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第十一話 レオ・メディチエールの裏の顔 ②
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〈黒獅子〉はリ・シェンファをじっと見つめる。
蝋燭の炎よりも明るいオイルランプの光を浴びて、アオ・ザイの衣装が際立って見える。
「いや、違う……あんた、まさかとは思うけど〈黒獅子〉?」
〈黒獅子〉は肯定も否定もしなかった。
ただ首を捻るシェンファを見つめるのみ。
しばらくすると、考えることに飽きたのかシェンファは開いた左手の掌に固く握り締めた右拳を叩き込んだ。
甲高い音が通路の一角に響き渡る。
「何も言わないってことは肯定と取るわよ」
いいわね? とシェンファの双眸が怪しい輝きを宿したときだ。
シェンファが激しく床を蹴って飛び込んできた。
五間(約十メートル)の間合いが一瞬で縮まる。
「墳ッ!」
互いの制空圏が触れ合った瞬間、シェンファは裂帛の気合から体重を乗せた突きを繰り出してくる。
狙いは顔面。
まともに食らえば鼻骨が折れて戦闘に支障が出ただろう。
むろん、まともに突きを食らえばの話だった。
〈黒獅子〉は顔面目掛けて飛んできた突きを何とか首を捻ることで回避した。
だが、シェンファの攻撃は留まることを知らなかった。
渾身の突きを避けられたシェンファは、手首のしなりを利用して〈黒獅子〉の側頭部に裏拳。
さらに踏み込んで脇腹に手刀。
右足を素早く上げて向脛に踵を押し出すような底足蹴り。
そして最後に軸足を開いての内廻し蹴りを繰り出してきたのだ。
シェンファが繰り出してきた多彩な攻撃に対して、〈黒獅子〉は一度足りとも有効打を受けないように次々と攻撃をさばいていく。
(まさか、ここまでの力量とは思わなかったな)
シェンファの力量は見紛うことなき本物だった。
相当に熟達した師匠から拳法を学んだのだろう。
体重移動などの身体操作法は驚嘆の一語に尽きた。
しかし、いつまでも彼女と戦闘に興じるわけにはいかなかった。
〈黒獅子〉の目的はあくまでもロレンツォ・ドットリーニだ。
隠れ異端者かもしれないロレンツォの口から真相を聞きださなければならない。
ただ、その目的を果たすためには眼前のシェンファが最大の障害だった。
さて、どうする。
〈黒獅子〉は必死に現在の状況について思考した。
はっきり言って仕事を遂行するには障害が多すぎる。
異国の拳法使いであるシェンファは予想以上の力量の持ち主であり、ここまで騒ぎが大きくなってしまえば当の本人であるロレンツォも隠し部屋などに非難してしまうだろう。
それに、ここに来てもう一つの懸念が実現してしまったようだ。
「屋敷に侵入した賊はどこだ!」
シェンファが道を塞いでいる階上に通じる階段とは反対方向――外に繋がる出入り口から長棒を携えた使用人たちが続々と姿を現した。
合計で十人ほどだろうか。
間違いなく召使いの女性が呼んできたのだろう。
「どうやら悪運も尽きたようね。大人しく観念しなさい」
絶対的な有利を確信したシェンファがにやりと笑う。
無理もない。
完全に逃げ道を封じられたとあっては、一流の暗殺者と称されていた〈黒獅子〉もさすがに分が悪かった。
窓を抜けて逃げ出そうとも通路には一つの窓もない。
「確かに現状を見る限り最悪のようだ。これでは覚悟を決めるしかないな」
シェンファと十人近くいる使用人たちを交互に見ると、〈黒獅子〉は諦めるように全身の力を抜いた。
構えを解いて両手をだらりと下げる。
「じゃあ捕まる覚悟は出来たのね?」
同じく構えを解いたシェンファが〈黒獅子〉が尋ねた直後であった。
〈黒獅子〉は小さく頭を左右に振る。
「いや……決めたのは一時退散する覚悟だ」
語尾を強調しながら言うと、〈黒獅子〉は横方の壁に向かって全力疾走。
ぶつかる直前に膝のバネを利用して高らかに跳躍した。
シェンファたちが呆気に取られる中、〈黒獅子〉は驚異的な身体能力を惜しげもなく披露した。
石製の壁を足伝いにして吊るされていたオイルランプを蹴り飛ばしたのだ。
ガラス瓶内の油を零さないように上手く蹴られたオイルランプは、有象無象の使用人たちの前方に計ったように落ちた。
その衝撃でガラスが粉々に割れ、火力が高まっていた採種油が絨毯に引火する。
すると使用人たちは「うおッ!」、「ひいッ!」、「絨毯が絨毯が!」などと喚き、長棒を放り投げて消火活動に当たった。
当然である。
この時代を生きる人間に取って戦争、流行り病、火事は一瞬で自分や家族の生命及び資産を奪っていく天敵に等しかった。
ましてや彼らは主人のロレンツォに雇われている使用人たちだ。
夜間だけ武器を渡されて警備を任されているとはいえ、本質は屋敷内の雑用や清掃活動が主であった。
ならば使用人たちが右往左往するのも必然。
ましてや主人の寝床がある東館の通路には、自分たちが一生働いても購入できない貴重品が存在しているのだ。
壁に掛けられた十数点の絵画、そして床に敷き詰められた緋色の絨毯である。
「は、早く消せ! 燃え広がったら一大事だぞ!」
瞬く間に燃え広がる炎を消すために使用人たちは上着を脱ぎ、その脱いだ上着を利用して鎮火に努め始めた。
傍目から見ていると思わず手伝いたくなる光景であったが、オイルランプを蹴り飛ばした〈黒獅子〉はまさにこれを狙ったのだ。
「馬鹿! 何で敵を前にして全員が消火活動に当たるのよ!」
シェンファの甲高い叫びに〈黒獅子〉は心中でのみ答えた。
(決まっている。彼らは傭兵ではなくロレンツォに飼い慣らされた使用人だからさ)
黒布の下で口の端を吊り上げた〈黒獅子〉は、今が最大の好機と読んで行動を起こす。
中腰の姿勢で消火活動に従事している使用人たちの群れに突っ込み、先ほども見せた驚異的な膝のバネを利用して一気に跳躍。
今度は壁ではなく、使用人たちの肩から肩を足場に利用して移動していく。
常人には不可能な離れ技を披露した〈黒獅子〉は、あっという間に使用人たちの後方へ辿り着いた。
最後の足場にした大柄の使用人の肩から飛んで床にふわりと降り立つ。
「ま、待ちなさい!」
ようやく我に返ったシェンファは急いで足を動かし、消火活動を終えた使用人の隙間を縫うようにして出入り口前へと突き進む。
だが出入り口前に辿り着いた頃には〈黒獅子〉の姿は忽然と消えていた。
もしやと思い外に出てみたが、やはり〈黒獅子〉の姿は影も形もなかった。
首を動かして周囲を散策してみるものの、視界に入るのは異国から輸入された植物たちのみ。
「何てことなの! 私がいながら賊を取り逃がすなんて!」
激しく地団駄を踏んだシェンファの頭上では、〈黒獅子〉の逃走を手助けするように月が暗色の雲にかげっていた。
蝋燭の炎よりも明るいオイルランプの光を浴びて、アオ・ザイの衣装が際立って見える。
「いや、違う……あんた、まさかとは思うけど〈黒獅子〉?」
〈黒獅子〉は肯定も否定もしなかった。
ただ首を捻るシェンファを見つめるのみ。
しばらくすると、考えることに飽きたのかシェンファは開いた左手の掌に固く握り締めた右拳を叩き込んだ。
甲高い音が通路の一角に響き渡る。
「何も言わないってことは肯定と取るわよ」
いいわね? とシェンファの双眸が怪しい輝きを宿したときだ。
シェンファが激しく床を蹴って飛び込んできた。
五間(約十メートル)の間合いが一瞬で縮まる。
「墳ッ!」
互いの制空圏が触れ合った瞬間、シェンファは裂帛の気合から体重を乗せた突きを繰り出してくる。
狙いは顔面。
まともに食らえば鼻骨が折れて戦闘に支障が出ただろう。
むろん、まともに突きを食らえばの話だった。
〈黒獅子〉は顔面目掛けて飛んできた突きを何とか首を捻ることで回避した。
だが、シェンファの攻撃は留まることを知らなかった。
渾身の突きを避けられたシェンファは、手首のしなりを利用して〈黒獅子〉の側頭部に裏拳。
さらに踏み込んで脇腹に手刀。
右足を素早く上げて向脛に踵を押し出すような底足蹴り。
そして最後に軸足を開いての内廻し蹴りを繰り出してきたのだ。
シェンファが繰り出してきた多彩な攻撃に対して、〈黒獅子〉は一度足りとも有効打を受けないように次々と攻撃をさばいていく。
(まさか、ここまでの力量とは思わなかったな)
シェンファの力量は見紛うことなき本物だった。
相当に熟達した師匠から拳法を学んだのだろう。
体重移動などの身体操作法は驚嘆の一語に尽きた。
しかし、いつまでも彼女と戦闘に興じるわけにはいかなかった。
〈黒獅子〉の目的はあくまでもロレンツォ・ドットリーニだ。
隠れ異端者かもしれないロレンツォの口から真相を聞きださなければならない。
ただ、その目的を果たすためには眼前のシェンファが最大の障害だった。
さて、どうする。
〈黒獅子〉は必死に現在の状況について思考した。
はっきり言って仕事を遂行するには障害が多すぎる。
異国の拳法使いであるシェンファは予想以上の力量の持ち主であり、ここまで騒ぎが大きくなってしまえば当の本人であるロレンツォも隠し部屋などに非難してしまうだろう。
それに、ここに来てもう一つの懸念が実現してしまったようだ。
「屋敷に侵入した賊はどこだ!」
シェンファが道を塞いでいる階上に通じる階段とは反対方向――外に繋がる出入り口から長棒を携えた使用人たちが続々と姿を現した。
合計で十人ほどだろうか。
間違いなく召使いの女性が呼んできたのだろう。
「どうやら悪運も尽きたようね。大人しく観念しなさい」
絶対的な有利を確信したシェンファがにやりと笑う。
無理もない。
完全に逃げ道を封じられたとあっては、一流の暗殺者と称されていた〈黒獅子〉もさすがに分が悪かった。
窓を抜けて逃げ出そうとも通路には一つの窓もない。
「確かに現状を見る限り最悪のようだ。これでは覚悟を決めるしかないな」
シェンファと十人近くいる使用人たちを交互に見ると、〈黒獅子〉は諦めるように全身の力を抜いた。
構えを解いて両手をだらりと下げる。
「じゃあ捕まる覚悟は出来たのね?」
同じく構えを解いたシェンファが〈黒獅子〉が尋ねた直後であった。
〈黒獅子〉は小さく頭を左右に振る。
「いや……決めたのは一時退散する覚悟だ」
語尾を強調しながら言うと、〈黒獅子〉は横方の壁に向かって全力疾走。
ぶつかる直前に膝のバネを利用して高らかに跳躍した。
シェンファたちが呆気に取られる中、〈黒獅子〉は驚異的な身体能力を惜しげもなく披露した。
石製の壁を足伝いにして吊るされていたオイルランプを蹴り飛ばしたのだ。
ガラス瓶内の油を零さないように上手く蹴られたオイルランプは、有象無象の使用人たちの前方に計ったように落ちた。
その衝撃でガラスが粉々に割れ、火力が高まっていた採種油が絨毯に引火する。
すると使用人たちは「うおッ!」、「ひいッ!」、「絨毯が絨毯が!」などと喚き、長棒を放り投げて消火活動に当たった。
当然である。
この時代を生きる人間に取って戦争、流行り病、火事は一瞬で自分や家族の生命及び資産を奪っていく天敵に等しかった。
ましてや彼らは主人のロレンツォに雇われている使用人たちだ。
夜間だけ武器を渡されて警備を任されているとはいえ、本質は屋敷内の雑用や清掃活動が主であった。
ならば使用人たちが右往左往するのも必然。
ましてや主人の寝床がある東館の通路には、自分たちが一生働いても購入できない貴重品が存在しているのだ。
壁に掛けられた十数点の絵画、そして床に敷き詰められた緋色の絨毯である。
「は、早く消せ! 燃え広がったら一大事だぞ!」
瞬く間に燃え広がる炎を消すために使用人たちは上着を脱ぎ、その脱いだ上着を利用して鎮火に努め始めた。
傍目から見ていると思わず手伝いたくなる光景であったが、オイルランプを蹴り飛ばした〈黒獅子〉はまさにこれを狙ったのだ。
「馬鹿! 何で敵を前にして全員が消火活動に当たるのよ!」
シェンファの甲高い叫びに〈黒獅子〉は心中でのみ答えた。
(決まっている。彼らは傭兵ではなくロレンツォに飼い慣らされた使用人だからさ)
黒布の下で口の端を吊り上げた〈黒獅子〉は、今が最大の好機と読んで行動を起こす。
中腰の姿勢で消火活動に従事している使用人たちの群れに突っ込み、先ほども見せた驚異的な膝のバネを利用して一気に跳躍。
今度は壁ではなく、使用人たちの肩から肩を足場に利用して移動していく。
常人には不可能な離れ技を披露した〈黒獅子〉は、あっという間に使用人たちの後方へ辿り着いた。
最後の足場にした大柄の使用人の肩から飛んで床にふわりと降り立つ。
「ま、待ちなさい!」
ようやく我に返ったシェンファは急いで足を動かし、消火活動を終えた使用人の隙間を縫うようにして出入り口前へと突き進む。
だが出入り口前に辿り着いた頃には〈黒獅子〉の姿は忽然と消えていた。
もしやと思い外に出てみたが、やはり〈黒獅子〉の姿は影も形もなかった。
首を動かして周囲を散策してみるものの、視界に入るのは異国から輸入された植物たちのみ。
「何てことなの! 私がいながら賊を取り逃がすなんて!」
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