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第十二話 レオ・メディチエールの表の顔 ⑥
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フランベル皇国にはクレスト教という宗教組織が存在している。
発祥は千年以上前に神から啓示を授かったという一人の修道士だった。
修道士の名前はクレスト。
天災で右目を失った青年であり、神の啓示を受けてからは祝福の証として新しい右目を授かったという伝説が残されている。
そしてクレストは迫害を受けながらも熱心に神の啓示を説き歩き、ついには民衆たちに受け入れられて一大宗派として活動するようになったという。
やがてクレスト教と名付けられた組織は、千年以上経った現在においてフランベル皇国全体の大多数が信徒という巨大組織に成長した。
フランベル皇国内の各都市には必ずクレスト教関連の教会や修道院が存在し、市民たちのあらゆる面を強大な影響力で支配するようになった。
法律、土地、徴税権などの管理は有に及ばず、冠婚葬祭に関わる面でも教会は強い影響力を発揮したのだ。
特に医療分野においてクレスト教の教会ほど優れた施設はなかっただろう。
クレスト教の教会や修道院内には必ず治療施設が設けられ、救いを求めてくる患者たちに常に食事と清潔な寝床を提供した。
これは「救いを求めてくる者は貧富の差を問わず暖かく迎えよ」という教えがあったからに他ならない。
だからこそ、教会や修道院には日々多くの人間たちが足繁く通ってくる。
もちろん、目的は治療だけではない。
生まれたばかりの赤子に洗礼を授けるため、天使の歌声を持つという聖歌隊の聖歌を聞くため、豪奢な造りの聖遺骨箱に納められている聖遺骨を拝見するため、などの生活全般を支えている教会や修道院の恩恵に預かるために通うのである。
その他にも市民が教会や修道院を活用するときがあった。
人々の身心に多大な影響力を持っていた司教の説法を聴くという理由が。
サン・ソルボンス修道院は途轍もない敷地面積を有している。
賊の侵入を完璧に阻むための頑強な石壁に囲まれ、修道騎士団に守られた正門を潜り抜けると壮大な庭園が来客者の目を楽しませてくれる。
また修道院自体も相当に立派な建物であった。
修道院の建物の配置は一般的に定例化されており、どこの地方都市だろうと様相は変わらないと言われている。
だがサン・ソルボンス修道院は例外であった。
二百人を超える修道士や修道女の日常生活を賄える施設がすべて揃い、聖遺物が納められた大聖堂に続く回廊には雨風を防ぐ天蓋が設置されている。
レオは敷地内の片隅に設けられていた施療院を後にすると、修道院長室に向かうために修道院内に足を踏み入れた。
修道院内の通路には貴重で高価な代物とされていた窓硝子が幾つも嵌め込まれ、薄暗いはずの通路を明るく照らしていた。
窓硝子を通して暖かな斜陽が、タイル張りの床に四角形の光を何個も映し出している。
何人かの修道士たちと擦れ違いながらレオは階段に到着した。
緩やかな経度を保っていた階段を上がって三階へと向かう。
目的の部屋はまさに三階の奥にあるのだ。
レオは目的の部屋――修道院長室へと辿り着くと、軽くノックをして自分が到着したことを部屋の主に告げた。
「入りなさい」
落ち着いた声が聞こえたと同時に、レオは「失礼します」と言って扉を開けた。
修道院長室は他の部屋とは比べ物にならないほど荘厳な造りをしていた。
日光を迎え入れるための窓硝子は大聖堂に嵌め込まれているステンドグラスと同様の代物であり、一人の修道士に左右から声をかける天使と悪魔の絵が描かれていた。
床にも足音を吸い込む緋色の絨毯が敷かれ、部屋の隅には一流の工芸職人が作ったと思しき筆写机が置かれていた。
トネリコ材で作られた椅子には長時間机に向かっても腰を痛めないように配慮されたクッションが敷かれ、まさに部屋の主人はそのクッション付きの椅子に腰を下していたのである。
年齢は五十代後半。
短く刈り上げられた灰色の髪に険しく頬の尖った相貌。
口元には威厳を備えるための口髭が生やされ、袖口が大きく裾が足元まで伸びている衣服を着用している。
金の刺繍が施された半円形の外衣と、同じく金の刺繍が編み込まれた細長い房飾り付きのハンカチが男の地位の高さを如実に物語っていた。
ジョルジュ・ロゼ。
ローレザンヌの顔役として必ず名前が挙がる、サン・ソルボンス修道院の修道院長とクレスト教の司教を兼任している高徳な人物であった。
「レオ・メディチエール、早速だが確認しておきたいことがある。昨夜、ロレンツォ・ドットリーニの屋敷に侵入したのは真実か?」
「本当です」
開口一番、レオは顔をうつむかせながら答えた。
「なぜ私に一言の相談もなかった? しかも主人であるロレンツォ・ドットリーニと会う前に立ち去ったというではないか。それでは金品目当ての賊と変わらんぞ」
「返す言葉もありません」
落胆の表情を浮かべたジョルジュに対して、レオは下唇を噛みながら頭を下げる。
「まったく……」
背もたれに深々と背中を預けると、ジョルジュは口髭を擦りつつ天井を見上げた。
ジョルジュが視線を彷徨わせる行為は、脳を必死に回転させて思考している証に他ならなかった。
ジョルジュと五年以上もの付き合いがあったレオは、前方のジョルジュを見つめつつ過去の記憶を蘇らせた。
司教であるジョルジュと初めて出会ったときのことをだ。
レオが五年以上も前の出来事をまるで昨日のことのように思い出していた中、ようやく思考を固めたジョルジュが口を開いた。
「まあ、やってしまったことを今さら後悔しても仕方がない。それにお前が仕損じるなど何かしらの理由があったのだろう」
さすが人の上に立つ人物は懐の大きさが違う。
レオは改めてジョルジュの偉大さを噛み締めたとき、ジョルジュは「しかしだ」と激しく眉間に皺を寄せた。
「今回の件で〈黒獅子〉の名前は地に堕ちてしまったことは否めない。そして一度あることは二度あり、二度あることは三度あるという。今後、お前が独断専行しないという保証はどこにもない」
その言葉を聞いた瞬間、レオは強く奥歯を噛み締めた。
ジョルジュの言葉は正鵠を射ていた。
どんな綺麗事やお題目を並べたところで、失敗を重ねた人間の言いわけなど聞くに値しない。
それに人間は口さえ利ければどんな絵空事でも実現可能のように話せる生き物だ。
ジョルジュが心配することも無理はなかった。
それでも、とレオは思う。
今度こそは絶対に失敗しない。
失敗したくないという気持ちが高まっていた。
たとえ一流の傭兵だろうと異国の拳法使いだろうと容赦なく排除する決死の覚悟とともに。
「だが勘違いするな。お前が用済みになったというわけではない。それどころか今以上に働いてもらわなくては困る」
ジョルジュの言葉は淡々と続く。
「ただ今回の任務が失敗したのならばそれはそれで構わない。むしろ件の催し物が終了するまで連中には片時の夢を見させてやれ」
「件の催し物というのは一週間後に開かれる夏市のことでしょうか?」
「そうだ。この時期に開かれる催し物と言えば夏市しかないだろう」
商業都市として賑わうローレザンヌの夏市は、その名の通り夏の盛りである七月から八月に掛けて開催されるグニュール地方最大の催し物である。
近隣諸国からは多くの行商人が足を運び、都市内では市民たちが一丸となって夏市の成功を果たすために朝から晩まで一生懸命に働く。
武具屋や鍛冶屋の徒弟たちは朝早くから商品の掃除、分類、加工、修理と忙しく、集中的に夏市が立つ場所には行商人たちの取引所や宿泊施設が都市内の商人たちの手で用意される。
また酒屋では賭博の管理が徹底的に行われ、修道騎士団に刃傷沙汰を未然に防いでもらうための依頼にも余念がない。
売春宿では稼ぎ時とばかりに店の女中や農家の娘などの素人が、臨時に駆り出されることは当たり前。
飲食物を扱う露店では近隣のパン屋や肉屋に応援を頼み、大道芸人たちは日頃から培った芸を披露する絶好の見せ場と心得ていた。
たった数週間で途方もない金額が動き、都市の活性化にも大いに役立つ市民たちの鬱憤を晴らしてくれる盛大な催し物――それがローレザンヌの夏市であった。
そしてローレザンヌの夏市では他の都市で開催される市と違い、市民たちが驚く別の特典が用意されることもあった。
ジョルジュは唇の端を吊り上げ、机の上で両手の指を絡める。
「元々、市とは取引を行う商人たちの金融市場だった。だが近年では珍しい異国の商品を買い求める一般人が多くなり、それこそローレザンヌの夏市に参加する人数は有に三桁を超えるようになったのはお前も知っていよう。数百を超える露店には異国の商品や食物が並び、夏市の中心場所で興行を行おうものなら大衆の注目が一心に集まることは必至」
鼻息を荒げたジョルジュは、机の上に置かれていた紙をレオに差し出した。
レオは差し出された紙に記載されていた内容を見るなり、身体を小刻みに震わせて瞠目する。
「私は夏市でこの偉大なる名誉を民衆に発表する。このジョルジュ・ロゼがフランベル皇国内でも二十人はいないという、クレスト教の大司教に抜擢されたという事実をな」
レオが視線を落としていた紙は教皇庁発行の歴とした指示書であり、内容はある一定の身分を越えた物に与えられる神聖な事柄が教皇直々のサインを添えて書かれていた。
「それは素晴らしいことです。ジョルジュ司教を慕う市民たちも喜ぶことでしょうね」
そう本心を口にしたときだ。
レオは教皇庁が発行していた指示書の下に別の紙が置かれていることに気がついた。
見た目からすると一般人も入手可能な有り触れた手紙に見える。
「これは?」
ほぼ無意識的にレオは手を伸ばし、指示書の下に隠れるようにして置かれていた手紙を取ろうとした。
だが――。
「レオ、私からの伝達事項は以上だ。もう退室しなさい」
手紙を取ろうとした瞬間、ジョルジュは筆写机の表面を勢いよく叩いた。
普段は温厚なジョルジュが見せた態度にレオは伸ばした手を引っ込める。
ジョルジュから放出された無言の圧力に気づいたレオは、心中で首を傾げつつ「分かりました。失礼致します」と修道院長室を後にした。
やがてレオの足音が完全に消えた頃、ジョルジュは指示書の下に置かれていた何の変哲もない手紙を手に取った。
「これで役者はすべて揃った。後は夏市を待つばかり」
ジョルジュは手紙の内容に目を通すと、込み上げてくる感情を抑えきれずに唇を半月形に歪めて暗い笑みを作った。
発祥は千年以上前に神から啓示を授かったという一人の修道士だった。
修道士の名前はクレスト。
天災で右目を失った青年であり、神の啓示を受けてからは祝福の証として新しい右目を授かったという伝説が残されている。
そしてクレストは迫害を受けながらも熱心に神の啓示を説き歩き、ついには民衆たちに受け入れられて一大宗派として活動するようになったという。
やがてクレスト教と名付けられた組織は、千年以上経った現在においてフランベル皇国全体の大多数が信徒という巨大組織に成長した。
フランベル皇国内の各都市には必ずクレスト教関連の教会や修道院が存在し、市民たちのあらゆる面を強大な影響力で支配するようになった。
法律、土地、徴税権などの管理は有に及ばず、冠婚葬祭に関わる面でも教会は強い影響力を発揮したのだ。
特に医療分野においてクレスト教の教会ほど優れた施設はなかっただろう。
クレスト教の教会や修道院内には必ず治療施設が設けられ、救いを求めてくる患者たちに常に食事と清潔な寝床を提供した。
これは「救いを求めてくる者は貧富の差を問わず暖かく迎えよ」という教えがあったからに他ならない。
だからこそ、教会や修道院には日々多くの人間たちが足繁く通ってくる。
もちろん、目的は治療だけではない。
生まれたばかりの赤子に洗礼を授けるため、天使の歌声を持つという聖歌隊の聖歌を聞くため、豪奢な造りの聖遺骨箱に納められている聖遺骨を拝見するため、などの生活全般を支えている教会や修道院の恩恵に預かるために通うのである。
その他にも市民が教会や修道院を活用するときがあった。
人々の身心に多大な影響力を持っていた司教の説法を聴くという理由が。
サン・ソルボンス修道院は途轍もない敷地面積を有している。
賊の侵入を完璧に阻むための頑強な石壁に囲まれ、修道騎士団に守られた正門を潜り抜けると壮大な庭園が来客者の目を楽しませてくれる。
また修道院自体も相当に立派な建物であった。
修道院の建物の配置は一般的に定例化されており、どこの地方都市だろうと様相は変わらないと言われている。
だがサン・ソルボンス修道院は例外であった。
二百人を超える修道士や修道女の日常生活を賄える施設がすべて揃い、聖遺物が納められた大聖堂に続く回廊には雨風を防ぐ天蓋が設置されている。
レオは敷地内の片隅に設けられていた施療院を後にすると、修道院長室に向かうために修道院内に足を踏み入れた。
修道院内の通路には貴重で高価な代物とされていた窓硝子が幾つも嵌め込まれ、薄暗いはずの通路を明るく照らしていた。
窓硝子を通して暖かな斜陽が、タイル張りの床に四角形の光を何個も映し出している。
何人かの修道士たちと擦れ違いながらレオは階段に到着した。
緩やかな経度を保っていた階段を上がって三階へと向かう。
目的の部屋はまさに三階の奥にあるのだ。
レオは目的の部屋――修道院長室へと辿り着くと、軽くノックをして自分が到着したことを部屋の主に告げた。
「入りなさい」
落ち着いた声が聞こえたと同時に、レオは「失礼します」と言って扉を開けた。
修道院長室は他の部屋とは比べ物にならないほど荘厳な造りをしていた。
日光を迎え入れるための窓硝子は大聖堂に嵌め込まれているステンドグラスと同様の代物であり、一人の修道士に左右から声をかける天使と悪魔の絵が描かれていた。
床にも足音を吸い込む緋色の絨毯が敷かれ、部屋の隅には一流の工芸職人が作ったと思しき筆写机が置かれていた。
トネリコ材で作られた椅子には長時間机に向かっても腰を痛めないように配慮されたクッションが敷かれ、まさに部屋の主人はそのクッション付きの椅子に腰を下していたのである。
年齢は五十代後半。
短く刈り上げられた灰色の髪に険しく頬の尖った相貌。
口元には威厳を備えるための口髭が生やされ、袖口が大きく裾が足元まで伸びている衣服を着用している。
金の刺繍が施された半円形の外衣と、同じく金の刺繍が編み込まれた細長い房飾り付きのハンカチが男の地位の高さを如実に物語っていた。
ジョルジュ・ロゼ。
ローレザンヌの顔役として必ず名前が挙がる、サン・ソルボンス修道院の修道院長とクレスト教の司教を兼任している高徳な人物であった。
「レオ・メディチエール、早速だが確認しておきたいことがある。昨夜、ロレンツォ・ドットリーニの屋敷に侵入したのは真実か?」
「本当です」
開口一番、レオは顔をうつむかせながら答えた。
「なぜ私に一言の相談もなかった? しかも主人であるロレンツォ・ドットリーニと会う前に立ち去ったというではないか。それでは金品目当ての賊と変わらんぞ」
「返す言葉もありません」
落胆の表情を浮かべたジョルジュに対して、レオは下唇を噛みながら頭を下げる。
「まったく……」
背もたれに深々と背中を預けると、ジョルジュは口髭を擦りつつ天井を見上げた。
ジョルジュが視線を彷徨わせる行為は、脳を必死に回転させて思考している証に他ならなかった。
ジョルジュと五年以上もの付き合いがあったレオは、前方のジョルジュを見つめつつ過去の記憶を蘇らせた。
司教であるジョルジュと初めて出会ったときのことをだ。
レオが五年以上も前の出来事をまるで昨日のことのように思い出していた中、ようやく思考を固めたジョルジュが口を開いた。
「まあ、やってしまったことを今さら後悔しても仕方がない。それにお前が仕損じるなど何かしらの理由があったのだろう」
さすが人の上に立つ人物は懐の大きさが違う。
レオは改めてジョルジュの偉大さを噛み締めたとき、ジョルジュは「しかしだ」と激しく眉間に皺を寄せた。
「今回の件で〈黒獅子〉の名前は地に堕ちてしまったことは否めない。そして一度あることは二度あり、二度あることは三度あるという。今後、お前が独断専行しないという保証はどこにもない」
その言葉を聞いた瞬間、レオは強く奥歯を噛み締めた。
ジョルジュの言葉は正鵠を射ていた。
どんな綺麗事やお題目を並べたところで、失敗を重ねた人間の言いわけなど聞くに値しない。
それに人間は口さえ利ければどんな絵空事でも実現可能のように話せる生き物だ。
ジョルジュが心配することも無理はなかった。
それでも、とレオは思う。
今度こそは絶対に失敗しない。
失敗したくないという気持ちが高まっていた。
たとえ一流の傭兵だろうと異国の拳法使いだろうと容赦なく排除する決死の覚悟とともに。
「だが勘違いするな。お前が用済みになったというわけではない。それどころか今以上に働いてもらわなくては困る」
ジョルジュの言葉は淡々と続く。
「ただ今回の任務が失敗したのならばそれはそれで構わない。むしろ件の催し物が終了するまで連中には片時の夢を見させてやれ」
「件の催し物というのは一週間後に開かれる夏市のことでしょうか?」
「そうだ。この時期に開かれる催し物と言えば夏市しかないだろう」
商業都市として賑わうローレザンヌの夏市は、その名の通り夏の盛りである七月から八月に掛けて開催されるグニュール地方最大の催し物である。
近隣諸国からは多くの行商人が足を運び、都市内では市民たちが一丸となって夏市の成功を果たすために朝から晩まで一生懸命に働く。
武具屋や鍛冶屋の徒弟たちは朝早くから商品の掃除、分類、加工、修理と忙しく、集中的に夏市が立つ場所には行商人たちの取引所や宿泊施設が都市内の商人たちの手で用意される。
また酒屋では賭博の管理が徹底的に行われ、修道騎士団に刃傷沙汰を未然に防いでもらうための依頼にも余念がない。
売春宿では稼ぎ時とばかりに店の女中や農家の娘などの素人が、臨時に駆り出されることは当たり前。
飲食物を扱う露店では近隣のパン屋や肉屋に応援を頼み、大道芸人たちは日頃から培った芸を披露する絶好の見せ場と心得ていた。
たった数週間で途方もない金額が動き、都市の活性化にも大いに役立つ市民たちの鬱憤を晴らしてくれる盛大な催し物――それがローレザンヌの夏市であった。
そしてローレザンヌの夏市では他の都市で開催される市と違い、市民たちが驚く別の特典が用意されることもあった。
ジョルジュは唇の端を吊り上げ、机の上で両手の指を絡める。
「元々、市とは取引を行う商人たちの金融市場だった。だが近年では珍しい異国の商品を買い求める一般人が多くなり、それこそローレザンヌの夏市に参加する人数は有に三桁を超えるようになったのはお前も知っていよう。数百を超える露店には異国の商品や食物が並び、夏市の中心場所で興行を行おうものなら大衆の注目が一心に集まることは必至」
鼻息を荒げたジョルジュは、机の上に置かれていた紙をレオに差し出した。
レオは差し出された紙に記載されていた内容を見るなり、身体を小刻みに震わせて瞠目する。
「私は夏市でこの偉大なる名誉を民衆に発表する。このジョルジュ・ロゼがフランベル皇国内でも二十人はいないという、クレスト教の大司教に抜擢されたという事実をな」
レオが視線を落としていた紙は教皇庁発行の歴とした指示書であり、内容はある一定の身分を越えた物に与えられる神聖な事柄が教皇直々のサインを添えて書かれていた。
「それは素晴らしいことです。ジョルジュ司教を慕う市民たちも喜ぶことでしょうね」
そう本心を口にしたときだ。
レオは教皇庁が発行していた指示書の下に別の紙が置かれていることに気がついた。
見た目からすると一般人も入手可能な有り触れた手紙に見える。
「これは?」
ほぼ無意識的にレオは手を伸ばし、指示書の下に隠れるようにして置かれていた手紙を取ろうとした。
だが――。
「レオ、私からの伝達事項は以上だ。もう退室しなさい」
手紙を取ろうとした瞬間、ジョルジュは筆写机の表面を勢いよく叩いた。
普段は温厚なジョルジュが見せた態度にレオは伸ばした手を引っ込める。
ジョルジュから放出された無言の圧力に気づいたレオは、心中で首を傾げつつ「分かりました。失礼致します」と修道院長室を後にした。
やがてレオの足音が完全に消えた頃、ジョルジュは指示書の下に置かれていた何の変哲もない手紙を手に取った。
「これで役者はすべて揃った。後は夏市を待つばかり」
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