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第十五話 メデイックコースの訓練
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長々と続いた雨が止み、久しぶりの晴天が訪れた。
頭上から降り注ぐ陽光は暖かく、乾いた風が髪をなびかせる。
メディック担当教諭である松崎は、受け持ったコースの生徒たちに指定のジャージに着替えて司令部前に集合するように告げた。
それが昼休み前のことであり、松崎の指示を受けたメディックコースの生徒たちは一様に首を傾げてしまった。
メディックコースの授業は、医療や看護についての技術を理解・習得すること。
だからこそ授業の大半は特別教室で講義を受けるか、総合病院のような機械が取り揃えられている医療室で実習を受けるのが主であった。
そして、その日の午後も特別教室で外科的治療の基礎と疾患の理解について講義を受ける予定……のはずであった。
しかし松崎は授業直前になって講義を中止し、なぜか屋外の特別マラソンを行うからと生徒たちを司令部前に集合させたのである。
授業直前になって予定を変えるなど、中学時代には考えられなかった。
けれどもそれが担当教官の指示ならば従うしかない。
女子専用の桃色のジャージに着替えた生徒たちは、市役所のような外観をしていた指令部前に集合し、クラス別に整列しながら松崎の到着を待った。
「まったく、あの先生もいい加減よね。講義を止めてマラソンってどういうことよ」
薄く茶色に見える髪を弄びながら、渚がねちねちと小言を呟いた。
「そうだね。せめて前日に言って欲しかった」
渚の隣に並んでいる向日葵が、渚の肩を優しく叩いて落ち着かせる。
でも、と向日葵は医務室がある方向に視線を合わせて思った。
実は直前になって授業の予定が変更になったのは、これが初めてではなかった。
それは嵐のような風雨が吹き荒れていた入学式当日のことであった。
第168航空戦闘学校全体に脳を刺激するようなけたたましいサイレンが鳴り響き、特別教室で今後の授業日程の説明を受けていたメディックコースの生徒たちは、そのサイレンの音を聞くなり凍りつくような表情を浮かべた。
それは訓練用に鳴らすサイレンではなく、緊急警告用に鳴らすサイレンだと授業日程を説明していた松崎が険しい表情で告げたからだ。
その後、すぐに特別教室内に設置されていた内線電話が鳴った。
松崎は冷静に受話器を取って電話をかけてきた相手と話すと、生徒たちに絶対に教室から出るなと警告して教室から飛び出していった。
生徒だけが残された特別教室内は騒然となった。
誰かが「翼竜が襲ってきたのよ」と叫ぶと、悲鳴を漏らす生徒たちが続出したからだ。
そんなパニック寸前になった教室内で、向日葵はひたすら沈着冷静を貫いていた。
翼竜が襲ってくることはありえない。
向日葵は駆け寄ってきた渚の手をギュッと力強く握り、込み上げてくる恐怖を少しでも払拭させようと努力した。
10年以上前ならばともかく、現在は翼竜たちが日本の領空内に侵入してくる頻度は低くなった。
海上自衛軍の最新護衛艦が太平洋沖を中心に経由し、翼竜の接近を二十四時間徹底的に監視しているからだ。
そして翼竜の接近を感知すればすぐさま航空自衛軍の飛行部隊に連絡が行き、海の上で徹底交戦が展開される。
これは実家の個人病院に通院していた退役軍人の一人から聞いたことだから間違いなかっただろう。
しかし、幼い頃に味わった恐怖とは中々消え去るものではない。
実際に悲鳴を上げた生徒たちの何割かは、幼少期に翼竜の急襲に遭遇した経験を持っていたのだろう。
絶対にこの場所にいれば安全だと分かっていても、記憶の奥底に沈殿している恐怖が激しく心を掻き乱す。
だが、そんな生徒たちが感じた恐怖はすぐに静まった。
幸いにも学校中に鳴り響いたサイレンは、翼竜に関しての警告音ではなかった。
松崎の代わりに特別教室にやってきた男性教諭の話によれば、太平洋沖で交戦した航空自衛軍の飛行部隊の機体が緊急着陸するために接近したからだという。
男性教諭はさらに話を続けた。
戦闘機に乗っていたパイロットは重傷だったらしく、市内にある病院までは間に合わないという判断から、急遽学校内での緊急手術が執り行われることになったと。
その言葉を聞いて向日葵は思い出した。
事前に案内されていたこの学校の医務室は、中学校のときのような保健室程度のレベルではなかった。
重要施設内を案内された折、メディックコースの生徒たちは医務室内に設置されていた医療機器を見て唖然となったほどだ。
一般病院と同じ清潔感に溢れたベッドが数十台と並び、IPPB療法に用いられる人工呼吸器の完備も万全。
それに加えて集中治療部や強化治療病棟とも呼ばれるICUの治療環境も整っていた。
だが、やはりその中で一番驚いたのは密閉された個室に手術環境が完璧に再現されていたことだった。
患者入室前の手術室を窓ガラス越しに眺めただけだったが、父親が経営している個人病院で看護師の真似事をしていた向日葵にはすぐに分かった。
部屋の中央には寝台の上に体温調節用のマットが敷かれ、すぐ横には手術器具台、麻酔補助台、心電図モニター、血圧モニター、輸液スタンドなどがすぐに手術を始められる最適な位置に置かれていた。
下手な病院よりも医療設備が整っていたあの医務室ならば、余程のことがない限り患者が助かる可能性は高い。
そう思いながら向日葵は、顔も見ていないパイロットの無事を一心に祈り続けた。
それから数時間後、向日葵たちは緊急着陸したパイロットがメディックコースの担当教諭たちによる手術によって何とか一命を取り留めたことを知った。
向日葵はパイロットの手術が成功した報告を聞いたときは、自分がこの学校を選んだのは間違いではなかったと悟った。
この第168航空戦闘学校で最先端の医療技術と看護学を学び、やがて実家の個人病院で多くの人たちを助けたい。
翼竜の犠牲者は年々減ってきているが、それに比例して悪質なテロや一般の犯罪が年々増加している。
何でも近年では翼竜の急襲に乗じて犯罪を働く組織的グループなども横行しているらしく、治療を求める患者の数は後を絶たない。
そんな時代に生まれた一人として、医者の娘に生まれた一人して、向日葵は親元を離れてこの学校に入学することを決意した。
「――向日葵、向日葵ってば!」
耳元で名前を囁かれた向日葵は、思考に耽っていた意識を正常に戻された。
慌てて顔を向けると、目鼻立ちがくっくりとした渚の顔と向かい合った。互いの視線が綺麗に交錯する。
「え? 何、渚ちゃん」
呆気に取られながら向日葵が問うと、渚は「先生の到着だよ」と一言だけ漏らした。
「すまんすまん、少々遅れたな」
溌剌とした声で軽く手を上げながら登場した松崎は、生徒たちと同じ桃色のジャージを着て長髪をうなじの辺りで束ねていた。
整列している生徒たちの正面に仁王立ちし、意気揚々とした顔で全員を見渡す。
「欠席は一人もいないな。よし、ではこれより海岸までマラソンを行う」
嬉しそうに告げた松崎に対して、一人の生徒が恐る恐る挙手をした。
「先生、どうして急にマラソンをすることになったんですか? 私たちはパイロットコースじゃなくてメディックコースですよ。特に身体を鍛える必要なんてないと思いますけど……」
これには他の生徒も同意見だったのだろう。
生徒たちからは「そうですそうです」や「マラソンは止めて体育館でバスケにしませんか?」と口々に非難を言い始めた。
「シャラップ! だ・ま・れ!」
ピーピーと喚く生徒たちの言葉を松崎は容赦なく一刀両断した。
ズイッと胸を張って両腕をがっしりと組む。
「いいかお前ら、看護の仕事は体力勝負だ。怪我人を介抱するのにも凄まじい体力と精神力が求められる。仕事によっては徹夜の日々が続くこともあるだろう。そんなときに頼れるのは己の体力のみだ」
両腕を組んだまま松崎は、くいっと人差し指でインテリ眼鏡の体裁を整えた。
「だからマラソンなんですか?」
かったるそうに言ったのは渚だった。松崎は大きく頷く。
「そうだ。今日は天気もいいしマラソンをするのには最適だ。さあ、分かったらとっとと準備しろ」
松崎の一言で生徒たちは渋々納得し、二人一組になって準備体操を行う。
渚と組んだ向日葵は、小さな身体を必死に動かして身体をほぐしていく。
生徒たちが準備体操を行っている間、松崎は指令部前に置かれていたシルバーのスクーターの元へ向かった。
座席に跨り、エンジンを吹かす。
「よーし、準備体操が終わったら全員横一列に並べ!」
生徒たちはテキパキと身体を動かして横一列に綺麗に並ぶ。
「行けぇ!」
松崎がスクーターのクラクションを鳴らした。
それを合図に生徒たちは一斉に海岸に向けて走り出した。
頭上から降り注ぐ陽光は暖かく、乾いた風が髪をなびかせる。
メディック担当教諭である松崎は、受け持ったコースの生徒たちに指定のジャージに着替えて司令部前に集合するように告げた。
それが昼休み前のことであり、松崎の指示を受けたメディックコースの生徒たちは一様に首を傾げてしまった。
メディックコースの授業は、医療や看護についての技術を理解・習得すること。
だからこそ授業の大半は特別教室で講義を受けるか、総合病院のような機械が取り揃えられている医療室で実習を受けるのが主であった。
そして、その日の午後も特別教室で外科的治療の基礎と疾患の理解について講義を受ける予定……のはずであった。
しかし松崎は授業直前になって講義を中止し、なぜか屋外の特別マラソンを行うからと生徒たちを司令部前に集合させたのである。
授業直前になって予定を変えるなど、中学時代には考えられなかった。
けれどもそれが担当教官の指示ならば従うしかない。
女子専用の桃色のジャージに着替えた生徒たちは、市役所のような外観をしていた指令部前に集合し、クラス別に整列しながら松崎の到着を待った。
「まったく、あの先生もいい加減よね。講義を止めてマラソンってどういうことよ」
薄く茶色に見える髪を弄びながら、渚がねちねちと小言を呟いた。
「そうだね。せめて前日に言って欲しかった」
渚の隣に並んでいる向日葵が、渚の肩を優しく叩いて落ち着かせる。
でも、と向日葵は医務室がある方向に視線を合わせて思った。
実は直前になって授業の予定が変更になったのは、これが初めてではなかった。
それは嵐のような風雨が吹き荒れていた入学式当日のことであった。
第168航空戦闘学校全体に脳を刺激するようなけたたましいサイレンが鳴り響き、特別教室で今後の授業日程の説明を受けていたメディックコースの生徒たちは、そのサイレンの音を聞くなり凍りつくような表情を浮かべた。
それは訓練用に鳴らすサイレンではなく、緊急警告用に鳴らすサイレンだと授業日程を説明していた松崎が険しい表情で告げたからだ。
その後、すぐに特別教室内に設置されていた内線電話が鳴った。
松崎は冷静に受話器を取って電話をかけてきた相手と話すと、生徒たちに絶対に教室から出るなと警告して教室から飛び出していった。
生徒だけが残された特別教室内は騒然となった。
誰かが「翼竜が襲ってきたのよ」と叫ぶと、悲鳴を漏らす生徒たちが続出したからだ。
そんなパニック寸前になった教室内で、向日葵はひたすら沈着冷静を貫いていた。
翼竜が襲ってくることはありえない。
向日葵は駆け寄ってきた渚の手をギュッと力強く握り、込み上げてくる恐怖を少しでも払拭させようと努力した。
10年以上前ならばともかく、現在は翼竜たちが日本の領空内に侵入してくる頻度は低くなった。
海上自衛軍の最新護衛艦が太平洋沖を中心に経由し、翼竜の接近を二十四時間徹底的に監視しているからだ。
そして翼竜の接近を感知すればすぐさま航空自衛軍の飛行部隊に連絡が行き、海の上で徹底交戦が展開される。
これは実家の個人病院に通院していた退役軍人の一人から聞いたことだから間違いなかっただろう。
しかし、幼い頃に味わった恐怖とは中々消え去るものではない。
実際に悲鳴を上げた生徒たちの何割かは、幼少期に翼竜の急襲に遭遇した経験を持っていたのだろう。
絶対にこの場所にいれば安全だと分かっていても、記憶の奥底に沈殿している恐怖が激しく心を掻き乱す。
だが、そんな生徒たちが感じた恐怖はすぐに静まった。
幸いにも学校中に鳴り響いたサイレンは、翼竜に関しての警告音ではなかった。
松崎の代わりに特別教室にやってきた男性教諭の話によれば、太平洋沖で交戦した航空自衛軍の飛行部隊の機体が緊急着陸するために接近したからだという。
男性教諭はさらに話を続けた。
戦闘機に乗っていたパイロットは重傷だったらしく、市内にある病院までは間に合わないという判断から、急遽学校内での緊急手術が執り行われることになったと。
その言葉を聞いて向日葵は思い出した。
事前に案内されていたこの学校の医務室は、中学校のときのような保健室程度のレベルではなかった。
重要施設内を案内された折、メディックコースの生徒たちは医務室内に設置されていた医療機器を見て唖然となったほどだ。
一般病院と同じ清潔感に溢れたベッドが数十台と並び、IPPB療法に用いられる人工呼吸器の完備も万全。
それに加えて集中治療部や強化治療病棟とも呼ばれるICUの治療環境も整っていた。
だが、やはりその中で一番驚いたのは密閉された個室に手術環境が完璧に再現されていたことだった。
患者入室前の手術室を窓ガラス越しに眺めただけだったが、父親が経営している個人病院で看護師の真似事をしていた向日葵にはすぐに分かった。
部屋の中央には寝台の上に体温調節用のマットが敷かれ、すぐ横には手術器具台、麻酔補助台、心電図モニター、血圧モニター、輸液スタンドなどがすぐに手術を始められる最適な位置に置かれていた。
下手な病院よりも医療設備が整っていたあの医務室ならば、余程のことがない限り患者が助かる可能性は高い。
そう思いながら向日葵は、顔も見ていないパイロットの無事を一心に祈り続けた。
それから数時間後、向日葵たちは緊急着陸したパイロットがメディックコースの担当教諭たちによる手術によって何とか一命を取り留めたことを知った。
向日葵はパイロットの手術が成功した報告を聞いたときは、自分がこの学校を選んだのは間違いではなかったと悟った。
この第168航空戦闘学校で最先端の医療技術と看護学を学び、やがて実家の個人病院で多くの人たちを助けたい。
翼竜の犠牲者は年々減ってきているが、それに比例して悪質なテロや一般の犯罪が年々増加している。
何でも近年では翼竜の急襲に乗じて犯罪を働く組織的グループなども横行しているらしく、治療を求める患者の数は後を絶たない。
そんな時代に生まれた一人として、医者の娘に生まれた一人して、向日葵は親元を離れてこの学校に入学することを決意した。
「――向日葵、向日葵ってば!」
耳元で名前を囁かれた向日葵は、思考に耽っていた意識を正常に戻された。
慌てて顔を向けると、目鼻立ちがくっくりとした渚の顔と向かい合った。互いの視線が綺麗に交錯する。
「え? 何、渚ちゃん」
呆気に取られながら向日葵が問うと、渚は「先生の到着だよ」と一言だけ漏らした。
「すまんすまん、少々遅れたな」
溌剌とした声で軽く手を上げながら登場した松崎は、生徒たちと同じ桃色のジャージを着て長髪をうなじの辺りで束ねていた。
整列している生徒たちの正面に仁王立ちし、意気揚々とした顔で全員を見渡す。
「欠席は一人もいないな。よし、ではこれより海岸までマラソンを行う」
嬉しそうに告げた松崎に対して、一人の生徒が恐る恐る挙手をした。
「先生、どうして急にマラソンをすることになったんですか? 私たちはパイロットコースじゃなくてメディックコースですよ。特に身体を鍛える必要なんてないと思いますけど……」
これには他の生徒も同意見だったのだろう。
生徒たちからは「そうですそうです」や「マラソンは止めて体育館でバスケにしませんか?」と口々に非難を言い始めた。
「シャラップ! だ・ま・れ!」
ピーピーと喚く生徒たちの言葉を松崎は容赦なく一刀両断した。
ズイッと胸を張って両腕をがっしりと組む。
「いいかお前ら、看護の仕事は体力勝負だ。怪我人を介抱するのにも凄まじい体力と精神力が求められる。仕事によっては徹夜の日々が続くこともあるだろう。そんなときに頼れるのは己の体力のみだ」
両腕を組んだまま松崎は、くいっと人差し指でインテリ眼鏡の体裁を整えた。
「だからマラソンなんですか?」
かったるそうに言ったのは渚だった。松崎は大きく頷く。
「そうだ。今日は天気もいいしマラソンをするのには最適だ。さあ、分かったらとっとと準備しろ」
松崎の一言で生徒たちは渋々納得し、二人一組になって準備体操を行う。
渚と組んだ向日葵は、小さな身体を必死に動かして身体をほぐしていく。
生徒たちが準備体操を行っている間、松崎は指令部前に置かれていたシルバーのスクーターの元へ向かった。
座席に跨り、エンジンを吹かす。
「よーし、準備体操が終わったら全員横一列に並べ!」
生徒たちはテキパキと身体を動かして横一列に綺麗に並ぶ。
「行けぇ!」
松崎がスクーターのクラクションを鳴らした。
それを合図に生徒たちは一斉に海岸に向けて走り出した。
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