【完結】その最強の暗殺者は〈黒師子〉と呼ばれた ~医者と騎士と暗殺者の三重生活をしている俺(20)、今日も世直しのため異端者どもを鍼殺する~

岡崎 剛柔

文字の大きさ
上 下
6 / 39

第六話    異国の拳法少女・シェンファ ②

しおりを挟む
「へへへ、嬢ちゃんよ……悪いがもう手加減はできねえぜ」

 ようやく股間の痛みが薄れてきたのだろう。

 禿頭男は懐に忍ばせていた短剣を抜き、仲間を瞬殺したシェンファに威勢よく啖呵を切った。

(手加減をしたのはこっちの方なんだけど)

 通行人たちが禿頭男の短剣に恐れ戦いている間、渦中の人であったシェンファは心底呆れた様子で吐息する。

 シェンファと禿頭男の実力は少なく見積もっても大人と子供ほどの差があった。

 当然、大人の実力を有しているのはシェンファの方だ。

 幼少期から実戦の雄として名を馳せていた武術家の父親に武術を叩き込まれ、基本功、対手、歩法、兵器、上級套路(奥義の型)までの過程を僅か十三年で修得したシェンファに比べて禿頭男が勝っているのは体格と年齢のみ。

 そんな相手が今さら短剣一本を取り出したところで何の障害にも成り得ない。

 むしろシェンファにしてみれば手加減する必要がなくなったので都合がよかったかもしれない。

 ただ一つだけ問題点を挙げるとすれば、ここが本国ではなく文化も法律も何もかもが違う異国だということだ。

 たとえ頭が悪い暴漢たちが相手とはいえ、下手に大怪我を負わせて裁判沙汰にでもなったら叔父に多大な迷惑を掛けてしまう。

 だからこそ、シェンファは両腕を組んで渋面のまま黙考した。

 このまま全速力で立ち去るか、それとも禿頭男を完膚なきまでに叩き伏せるかを。

「へっ、どうした嬢ちゃん。さすがに刃物を見て怖くなったか?」

 一方、禿頭男は刃物を持った自分にシェンファが恐怖したのだと勘違いをした。

 黙考していたシェンファに下卑た笑みを浮かべながらにじり寄っていく。

 しかし、禿頭男が歩いた歩数は五歩もなかった。

「何だ……おい、てめえら。さっきから何を見ているんだよ」

 禿頭男は足を止めると、シェンファの後方を見つめながら低い声で問うた。

(てめえ……ら?)

 禿頭男が言った言葉を心中で反芻させること一拍後、シェンファは不意に後方から漂ってきた異質な気配に身体ごと振り向いた。

 いつの間にかシェンファの後方には異様な三人組みが佇んでいた。

 一人は目鼻立ちが整った二十代後半と思しき男である。

 女性のように滑らかな焦茶色の長髪を風になびかせ、春風のように柔和な笑みを顔に貼り付けていた。

 盲目なのだろうか。

 長髪の男の両目蓋は完全に塞がっており、右手には歩行の手助けをする金属製の杖が携えられていた。

 もう一人は形容すれば巨熊だろうか。

 角張った強面に茶色の短髪。

 右目には縦に走る凄惨な裂傷が刻まれており、明らかに刃物で切られた傷であることが分かった。

 背丈は優男よりも二つ分は高く、小柄な人間が多かった本国の人間と比べれば巨人だとシェンファは思った。

 また隻眼男の肌は桃色だった盲目の男とは違って珍しい褐色である。

 最後の一人は形容すれば猿だろうか。

 三人の中で一番背丈が低く、しゃくれた顎と二本だけ突き出た前歯が別の意味で印象的だった。

 常人と比べて顔の作りが異なっていたためか、僅かに開かされた口の隙間からは「キシシシシ」という変な笑い声が漏れ出ている。

(何なのこいつら?)

 個性的な三人組の登場にシェンファは生唾を飲み込んで困惑した。

 行商人には到底見えず、さりとて禿頭男たちのような暴漢にも見えなかった。

 三人とも足首まで伸びている黒地の外套を羽織っていたところを見ると、もしかすると巡礼者か安定した土地を求めて流離う旅人なのかもしれない。

 などとシェンファが思考を巡らせていると、盲目の男が唇を半月状に歪めた。

「気に障ったのなら謝ります。ですが素手の女性に対して刃物を出すとは些かやり過ぎではないかと思いましてね」

 盲目の男の声色は真冬の湖畔を思わせるほど澄んでいた。

 長く聞いていると一端の女ならば身も心も陶酔してしまうほどの魅力が込められている。

「ストラニアス、こんな奴らにいちいち構うな。お前の悪い癖だぞ」

「ランフランコの旦那の言うとおりだぜ。こんな路上の喧嘩に構っているほど俺たちは暇じゃねえはずだろう。団長さんよ」

 ストラニアスと呼ばれた盲目の男に忠告したのは、左右に並んでいた隻眼の巨漢と面妖な猿顔をした二人であった。

「喧嘩っ早いリドルもこう言っているんだ。それに早く宿も見つけたいしな」

 隻眼の巨漢はランフランコ、面妖な猿顔はリドルという名前らしい。

 二、三の少ないやり取りからシェンファは男たちの名前を知った。

「いいじゃありませんか。予行練習も兼ねて害虫の駆除をするのも一興ですよ。そう思いませんか? ランフランコ」

 ランフランコと呼ばれた隻眼男が呆れるように吐息すると、ストラニアスは呆然とする禿頭男に向かって杖を突きつけた。

「分かった分かったよ。俺がやればいいんだろう」

 ストラニアスの意味深な命を受けたランフランコは、シェンファの横をどっしりとした足取りで通り過ぎていき、そして禿頭男の眼前に立ちはだかった。

「いきなり出て来て何だてめえらは! ふざけたこと抜かしていると本当にぶっ刺すぞ!」

 はっと我に返った禿頭男は、強烈な圧迫感を醸し出していたランフランコに気圧されないように精一杯腹の底から声を出した。

 だがランフランコは禿頭男の持つ短剣など存在していないように言葉を紡いでいく。

「本来なら貴様のような暴漢に構うこともないんだ。ただ、うちの団長はひどく気紛れな性格でな。まあ、運が悪かったと思って諦めてくれ」

 直後、ランフランコは外套の中から右腕だけを緩慢な動きで露出させた。

 そのとき、シェンファにはランフランコが着用しているた衣服が覗き見えた。

 厚手の生地で作られた焦茶色の上着と脚衣。

 丈夫そうなバックル付きの革靴。

 腰には本革製のベルトが巻かれており、薔薇の花を模した銀細工が取り付けられていた。

 武器は一本たりとも所持していない。

 ざっと見渡したが唯一の武器といえば両腕に装着されていた鈍色に輝く手甲ぐらいだろうか。

「ほ、本当だぞ! お、俺が刺すって言ったら本当に――」

 と、禿頭男が短剣を握っていた右手をランフランコに向けて突きつけたときだ。

 ランフランコは眼前に突き出された短剣を手甲の部位で外側に弾くと、そのまま一気に禿頭男の懐へ侵入。

 鋭い踏み込みから腰を捻転させ、下半身から伝わってきた衝撃力を右拳に混入して禿頭男の腹部へと容赦なく叩き込む。

 ドズンッ、という異様な衝撃音が周囲に響き渡った。

 通行人たちは理解不能な顔をしていたが、武術の鍛錬を積んできたシェンファにはランフランコが放った中段突きの威力が誰よりも理解できた。

 十中八九、禿頭男の内臓器官は壊れた。

 拳を打ち込まれた場所から推測すると、肝臓辺りだろうか。

 もしも破裂でもしていたら想像を絶するほどの責苦を味わうことだろう。

「ううううううぉぉぉぉ…………」

 シェンファの予想は的中した。

 禿頭男は一発で両膝から地面に崩れ落ちると、横向きに倒れて身体を丸ませ始めた。

 まるで赤子のような姿勢だわ、と傍目から中傷するのは簡単だ。

 だが禿頭男が受けた負傷の度合いから考えれば、恥と外聞を捨ててでもその態勢になった方がまだマシだったのだろう。

 よく見れば口元からはどす黒い血が顎先に向かって垂れ流れている。

「ストラニアス、これぐらいで十分満足しただろう? 害虫といえども殺してしまっては後々面倒なことになるからな」

「そうですね。要らぬ面倒をかけました、ランフランコ」

「本当にそう思うのなら少しは自粛してくれ。事あるごとに面倒に首を突っ込んでいる暇など俺たちにはないだろう」

 ストラニアスは「確かに」と一言だけ呟くと、颯爽と踵を返して歩き出した。

 連れのランフランコやリドルも同様にストラニアスから数歩分だけ離れて追っていく。

 そのときであった。

「ちょっと待ちなさい! あんたたち、この怪我人を置いていくわけ!」

 今まで傍観していたシェンファが立ち去っていく三人組みを大声で呼び止めた。

 三人は一斉に立ち止まり、それぞれ顔だけを振り向かせてシェンファを見る。

「助けた礼など不要ですよ、お嬢さん」

 にこやかな笑みとともに口を開いたのはストラニスであった。

「そんなことはどうでもいい。どういう経緯であれ、そこのハゲを殺そうとしたのはアンタの連れでしょう? このまま放っておいていいの?」

「どうします、ランフランコ。このまま放っておいていいのですか?」

「構わないだろう。いずれ騎士団がきて上手いこと処理してくれるさ」

「そうさ。ここからはボンクラ騎士団の仕事だぜ」

 キシシシ、とリドルが不気味な笑い声を発した直後である。

 ランフランコは外套の切れ目から手甲を装着させた腕を出すと、怒りを露にしたシェンファに向かって何かを放り投げた。

 シェンファは自分に放り投げられた何かを空中で掴み取る。

「少ないが治療代の足しにしろ。それだけあれば大丈夫だろう」

 慎重にシェンファが手を開くと、掌の中心には銀色の硬貨が存在していた。

 詳しい値段は分からなかったが、それでも相当に価値の高い銀貨だということは分かった。

 そしてシェンファが受け取った銀貨を食い入るように眺めている最中、ストラニアスを先頭に個性的な三人組は今度こそ用事はなくなったという態度で歩き出した。

 だが、何歩か歩き出した末にストラニアスはシェンファにふと尋ねた。

「もしかすると君の名前はリ・シェンファ、という名前ではありませんか?」

 その名前を呼ばれた途端、シェンファは銀貨からストラニアスに視線を移した。

「どうして私の名前を知っているの?」

 眉間にしわを寄せて驚くシェンファにストラニアスは続けて尋ねた。

「ふむ、そうだとすると君は大切な人とはぐれている状態のようですね。それで都市の中を一人で彷徨っていたところを絡まれた。経緯は大体このようなところですか?」

 まさしくストラニアスの言うとおりである。

 叔父であるリ・ケイリンとはぐれてしまったために一人で都市の中を彷徨い、その末にタチの悪い暴漢たちに絡まれたのだ。

「ならば私と出会ったことは幸運でしたね。君を捜している男性はここから南西にあるティエフェール通りの鍛冶屋前にいますよ」

 それとですね、とストラニアスは呆然と佇むシェンファに言った。

「もうすぐここに騎士団が来ますから何か事情があるのなら立ち去りなさい。この都市の騎士団はボンクラだとすこぶる評判が悪いですからね」

 それだけシェンファに忠告すると、今度こそストラニアスはランフランコとリドルを引き連れて歩き出した。

 燃えるように赤い夕日を浴びながら街路の奥へと消えていく。

「ったく、どうすりゃあいいのよ」

 シェンファは右手に握っていた銀貨を強く握り締めると、顔中に脂汗を浮かばせている禿頭男に顔を向けた。

(取り敢えずは適当な場所に運ぶかな)

 優先事項を決めたシェンファは、落胆の溜息を漏らしつつ禿頭男の元へ歩み寄った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

ボッチになった僕がうっかり寄り道してダンジョンに入った結果

安佐ゆう
ファンタジー
第一の人生で心残りがあった者は、異世界に転生して未練を解消する。 そこは「第二の人生」と呼ばれる世界。 煩わしい人間関係から遠ざかり、のんびり過ごしたいと願う少年コイル。 学校を卒業したのち、とりあえず幼馴染たちとパーティーを組んで冒険者になる。だが、コイルのもつギフトが原因で、幼馴染たちのパーティーから追い出されてしまう。 ボッチになったコイルだったが、これ幸いと本来の目的「のんびり自給自足」を果たすため、町を出るのだった。 ロバのポックルとのんびり二人旅。ゴールと決めた森の傍まで来て、何気なくフラっとダンジョンに立ち寄った。そこでコイルを待つ運命は…… 基本的には、ほのぼのです。 設定を間違えなければ、毎日12時、18時、22時に更新の予定です。

この争いの絶えない世界で ~魔王になって平和の為に戦いますR

ばたっちゅ
ファンタジー
相和義輝(あいわよしき)は新たな魔王として現代から召喚される。 だがその世界は、世界の殆どを支配した人類が、僅かに残る魔族を滅ぼす戦いを始めていた。 無為に死に逝く人間達、荒廃する自然……こんな無駄な争いは止めなければいけない。だが人類にもまた、戦うべき理由と、戦いを止められない事情があった。 人類を会話のテーブルまで引っ張り出すには、結局戦争に勝利するしかない。 だが魔王として用意された力は、死を予感する力と全ての文字と言葉を理解する力のみ。 自分一人の力で戦う事は出来ないが、強力な魔人や個性豊かな魔族たちの力を借りて戦う事を決意する。 殺戮の果てに、互いが共存する未来があると信じて。

魔晶石ハンター ~ 転生チート少女の数奇な職業活動の軌跡

サクラ近衛将監
ファンタジー
 女神様のミスで事故死したOLの大滝留美は、地球世界での転生が難しいために、神々の伝手により異世界アスレオールに転生し、シルヴィ・デルトンとして生を受けるが、前世の記憶は11歳の成人の儀まで封印され、その儀式の最中に前世の記憶ととともに職業を神から告げられた。  シルヴィの与えられた職業は魔晶石採掘師と魔晶石加工師の二つだったが、シルヴィはその職業を知らなかった。  シルヴィの将来や如何に?  毎週木曜日午後10時に投稿予定です。

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

側妃契約は満了しました。

夢草 蝶
恋愛
 婚約者である王太子から、別の女性を正妃にするから、側妃となって自分達の仕事をしろ。  そのような申し出を受け入れてから、五年の時が経ちました。

その転生幼女、取り扱い注意〜稀代の魔術師は魔王の娘になりました〜

みおな
ファンタジー
かつて、稀代の魔術師と呼ばれた魔女がいた。 魔王をも単独で滅ぼせるほどの力を持った彼女は、周囲に畏怖され、罠にかけて殺されてしまう。 目覚めたら、三歳の幼子に生まれ変わっていた? 国のため、民のために魔法を使っていた彼女は、今度の生は自分のために生きることを決意する。

治癒術師の非日常―辺境の治癒術師と異世界から来た魔術師による成長物語―

物部妖狐
ファンタジー
小さな村にある小さな丘の上に住む治癒術師 そんな彼が出会った一人の女性 日々を平穏に暮らしていたい彼の生活に起こる変化の物語。 小説家になろう様、カクヨム様、ノベルピア様へも投稿しています。 表紙画像はAIで作成した主人公です。 キャラクターイラストも、執筆用のイメージを作る為にAIで作成しています。 更新頻度:月、水、金更新予定、投稿までの間に『箱庭幻想譚』と『氷翼の天使』及び、【魔王様のやり直し】を読んで頂けると嬉しいです。

処理中です...