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第一話 〈黒師子〉と呼ばれる最強の暗殺者
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「皆の者、心より悔い改めよ。やがて地獄の業火に等しき破滅の日がやって来る」
サン・ローベル修道院内にくぐもった低い声が響き渡る。
教会であった。
長椅子の数から推測して五十人前後しか収容できない狭い教会だ。
それでも日頃から修道士たちは清掃を欠かしていなかったのだろう。
冷たい石製の床は綺麗に磨かれており、特に祭壇周辺には塵一つ落ちていなかった。
また祭壇を挟むように二台の燭台が立てられ、緋色に燃える蜜蝋の炎が長椅子に腰を下していた人間たちの姿をはっきりと照らしている。
黒い修道服に身を包んだ、十五人の修道士たちであった。
「嘆かわしいことに今のクレスト教は異教の風習に染まってしまった。穢れた絵画や彫像を堂々と大聖堂に飾っていては必ずや神の裁きが下される」
一方、壇上で声高々に説法を続けていた男も黒い修道服を着用していた。
他の修道士たちとは違って頭巾を取っていたため、骸骨のように両頬が痩せこけた相貌が露になっている。
アルフォンソ・モンテセッコ。
年の頃は四十代半ば。
癖毛が目立つ黒髪に一本だけ欠けた前歯の男は、サン・ローベル修道院の院長を任されていたクレスト教の信徒であった。
「おお、私には見える。見えるぞ。クレスト教を信じる者たちが灼熱の業火に身を焼かれている無残な姿が……おお、神よ。貴方は何と惨い試練をお与えになるのか」
やがて芝居がかったアルフォンソの台詞が最高潮に達したときだ。
アルフォンソ様、と頭巾を深々と被っていた修道士の一人が挙手をした。
「灼熱の業火に身を焼かれるとは具体的にどういうことなのでしょう?」
全員の視線が挙手をした修道士に集中する。
アルフォンソも途中で自分の説法を絶った修道士にぎょろりと視線を向けた。
「灼熱の業火とは神の怒りである。そして神の怒りである灼熱の業火とは即ち災い。不浄なるクレスト教に裁きを下すためローレザンヌに災いが降り注ぐのだ」
教会内にどよめきを越える悲鳴が沸き起こった。
修道士たちは口々に「何と恐ろしい」、「この世に神はいないのか?」、「このローレザンヌに神の災いが……」などと身体を震わせながら呟き始める。
だが挙手をした修道士だけは様子が違った。
互いに顔を見合わせて恐怖に震える修道士たちとは打って変わり、落ち着いた態度で颯爽と立ち上がる。
「では、貴方はこう申されるのか? 近々このローレザンヌに神の裁きが下される。それは不浄に染まった現在のクレスト教が原因なのだと」
「そうだ。なればこそ、こうして私はそなたたちに説いているのだ。今のクレスト教を正すためには根本的に教義自体を変革させねばならぬ。祝祭用の衣服や装身具、俗悪な書物や官能的な絵画はすべて排除しなければならない」
大胆不敵なアルフォンソの説法に修道士たちは三度呻いた。
しかし一人だけ立ち上がった修道士は呻かなかった。
それどころかアルフォンソの口から紡ぎ出された言葉を鼻で笑い飛ばす。
「クレスト教の教義を根本的に変革するか……なるほど、どうやら貴方の存在はクレスト教の評判を落とす災いにしかならないようだ」
不意に高価な蜜蝋に点されていた炎が左右に揺れた。
しっかりと戸が閉まっていたにもかかわらず、まるで一陣の風が教会内に吹き荒れたように炎が大きく揺れたのだ。
アルフォンソは目眉を細め、しばし沈黙した後に大きく目を瞠った。
「貴様、何者だ? サン・ローベルに属する修道士ではないな」
アルフォンソは一人佇む修道士に人差し指を突きつけた。
「俺のことなどどうでもいい。問題はアルフォンソ・モンテセッコ……貴方の方だ。クレスト教の信徒ながらもクレスト教を非難する集会を夜な夜な開いていた罪は重い」
その瞬間、アルフォンソは瞳孔を拡大させた。
「まさか……お前は〈黒獅子〉か!」
〈黒獅子〉という単語がアルフォンソの口から発せられた直後、アルフォンソの説法会に参加していた修道士たちは泡を食らった。
それだけではない。
アルフォンソの説法を聴いても席を離れなかった修道士たちが一斉に席を立ち始めたのだ。
互いに押し合い圧し合いしながら修道士たちは我先にと身廊へと続く扉に向かって遁走していく。
しばらくして他の教会よりも手狭だったサン・ローベル教会には、アルフォンソと〈黒獅子〉と呼ばれた修道士の二人だけが取り残された。
「本物か? お前は本物の〈黒獅子〉なのか?」
恐る恐る口を開いたアルフォンソに対して、〈黒獅子〉は無言のまま身体に纏っていた修道服を脱ぎ捨てた。
だが脱ぎ捨てたのは頭巾つきの外套のみである。
頭巾つきの外套の下に着用されていたのは、敬虔なクレスト教信者が纏う外套よりも深い闇色に染まっていた黒装束であった。
貫頭型の上着を改良した異国風の上着に、足首の部位を紐で締め固めた脚衣もフランベル皇国の衣服とは異なっている。
そして件の〈黒獅子〉は懐から一枚の薄布を取り出すと、目元だけを露出させるように薄布を頭部に巻きつけた。
「くそっ、こんなところで死んでなるものか。私には果たすべき使命がある」
アルフォンソが小刻みに身体を震わせて動揺していると、身廊に通じる出入り口の扉から三人の人間が教会の中に雪崩れ込んできた。
「アルフォンソ様、ご無事ですか!」
血相を変えて現れた人間たちは、二十代前半から半ばらしき青年たちだ。
ただし先ほど逃げ出した修道士たちとは何もかもが違う衣装に身を包んでいる。
全員が紺色の半袖上着の上から鉄製の甲冑を着込み、紺色の脚衣を穿いた下半身には脛の部分だけを守る金属製の防具が装着されていた。
また甲冑の上からは首と肩を覆う半円形の外套を羽織り、腰には六芒星の装飾品が施されている長剣が吊るされている。
「サン・ローベルに配属されている修道騎士団か」
次々に長剣を抜き放っていく修道騎士団たちを睥睨しつつ、〈黒獅子〉は頭巾の奥で忌々しそうに呟いた。
アルフォンソは颯爽と駆けつけてくれた修道騎士団に早口で指示を与える。
「お前たち、こいつは悪名高い〈黒獅子〉だ。遠慮はいらん。斬れ、斬ってしまえ!」
「ですが神聖なる教会が血で染まってしまいます」
「構わん。神に背く逆徒を打ち滅ぼすためだ。きっと神もお赦しになってくれる」
勝手な言い草だなと〈黒獅子〉は落胆したものの、修道院長の命令を受けた修道騎士団たちは互いに顔を見合わせて頷いた。
修道騎士団にとっては配属された修道院こそ職場であり、それこそ給与の査定は配属された先の修道院長が握っているのだ。
その修道院長の命令に背いては今後の仕事に多大な影響が出ると判断したのだろう。
ましてや賊は巷で噂になっている凶悪犯――〈黒獅子〉なる暗殺者なのである。
都市の治安も兼任している修道騎士団としては命令を断る理由がなかった。
ならば修道騎士が取る行為は一つ。
「よし、やるぞ。噂の暗殺者だろうとも相手は一人で尚且つ素手だ。ならば俺たちに勝てない道理はない」
三人の修道騎士たちは自分自身に強く言い聞かせると、日頃の訓練の成果を発揮させるために猛々しい怒声を発しながら〈黒獅子〉に突進していく。
それでも〈黒獅子〉は微塵も動じない。
祭壇へと続く中央通路を三人の修道騎士が白刃とともに肉薄してくる姿を目の前にしてもだ。
「生憎と修道騎士に用はない」
そう口にした直後、〈黒獅子〉は三人の修道騎士たちに次々と攻撃を繰り出した。
上段構えから長剣を振り下ろしてきた一人目の修道騎士の太刀筋を見切ると、颯爽と真横に身体を移行させたと同時に顎先に掌打を打ち込んだ。
続いて攻撃に躊躇いが見られた二人目の修道騎士の顔面に裏拳を放ち、三人目の修道騎士に至っては側頭部に後ろ廻し蹴りを叩き込んで昏倒させたのである。
もしもこの場に傍観者がいたとすれば、三人の修道騎士たちの間を黒い突風が吹き荒れたと錯覚したことだろう。
それほど〈黒獅子〉の攻撃は正確かつ迅速な動きだった。
「さあ、肝心の騎士たちはいなくなったがどうする?」
ほぼ同時に三人の修道騎士が床に崩れ落ちると、〈黒獅子〉は祭壇の隅で丸まっていたアルフォンソに目を馳せた。
「待て、待て待て! 私を殺すと大いなる神の裁きが下されるぞ!」
頼りの綱だった修道騎士たちが瞬く間に倒された光景を目にするなり、アルフォンソは両目を血走らせながら声を張り上げた。
「私は神の声に従って説法を続けていたのだ。このままでは不浄なるローレザンヌは灼熱の業火に包まれる。いや、それだけでは済まされない」
アルフォンソは一気に言葉を捲くし立てた。
「私には見えるのだ。灼熱の業火により阿鼻叫喚を上げるローレザンヌの民たちの姿が。他にも見える。薔薇だ。血のように赤く染まった薔薇の花が見える」
「薔薇の花だと?」
「間違いない。薔薇の花だ。薔薇の花がローレザンヌに災いを招く姿が見える」
「くだらない」
〈黒獅子〉はアルフォンソの言葉を妄言だと断定した。
「悪いが異端者に成り下がった人間の言葉など信じる気はない」
そう言い捨てるや否や、〈黒獅子〉は緋色の絨毯が敷かれていた祭壇の上を滑るように移動した。
あっという間にアルフォンソの眼前へと到達する。
「続きの説法は地獄の亡者相手にするんだな」
〈黒獅子〉は腰に巻かれていた本革ベルトのバックルに手を伸ばすと、バックルの蓋を開けて中に仕舞われていた鍼を一本だけ取り出した。
「は、早まらずに話を聞くのだ。私ならばローレザンヌを救えるかもしれん。私の力を利用すれば薔薇の脅威からローレザンヌを――」
アルフォンソの続きの言葉は紡がれなかった。
なぜなら、黒獅子はバックルの中から取り出した鍼をアルフォンソの眉間に深々と突き刺したからだ。
眉間に突き刺した鍼を〈黒獅子〉は眉間の奥へと一気に押した。
成人の人差し指ほどの長さがあった鍼は完全にアルフォンソの眉間の中に埋没していく。
〈黒師子〉の秘奥義――鍼殺術である。
「アゴギコキガヒイロメカイイアアイイ」
アルフォンソは意味不明な言葉を発しながら後方に転倒し、口内からは激しく血泡を吐き出して絶命した。
「お前の力など借りずともローレザンヌの平和は保たれるさ」
アルフォンソを一瞥しながら呟く〈黒獅子〉。
そんな〈黒獅子〉も殺人の現場に長く居座る趣味はなかったのだろう。
周囲の気配を探りつつ教会から颯爽と姿を消していく。
時刻は夜半過ぎ。
世間を賑わせていた〈黒獅子〉が逃げ去った後には、昏倒していた三人の修道騎士と死因が不明なアルフォンソの骸だけが祭壇に転がっていたという。
サン・ローベル修道院内にくぐもった低い声が響き渡る。
教会であった。
長椅子の数から推測して五十人前後しか収容できない狭い教会だ。
それでも日頃から修道士たちは清掃を欠かしていなかったのだろう。
冷たい石製の床は綺麗に磨かれており、特に祭壇周辺には塵一つ落ちていなかった。
また祭壇を挟むように二台の燭台が立てられ、緋色に燃える蜜蝋の炎が長椅子に腰を下していた人間たちの姿をはっきりと照らしている。
黒い修道服に身を包んだ、十五人の修道士たちであった。
「嘆かわしいことに今のクレスト教は異教の風習に染まってしまった。穢れた絵画や彫像を堂々と大聖堂に飾っていては必ずや神の裁きが下される」
一方、壇上で声高々に説法を続けていた男も黒い修道服を着用していた。
他の修道士たちとは違って頭巾を取っていたため、骸骨のように両頬が痩せこけた相貌が露になっている。
アルフォンソ・モンテセッコ。
年の頃は四十代半ば。
癖毛が目立つ黒髪に一本だけ欠けた前歯の男は、サン・ローベル修道院の院長を任されていたクレスト教の信徒であった。
「おお、私には見える。見えるぞ。クレスト教を信じる者たちが灼熱の業火に身を焼かれている無残な姿が……おお、神よ。貴方は何と惨い試練をお与えになるのか」
やがて芝居がかったアルフォンソの台詞が最高潮に達したときだ。
アルフォンソ様、と頭巾を深々と被っていた修道士の一人が挙手をした。
「灼熱の業火に身を焼かれるとは具体的にどういうことなのでしょう?」
全員の視線が挙手をした修道士に集中する。
アルフォンソも途中で自分の説法を絶った修道士にぎょろりと視線を向けた。
「灼熱の業火とは神の怒りである。そして神の怒りである灼熱の業火とは即ち災い。不浄なるクレスト教に裁きを下すためローレザンヌに災いが降り注ぐのだ」
教会内にどよめきを越える悲鳴が沸き起こった。
修道士たちは口々に「何と恐ろしい」、「この世に神はいないのか?」、「このローレザンヌに神の災いが……」などと身体を震わせながら呟き始める。
だが挙手をした修道士だけは様子が違った。
互いに顔を見合わせて恐怖に震える修道士たちとは打って変わり、落ち着いた態度で颯爽と立ち上がる。
「では、貴方はこう申されるのか? 近々このローレザンヌに神の裁きが下される。それは不浄に染まった現在のクレスト教が原因なのだと」
「そうだ。なればこそ、こうして私はそなたたちに説いているのだ。今のクレスト教を正すためには根本的に教義自体を変革させねばならぬ。祝祭用の衣服や装身具、俗悪な書物や官能的な絵画はすべて排除しなければならない」
大胆不敵なアルフォンソの説法に修道士たちは三度呻いた。
しかし一人だけ立ち上がった修道士は呻かなかった。
それどころかアルフォンソの口から紡ぎ出された言葉を鼻で笑い飛ばす。
「クレスト教の教義を根本的に変革するか……なるほど、どうやら貴方の存在はクレスト教の評判を落とす災いにしかならないようだ」
不意に高価な蜜蝋に点されていた炎が左右に揺れた。
しっかりと戸が閉まっていたにもかかわらず、まるで一陣の風が教会内に吹き荒れたように炎が大きく揺れたのだ。
アルフォンソは目眉を細め、しばし沈黙した後に大きく目を瞠った。
「貴様、何者だ? サン・ローベルに属する修道士ではないな」
アルフォンソは一人佇む修道士に人差し指を突きつけた。
「俺のことなどどうでもいい。問題はアルフォンソ・モンテセッコ……貴方の方だ。クレスト教の信徒ながらもクレスト教を非難する集会を夜な夜な開いていた罪は重い」
その瞬間、アルフォンソは瞳孔を拡大させた。
「まさか……お前は〈黒獅子〉か!」
〈黒獅子〉という単語がアルフォンソの口から発せられた直後、アルフォンソの説法会に参加していた修道士たちは泡を食らった。
それだけではない。
アルフォンソの説法を聴いても席を離れなかった修道士たちが一斉に席を立ち始めたのだ。
互いに押し合い圧し合いしながら修道士たちは我先にと身廊へと続く扉に向かって遁走していく。
しばらくして他の教会よりも手狭だったサン・ローベル教会には、アルフォンソと〈黒獅子〉と呼ばれた修道士の二人だけが取り残された。
「本物か? お前は本物の〈黒獅子〉なのか?」
恐る恐る口を開いたアルフォンソに対して、〈黒獅子〉は無言のまま身体に纏っていた修道服を脱ぎ捨てた。
だが脱ぎ捨てたのは頭巾つきの外套のみである。
頭巾つきの外套の下に着用されていたのは、敬虔なクレスト教信者が纏う外套よりも深い闇色に染まっていた黒装束であった。
貫頭型の上着を改良した異国風の上着に、足首の部位を紐で締め固めた脚衣もフランベル皇国の衣服とは異なっている。
そして件の〈黒獅子〉は懐から一枚の薄布を取り出すと、目元だけを露出させるように薄布を頭部に巻きつけた。
「くそっ、こんなところで死んでなるものか。私には果たすべき使命がある」
アルフォンソが小刻みに身体を震わせて動揺していると、身廊に通じる出入り口の扉から三人の人間が教会の中に雪崩れ込んできた。
「アルフォンソ様、ご無事ですか!」
血相を変えて現れた人間たちは、二十代前半から半ばらしき青年たちだ。
ただし先ほど逃げ出した修道士たちとは何もかもが違う衣装に身を包んでいる。
全員が紺色の半袖上着の上から鉄製の甲冑を着込み、紺色の脚衣を穿いた下半身には脛の部分だけを守る金属製の防具が装着されていた。
また甲冑の上からは首と肩を覆う半円形の外套を羽織り、腰には六芒星の装飾品が施されている長剣が吊るされている。
「サン・ローベルに配属されている修道騎士団か」
次々に長剣を抜き放っていく修道騎士団たちを睥睨しつつ、〈黒獅子〉は頭巾の奥で忌々しそうに呟いた。
アルフォンソは颯爽と駆けつけてくれた修道騎士団に早口で指示を与える。
「お前たち、こいつは悪名高い〈黒獅子〉だ。遠慮はいらん。斬れ、斬ってしまえ!」
「ですが神聖なる教会が血で染まってしまいます」
「構わん。神に背く逆徒を打ち滅ぼすためだ。きっと神もお赦しになってくれる」
勝手な言い草だなと〈黒獅子〉は落胆したものの、修道院長の命令を受けた修道騎士団たちは互いに顔を見合わせて頷いた。
修道騎士団にとっては配属された修道院こそ職場であり、それこそ給与の査定は配属された先の修道院長が握っているのだ。
その修道院長の命令に背いては今後の仕事に多大な影響が出ると判断したのだろう。
ましてや賊は巷で噂になっている凶悪犯――〈黒獅子〉なる暗殺者なのである。
都市の治安も兼任している修道騎士団としては命令を断る理由がなかった。
ならば修道騎士が取る行為は一つ。
「よし、やるぞ。噂の暗殺者だろうとも相手は一人で尚且つ素手だ。ならば俺たちに勝てない道理はない」
三人の修道騎士たちは自分自身に強く言い聞かせると、日頃の訓練の成果を発揮させるために猛々しい怒声を発しながら〈黒獅子〉に突進していく。
それでも〈黒獅子〉は微塵も動じない。
祭壇へと続く中央通路を三人の修道騎士が白刃とともに肉薄してくる姿を目の前にしてもだ。
「生憎と修道騎士に用はない」
そう口にした直後、〈黒獅子〉は三人の修道騎士たちに次々と攻撃を繰り出した。
上段構えから長剣を振り下ろしてきた一人目の修道騎士の太刀筋を見切ると、颯爽と真横に身体を移行させたと同時に顎先に掌打を打ち込んだ。
続いて攻撃に躊躇いが見られた二人目の修道騎士の顔面に裏拳を放ち、三人目の修道騎士に至っては側頭部に後ろ廻し蹴りを叩き込んで昏倒させたのである。
もしもこの場に傍観者がいたとすれば、三人の修道騎士たちの間を黒い突風が吹き荒れたと錯覚したことだろう。
それほど〈黒獅子〉の攻撃は正確かつ迅速な動きだった。
「さあ、肝心の騎士たちはいなくなったがどうする?」
ほぼ同時に三人の修道騎士が床に崩れ落ちると、〈黒獅子〉は祭壇の隅で丸まっていたアルフォンソに目を馳せた。
「待て、待て待て! 私を殺すと大いなる神の裁きが下されるぞ!」
頼りの綱だった修道騎士たちが瞬く間に倒された光景を目にするなり、アルフォンソは両目を血走らせながら声を張り上げた。
「私は神の声に従って説法を続けていたのだ。このままでは不浄なるローレザンヌは灼熱の業火に包まれる。いや、それだけでは済まされない」
アルフォンソは一気に言葉を捲くし立てた。
「私には見えるのだ。灼熱の業火により阿鼻叫喚を上げるローレザンヌの民たちの姿が。他にも見える。薔薇だ。血のように赤く染まった薔薇の花が見える」
「薔薇の花だと?」
「間違いない。薔薇の花だ。薔薇の花がローレザンヌに災いを招く姿が見える」
「くだらない」
〈黒獅子〉はアルフォンソの言葉を妄言だと断定した。
「悪いが異端者に成り下がった人間の言葉など信じる気はない」
そう言い捨てるや否や、〈黒獅子〉は緋色の絨毯が敷かれていた祭壇の上を滑るように移動した。
あっという間にアルフォンソの眼前へと到達する。
「続きの説法は地獄の亡者相手にするんだな」
〈黒獅子〉は腰に巻かれていた本革ベルトのバックルに手を伸ばすと、バックルの蓋を開けて中に仕舞われていた鍼を一本だけ取り出した。
「は、早まらずに話を聞くのだ。私ならばローレザンヌを救えるかもしれん。私の力を利用すれば薔薇の脅威からローレザンヌを――」
アルフォンソの続きの言葉は紡がれなかった。
なぜなら、黒獅子はバックルの中から取り出した鍼をアルフォンソの眉間に深々と突き刺したからだ。
眉間に突き刺した鍼を〈黒獅子〉は眉間の奥へと一気に押した。
成人の人差し指ほどの長さがあった鍼は完全にアルフォンソの眉間の中に埋没していく。
〈黒師子〉の秘奥義――鍼殺術である。
「アゴギコキガヒイロメカイイアアイイ」
アルフォンソは意味不明な言葉を発しながら後方に転倒し、口内からは激しく血泡を吐き出して絶命した。
「お前の力など借りずともローレザンヌの平和は保たれるさ」
アルフォンソを一瞥しながら呟く〈黒獅子〉。
そんな〈黒獅子〉も殺人の現場に長く居座る趣味はなかったのだろう。
周囲の気配を探りつつ教会から颯爽と姿を消していく。
時刻は夜半過ぎ。
世間を賑わせていた〈黒獅子〉が逃げ去った後には、昏倒していた三人の修道騎士と死因が不明なアルフォンソの骸だけが祭壇に転がっていたという。
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