異世界恋愛の短編集

岡崎 剛柔

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ある婚約破棄にまつわる姉妹の呪い

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「え~と……こ、公爵家子息である僕ことグランツ・オーレンは……この場において伯爵令嬢であるミディア・マクマホンと……こ、婚約破棄する……り、理由は……」

「ダメです!」

 と、私は彼の口上をさえぎった。

「もっと滑舌よくはっきりと喋ってください。それに最初の「え~と」って何なのですか。棒読み感も甚だしいですよ。もっと心を込めて言ってくれないと、本番のときではもっとどもってしまいますよ」

「す、すまない。今度は頑張るよ」

 そう言うと彼は、再び私の前で練習を始めた。

 現在の時刻は夕方――。

 場所はオーレン公爵屋敷の居室の1つである。

 そしてレミリア・マクマホンこと私の目の前にいるのは、15歳の私よりも2つ年上の公爵令息であるグランツ・オーレンさま。

 金髪を綺麗に7・3にして眼鏡をかけている男性だ。

 そう、このオーレン公爵家の跡継ぎの方である。

 え? そんな人と何をしているのかって?

 決まっているじゃない。

 これから数時間後に大広間で開かれる、グランツ・オーレンさまから私の実姉であるミディア・マクマホンへと告げる婚約破棄の練習だ。

 もちろん、大広間には結婚披露パーティーという名目で大勢の貴族が足を運んでくる。

 パーティー自体も華やかで豪勢になり、招かれた貴族たちは「グランツ・オーレン公爵令息とミディア・マクマホン伯爵令嬢」の婚約披露パーティーが開かれると信じている。

 しかし、残念なことにそのようなパーティーは開かれない。

 いや、婚約披露パーティー自体はきちんと開かれる。

 1流の腕前を持った楽団たちの演奏や、同じく1流の料理人たちが腕を振るう美食美酒もずらりと並ぶだろう。

 だが、そのパーティーも宴もたけなわな頃に内容が変わる。

 豪華なソファに身体を預けていた私は、数時間後のパーティーを思い浮かべてほくそ笑んだ。

 婚約披露パーティーが一転して婚約破棄パーティーになる瞬間を。

 あはははは、そのときにお姉さま……いいえ、あのクソ姉はどんな表情を浮かべるのかしら。

 私は内心で笑いを堪えるのに必死だった。

 それほど数時間後のパーティーが待ち遠しくてたまらない。

 私はニヤニヤしながらこれまでのことを思い出した。

 レミリア・マクマホンこと私には1つ年上の姉がいる。

 今年で16歳になって全寮制の王立学院に入学した姉が。

 栗色の髪を背中まで伸ばしている私とは違い、うなじの辺りまでしか髪を伸ばしていない姉が。

 名前はミディア・マクマホン。

 昔から本が好きでよく自宅の蔵書室に閉じこもり、王立学院に入学してからも図書室にこもりっきりだという

 それで付いたあだ名が何でも「図書館の妖精」らしい。

 名前こそ可愛らしいが、王立学院に通っている見た目こそ華やかな貴族令嬢たちのつけるあだ名など皮肉をもじっているに過ぎない。

 つまり「図書館の妖精」とは「暗い部屋に閉じこもっている陰キャ女」という意味になる。

 それは私も納得だった。

 とにかく姉は子供の頃から内気で暗く、何かを話すときもボソボソとしか喋らず気持ち悪かった。

 しかし自分の好きなこととなると一転して気が狂ったんじゃないかと思うほど饒舌で感情的になり、それが恋愛要素の含まれる小説となるともう止まらない。

 そんな姉を私は昔から憐れんでいた。

 ああ、こんな人が他家に嫁に行くのは無理ね。

 実際、父上も姉の結婚はほぼ諦めていたようで、姉の結婚話はある日を境にとんと話さなくなった。

 おそらく姉が嫁に行くとしてもせいぜい格下の子爵や男爵家、それが無理なら裕福な商家の後妻ぐらいに落ち着くに違いない。

 一方の私は違う。

 幼少の頃から美と健康に気をつけ、自分の言うのも何だけど才色兼備でスタイルも良い。

 父上も姉とは違って私ならば伯爵家、もしかするとさらに上の侯爵家と縁談が結ばれるかもしれないと喜んでいた。

 そのため、実家では何かと姉よりも私のほうが優遇されていた。

 まあ、それも無理ないわよね。

 陰キャで人付き合いも難しい姉よりも、私のほうがはるかに優良物件なのだから。

 そう思って日々を過ごしていたとき、とんでもないニュースが私の耳に届いた。

 厳密には王立学院の長期休みに帰省した姉が、夕食時に私たちにおどおどとした態度で話し始めたのだ。

 結婚を考えている相手と出会った、と。

 それを聞いた瞬間、私を含めた父上や母上は大きく目を見開いた。

 まさか、姉の口から「結婚」などというパワーワードが出て来るとは思わなかったからだ。

 しかし、このときまでは私も驚きはしたが狼狽えはしなかった。

 ちなみに相手は同じ学院内の生徒かと父上がたずねると、姉は頬を赤らめてうなずいた。

 父上はさらに相手も姉のことをきちんと理解しているのかと訊くと、姉はもう1度こくりと首を縦に振った。

 要するに小説に登場する架空の人物でもなければ、姉の一方的な片思いでもないということだ。

「そ、そうか……で、相手は誰なんだい?」

 父上はまだ少し信じられないような顔をしたが、半ば諦めていた姉の縁談が決まるかもしれないことに喜びながら相手の素性を訊いた。

 ふん、どうせ大した家柄の男性ではないでしょう。

 と、私がグラスに注がれていた水を口に含んだときだ。

「え~、相手は同じ王立学院に通われているグランツ・オーレンさまです」

 ブウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ――――ッ!

 相手の名前を聞いた瞬間、私は盛大に水を吐き出してしまった。

 これには家族全員が驚いた。

 父上からは「レミリア、はしたないぞ!」と怒りの声を浴びせられた。

 けれど、このときの私の耳に父上の怒りの声など聞こえてはいなかった。

 グ、グランツ・オーレンさまですって!

 グランツ・オーレンの名前は貴族社会では有名だった。

 というよりはオーレン家は王族と繋がりのある公爵家である。

 言うならば貴族社会のトップ階級であり、国の重要な位置にある貴族の中の貴族だった。

 そしてグランツ・オーレンはそのオーレン家の子息である。

 しかも次男や三男、はたまた四男や五男でもない。

 将来はオーレン家の家督を継ぐ長男なのだ。

 つまり、グランツさまと結婚する女性には確固たる将来と地位が約束されたようなものだ。

 そんな将来を約束された男に陰キャの姉が嫁に行く?

 とうてい私は信じられなかった。

 しかし、そのときに姉の顔を見てハッとした。

 姉は私を見て笑ったのだ。

 どう? こんなわたしでも公爵家に嫁げるのよ?

 あなたはどうなのかしら?

 どこへ嫁げる?

 伯爵家?

 侯爵家?

 あなたよりも見た目もスタイルも格段に劣るけど、そんなわたしでも公爵家に嫁げるチャンスが巡ってきたのよ?

 うふふ、ざまぁみなさい……と。

 姉は言葉にこそしなかったが、私にはそのように表情から読み取れたのだ。

 直後、ブチッと私の頭の中で何かが切れた。

 許せない。

 陰キャのブス女のくせに、私を下に見るなんて絶対に許さない!

 怒りの炎を燃やした私は、すぐに次の日から情報収集に明け暮れた。

 一夜明けて少し冷静になると、私の頭の中にあることが浮かんだ。

 もしかすると姉の言っていることは妄想かもしれない。

 本の読みすぎで現実と虚構の区別がつかなくなってしまったのかもしれないと。

 そうであれば姉が行くのは公爵家ではなく精神病院しかない。

 むしろ後者であって欲しい。

 などという私の期待は呆気なく打ち砕かれた。

 調べに調べた結果、本当に姉はグランツ・オーレンさまと婚約すると知った。

 何でもグランツさまも相当に変わり者で、図書室で大好きな小説を読みに通っているときに姉と知り合ったのだという。

 何てこと!

 何てことなの!

 真相を知ったとき、再び私の心の中にメラメラと嫉妬の炎が燃え盛った。

 同時に姉に対する憎しみが何倍にも膨れ上がった。

 あんな陰キャのクソ姉が公爵家に嫁ぐ?

 そんなことが許されるのだろうか?

 いや、否だ!

 断じて否である!

 もしも姉がオーレン公爵家に嫁いでしまったら、妹の私がどこに嫁ごうと必ず姉と比べられる。

 しかも私の家柄は、貴族の爵位の中では真ん中の伯爵家。

 どう頑張っても嫁げるのは同じ伯爵家か、運が良い相手と巡り会っても嫁げるのは侯爵家の3男辺りぐらいだろう。

 嫌だ!

 あんな姉に負けたくない!

 このときだった。

 私の頭の後ろから誰かがささやいた。

 寝取ってしまえ、と。

 私は勢いよく振り返ったが、そこには誰もいなかった。

 自室に1人でいたのだから当たり前だったが、その声はまさに天啓だった。

「そうよ。寝取ってしまえばいいのよ。あのクソ姉からグランツさまを」

 それからの私の動きは自分でも驚くぐらい早かった。

 私はグランツさまのスケジュールを調べ上げ、グランツさまが参加する晩餐会や社交界などはすべて自分も参加した。

 それだけではない。

 私は偶然を装ってグランツさまに近づき、最初はさり気なく、途中からはやや大胆に自分の美貌と肉体を最大限に駆使してグランツさまを誘惑した。

 そしてついにグランツさまは私に屈し、姉との婚約を破棄して私と結婚してくれると約束してくれたのである。

 やがてその当日がやってきて、私たちはその婚約破棄のリハーサルをしているというわけだ。

 グランツさまは私が用意した原稿を元に、必死に姉と婚約破棄する練習をしている。

 こうしてみると最初に抱いていた、公爵家の長男という肩書はこのグランツさまには大層な重しだっただろうと思う。

 はっきり言って、グランツさまと姉はお似合いだった。

 容姿ではなく、内気で根暗で人付き合いが苦手なところがだ。

 おそらく、そういうところが互いに惹かれ合ったのだろう。

 けれど、それで済ませてしまうほど2人の身分さには雲泥の差がある。

 確かにグランツさまは1人の男として見ると魅力はない。

 だが、それを補ってあまりあるほどの家柄と資産と影響力を持っている。

 貴族の令嬢ならばこの玉の輿を見逃す手はない。

 そして正式に結婚してしまえばこちらのものだ。

 私は熱心に婚約破棄の練習をするグランツさまを見守りながら、公爵夫人となった自分の将来を鮮明に想像する。

 有り余る資産。

 王族との晩餐会。

 たくさんの貴族令嬢たちから向けられる羨望の眼差し。

 考えれば考えるほど顔がほころんでしまう。

 もうすぐ。

 もうすぐ、私の手にはすべてが手に入る。

 代わりにクソ姉の評判は地に落ちるだろうが、そんなことは知ったことではない。

 簡単に婚約破棄されるほどの容姿と魅力しか持っていないからそうなるのだ。

 しょせん貴族社会は平民の世界よりも弱肉強食の度合いが強い。

 欲しいものは何をしても手に入れる。

 だから貴族なのだ。

 だから貴族になれたのだ。

 私は勝つ。

 伯爵家の次女などという身分に甘えず、受け入れず、より高みを目指す。

 そのためには何だってするし、何だってしてきた。

 今までも、そしてこれからも――。

 そうして時間が経ち、ついに大勢の貴族たちを招いての偽りの結婚披露パーティーが開かれた。

 もちろん、表立って呼ばれていない私は大広間の外で待機する。

 もうすぐ……もうすぐよ。

 そんな期待に胸を高鳴らせていたときだった。

「――――――――ッ!」

 突如、私は誰かに後ろから抱き着かれた。

 それだけではない。

 口を水気のあるハンカチか何かで塞がれた。

 同時に鼻腔の奥に変な刺激臭が香ってくる。

 それによって私の意識がおかくしなった。

 急激に視界がぼんやりとしてきて、思考がどんどん鈍くなってくる。

 一体、何が――。

 そう思ったとき、耳元で声が聞こえた。

「あら、レミリア。こんなところで何をしているの?」

 振り向かなくてもすぐにわかった。

 ミディア・マクマホン。

 十何年も聞いてきた実姉の声だった。

「おかしいわね。今日はわたしとグランツさまの婚約披露パーティーで、同年代の学院の人たちしか呼んでないのに、なぜ妹のあなたがこんなところでドレスを着て隠れていたの?」

 まさか、と姉の声が低くなる。

「まさかと思うけど、グランツさまが公衆の面前でわたしとの婚約を破棄する宣言をしたら、新たな婚約者として登場するつもりだった? 舞台女優のようにしたり顔で」

「――――――――ッ」

 私は叫ぼうとしたが、意識と思考がぼやけてきて叫ぶどころか満足に声も出せなくなっていた。

「ああ、無理無理。徐々に意識をもうろうとさせる特殊な薬品を含ませたハンカチを嗅がせたから、もうあなたは満足に声すら出せないわよ」

 このとき、私の心臓は不規則に跳ねた。

 後ろにいるのは本当に姉なのだろうか。

 あの内気で温厚的で、陰キャな性格の実姉なのだろうか?

「わかってたわよ。あなたがいつかこういうことをしてくることはね」

 姉の声色はますます不気味さと暗さが増していく。

「だってわたしはあなたの姉だもの。誰よりもずっとあなたを傍で見てきた。わかってたわよ。いつも私を馬鹿にしてたわよね? 表立って口には出さなかったけど、その整った表情で、その気色の悪い生来の甘い声で、その普通の殿方なら簡単に魅了できるようなスタイルで」

 お生憎さま、と姉は酷薄に笑った。

「あなたが狙ったグランツさまは普通の殿方じゃないの。おかしいと思わなかった? 王族との繋がりのある公爵家の長男なのよ。普通に考えて爵位の劣る伯爵家の令嬢なんかと結婚するはずがないじゃない」

 姉は言葉を続ける。

「グランツさまは公爵家の長男としては欠陥品だったのよ。下手をすると簡単に犯罪行為に手を染めてしまうほど、わたし以上に内気で根暗で読書好き。しかも恋愛小説が好きなわたしとは違って、グランツさまが好きな本は普通の人間なら目を背けたくなるような猟奇的で恥辱底な本を好んでいた。だからグランツさまのお父上――ロランドさまは学院を卒業させたら何か適当な理由をつけて田舎の修道院に送ろうとされていた。そこに現れたのがわたしよ」

 姉はさらに言葉を続けていく。

「わたしとグランツさまは似ている。わたしならグランツさまを犯罪に染めないように上手く制御できる。そんな本もたくさん読んできたからね。それにわたしも普通の結婚など望めなかった。でも、グランツさまと結婚したら世間体は守られる。わたしもグランツさまも。それはロランドさまもお認めになってくださっていたわ。ただ、わたしとグランツさまが結婚しても家督は次男のシュミテッドさまに譲られることになっていたけど」

 姉の声を聞きながら、私の肉体からは力がどんどん抜けていった。

「そんなときに横槍を入れてきたのがあなたよ、レミリア。本当にどこまでも邪魔してくるクソ妹。ずっと嫌いだったわ。でも、あなたに対して何かする気なんてなかった。だって面倒くさいじゃない。あなた1人ぐらい事故死に見せかけたり、自然死に見せかけて毒殺するぐらいやろうと思えばいつでもやれたけど、さすがに本だけの知識だと上手く成功するか未知数だったからね。だからといって実験するのも嫌だったし、わたしとグランツさまの結婚を邪魔しなかったら何もせずにおこうと思ったけど」

 私の口を塞いでいる姉の手に力がこもる。

「こうなったらさすがに無視できなくなった。言っておくけど、あなたグランツさまを買いかぶりすぎたのよ。グランツさまの性格の歪さは常人の比じゃない。グランツさまはね、わたしと婚約破棄をすることをあなたに頼まれたってわたし自身に言ってきたのよ。わかる? あなたはグランツさまを操ったと思って自惚れていたんでしょうけど、グランツさまはあなたに操られている気なんてこれっぽっちもなかった。そんなことすらわからないほどの頭しかないのよ、グランツさまは」

 あ……やばい……意識が……

 姉の言葉がどんどんと遠ざかっていく中、ついに私の身体は床に崩れ落ちた。

 もうろうとする視界に、ぼんやりとした輪郭の姉が見える。

 姉は私のことを満足そうな顔で見下ろしていた。

「あらあら、もうほとんどわたしの言葉もわからなくなったのかしら。よかったわね、最後は何が起こったかわからないままあの世に逝けて」

 …………な…………何を…………わ、私は…………

「死ぬに決まってるでしょう。そもそも、実の姉の婚約を公衆の面前で破棄させようとした罪が軽いわけないじゃない。そんなことされたら、されたほうは死に値する屈辱を永遠に心に刻み込みながら惨めに生きていくことになる。許されるわけないわ。だからこれは」

 報いよ、と姉はつぶやいた。

「赤の他人だろうと身内だろうと人の幸せをぶち壊し、自分だけがのうのうと幸せになろうとするクズは死んで当然。でも、これだけは安心して。ちゃんと専門の業者に依頼して、あなたの死体は有効に活用してもらうわ。最初は麻薬を投与して人買いにでもあなたを売ってしまおうかとも考えたけど、それで足がついて後々面倒なことになったら困るから、あなたは専門の業者に殺されたら人体収集家たちのコレクションの一部になるの。噂ぐらい聞いたことない? 富裕層の中には人体の一部を収集するコレクターたちが大勢いるって。それも高貴な血筋で若い女の肉体の一部を収集する人たちがね」

 ……………………………………………………

「あら、本当にもう聞こえなくなっちゃった? それとも何とか意識だけはかろうじて保っている状態? まあどっちでもいいわ。どちらにしても、最後にこの言葉をあなたにプレゼントしてあげる」

 遠く遠くなっていく意識の中で、最後に私は姉のこの言葉だけははっきりと聞こえた。
 
「ざまぁ」



〈Fin〉
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