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第31話   朝霧夜一と上里円清

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「それでは今回の八天春学園ラジオ放送部番外編はこれにて終わらせていただきます。パーソナリティは朝霧夜一と」

 夜一は奈津美に手を差し出す。

「同じくパーソナリティの門前奈津美と」

 奈津美は最後にゲストである円清に手を差し出した。

「ゲストの上里円清でした。今日は楽しかったです」

 三人はこれ以上ないという笑顔で一斉にカメラに手を振る。

『まだですよ。まだ番組は終わっていませんからね。そのまま五秒ほど笑顔で手を振っていてください。五……四……三……二……一……はい、OKです! お疲れ様でした!』

 秋彦の収録完了の指示を受けて夜一は全身の力を緩める。

 ようやく一時間の映像つきラジオ放送番組が終わった。

 夜一がぐったりと背もたれに身体を預けたとき、スタジオブースの中に興奮気味の秋彦が入ってきた。

 冷蔵庫で冷やされていたお茶の入ったペットボトルを三本持っている。

「上里さん、あなたのお陰で渾身の一作が録れました。本当にありがとうございます。夜一と奈津美もお疲れさん。これでも飲んで喉の渇きを潤してくれ」

 夜一は秋彦からペットボトルを受け取るなり、体裁など気にせず喉を鳴らして一気に半分近くまで飲み干した。

 火照った身体に水気が染み渡っていく。

「う、美味すぎる。ただのお茶がこんなに美味いなんて」

「ほんまや。この一杯のために生きてたっちゅう気になるわ」

 夜一と奈津美が500mlのお茶をすべて飲み干したときだ。

「さて、私はこの辺でお暇させてもらおうか。時間も時間だしね」

 夜一は手元にあったストップウォッチに視線を落とす。最後まで無事に番組を録り終えた嬉しさで忘れていたが、プロ声優である円清は学生の夜一たちには想像もできないほど多忙の身なのだ。

 いつまでも部室に拘束しているわけにはいかない。

「帰るのなら校門までお送りします」

「いや、見送りは遠慮しておく」

 円清は肘掛けに手を添えて立ち上がった。

「それじゃあ、君たちの作品がコンテストで受賞することを心から祈っているよ」

 円清はペットボトルのお茶を一気飲みすると、熱気が充満していたスタジオブースから出て行った。

 長机の上に顔を突っ伏していた君夜に「お疲れ様」と微笑んで部室を後にする。

 ほどしばらくして、秋彦は全員の顔を見回して拍手を打った。

「皆の衆、今日はご苦労であった。特に夜一と奈津美。直前まで練習した甲斐があったな。台本通りだったとはいえ、話の掛け合いも息もピッタリだったぞ。それと夜一に至ってはアドリブで十分間もよく持たせた。その実力を称えて今から皆で打ち上げに行こうぜ」

「もちろん部長の奢りやんな?」

「馬鹿野郎、割り勘に決まってんだろ!」

 秋彦が自分の器の小ささを暴露したとき、夜一は顔を強張らして立ち上がった。
「すいません。ちょっと席を外します」

 そう言うと夜一は秋彦を押し退けてスタジオブースを出る。

「おい、ちょっと待て。どこへ行く気だ?」

「お花を摘みに!」

 夜一は出入り口の扉を開けて屋外へと出た。

 慌てて四方に視線を彷徨わすが、すでに円清の姿はない。

 どうやら林を抜けてしまったらしい。

(くそ、間に合うか)

 夜一は両足に力を込めて地面を蹴る。

 向かった先は学校の出入り口である校門だ。

 数分後、夜一はグラウンドを抜けた先で円清を発見した。

 学校関係者とは思えない格好なので後ろ姿からでもすぐに本人だと分かった。

「待ってください!」

 夜一はよく通る声で円清を呼び止めた。

 場所は桜の花が舞い散る校内の並木道。

 帰宅部である生徒の姿はなく、学校に残っている生徒も部活動中のため並木道にほとんど生徒はいない。

「何だい? もう私はお役御免だろ?」

 円清は振り向くと、サングラスを少しズラして鋭い視線を飛ばして来た。

「時間ありますか? 十分……いえ、五分でも構いませんから」

 無茶な願いとは重々承知している。

 本来ならばプロ声優である上里円清を、東京からゲストに招けただけでも奇跡だったのだ。

「打ち合わせのときに言わなかったかな? 今日の私は忙しいと」

「聞きました。聞いた上でのお願いです。駄目ですか?」

 ごくりと夜一は生唾を飲み込む。

「どうやらサインのお願いではなさそうだね」

 円清はサングラスを取ってシャツの胸ポケットに仕舞った。

「どこか座って話せる場所はあるかな? 立ち話だと落ち着かなくてね」

 夜一は心の底から安堵の息を漏らした。

「向こうにベンチがあります。そこで話しましょう」

「いいよ。案内してくれ」

 夜一は先に歩いて円清をベンチまで案内した。

 並木道の隅に設けられた木製のベンチだ。

 造りこそ易かったが、百キロを超える相撲取りでない限り座って壊れることはない。

「それで? 私を呼び止めた理由は何だい? 朝霧夜一君」

 ベンチに腰を落とした円清が足を組んで尋ねてくる。

 夜一は前髪を激しく掻き毟った。

 首筋から背中にかけて猛烈な悪寒が走る。

「あ~も~、いい加減に他人行儀な喋りは止めてくれ」

「いきなり何だ。他人行儀な喋りはお互い様だろう。それに今は他人の身分じゃないか」

「法的にはだろう。いいから普通に喋ってくれよ、父さん」

「ははは、確かに実の息子と話すのに敬語は気持ち悪いな」

 円清は人称を私から俺に変えると、喉仏が見えるほど快活に笑った。

「それにしても驚いたぞ。事務所にお前から仕事のオファーがあったときにはな。思わずデスクの子にイタズラじゃないか何度も訊き返したよ」

「ごめん。あのときは俺もテンパってたんだよ。何せ父さんの事務所に電話するなんて初めてだったから」

「それなら事務所じゃなくて俺のスマホに……ってスマホの番号教えてなかったか」

「前に会ったのは中学の入学式のときだよ。スマホなんて持ってなかった」

 そうだった、と円清は遠い目をして茜色に染まりつつある空を見上げた。

「あのときは美樹にどなされて大変だったな。二度と私たちの前に姿を見せるなって」

「十年以上も前に別れた亭主がひょっこり現れたんだ。母さんが怒ったのも無理ないさ」

「子供の入学式の日くらい大目に見てもいいだろうが」

「何度も不倫を繰り返した前の亭主を大目に見るほど母さんは甘くない。それは父さんが一番知っていたんじゃないの?」

「そんな気の強いところに惚れたんだがな」

「もしかして、母さんと別れたこと後悔してる?」

「ほんの少し……な」

「だったら最初から不倫なんてするなよ。まさか、どこかの芸能人みたいに「不倫は文化」なんて馬鹿な座右の銘を持っているわけでもないだろ?」

「当時の俺は仕事も順調で有頂天になっていたからな。まあ、若気の至りってやつだ」

「若気の至りで家族を失っていたら世話ないよ」

「まったくだ」

 大きな溜息をついた円清を横目に、夜一は久しぶりに親子の会話を楽しんだ。

〈オフィス・リング〉の代表取締役である上里円清はバツ一である。

 これはネットでも有名な無料百科事典サイトにも掲載されておらず、ファンの中には未だに円清は結婚歴がない声優だと思っている者も多いと聞く。

 しかし、それはあくまでも円清のプライベートを知らないファンの話だ。

 おそらく声優たちの間では円清に子供がいると知っている人間は多い。

 円清は足を組み替えて顔を空から夜一に向けた。

「そう言えば美樹の再婚相手が事故で亡くなったのも三年前だったらしいな」

「うん、俺が中学に入ってしばらく経ったとき。深夜の高速道路でスピードを出し過ぎてガードレールに直撃。病院に運ばれたけど帰らぬ人となりましたとさ」

 次の瞬間、夜一の額に衝撃が走った。周囲に拍手を打ったような甲高い音が鳴る。
「夜一、お前も高校生になったのなら最低限の礼儀はわきまえておけ。義理の父親だったとはいえ、一人の人間の死を軽く言うんじゃない」

 夜一は「ごめん」と表情を曇らせて円清に叩かれた額を擦る。

「でも俺にとって父さんは上里円清一人だ。こんなこと言うと母さんに怒られるけど、母さんと再婚した人は何か感じの悪い人だったからさ」

「暴力でも受けたのか?」

「そこまで酷くはなかったけどね。子供の俺から見ても酒癖が悪かったんだよ。酔っ払って壁やドアをよく壊していた」

「美樹は何でそんな酒癖の悪い男と再婚したんだ」

「女癖の悪い男よりマシだと思ったんじゃない」

 素直な感想を述べた後、再び夜一の額を中心に乾いた音が鳴った。

 見えないほどの速度で繰り出された円清の掌打をまともに受けたのだ。

「父さん、そんなに息子の額を何度も叩くなよ。痛いじゃないか」

「うるさい。これも躾のうちだ」

「躾って……父さんとはもう法的には赤の他人じゃないか」

「あのな、躾ってのは相手に厳しく技芸や作法を覚えさせることを言うんだ。血の繋がりがある親子云々なんて関係ない。現に俺は若い頃から先輩に厳しく躾けられたから、今こうして業界で生き残っていられるんだぞ」

 円清は微風で乱れた前髪を手櫛で整えた。

「そんな調子だと声優になるなんて夢のまた夢だな。悪いことは言わん。今からでも進路を変えたらどうだ? 真面目に勉強して大学に進学すれば美樹も一安心するだろう」

 夜一は怒声を発しながら立ち上がった。両の拳を固く握り締める。

「嫌だ! 俺は絶対に声優になるんだ!」
 
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