹糸の如き艶やかな黒髪を風になびかせる。
リ・シェンファであった。
「問題ない。身体を拘束した後に改めて意識を覚醒させる」
シェンファの問いに答えのは黒装束に身を包んだ人間だ。
シェンファよりも少しだけ背丈が高く、細身なシェンファよりも身体はがっしりとしている。
そしてアスラと呼ばれていた金髪男を中段突きで倒した男でもある。
素顔を露にさせたシェンファとは違って頭巾を脱いではいないが、シェンファはもう一人の黒装束の正体を知っていた。
レオ・メディチエール。
フランベル人なのにシン国の伝統武術を修得しているという、騎士であり医者でもあるという奇妙な素性の持ち主だった。
周囲を緋色に照らしている篝火の熱気を受けながら、レオは予め用意していた細縄を使ってアスラの身体を拘束していく。
シェンファはじっとレオの拘束術を傍観していた。
他人を拘束することは裏の家業上かなり手慣れていたのだろう。
あっという間にレオはアスラを完全に拘束した。
強制的に胡坐を掻かせられたアスラは、まず両腕を後方に回されて手首を細縄で縛り上げられた。
次にもう一本の細縄の先端を両手首に巻きつけ、もう片方の先端は首を一度だけ経由して両足首に巻きつけられる。
これにはシェンファも大きく目を見張った。
両手首と両足首を繋げた一本の細縄の中間は首を経由しているのだ。
この形を見れば素人でも分かっただろう。
もしもアスラが目覚めた場合、無理にでも両手首と両足首を動かそうものなら緩く巻きつけられた細縄が強く首に締まる仕組みになっていた。
まさに自分で自分の首を絞める可能性が高い束縛法である。
「おい、起きろ。起きるんだ」
一通り準備が整った状態でレオはアスラの意識を覚醒させた。
背中に存在する意識を目覚めさせるツボを刺激したのである。
「な……何だこれは!」
飛び起きるように目覚めたアスラだったが、すぐに自分が置かれている状況を把握して悲鳴を上げた。
無理もない。
自分の身体が二本の細縄だけで完璧に拘束されていたのだ。
どんなに日頃から冷静沈着を心掛けている人間でも驚愕したことだろう。
やがてレオはアスラの前方に回り込み、両膝を曲げてアスラと同じ目線になった。
「さて、これから私はお前に幾つか質問する」
不信感を募らせているアスラにレオは抑揚を欠いた口調で言葉を切り出していく。
「質問の内容は簡単だ。なぜ、お前たちはジョルジュ・ロゼの生命を狙った? 誰かに依頼されたのならばその人間の名前及び組織の名前を答えてもらおう」
「はっ、ふざけんなよ!」
だが、意識を覚醒させたアスラはまったく聞く耳を持たない男だった。
「てめえら、俺たちをこんな目に遭わせて無事に済むと思うなよ。俺たち見張り役は一定時間ごとに現場の状況を報告する義務があるんだ。言っていることは分かるよな? 報告に訪れない見張り役の人間がいた場合、危機的状況に陥っていると判断されて仲間が押し寄せてくる手筈になっているのさ」
(なるほど、中々考えられているわね)
アスラの猛々しい反論を聞いて両腕を組んでいたシェンファは得心した。
おそらくアスラとドナテラ以外にも二人一組の見張り役は無数に存在するのだろう。
そんな見張り役の一人に提示連絡を義務付け、仮に提示連絡に訪れない見張り役がいれば報告も出来ない状況に置かれていると判断する。
そして幾つも存在する見張り組みの場所を正確に把握していれば、土地鑑の皆無な人間でも一箇所に大勢の人間を向かわせることが可能なはずだ。
シェンファは思った。
汚い喋り方をするアスラだったが、この人間たちを束ねている首領は格段に頭が切れる人間だと。
「分かったら今すぐ俺の身体を縛っている縄を解け。そうすれば今回は見逃してやる」
アスラは鼻息を荒げて視線を交錯させているレオにふてぶてしく言う。
すると――。
「お前は自分が置かれている状況を理解してないようだな」
言い終わったと同時にレオはアスラの髪を左手でしっかりと摑んだ。
また自由だった右手でアスラの両手首と両足首を繋げている細縄を真下に引っ張った。
「おっ……げえ……うええええ」
見る見るうちにアスラの首に巻きついていた細縄が皮膚に食い込んでいく。
恐ろしい光景だった。
人間の首を絞めているにもかかわらず、レオの行動には躊躇と呼ばれる感情が寸毫も感じられない。
それこそ無邪気な子供が虫の羽を淡々と毟っていく残酷な光景を如実に想像させた。
「どうだ? 少しは正直に答える気になったか?」
アスラの顔面から血の気が引いて蒼白に変色した頃、レオは見計らったように真下に引いていた細縄から手を放した。
間一髪で死の世界の住人にならなくてすんだアスラは、大量の脂汗を額から流しながら咽るように呼吸を繰り返す。
「はあ……はあ……ははは……ははははははは」
その後、呼吸を落ち着かせたアスラは腹の底から高笑した。
これにはシェンファだけではなくレオも目眉を寄せた。一体何がそんなにおかしいと言うのだろう。
「殺すなら殺しやがれ! 俺はどんな拷問を受けようとも何一つ話さねえ。話すわけにはいかねえんだよ」
「どういうことだ?」
「俺たちの首領は特別な力を持った人間だ。それこそ常人には聞こえない神の声を聴き、どこにいようが俺たち部下の行動を知ることができるのさ」
それだけ言うとアスラは口を真一文字に引き締め、顔を明後日の方角に向けてレオから視線を逸らした。
(神の声を聴ける人間? こいつ麻薬でも吸っているのかしら?)
などとシェンファが思ったのも無理はなかった。
真顔で自分たちの首領は神の声を聴ける人物だと豪語するなど正気の沙汰ではない。
それこそ幻覚性と依存性が高い麻薬をアスラが服用しているのはないかと疑ってしまう。
「そうか……それならば仕方ない」
一方、レオは強情な性格を垣間見せたアスラに溜息を漏らした。
尋問を諦めたかに思われるレオの言葉だったが、余すことなくレオの行動を見つめていたシェンファに言わせればとんでもなかった。
「くけッ!」
アスラの口から怪鳥の如き呻き声が発せられると、続いて精神を病んだ病人のような態度を取り始めたのだ。
身体は余震に見舞われたように左右に揺れ、二つの黒目は焦点が合わずに勝手気ままに動き始める。
また口内からは歯をかち合わせる不気味な音が鳴り出す。
尋常な状態ではなかった。
ただ、すべてを目撃していたシェンファにはアスラよりもレオの方に膝小僧を笑わせるほどの畏怖を感じた。
「もう一度訊くぞ。お前たちはなぜジョルジュ・ロゼの生命を狙った? 誰かに依頼されたのか? そうならば依頼人の名前も吐露してもらおう……分かったな?」
優しく問いかけるレオに、アスラは「わ、分かりました」と生返事をする。
鍼である。裁縫に使用する針ではない。
シン国の医学では高い地位を獲得している鍼灸に使用する鍼であった。
そんな鍼をレオは自分のベルトに装着していたバックルの中から取り出すと、アスラの右こめかみに深々と突き刺したのだ。
古来よりシン国では人間の身体に経脈と絡脈からなる、経絡と呼ばれる気の道筋があると信じられてきた。
経脈とは身体の深奥部を巡っている主流脈のことであり、絡脈とは経脈を補佐する役割を果たしている副流脈のことである。
そしてこの二つを合わせた名称こそ、人体の機能を司る経絡だとシェンファは師父からの武術講義で習った覚えがあった。
武術にも点穴撃という、経絡を突いて人体の機能を著しく低下させる技がある。
これは医術として発展した〈鍼灸〉を応用した人体破壊術であり、ある程度の功夫を積んだ武術家は知らずに医術の基礎を修得している場合があった。
それは医食同源ならぬ医武同様という医術と武術は表裏一体の性質を持っているからだ。
それでも医術と武術を同格に修得している人間など滅多にいない。
皇帝のお膝元であるシン国の首都でも数人いるかどうか。
どちらにせよ、こんな異国でお目にかかれる技術ではないことだけは断言できた。
背筋に冷たい汗が流れたシェンファを無視し、レオは続いて二本目の鍼を取り出した。
今度は右目のすぐ後ろの部位に突き刺していく。
「さあ、知っていることをすべて話せ。そうすれば楽になるぞ」
アスラの耳元で囁くレオ。
口調こそ春風のように柔らかかったものの、露出されていた瞳の奥にはアスラを人間と認識していない暗い炎が宿っていた。
「お、俺たちの一団の名前は〈戦乱の薔薇団〉……ジョルジュ・ロゼの殺しが依頼されたかどうかは分からない……い、一団の意向はすべて首領のストラニアスさんが決める……俺たちのような末端には何も聞かされない」
レオが鍼をこねくり回すごとにアスラは訥々と情報を漏らし始めた。
「〈戦乱の薔薇団〉の人数は?」
「ぜ、全部で三十三人……だが十一人が不在だから……残りは二十二人」
「ストラニアスという首領はどこにいる?」
「しゅ、修道院……ば、薔薇の修道院……そこに……他の仲間たちと……いるはず」
そこまで暴露したときである。
唐突にアスラは意識をなくした。
互いに焦点が合っていなかった黒目が白目になり、口内から生まれた蟹のような泡が地面へと零れ落ちる。
「やはり生半可な連中ではなさそうだな。ここまで意識が持つとは思わなかった」
首を真下に向けたアスラの頭部から二本の鍼を引き抜いたレオは、衣服の裾で軽く拭うと再びバックルの中に収めた。
「シェンファ。君も手伝ってくれないか?」
呆然としていたシェンファはふと我に返った。レオの〈鍼灸〉を応用した尋問に対して、人体を破壊する技を磨く一武術家として見惚れていたのである。
「て、手伝うって何を? まさか、こいつにも同じ尋問を行う気?」
シェンファが足元に視線を落とすと、先ほど自分が昏倒させたドナテラが地面にうつ伏せに倒れていた。
気配と足音を殺して颯爽と近づき、首筋に肘を叩き込んで気絶させたドナテラがである。
レオは小さく首を左右に振った。
「そんな必要はない。もう十分情報は得られた。一団の首領の名前と構成員の数さえ分かれば手を打つ方法は幾らでもある」
シェンファは小首を傾げた。
ならば一体何を手伝ってほしいのだろう。
「君に手伝ってほしいことは他でもない」
表情の変化だけでレオはシェンファの考えを読み取ったに違いない。
レオは周囲をざっと見渡してシェンファに言った。
「この二人に怪我を負わされた浮浪者たちを起こしてくれ。全員だ」
なぜ? とシェンファが尋ねる前にレオは行動を起こした。
自分の近くに倒れている浮浪者たちを一人ずつ起こし始めたのだ。
「まったく、何なのよ」
両頬を膨らませたシェンファは虚空に向かって悪態を吐いた。
しかし、今のレオには言葉だけで他人を操れる不可思議な威厳が感じられた。
その威厳に中られたためかシェンファは大人しく指示に従う。
やがて二人は十人の浮浪者たちの意識を目覚めさせた。
中には肩の骨を外されていた重傷者も含まれていたが、そんな重傷者の治療は医者であるレオが行った。
どのぐらい刻が流れただろう。
簡単な治療を受けた浮浪者たちは黒装束の二人――レオとシェンファにたどたどしい口調で問うた。
「あんたたちは一体何者だ。どうして俺たちを助けてくれた?」と。
「前もって言っておくが単に義侠心に駆られたからではない。貴方たちを助けたのは純粋に仕事の話をしたかったからだ」
奇異な視線を向けてくる浮浪者たちに対して、レオは素顔を晒さずに答えた。
「私の名前は〈黒獅子〉。貴方たちの中には知っている人間もいるだろう」
「〈黒獅子〉だって!」
浮浪者の間に軽いどよめきが沸いた。
互いに顔を見合わせて「本物なのか?」と口ずさむ人間たちもいたほどだ。
「貴方たちが私を本物か偽者かを判断するのは勝手だ」
レオは懐に右手を差し入れると、すぐに右手を引き抜いて何かを投げ放った。
空中に綺麗な弧を描いて飛んだ物は浮浪者たちの前に音を立てて落ちる。
「だが今は私の依頼を受けてもらいたい。重要なのはそれだけだ」
そのとき、レオの話を正確に聞いていた人間はシェンファのみだっただろう。
なぜなら浮浪者たちはレオが投げ放った物に興味津々だったからだ。
麻袋である。
口元には紐で結ばれていたものの、地面に落ちた衝撃で麻袋の中に仕舞われていた物が顔を覗かせていた。
銅貨、銀貨、金貨などの通貨である。
「この金で貴方たち全員を雇う。仲間がいるのならば余計にいい。最低でも五十人は必要だからな」
微妙な静寂が流れた後、浮浪者の一人がぼそりと呟いた。
「五十人も入り用な仕事とは何だ?」
口を開いたのはレオに肩を嵌められた禿頭の浮浪者である。
「薔薇の修道院という場所を根城にしている、〈戦乱の薔薇団〉という一団の壊滅だ。人数は二十人ほどと少ないが、構成員一人一人は一騎当千の兵揃いだ。ならばこちらは最低でも五十人は必要になってくる」
つまり、レオは彼ら浮浪者たちを大金で雇いたいと申し込んでいるのだ。
シェンファはちらりと通貨が何十枚と収められた麻袋を見やった。
異国の人間でも麻袋に収められていた通貨が途轍もない大金であることは分かった。
以前にケイリンから銀貨一枚で富裕層の人間が一日生活できると聞いたことがある。
ならば貧民街に住む人間にしてみれば魅力的な提案だったことだろう。
それこそ五十人の人間を雇うぐらい簡単だったに違いない。
シェンファの予想は正鵠を得ていた。
「あんたが〈黒獅子〉かどうかは関係ない。俺たちの興味をそそるのは本当に五十人の人間を集めれば俺たちにこの金をくれるのか? ということだけだ」
依頼内容を確認したのはやはり禿頭の浮浪者である。
もしかすると、ここら一帯を取り仕切っている元締めのような人間だったのかもしれない。
篝火が盛大に燃え盛る音を聞きながら、レオは禿頭の浮浪者に首を縦に振って見せた。
「ああ、もちろん。何だったら連中が保持している財産も進呈する。私たちはあくまでも一団の壊滅だけが目的だ」
「いいだろう。その依頼引き受けた」
禿頭の浮浪者は右肩を押さえながら即答した。
「どのみち俺たちは寝床を取り返す必要があった。あんたに依頼されなくとも数を揃えて取り返すつもりだったのさ」
それでも、と禿頭の浮浪者は口の端を吊り上げた。
「これだけの大金を貰えるなら五十人どころか百人でも集められるぜ」
「こちらとしては何人でも構わない。最低でも五十人ほどを集められるならばな」
レオと浮浪者たちの間で着々と話が進んでいく中、シェンファはふと身震いをして天を仰いだ。
夜空に浮かんでいた満月が血を想起させるほど赤く染まっていた。
まるで、これから起こる惨事を予兆しているかのように。
そう言ったのはドナテラを倒した人間だった。
口調や声色からすると二十歳にも満たない少女の声だと分かる。
少女は徐に目元だけを露出させていた頭巾を脱ぎ捨てた。
頭部を軽く左右に振って絹糸の如き艶やかな黒髪を風になびかせる。
リ・シェンファであった。
「問題ない。身体を拘束した後に改めて意識を覚醒させる」
シェンファの問いに答えのは黒装束に身を包んだ人間だ。
シェンファよりも少しだけ背丈が高く、細身なシェンファよりも身体はがっしりとしている。
そしてアスラと呼ばれていた金髪男を中段突きで倒した男でもある。
素顔を露にさせたシェンファとは違って頭巾を脱いではいないが、シェンファはもう一人の黒装束の正体を知っていた。
レオ・メディチエール。
フランベル人なのにシン国の伝統武術を修得しているという、騎士であり医者でもあるという奇妙な素性の持ち主だった。
周囲を緋色に照らしている篝火の熱気を受けながら、レオは予め用意していた細縄を使ってアスラの身体を拘束していく。
シェンファはじっとレオの拘束術を傍観していた。
他人を拘束することは裏の家業上かなり手慣れていたのだろう。
あっという間にレオはアスラを完全に拘束した。
強制的に胡坐を掻かせられたアスラは、まず両腕を後方に回されて手首を細縄で縛り上げられた。
次にもう一本の細縄の先端を両手首に巻きつけ、もう片方の先端は首を一度だけ経由して両足首に巻きつけられる。
これにはシェンファも大きく目を見張った。
両手首と両足首を繋げた一本の細縄の中間は首を経由しているのだ。
この形を見れば素人でも分かっただろう。
もしもアスラが目覚めた場合、無理にでも両手首と両足首を動かそうものなら緩く巻きつけられた細縄が強く首に締まる仕組みになっていた。
まさに自分で自分の首を絞める可能性が高い束縛法である。
「おい、起きろ。起きるんだ」
一通り準備が整った状態でレオはアスラの意識を覚醒させた。
背中に存在する意識を目覚めさせるツボを刺激したのである。
「な……何だこれは!」
飛び起きるように目覚めたアスラだったが、すぐに自分が置かれている状況を把握して悲鳴を上げた。
無理もない。
自分の身体が二本の細縄だけで完璧に拘束されていたのだ。
どんなに日頃から冷静沈着を心掛けている人間でも驚愕したことだろう。
やがてレオはアスラの前方に回り込み、両膝を曲げてアスラと同じ目線になった。
「さて、これから私はお前に幾つか質問する」
不信感を募らせているアスラにレオは抑揚を欠いた口調で言葉を切り出していく。
「質問の内容は簡単だ。なぜ、お前たちはジョルジュ・ロゼの生命を狙った? 誰かに依頼されたのならばその人間の名前及び組織の名前を答えてもらおう」
「はっ、ふざけんなよ!」
だが、意識を覚醒させたアスラはまったく聞く耳を持たない男だった。
「てめえら、俺たちをこんな目に遭わせて無事に済むと思うなよ。俺たち見張り役は一定時間ごとに現場の状況を報告する義務があるんだ。言っていることは分かるよな? 報告に訪れない見張り役の人間がいた場合、危機的状況に陥っていると判断されて仲間が押し寄せてくる手筈になっているのさ」
(なるほど、中々考えられているわね)
アスラの猛々しい反論を聞いて両腕を組んでいたシェンファは得心した。
おそらくアスラとドナテラ以外にも二人一組の見張り役は無数に存在するのだろう。
そんな見張り役の一人に提示連絡を義務付け、仮に提示連絡に訪れない見張り役がいれば報告も出来ない状況に置かれていると判断する。
そして幾つも存在する見張り組みの場所を正確に把握していれば、土地鑑の皆無な人間でも一箇所に大勢の人間を向かわせることが可能なはずだ。
シェンファは思った。
汚い喋り方をするアスラだったが、この人間たちを束ねている首領は格段に頭が切れる人間だと。
「分かったら今すぐ俺の身体を縛っている縄を解け。そうすれば今回は見逃してやる」
アスラは鼻息を荒げて視線を交錯させているレオにふてぶてしく言う。
すると――。
「お前は自分が置かれている状況を理解してないようだな」
言い終わったと同時にレオはアスラの髪を左手でしっかりと摑んだ。
また自由だった右手でアスラの両手首と両足首を繋げている細縄を真下に引っ張った。
「おっ……げえ……うええええ」
見る見るうちにアスラの首に巻きついていた細縄が皮膚に食い込んでいく。
恐ろしい光景だった。
人間の首を絞めているにもかかわらず、レオの行動には躊躇と呼ばれる感情が寸毫も感じられない。
それこそ無邪気な子供が虫の羽を淡々と毟っていく残酷な光景を如実に想像させた。
「どうだ? 少しは正直に答える気になったか?」
アスラの顔面から血の気が引いて蒼白に変色した頃、レオは見計らったように真下に引いていた細縄から手を放した。
間一髪で死の世界の住人にならなくてすんだアスラは、大量の脂汗を額から流しながら咽るように呼吸を繰り返す。
「はあ……はあ……ははは……ははははははは」
その後、呼吸を落ち着かせたアスラは腹の底から高笑した。
これにはシェンファだけではなくレオも目眉を寄せた。一体何がそんなにおかしいと言うのだろう。
「殺すなら殺しやがれ! 俺はどんな拷問を受けようとも何一つ話さねえ。話すわけにはいかねえんだよ」
「どういうことだ?」
「俺たちの首領は特別な力を持った人間だ。それこそ常人には聞こえない神の声を聴き、どこにいようが俺たち部下の行動を知ることができるのさ」
それだけ言うとアスラは口を真一文字に引き締め、顔を明後日の方角に向けてレオから視線を逸らした。
(神の声を聴ける人間? こいつ麻薬でも吸っているのかしら?)
などとシェンファが思ったのも無理はなかった。
真顔で自分たちの首領は神の声を聴ける人物だと豪語するなど正気の沙汰ではない。
それこそ幻覚性と依存性が高い麻薬をアスラが服用しているのはないかと疑ってしまう。
「そうか……それならば仕方ない」
一方、レオは強情な性格を垣間見せたアスラに溜息を漏らした。
尋問を諦めたかに思われるレオの言葉だったが、余すことなくレオの行動を見つめていたシェンファに言わせればとんでもなかった。
「くけッ!」
アスラの口から怪鳥の如き呻き声が発せられると、続いて精神を病んだ病人のような態度を取り始めたのだ。
身体は余震に見舞われたように左右に揺れ、二つの黒目は焦点が合わずに勝手気ままに動き始める。
また口内からは歯をかち合わせる不気味な音が鳴り出す。
尋常な状態ではなかった。
ただ、すべてを目撃していたシェンファにはアスラよりもレオの方に膝小僧を笑わせるほどの畏怖を感じた。
「もう一度訊くぞ。お前たちはなぜジョルジュ・ロゼの生命を狙った? 誰かに依頼されたのか? そうならば依頼人の名前も吐露してもらおう……分かったな?」
優しく問いかけるレオに、アスラは「わ、分かりました」と生返事をする。
鍼である。裁縫に使用する針ではない。
シン国の医学では高い地位を獲得している鍼灸に使用する鍼であった。
そんな鍼をレオは自分のベルトに装着していたバックルの中から取り出すと、アスラの右こめかみに深々と突き刺したのだ。
古来よりシン国では人間の身体に経脈と絡脈からなる、経絡と呼ばれる気の道筋があると信じられてきた。
経脈とは身体の深奥部を巡っている主流脈のことであり、絡脈とは経脈を補佐する役割を果たしている副流脈のことである。
そしてこの二つを合わせた名称こそ、人体の機能を司る経絡だとシェンファは師父からの武術講義で習った覚えがあった。
武術にも点穴撃という、経絡を突いて人体の機能を著しく低下させる技がある。
これは医術として発展した〈鍼灸〉を応用した人体破壊術であり、ある程度の功夫を積んだ武術家は知らずに医術の基礎を修得している場合があった。
それは医食同源ならぬ医武同様という医術と武術は表裏一体の性質を持っているからだ。
それでも医術と武術を同格に修得している人間など滅多にいない。
皇帝のお膝元であるシン国の首都でも数人いるかどうか。
どちらにせよ、こんな異国でお目にかかれる技術ではないことだけは断言できた。
背筋に冷たい汗が流れたシェンファを無視し、レオは続いて二本目の鍼を取り出した。
今度は右目のすぐ後ろの部位に突き刺していく。
「さあ、知っていることをすべて話せ。そうすれば楽になるぞ」
アスラの耳元で囁くレオ。
口調こそ春風のように柔らかかったものの、露出されていた瞳の奥にはアスラを人間と認識していない暗い炎が宿っていた。
「お、俺たちの一団の名前は〈戦乱の薔薇団〉……ジョルジュ・ロゼの殺しが依頼されたかどうかは分からない……い、一団の意向はすべて首領のストラニアスさんが決める……俺たちのような末端には何も聞かされない」
レオが鍼をこねくり回すごとにアスラは訥々と情報を漏らし始めた。
「〈戦乱の薔薇団〉の人数は?」
「ぜ、全部で三十三人……だが十一人が不在だから……残りは二十二人」
「ストラニアスという首領はどこにいる?」
「しゅ、修道院……ば、薔薇の修道院……そこに……他の仲間たちと……いるはず」
そこまで暴露したときである。
唐突にアスラは意識をなくした。
互いに焦点が合っていなかった黒目が白目になり、口内から生まれた蟹のような泡が地面へと零れ落ちる。
「やはり生半可な連中ではなさそうだな。ここまで意識が持つとは思わなかった」
首を真下に向けたアスラの頭部から二本の鍼を引き抜いたレオは、衣服の裾で軽く拭うと再びバックルの中に収めた。
「シェンファ。君も手伝ってくれないか?」
呆然としていたシェンファはふと我に返った。レオの〈鍼灸〉を応用した尋問に対して、人体を破壊する技を磨く一武術家として見惚れていたのである。
「て、手伝うって何を? まさか、こいつにも同じ尋問を行う気?」
シェンファが足元に視線を落とすと、先ほど自分が昏倒させたドナテラが地面にうつ伏せに倒れていた。
気配と足音を殺して颯爽と近づき、首筋に肘を叩き込んで気絶させたドナテラがである。
レオは小さく首を左右に振った。
「そんな必要はない。もう十分情報は得られた。一団の首領の名前と構成員の数さえ分かれば手を打つ方法は幾らでもある」
シェンファは小首を傾げた。
ならば一体何を手伝ってほしいのだろう。
「君に手伝ってほしいことは他でもない」
表情の変化だけでレオはシェンファの考えを読み取ったに違いない。
レオは周囲をざっと見渡してシェンファに言った。
「この二人に怪我を負わされた浮浪者たちを起こしてくれ。全員だ」
なぜ? とシェンファが尋ねる前にレオは行動を起こした。
自分の近くに倒れている浮浪者たちを一人ずつ起こし始めたのだ。
「まったく、何なのよ」
両頬を膨らませたシェンファは虚空に向かって悪態を吐いた。
しかし、今のレオには言葉だけで他人を操れる不可思議な威厳が感じられた。
その威厳に中られたためかシェンファは大人しく指示に従う。
やがて二人は十人の浮浪者たちの意識を目覚めさせた。
中には肩の骨を外されていた重傷者も含まれていたが、そんな重傷者の治療は医者であるレオが行った。
どのぐらい刻が流れただろう。
簡単な治療を受けた浮浪者たちは黒装束の二人――レオとシェンファにたどたどしい口調で問うた。
「あんたたちは一体何者だ。どうして俺たちを助けてくれた?」と。
「前もって言っておくが単に義侠心に駆られたからではない。貴方たちを助けたのは純粋に仕事の話をしたかったからだ」
奇異な視線を向けてくる浮浪者たちに対して、レオは素顔を晒さずに答えた。
「私の名前は〈黒獅子〉。貴方たちの中には知っている人間もいるだろう」
「〈黒獅子〉だって!」
浮浪者の間に軽いどよめきが沸いた。
互いに顔を見合わせて「本物なのか?」と口ずさむ人間たちもいたほどだ。
「貴方たちが私を本物か偽者かを判断するのは勝手だ」
レオは懐に右手を差し入れると、すぐに右手を引き抜いて何かを投げ放った。
空中に綺麗な弧を描いて飛んだ物は浮浪者たちの前に音を立てて落ちる。
「だが今は私の依頼を受けてもらいたい。重要なのはそれだけだ」
そのとき、レオの話を正確に聞いていた人間はシェンファのみだっただろう。
なぜなら浮浪者たちはレオが投げ放った物に興味津々だったからだ。
麻袋である。
口元には紐で結ばれていたものの、地面に落ちた衝撃で麻袋の中に仕舞われていた物が顔を覗かせていた。
銅貨、銀貨、金貨などの通貨である。
「この金で貴方たち全員を雇う。仲間がいるのならば余計にいい。最低でも五十人は必要だからな」
微妙な静寂が流れた後、浮浪者の一人がぼそりと呟いた。
「五十人も入り用な仕事とは何だ?」
口を開いたのはレオに肩を嵌められた禿頭の浮浪者である。
「薔薇の修道院という場所を根城にしている、〈戦乱の薔薇団〉という一団の壊滅だ。人数は二十人ほどと少ないが、構成員一人一人は一騎当千の兵揃いだ。ならばこちらは最低でも五十人は必要になってくる」
つまり、レオは彼ら浮浪者たちを大金で雇いたいと申し込んでいるのだ。
シェンファはちらりと通貨が何十枚と収められた麻袋を見やった。
異国の人間でも麻袋に収められていた通貨が途轍もない大金であることは分かった。
以前にケイリンから銀貨一枚で富裕層の人間が一日生活できると聞いたことがある。
ならば貧民街に住む人間にしてみれば魅力的な提案だったことだろう。
それこそ五十人の人間を雇うぐらい簡単だったに違いない。
シェンファの予想は正鵠を得ていた。
「あんたが〈黒獅子〉かどうかは関係ない。俺たちの興味をそそるのは本当に五十人の人間を集めれば俺たちにこの金をくれるのか? ということだけだ」
依頼内容を確認したのはやはり禿頭の浮浪者である。
もしかすると、ここら一帯を取り仕切っている元締めのような人間だったのかもしれない。
篝火が盛大に燃え盛る音を聞きながら、レオは禿頭の浮浪者に首を縦に振って見せた。
「ああ、もちろん。何だったら連中が保持している財産も進呈する。私たちはあくまでも一団の壊滅だけが目的だ」
「いいだろう。その依頼引き受けた」
禿頭の浮浪者は右肩を押さえながら即答した。
「どのみち俺たちは寝床を取り返す必要があった。あんたに依頼されなくとも数を揃えて取り返すつもりだったのさ」
それでも、と禿頭の浮浪者は口の端を吊り上げた。
「これだけの大金を貰えるなら五十人どころか百人でも集められるぜ」
「こちらとしては何人でも構わない。最低でも五十人ほどを集められるならばな」
レオと浮浪者たちの間で着々と話が進んでいく中、シェンファはふと身震いをして天を仰いだ。
夜空に浮かんでいた満月が血を想起させるほど赤く染まっていた。
まるで、これから起こる惨事を予兆しているかのように。
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