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新しい恋人のために、俺は今の恋人をパーティーから追放した。それが破滅への始まりだったと気づいたときはもう遅かった。本当に遅かったんだ
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とある冒険者ギルドの個室にて――。
「アリス、悪いが今日で君はこのパーティーから抜けて貰う。正直なところ、君の実力では今後も俺たちのパーティーでやっていくことは難しいだろう。このままだと君は確実に大怪我するか、最悪だと死に至るかもしれない」
俺は他のパーティー仲間がいる前で、テーブルを挟んだ対面にいる茶髪の少女――アリス・マーガレットに意を決して告げた。
「テリー、理由を聞かせて貰ってもいい?」
彼女は怒るどころか、どこか寂し気な表情で尋ねてくる。
ズキン、と俺の心臓に痛みが走った。
「理由は君にも分かるだろう? ようやく俺たち【飛竜の牙】は、国から勇者パーティー候補として認められるまでになったんだ。しかし、君はずっとレベルが上がらないまま……しかもこの国では珍しい魔法が使えない剣士だ。それでも君は君なりに一生懸命にパーティーに尽くしてくれた。それはリーダーとして本当に感謝している。だが――」
俺は早くこの話を終わらせようと早口でまくし立てる。
そうしないとアリスの悲しそうな顔に耐えられない。
「やはり、これ以上は無理だ。これから先はAランクの魔物討伐も視野に入れている。Aランクの冒険者となった俺たち以外で、君だけは未だにCランクのままだ……残念だがいくら幼馴染とはいえ、君をこれ以上危険な目に遭わせられない」
本心だった。
けれど本音ではなかった。
やがてアリスは、俺と俺の隣にいる僧侶のマイアを見て笑みを浮かべた。
しかし、その両目には薄っすらと涙がにじんでいる。
「……うん、分かったよ。そうだよね。これ以上、足手まといの私がいたら皆の迷惑だもん。ごめんね、テリー。今までずっと嫌だったんだよね?」
ズキン、とまたしても俺の心臓に鋭い痛みが走った。
本当は違う。
魔法が使えないやレベルが上がらないなんてどうでもいい。
ましてや嫌っていたなど微塵もない。
しかし、だからこそこれ以上はアリスをパーティーに置いておくわけにはいかないのだ。
「すまない、アリス。もちろん、君の新たな転職先の手伝いはさせて貰う。退職金もそれ相応の額は出す。だから……」
「ううん、いいよ。無理しないで、テリー」
アリスは立ち上がると、俺とマイアを見て「お幸せにね」と告げて去っていく。
そんなアリスの声色には、まったく憎しみなどの感情はなかった。
アリスはすべてを悟った上で、俺たちのことを本当に祝福して去ったのだ。
正直に言おう。
このときの俺はどうかしていた。
本当にどうかしていた。
気立ても良く、剣術もそれなりに出来て、しかもいつも俺のことを最優先に考えてくれたアリス。
俺からの告白を顔を赤らめて了承してくれたアリス。
だが、どれだけ悔いても時間は戻せない。
もう、俺の前にアリスはいないからだ。
当然だよな。
俺の身勝手で馬鹿な一時の気の迷いで、自分からアリスという恋人だった女性を捨てたのだから。
だからこそ、俺はこのときの俺に言いたい。
お前は何て馬鹿なことをしたんだ――。
「これで彼女もこれからの魔物討伐で大怪我や死なずに済みます。テリーさん、あなたのしたことはパーティーにとってもアリスさんにとっても大英断でしたよ」
アリスが去ったあと、隣にいたマイアがにこやかな笑みで言ってくる。
マイアは俺と同じ、18歳の金髪碧眼の僧侶だ。
僧侶と言っても回復魔法のみならず、攻撃魔法や補助魔法、それに精神異常の魔法なども使いこなす逸材だった。
容姿もとても良い。
いや、良すぎると言っても過言ではない。
男前と形容できたアリスと違って、可愛いと表現できる猫のような愛嬌を持つ少女だった。
「でも、本当にこれでよかったのだろうか? 別にパーティーから追放させなくても、それこそサポーターとしていてくれれば……」
「ダメです!」
マイアはテーブルを叩いて言い放った。
「私はこれまでに数多くのパーティーで働いてきましたが、そういう実力のない者に対する憐れみを見せたことで、憐れみをかけられた人たちが不幸になっていく様をたくさん見てきました」
マイアは言葉を続ける。
「テリーさん、あなたはアリスさんをそんな人たちと同じ目に遭わせたいんですか? 違いますでしょう? 彼女が今後も五体満足で幸せに暮らしていくためには、ここでリーダーであるテリーさんが心を鬼にしてもアリスさんを追放させるしかなかった」
マイアは悲しそうな目で俺を見つめてくる。
ああ……何て魅力的な瞳なんだ。
いつから、このマイアの瞳を美しいと思ったのだろう。
マイアがこのパーティーに入って早2週間。
いつの間にか俺はこの瞳に見つめられるとどうしようもなく高揚し、いつしか恋人だったアリスよりもマイアのことしか考えられなくなった。
だからこそ、俺はつい数日前に決心したのだ。
アリスと別れてこの先はマイアを愛そうと。
そんなマイアは人目もはばからず俺に抱き着いてくる。
「本当にごめんなさい。お辛かったでしょう。いくら私から提案したこととはいえ、幼馴染であり元恋人にあんなことを言うのは」
俺があたふたしていると、他の仲間たちは「あとはお2人でご勝手に」と言って部屋から出ていく。
きっと俺たちに気を利かせてくれたのだろう。
ならば、俺がやることは1つだ。
俺はマイアを強く抱きしめた。
「アリスを追放したのは心苦しい。だが、ここには君がいる。君さえ傍にいてくれれば、もう今はそれでいい……マイア、君のことを愛している」
「アリスさんよりも?」
「ああ、アリスよりも今は君を愛しているよ」
「嬉しい」
俺たちはこのあと冒険者ギルドを出ると、他の仲間たちが泊っている宿屋とは別な宿屋へと向かった。
そして――。
俺たちは朝まで互いに愛を確かめ合った。
今ならばはっきりと言える。
ありとあらゆる魔法を使いこなす僧侶マイア。
年齢とは裏腹に多くのパーティーを渡り歩き、実戦経験とは別な意味での経験も豊富だった僧侶マイア。
容姿も抜群で守ってやりたくなるほど愛くるしかった僧侶マイア。
今ならばはっきりと言える。
この女に出会ったことが、俺の人生の中で最大最凶の汚点だったことに。
「この【飛竜の牙】を抜ける? おい、嘘だと言ってくれ!」
俺は【飛竜の牙】として取っていた宿屋の一室で驚きの声を上げた。
当たり前だ。
マイアと一夜をともにした翌日に元の宿屋に帰るなり、他の仲間たち――重戦士のアントンと拳法家のヤンの2人が【飛竜の牙】を抜けると言い出したのである。
「り、理由を教えてくれ! どうしてこんなときにパーティーを抜けるって言うんだ? 俺たち【飛竜の牙】は国から勇者パーティーの候補として選ばれたんだぞ。もう少し実績を積めば、晴れて正式な勇者パーティーになることだって夢じゃない。そうなったら――」
「お前とマイアは幸せになるってか?」
吐き捨てるように言ったのはアントンだ。
「ふざけるなよ、テリー……てめえ、アリスをあんな理由で追放しておいて何を寝ぼけてやがる」
そうアルよ、とヤンも頷いて同意する。
「しかもテリーさん、あなた私たちに何の相談も無しに勝手に決めたよネ? いいや、あの女だけには相談していたみたいだけど、どっちにしろアリスさんをあんな身勝手な理由でパーティーから追放するなんてあんまりヨ。悪いけど、そんなリーダーと一緒にこれから闘うなんて無理」
「俺もヤンと同じ意見だ。ましてや、あんなクソ女とこれから四六時中、一緒にいるなんて俺はごめんだね」
そう言うとアントンは、身支度を整えて部屋から出て行こうとする。
「アントンさんほど悪くは言いたくないけど、確かにあの人とこれから一緒にいるのは私も無理。あの女は魔性ヨ。テリーさんはアリスさんからあの女にあっさりと乗り換えたみたいだけど、仲間であり友だった者から言わせて貰う……テリーさん、すぐにあの女と手を切らないと恐ろしい目に遭うヨ」
不吉なことを口にしたヤンも、アントンと同じく荷物を整え始めた。
「ま、待ってくれ。確かに2人に相談もせずに決めたのは謝る。だけど、昨日は2人とも俺とマイアに気を利かせて部屋から出て行ったんじゃないのか。あれは俺とマイアのことを祝福してくれたからだろう? それにアリスはこのままパーティーに居たら危険だしお荷物になる。そうだろう?」
アントンとヤンは互いの顔を見合わせる。
「……テリー、お前はもうダメだ」
「テリーさん、それ本気で言ってるの? アリスさんが私たちパーティーに必要ないって」
「それは……マイアがそう言ったんだ。アリスはレベルも上がらないし魔法も使えない。けど、俺たちは勇者パーティー候補になった。このままだとアリスは俺たちと実力に開きが出て危険だからって」
「はっ、アリスがレベルも上がらないし魔法が使えないなんて昨日今日分かったことじゃねえだろ。それにアリスはそんな中でも必死に俺たちの役に立ちたいからって、戦闘以外にも雑用なんかを率先してやってくれていたんじゃねえか」
「アントンさんの言う通りヨ。それにアリスさんは強敵と闘えない反面、危険な斥候の仕事なんかも本職じゃないのに務めてくれた。私たち知ってるのヨ。休みの日には斥候の専門家たちに頭を下げて勉強していたのをネ」
俺は耳を疑った。
確かにここ最近の休みの日などには、アリスは用事があると言ってどこかへ行っていた。
そのため、最近の俺たちはまともに愛が育めなくなっていた。
俺がマイアに惹かれた原因もその1つだ。
もしかして、アリスはどこかに俺よりも良い男を見つけたんじゃないかと……。
「まさか、てめえはアリスが浮気してたとでも思っていたのか? 馬鹿じゃねえの。それであんな尻軽女に引っかかったのか」
し、尻軽女?
さすがにその言葉は聞き流せなかった。
「尻軽女とはマイアのことか! いくら仲間とはいえ、彼女をそんな風に悪く言うのは許さんぞ!」
怒りを露わにした俺に対して、逆にアントンは冷静な顔になっていく。
「やっぱり、あの噂は本当だったんだな」
「そうネ。テリーさん、間違いなくあの女の魔法にやられてるよ」
な、何のことだ?
この2人は何のことを言っているんだ?
やがてアントンは大きなため息をついた。
「教えてやるよ。アリスを裏切ってまで愛したいと思い込まされた、あのマイア・クローバーの噂をな」
ヤンは荷物入れの中から何かを取り出すと、それを俺の手元へと放り投げた。
俺は慌ててそれをキャッチする。
「この前のダンジョン攻略のときに私が見つけた戦利品の1つネ。たとえパーティー仲間でも、ダンジョンで見つけたアイテムは見つけた者のもの。でも、それはあなたにあげるヨ。それを身に着けた上で、今から言うアントンの噂を自分で確かめてみればいいヨ」
正直、このときの俺はまだマイアの術中にはまっていた。
だから、アントンから聞かされたマイアの噂を聞いてもまったく信じられなかったよ。
俺のマイアに対する愛が偽物だったなんてな。
でも、このときの俺はまさに術中にはまっていたんだ。
そんな俺はアントンからマイアの噂を聞くなり、アントンとヤンを怒りに任せて部屋から追い出した。
「そんな噂を信じるようなお前たちの顔なんて二度と見たくない!」
……ってな、感じでね。
ただ、1人になったことで「もしかすると」という気持ちが湧いてきたんだ。
だから確かめようと思った。
俺のマイアに対する愛は本物だ。
アリスと別れてもこの人を愛したい、と思った感情は嘘じゃないってね。
え? それで、どうしたかって?
別の宿屋に泊まっていたマイアを呼び出したんだ。
俺たちが初めて出会った、大勢の人たちの憩いの場である街の中央広場にさ。
だが、このときの俺は知る由もなかったよ。
まさか、それが破滅に向かうすべての始まりだったなんて――。
時刻は昼過ぎ――。
「テリーさん……今、何と仰いました?」
街の中央広場にやってきたマイアは、俺の言葉を聞くなり目を丸くさせた。
「だから、もう冒険者なんて辞めて2人で田舎へ行こう。もう魔物討伐なんてしなくていい。のんびりとスローライフを楽しみながら末永く愛し合うんだ」
「待ってください。いきなりどういうことです? 私たちは勇者パーティーの候補になったんですよ? もう少し頑張ったら正式な勇者パーティーに選ばれるのも夢じゃありません。それなのに冒険者を辞める?」
マイアは頭上に疑問符を浮かばせながら全身を震わせる。
「ほ、他の2人はどう言っているんです! 私たちだけ冒険者を辞めるなんて、アントンさんもヤンさんも認めないでしょう!」
「ああ、あの2人は俺がマイアと田舎暮らしをしたいと言ったら【飛竜の牙】から抜けたよ。それに、俺は朝一で冒険者ギルドに冒険者章を返納してきた。これで晴れて今日から無職の身だ。つまり、どこで何をしようと自由ってことさ」
半分は本当で半分は嘘だった。
アントンとヤンが【飛竜の牙】を抜けたのは本当だったが、俺はまだ冒険者ギルドに冒険者章を返納していない。
つまり、俺はまだAランク冒険者のテリー・ダマスカスのままだ。
「嘘だと言ってください、テリーさん。冒険者を辞めたなんて嘘ですよね? ちょっとした冗談ですよね?」
マイアは俺に駆け寄ってくると、じっとその蠱惑的な目で俺を見つめてくる。
ああ……アントンの言っていたことは本当だったのか。
このとき、俺は今まで感じていたマイアへの魅力がまったく無くなっていることを確信した。
いや、正しくは〈魅了〉の魔法に掛けられていたことを知ったのだ。
「マイア、君は俺に〈魅了〉の魔法を掛けていたんだね? いいや、俺だけじゃない。俺のような勇者パーティーの候補になったリーダーや、急に実力をつけてきたパーティー内の有力者に〈魅了〉の魔法を掛けて取り入ってきた」
俺は冷静を装って言葉を続ける。
「理由は将来において自分が虜にした男が、それこそ貴族になるほど活躍すれば自分は悠々自適な暮らしができるかもしれない。だけど、そんな活躍の芽が出ない男だと分かるとすぐに他の男へ行く女だって噂を聞いた。それは本当なのか?」
直後、マイアの顔から血の気が引いていく。
「ひどい、テリーさん! そんな噂を真に受けるなんてひどすぎます!」
「うん、俺だってそんな噂を信じたくなかったよ……でも、ヤンに貰ったこの指輪をはめながら今の君を見ていても、これまで――それこそ今日の朝まで君に抱いていた愛情がまったく湧いてこないんだ」
俺は左手の薬指にはめていた指輪をマイアに見せつける。
「それは〈解呪の指輪〉!」
マイアが叫んだように、俺がはめている指輪の名前は〈解呪の指輪〉という。
その名の通り、指にはめると他者からの魔法――主に精神異常の魔法を無効化してくれる指輪だった。
「しかも君は恋人がいるリーダーのパーティーなんかを優先的に選んでいたと聞いた。君は他人が所有しているモノ――それこそ物だろうと人だろうと欲しくなる女だって……」
俺はギリッと奥歯を軋ませた。
「嘘だよな? な? 頼むから嘘だと言ってくれ。でないと、俺は……」
何のためにアリスと別れてしまったのか分からない。
「はあ~……もういいわ」
やがてマイアは大きなため息を吐いた。
「今度こそ玉の輿候補を見つけたと思ったのに、蓋を開けてみればこんな男だったなんて……冒険者を辞めて田舎でスローライフ? 何? あんたと一緒に畑でも耕せって言うの?」
馬鹿じゃない、とマイアは吐き捨てるように言った。
「田舎に行きたいなら勝手に行けば? 私は行かないわよ。そうそう、そう言うことなら私も【飛竜の牙】を抜ける……って、もうあなたは冒険者を辞めたんだからパーティーも何もないわね。それでは、どうか身体に気を付けて畑仕事でも何でも頑張ってください」
そう言うとマイアは、もう俺に興味を無くしたように立ち去ろうとした。
だが、このまま黙ってマイアを見逃すわけにはいかない。
「ふざけるな! お前のせいで俺は恋人を失ったんだぞ!」
俺は激高すると、マイアの腕をがしりと掴む。
すると――。
「キャアアアア――ッ! 誰か助けて!」
と、マイアが大声で周囲に助けを呼んだ。
俺は訳が分からなかった。
それでもマイアは「助けて!」や「犯される!」とわめき散らしている。
「だ、誰か助けてください! この人は変質者です!」
「お前、いい加減に」
するんだ、と俺が言おうとしたときだ。
俺はいきなり後方から誰かに身体を掴まれ、そのまま地面に投げ倒された。
それだけではない。
何人もの男たちが俺の身体を押さえつけてくる。
「大丈夫か、お嬢さん!」
「白昼堂々と女を襲うなんてとんでもねえ野郎だ!」
「おい、誰か警備隊を呼んで来てくれ!」
俺は慌てて叫んだ。
「ち、違う! 俺は襲っていたわけじゃない! 俺とその女は恋人なんだ!」
本当はもうそんな気持ちは微塵もなかったが、そうでも言わないとこの場を乗り切れそうになかった。
「お嬢ちゃん、この男の言っていることは本当なのか?」
俺を押さえつけている男の1人がマイアに訊く。
「知りません、こんな男! 見ず知らずの他人なのに気持ち悪い! きっと頭がおかしいんです! 早く警備隊に突き出してください!」
こ、この女!
俺は怒りで頭が真っ白になったが、複数の男たちに押さえつけられていてはどうしようもない。
本気になれば振りほどけるものの、大衆の面前でそんなことをすれば確実に犯罪者扱いされる。
そうこうしている間に、俺は駆けつけた警備隊に逮捕されたのだった。
街の中央広場で逮捕されてから数日。
俺は魔法が使えない特殊な留置場の中に入れられている。
そんな中、俺は薄暗い留置場の中で絶望と後悔に苛まれていた。
今にして本当に思う。
どうして、あんな女に騙されて本当に大切な人を捨ててしまったのだろう。
アリス。
心の底から愛していたアリス。
魔法で心を奪われていたとはいえ、こんなことになったのは俺にも責任がある。
この留置場に入れられたあと、俺は〈魅了〉の魔法について思い出したのだ。
淫魔などの魔族が使う〈魅了〉の魔法は強力だが、人間の使う〈魅了〉の魔法には条件がある。
それは〈魅了〉の魔法を掛けられた人間に恋人がいた場合、少しでも別の人間に対する浮気心があれば掛けられてしまうこと。
つまり、俺にはアリスを本気で愛している心がなかったのだ。
くそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっ――――ッ!
俺は硬く握った拳で床を何度も殴りつけた。
などと後悔しても、もう遅い。
しかし、それでも後悔の波が怒涛のように押し寄せてくる。
同時にアリスの顔が浮かんだ。
せめてもう一度、アリスの顔が見たい。
それが無理でも声が聞きたい。
声すらも聞けないのなら、せめてアリスの書いた文字が読みたい。
何でもいい。
とにかく、今はアリスと何でもいいから触れ合いたかった。
と、俺が両目に涙を浮かばせたときだ。
「おい、テリー・ダマスカス。お前に手紙だぞ」
いつの間にか、看守が鉄格子の前に立っていた。
その手には1通の手紙を持っている。
「て、手紙? 誰から?」
「そこまでは知らん。だが、女だったらしいぞ」
まさか、と俺は思った!
俺は震えた手で看守から手紙を受け取った。
間違いない、手紙をくれたのはアリスだ!
俺のことを聞きつけて、こうして手紙をくれたんだ!
きっと留置所から出たら色々と話し合いたい、とかの内容なんだ!
ああ、アリス。
ごめんよ、アリス。
いきなり許して貰えるとは思っていないが、ここから出たら2人でゆっくりと話し合おう。
俺は震える手で中身を見た。
しかし、つい数秒前までの俺の期待は一瞬で打ち砕かれた。
手紙の送り主はアリスじゃなかったのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
あなたと一緒にいた時間は、私の人生で大いに無駄でした
身体を許した分の慰謝料を請求したいところですがやめておきます
あなたは本当に冒険者を解雇されることになったらしいですよ
私の新たな恋人になったギルド・マスターが言っていました
なので、あなたはそこから出たら無職どころか犯罪者として見られます
くれぐれも、街中で私に会っても話しかけないでくださいね
追伸、アリスさんも冒険者を辞めて別の街へ行ったそうですよ
マイア・クローバー
――――――――――――――――――――――――――――――
手紙を読み終わったとき、俺の心の中にあった糸がぷつりと切れた。
「あははははははははははははははは」
同時に俺は腹の底から笑った。
俺は何て馬鹿なんだ。
あんなひどい一方的な別れ方をしてしまったアリスが、俺に手紙なんてくれるはずもなかったのに。
気づいても、もう遅い。
絶望しても、もう遅い。
懺悔しても、もう遅い。
そしてどれだけ後悔しても、もう遅すぎる。
これも因果応報なんだ。
俺はぐしゃりと手紙を握り潰すと、両目から溢れている涙を拭いもせずに、喉が枯れるほど笑った。
いつまでもいつまでもいつまでも――。
~Fin~
「アリス、悪いが今日で君はこのパーティーから抜けて貰う。正直なところ、君の実力では今後も俺たちのパーティーでやっていくことは難しいだろう。このままだと君は確実に大怪我するか、最悪だと死に至るかもしれない」
俺は他のパーティー仲間がいる前で、テーブルを挟んだ対面にいる茶髪の少女――アリス・マーガレットに意を決して告げた。
「テリー、理由を聞かせて貰ってもいい?」
彼女は怒るどころか、どこか寂し気な表情で尋ねてくる。
ズキン、と俺の心臓に痛みが走った。
「理由は君にも分かるだろう? ようやく俺たち【飛竜の牙】は、国から勇者パーティー候補として認められるまでになったんだ。しかし、君はずっとレベルが上がらないまま……しかもこの国では珍しい魔法が使えない剣士だ。それでも君は君なりに一生懸命にパーティーに尽くしてくれた。それはリーダーとして本当に感謝している。だが――」
俺は早くこの話を終わらせようと早口でまくし立てる。
そうしないとアリスの悲しそうな顔に耐えられない。
「やはり、これ以上は無理だ。これから先はAランクの魔物討伐も視野に入れている。Aランクの冒険者となった俺たち以外で、君だけは未だにCランクのままだ……残念だがいくら幼馴染とはいえ、君をこれ以上危険な目に遭わせられない」
本心だった。
けれど本音ではなかった。
やがてアリスは、俺と俺の隣にいる僧侶のマイアを見て笑みを浮かべた。
しかし、その両目には薄っすらと涙がにじんでいる。
「……うん、分かったよ。そうだよね。これ以上、足手まといの私がいたら皆の迷惑だもん。ごめんね、テリー。今までずっと嫌だったんだよね?」
ズキン、とまたしても俺の心臓に鋭い痛みが走った。
本当は違う。
魔法が使えないやレベルが上がらないなんてどうでもいい。
ましてや嫌っていたなど微塵もない。
しかし、だからこそこれ以上はアリスをパーティーに置いておくわけにはいかないのだ。
「すまない、アリス。もちろん、君の新たな転職先の手伝いはさせて貰う。退職金もそれ相応の額は出す。だから……」
「ううん、いいよ。無理しないで、テリー」
アリスは立ち上がると、俺とマイアを見て「お幸せにね」と告げて去っていく。
そんなアリスの声色には、まったく憎しみなどの感情はなかった。
アリスはすべてを悟った上で、俺たちのことを本当に祝福して去ったのだ。
正直に言おう。
このときの俺はどうかしていた。
本当にどうかしていた。
気立ても良く、剣術もそれなりに出来て、しかもいつも俺のことを最優先に考えてくれたアリス。
俺からの告白を顔を赤らめて了承してくれたアリス。
だが、どれだけ悔いても時間は戻せない。
もう、俺の前にアリスはいないからだ。
当然だよな。
俺の身勝手で馬鹿な一時の気の迷いで、自分からアリスという恋人だった女性を捨てたのだから。
だからこそ、俺はこのときの俺に言いたい。
お前は何て馬鹿なことをしたんだ――。
「これで彼女もこれからの魔物討伐で大怪我や死なずに済みます。テリーさん、あなたのしたことはパーティーにとってもアリスさんにとっても大英断でしたよ」
アリスが去ったあと、隣にいたマイアがにこやかな笑みで言ってくる。
マイアは俺と同じ、18歳の金髪碧眼の僧侶だ。
僧侶と言っても回復魔法のみならず、攻撃魔法や補助魔法、それに精神異常の魔法なども使いこなす逸材だった。
容姿もとても良い。
いや、良すぎると言っても過言ではない。
男前と形容できたアリスと違って、可愛いと表現できる猫のような愛嬌を持つ少女だった。
「でも、本当にこれでよかったのだろうか? 別にパーティーから追放させなくても、それこそサポーターとしていてくれれば……」
「ダメです!」
マイアはテーブルを叩いて言い放った。
「私はこれまでに数多くのパーティーで働いてきましたが、そういう実力のない者に対する憐れみを見せたことで、憐れみをかけられた人たちが不幸になっていく様をたくさん見てきました」
マイアは言葉を続ける。
「テリーさん、あなたはアリスさんをそんな人たちと同じ目に遭わせたいんですか? 違いますでしょう? 彼女が今後も五体満足で幸せに暮らしていくためには、ここでリーダーであるテリーさんが心を鬼にしてもアリスさんを追放させるしかなかった」
マイアは悲しそうな目で俺を見つめてくる。
ああ……何て魅力的な瞳なんだ。
いつから、このマイアの瞳を美しいと思ったのだろう。
マイアがこのパーティーに入って早2週間。
いつの間にか俺はこの瞳に見つめられるとどうしようもなく高揚し、いつしか恋人だったアリスよりもマイアのことしか考えられなくなった。
だからこそ、俺はつい数日前に決心したのだ。
アリスと別れてこの先はマイアを愛そうと。
そんなマイアは人目もはばからず俺に抱き着いてくる。
「本当にごめんなさい。お辛かったでしょう。いくら私から提案したこととはいえ、幼馴染であり元恋人にあんなことを言うのは」
俺があたふたしていると、他の仲間たちは「あとはお2人でご勝手に」と言って部屋から出ていく。
きっと俺たちに気を利かせてくれたのだろう。
ならば、俺がやることは1つだ。
俺はマイアを強く抱きしめた。
「アリスを追放したのは心苦しい。だが、ここには君がいる。君さえ傍にいてくれれば、もう今はそれでいい……マイア、君のことを愛している」
「アリスさんよりも?」
「ああ、アリスよりも今は君を愛しているよ」
「嬉しい」
俺たちはこのあと冒険者ギルドを出ると、他の仲間たちが泊っている宿屋とは別な宿屋へと向かった。
そして――。
俺たちは朝まで互いに愛を確かめ合った。
今ならばはっきりと言える。
ありとあらゆる魔法を使いこなす僧侶マイア。
年齢とは裏腹に多くのパーティーを渡り歩き、実戦経験とは別な意味での経験も豊富だった僧侶マイア。
容姿も抜群で守ってやりたくなるほど愛くるしかった僧侶マイア。
今ならばはっきりと言える。
この女に出会ったことが、俺の人生の中で最大最凶の汚点だったことに。
「この【飛竜の牙】を抜ける? おい、嘘だと言ってくれ!」
俺は【飛竜の牙】として取っていた宿屋の一室で驚きの声を上げた。
当たり前だ。
マイアと一夜をともにした翌日に元の宿屋に帰るなり、他の仲間たち――重戦士のアントンと拳法家のヤンの2人が【飛竜の牙】を抜けると言い出したのである。
「り、理由を教えてくれ! どうしてこんなときにパーティーを抜けるって言うんだ? 俺たち【飛竜の牙】は国から勇者パーティーの候補として選ばれたんだぞ。もう少し実績を積めば、晴れて正式な勇者パーティーになることだって夢じゃない。そうなったら――」
「お前とマイアは幸せになるってか?」
吐き捨てるように言ったのはアントンだ。
「ふざけるなよ、テリー……てめえ、アリスをあんな理由で追放しておいて何を寝ぼけてやがる」
そうアルよ、とヤンも頷いて同意する。
「しかもテリーさん、あなた私たちに何の相談も無しに勝手に決めたよネ? いいや、あの女だけには相談していたみたいだけど、どっちにしろアリスさんをあんな身勝手な理由でパーティーから追放するなんてあんまりヨ。悪いけど、そんなリーダーと一緒にこれから闘うなんて無理」
「俺もヤンと同じ意見だ。ましてや、あんなクソ女とこれから四六時中、一緒にいるなんて俺はごめんだね」
そう言うとアントンは、身支度を整えて部屋から出て行こうとする。
「アントンさんほど悪くは言いたくないけど、確かにあの人とこれから一緒にいるのは私も無理。あの女は魔性ヨ。テリーさんはアリスさんからあの女にあっさりと乗り換えたみたいだけど、仲間であり友だった者から言わせて貰う……テリーさん、すぐにあの女と手を切らないと恐ろしい目に遭うヨ」
不吉なことを口にしたヤンも、アントンと同じく荷物を整え始めた。
「ま、待ってくれ。確かに2人に相談もせずに決めたのは謝る。だけど、昨日は2人とも俺とマイアに気を利かせて部屋から出て行ったんじゃないのか。あれは俺とマイアのことを祝福してくれたからだろう? それにアリスはこのままパーティーに居たら危険だしお荷物になる。そうだろう?」
アントンとヤンは互いの顔を見合わせる。
「……テリー、お前はもうダメだ」
「テリーさん、それ本気で言ってるの? アリスさんが私たちパーティーに必要ないって」
「それは……マイアがそう言ったんだ。アリスはレベルも上がらないし魔法も使えない。けど、俺たちは勇者パーティー候補になった。このままだとアリスは俺たちと実力に開きが出て危険だからって」
「はっ、アリスがレベルも上がらないし魔法が使えないなんて昨日今日分かったことじゃねえだろ。それにアリスはそんな中でも必死に俺たちの役に立ちたいからって、戦闘以外にも雑用なんかを率先してやってくれていたんじゃねえか」
「アントンさんの言う通りヨ。それにアリスさんは強敵と闘えない反面、危険な斥候の仕事なんかも本職じゃないのに務めてくれた。私たち知ってるのヨ。休みの日には斥候の専門家たちに頭を下げて勉強していたのをネ」
俺は耳を疑った。
確かにここ最近の休みの日などには、アリスは用事があると言ってどこかへ行っていた。
そのため、最近の俺たちはまともに愛が育めなくなっていた。
俺がマイアに惹かれた原因もその1つだ。
もしかして、アリスはどこかに俺よりも良い男を見つけたんじゃないかと……。
「まさか、てめえはアリスが浮気してたとでも思っていたのか? 馬鹿じゃねえの。それであんな尻軽女に引っかかったのか」
し、尻軽女?
さすがにその言葉は聞き流せなかった。
「尻軽女とはマイアのことか! いくら仲間とはいえ、彼女をそんな風に悪く言うのは許さんぞ!」
怒りを露わにした俺に対して、逆にアントンは冷静な顔になっていく。
「やっぱり、あの噂は本当だったんだな」
「そうネ。テリーさん、間違いなくあの女の魔法にやられてるよ」
な、何のことだ?
この2人は何のことを言っているんだ?
やがてアントンは大きなため息をついた。
「教えてやるよ。アリスを裏切ってまで愛したいと思い込まされた、あのマイア・クローバーの噂をな」
ヤンは荷物入れの中から何かを取り出すと、それを俺の手元へと放り投げた。
俺は慌ててそれをキャッチする。
「この前のダンジョン攻略のときに私が見つけた戦利品の1つネ。たとえパーティー仲間でも、ダンジョンで見つけたアイテムは見つけた者のもの。でも、それはあなたにあげるヨ。それを身に着けた上で、今から言うアントンの噂を自分で確かめてみればいいヨ」
正直、このときの俺はまだマイアの術中にはまっていた。
だから、アントンから聞かされたマイアの噂を聞いてもまったく信じられなかったよ。
俺のマイアに対する愛が偽物だったなんてな。
でも、このときの俺はまさに術中にはまっていたんだ。
そんな俺はアントンからマイアの噂を聞くなり、アントンとヤンを怒りに任せて部屋から追い出した。
「そんな噂を信じるようなお前たちの顔なんて二度と見たくない!」
……ってな、感じでね。
ただ、1人になったことで「もしかすると」という気持ちが湧いてきたんだ。
だから確かめようと思った。
俺のマイアに対する愛は本物だ。
アリスと別れてもこの人を愛したい、と思った感情は嘘じゃないってね。
え? それで、どうしたかって?
別の宿屋に泊まっていたマイアを呼び出したんだ。
俺たちが初めて出会った、大勢の人たちの憩いの場である街の中央広場にさ。
だが、このときの俺は知る由もなかったよ。
まさか、それが破滅に向かうすべての始まりだったなんて――。
時刻は昼過ぎ――。
「テリーさん……今、何と仰いました?」
街の中央広場にやってきたマイアは、俺の言葉を聞くなり目を丸くさせた。
「だから、もう冒険者なんて辞めて2人で田舎へ行こう。もう魔物討伐なんてしなくていい。のんびりとスローライフを楽しみながら末永く愛し合うんだ」
「待ってください。いきなりどういうことです? 私たちは勇者パーティーの候補になったんですよ? もう少し頑張ったら正式な勇者パーティーに選ばれるのも夢じゃありません。それなのに冒険者を辞める?」
マイアは頭上に疑問符を浮かばせながら全身を震わせる。
「ほ、他の2人はどう言っているんです! 私たちだけ冒険者を辞めるなんて、アントンさんもヤンさんも認めないでしょう!」
「ああ、あの2人は俺がマイアと田舎暮らしをしたいと言ったら【飛竜の牙】から抜けたよ。それに、俺は朝一で冒険者ギルドに冒険者章を返納してきた。これで晴れて今日から無職の身だ。つまり、どこで何をしようと自由ってことさ」
半分は本当で半分は嘘だった。
アントンとヤンが【飛竜の牙】を抜けたのは本当だったが、俺はまだ冒険者ギルドに冒険者章を返納していない。
つまり、俺はまだAランク冒険者のテリー・ダマスカスのままだ。
「嘘だと言ってください、テリーさん。冒険者を辞めたなんて嘘ですよね? ちょっとした冗談ですよね?」
マイアは俺に駆け寄ってくると、じっとその蠱惑的な目で俺を見つめてくる。
ああ……アントンの言っていたことは本当だったのか。
このとき、俺は今まで感じていたマイアへの魅力がまったく無くなっていることを確信した。
いや、正しくは〈魅了〉の魔法に掛けられていたことを知ったのだ。
「マイア、君は俺に〈魅了〉の魔法を掛けていたんだね? いいや、俺だけじゃない。俺のような勇者パーティーの候補になったリーダーや、急に実力をつけてきたパーティー内の有力者に〈魅了〉の魔法を掛けて取り入ってきた」
俺は冷静を装って言葉を続ける。
「理由は将来において自分が虜にした男が、それこそ貴族になるほど活躍すれば自分は悠々自適な暮らしができるかもしれない。だけど、そんな活躍の芽が出ない男だと分かるとすぐに他の男へ行く女だって噂を聞いた。それは本当なのか?」
直後、マイアの顔から血の気が引いていく。
「ひどい、テリーさん! そんな噂を真に受けるなんてひどすぎます!」
「うん、俺だってそんな噂を信じたくなかったよ……でも、ヤンに貰ったこの指輪をはめながら今の君を見ていても、これまで――それこそ今日の朝まで君に抱いていた愛情がまったく湧いてこないんだ」
俺は左手の薬指にはめていた指輪をマイアに見せつける。
「それは〈解呪の指輪〉!」
マイアが叫んだように、俺がはめている指輪の名前は〈解呪の指輪〉という。
その名の通り、指にはめると他者からの魔法――主に精神異常の魔法を無効化してくれる指輪だった。
「しかも君は恋人がいるリーダーのパーティーなんかを優先的に選んでいたと聞いた。君は他人が所有しているモノ――それこそ物だろうと人だろうと欲しくなる女だって……」
俺はギリッと奥歯を軋ませた。
「嘘だよな? な? 頼むから嘘だと言ってくれ。でないと、俺は……」
何のためにアリスと別れてしまったのか分からない。
「はあ~……もういいわ」
やがてマイアは大きなため息を吐いた。
「今度こそ玉の輿候補を見つけたと思ったのに、蓋を開けてみればこんな男だったなんて……冒険者を辞めて田舎でスローライフ? 何? あんたと一緒に畑でも耕せって言うの?」
馬鹿じゃない、とマイアは吐き捨てるように言った。
「田舎に行きたいなら勝手に行けば? 私は行かないわよ。そうそう、そう言うことなら私も【飛竜の牙】を抜ける……って、もうあなたは冒険者を辞めたんだからパーティーも何もないわね。それでは、どうか身体に気を付けて畑仕事でも何でも頑張ってください」
そう言うとマイアは、もう俺に興味を無くしたように立ち去ろうとした。
だが、このまま黙ってマイアを見逃すわけにはいかない。
「ふざけるな! お前のせいで俺は恋人を失ったんだぞ!」
俺は激高すると、マイアの腕をがしりと掴む。
すると――。
「キャアアアア――ッ! 誰か助けて!」
と、マイアが大声で周囲に助けを呼んだ。
俺は訳が分からなかった。
それでもマイアは「助けて!」や「犯される!」とわめき散らしている。
「だ、誰か助けてください! この人は変質者です!」
「お前、いい加減に」
するんだ、と俺が言おうとしたときだ。
俺はいきなり後方から誰かに身体を掴まれ、そのまま地面に投げ倒された。
それだけではない。
何人もの男たちが俺の身体を押さえつけてくる。
「大丈夫か、お嬢さん!」
「白昼堂々と女を襲うなんてとんでもねえ野郎だ!」
「おい、誰か警備隊を呼んで来てくれ!」
俺は慌てて叫んだ。
「ち、違う! 俺は襲っていたわけじゃない! 俺とその女は恋人なんだ!」
本当はもうそんな気持ちは微塵もなかったが、そうでも言わないとこの場を乗り切れそうになかった。
「お嬢ちゃん、この男の言っていることは本当なのか?」
俺を押さえつけている男の1人がマイアに訊く。
「知りません、こんな男! 見ず知らずの他人なのに気持ち悪い! きっと頭がおかしいんです! 早く警備隊に突き出してください!」
こ、この女!
俺は怒りで頭が真っ白になったが、複数の男たちに押さえつけられていてはどうしようもない。
本気になれば振りほどけるものの、大衆の面前でそんなことをすれば確実に犯罪者扱いされる。
そうこうしている間に、俺は駆けつけた警備隊に逮捕されたのだった。
街の中央広場で逮捕されてから数日。
俺は魔法が使えない特殊な留置場の中に入れられている。
そんな中、俺は薄暗い留置場の中で絶望と後悔に苛まれていた。
今にして本当に思う。
どうして、あんな女に騙されて本当に大切な人を捨ててしまったのだろう。
アリス。
心の底から愛していたアリス。
魔法で心を奪われていたとはいえ、こんなことになったのは俺にも責任がある。
この留置場に入れられたあと、俺は〈魅了〉の魔法について思い出したのだ。
淫魔などの魔族が使う〈魅了〉の魔法は強力だが、人間の使う〈魅了〉の魔法には条件がある。
それは〈魅了〉の魔法を掛けられた人間に恋人がいた場合、少しでも別の人間に対する浮気心があれば掛けられてしまうこと。
つまり、俺にはアリスを本気で愛している心がなかったのだ。
くそっくそっくそっくそっくそっくそっくそっ――――ッ!
俺は硬く握った拳で床を何度も殴りつけた。
などと後悔しても、もう遅い。
しかし、それでも後悔の波が怒涛のように押し寄せてくる。
同時にアリスの顔が浮かんだ。
せめてもう一度、アリスの顔が見たい。
それが無理でも声が聞きたい。
声すらも聞けないのなら、せめてアリスの書いた文字が読みたい。
何でもいい。
とにかく、今はアリスと何でもいいから触れ合いたかった。
と、俺が両目に涙を浮かばせたときだ。
「おい、テリー・ダマスカス。お前に手紙だぞ」
いつの間にか、看守が鉄格子の前に立っていた。
その手には1通の手紙を持っている。
「て、手紙? 誰から?」
「そこまでは知らん。だが、女だったらしいぞ」
まさか、と俺は思った!
俺は震えた手で看守から手紙を受け取った。
間違いない、手紙をくれたのはアリスだ!
俺のことを聞きつけて、こうして手紙をくれたんだ!
きっと留置所から出たら色々と話し合いたい、とかの内容なんだ!
ああ、アリス。
ごめんよ、アリス。
いきなり許して貰えるとは思っていないが、ここから出たら2人でゆっくりと話し合おう。
俺は震える手で中身を見た。
しかし、つい数秒前までの俺の期待は一瞬で打ち砕かれた。
手紙の送り主はアリスじゃなかったのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
あなたと一緒にいた時間は、私の人生で大いに無駄でした
身体を許した分の慰謝料を請求したいところですがやめておきます
あなたは本当に冒険者を解雇されることになったらしいですよ
私の新たな恋人になったギルド・マスターが言っていました
なので、あなたはそこから出たら無職どころか犯罪者として見られます
くれぐれも、街中で私に会っても話しかけないでくださいね
追伸、アリスさんも冒険者を辞めて別の街へ行ったそうですよ
マイア・クローバー
――――――――――――――――――――――――――――――
手紙を読み終わったとき、俺の心の中にあった糸がぷつりと切れた。
「あははははははははははははははは」
同時に俺は腹の底から笑った。
俺は何て馬鹿なんだ。
あんなひどい一方的な別れ方をしてしまったアリスが、俺に手紙なんてくれるはずもなかったのに。
気づいても、もう遅い。
絶望しても、もう遅い。
懺悔しても、もう遅い。
そしてどれだけ後悔しても、もう遅すぎる。
これも因果応報なんだ。
俺はぐしゃりと手紙を握り潰すと、両目から溢れている涙を拭いもせずに、喉が枯れるほど笑った。
いつまでもいつまでもいつまでも――。
~Fin~
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