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第27話

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「リンゼ、済まない。少し待っていてくれ」

 リンゼの治療を一旦中止すると、シュミテッドは空中を蹴って飛行した。

 本人の意識があるかないか関係なく、魔法力を使いこなせない普通の人には空を飛ぶことができない。誰かが助けなければ、重力に逆らうことができずこのまま地面に激突してしまう。

 頭から落ちていくイエラの場所まで移動したシュミテッドは、イエラの身体を優しく両腕で受け止めた。

「シュミテッド!」

 自分を助けてくれたシュミテッドに、イエラは思わず抱きついた。

「無事だったか?」

 抱きついてきたイエラの頭を軽く叩きながら、シュミテッドは安堵の息を漏らした。何が起こったのかはわからないが、イエラの意識もはっきりしている。

 どうやら〝カタワレ〟と同化せずに済んだようであった。

「シュミテッド、わたし、わたし」

 シュミテッドの耳元で何度も同じ単語をつぶやくイエラ。

 何か言いたいことがあるのだが、それをうまく言語化できないでいる。この一時間も経たない間に色々なことがありすぎて頭が回転しないのだろう。

 そんなイエラの精神状態をすぐに理解したシュミテッドは、ひとまず落ち着かせるためにリンゼの元へ戻った。

 シュミテッドはイエラを抱えたままリンゼの元に戻ると、リンゼの背中にイエラをちょこんと乗せた。馬乗りのような形でリンゼの背中に乗ったイエラは、目を大きく見開いて声を上げた。

「竜だッ! ほ、本物の竜だッ!」

 架空の存在として知られていた竜を間近に見たイエラは、その表情を見る限り微塵も恐怖を感じてはいない。それどころか、翼の付け根部分を撫で回し明らかに喜んでいる。

 ――お願いしますから……あまり動かないでください……傷に響きますので。

「えっ? 何、今の声」

 突如、聞こえてきた女性の声に、イエラは首を左右に振って周囲を確認する。だが誰もいない。近くにいるのはシュミテッドだけである。

「イエラ、あまりリンゼの上ではしゃぐなよ。瀕死の状態には違いないからな」

「え、リンゼって……あのリンゼ!」

 イエラはシュミテッドとともにいたメイド服姿の女性を思い出した。無表情で人形のような不思議な印象があったが、まさか本当に人間じゃないとは思わなかった。

 そしてシュミテッドが言うように、リンゼの身体は所々傷だらけであった。背中の部分はそれほどでもないが、手足や翼の何本かは血まみれであった。

 だが、そこでようやくイエラの鈍っていた頭の回転が正常に戻ってきた。

 よく周囲を確認すると遥か眼下にはミゼオンの街並みが小さく映っており、隣にいるシュミテッドは光に包まれながら空中に浮いている。そして極めつけは自分が竜の背中に乗っているということである。呑気に喜んでいる場合ではなかった。

「あ、あの、わ、わたし……」

 オロオロと狼狽するイエラであったが、すかさず突き出されたシュミテッドの右手により言葉を制止された。

 シュミテッドはちらりとロジャーを見た。自分たちからある程度離れた距離にいるロジャーは、胸元に空いた穴から全身に走る激痛にのた打ち回っている。

 魔法眼で捉えればすぐ目の前にロジャーの姿が視認できるが、実際には百メートルほど距離が離れていた。

 ふうー、とシュミテッドは長い息を吐いた。感覚的に自分に残された魔法力の残量はあまり多くない。シュミテッドは現状を冷静に分析した。

 精霊魔法を発動するために必要な魔法力の源は、自然界から集めた生命力と術者本人の生命力を一定の比率で合成したものである。

 だが、今のシュミテッドはそのうちの一つである術者本人の生命力が著しく低下していた。

 そのため、体内で行う魔法力の生成が上手くできず、今残っているわずかな魔法力でしか精霊魔法を唱えられない。

 中級クラスの精霊魔法ならば数発、上級クラスの精霊魔法ならばそれこそ一発が限界だろう。
 そして、今ならばその一発でケリがつく。

 不意にシュミテッドの全身を覆っていた魔法力が増大した。光の粒子が火粉のように迸り、周囲の空気が膨大な魔法力の圧により歪んで見える。

「イエラを頼んだぞ、リンゼ」

 言葉を残しながらシュミテッドは一気に上空に飛翔した。

 大きく弧を描くようにロジャーの真上付近に飛行したシュミテッドは、左腕から感じる激痛に顔を歪めながらも詠唱言霊を紡ぎ始めた。

「天上業火の偽火の炎、明鏡神水の流れぬ宿身。八卦動じぬ我の魂魄、唱え歌うは異界の調べ――」

 シュミテッドが詠唱言霊を紡いでいくと、瞬く間にシュミテッドの前方に魔法力が凝縮していった。

 漆黒の空間に黄金色をした一本の光線が出現する。

 始めは一メートルほどの大きさだった光線が、シュミテッドが込めていく魔法力と詠唱時間により二メートル、四メートル、六メートル、と比例するように巨大化し、やがて曲線を描きながら全体の大きさが十メートル以上にも達した。

 それは光の弓であった。

 肝心の矢は見当たらなかったが、確かにそれは十メートル以上の巨大な光弓であった。そして各先端から伸びた細い光線が重なると、どんな刃物でも斬ることができない強靭な弦となった。

〈ア・バウアーの聖痕者〉が五百年前に魔王ニーズヘッグに止めを刺した、精霊魔法の中でも最強の威力を誇る攻撃魔法――アルテイト。

 今のシュミテッドに残された魔法力から考えると、本来の十分の一も威力を発揮できないかもしれない。

「紅蓮のカルマと赫怒のシグマ、導きに従う爆炎の矛――」

 精霊魔法の中でも特に詠唱時間が長いアルテイト。その中盤までの詠唱が唱え終わったときだった。

「ぐっ……がああああああああッ!」

 シュミテッドは一層痛みが激しくなった左腕を摑むと、腹の底から絶叫を上げた。
 感覚など一瞬で消し飛ぶほどの痛みがシュミテッドを容赦なく襲った。そしてその痛みは左腕だけではなく、身体全体に浸透していく。

 心臓の鼓動が不規則に高鳴りはじめる。

 ドクン……ドクン……ドクン、ドクン、ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!

 一定のリズムで鼓動していた心臓の速度が上がっていく。

 ――シュミテッド!

 頭の中に直接響いてくるリンゼの呼びかけに対しても、シュミテッドは左腕を激しく摑んでただもがき苦しんでいた。

 全身の汗腺から大量の汗が吹き出し、視界が霞んでいく。それでもシュミテッドの魔法眼の中には、身体が回復しかかっているロジャーの姿が映っていた。震える左手のガトリング砲をシュミテッドに向け、魔法力を銃身に圧縮させている。

 体制が整うと、ロジャーはガトリング砲を乱射した。

 数百発の魔法銃弾がシュミテッドを襲うが、ロジャー自身まだ身体が回復していなかったせいかそのほとんどは的外れな場所へと飛んでいき、シュミテッドに被弾した魔法銃弾はせいぜい十数発というところだろう。

 だが、それでも十分なダメージをシュミテッドは受けていた。

 身体中の至る箇所に穿たれた傷口からは血が噴出し、左腕にはもはや感覚がなかった。しかもその一発が肺を傷つけたのか、息をするたびに激痛が押し寄せてくる。

 それでもシュミテッドの意識が途切れることはない。

 複製人間の禁断症状――魔法術式で身体を改造され、遺伝子操作で人間の数十倍の寿命を与えられた魔法兵器。

 ロジャーは苦痛にもがくシュミテッドを凝視すると、高らかに笑い出した。

『ハハハハハハハッ! 複製人間ノ悲シイ性ダナッ!』

 百メートル離れた場所でさえ聞こえてくるロジャーの声量に、シュミテッドの表情は一変した。その理由は声量ではない。言葉の内容である。

『知ッテイルゾ、複製人間! 貴様タチハ一定時間ヲ越エル膨大ナ精霊魔法ノ圧力ニ身体ガ耐エラレナイ! ソシテヤガテハ自身ヲ滅ボシテイク!』

 ロジャーはガトリング砲を下ろすと、今度は右手の大砲をシュミテッドに向けた。

 大砲のほうは魔法力を込めるためにある程度の時間を有するが、今のシュミテッドの状態では回避できないと思ったのだろう。これまでにない強力な魔法力が筒口に凝縮されていく。高熱が大砲全体に渦巻き、大気が轟々と悲鳴を上げている。

『遥カ昔ニ中止ニナッタハズノ実験体ガ何故今モ生キテイルカ知ランガ貴様ラノ旅ハココデ終ワリダッ! コノ世ガ魔族デ溢レカエル景色ヲアノ世デ眺メルガイイ!』

 その言葉を聞き、シュミテッドは激しく唇を噛んだ。

 複製人間。

 魔法兵器。

 実験体。

 その単語を聞くたびに、忘れたい過去の出来事を思い出してしまう。

 だが、今はそんなことを思い出している場合ではない。自分の肉体は崩壊寸前、そして視線の先には人間の天敵である魔族がいる。

 シュミテッドは中断していた詠唱言霊を再開した。紡ぐ度に口内に溜まった血が口元から溢れ出るが、気にしている暇はない。

 ロジャーは自分を完全に葬るために最大限の攻撃を仕掛けてくる。そしてその攻撃をまともに受けてしまえば、肉体は跡形もなく塵と化すだろう。

 そんなことになればどうなる。今は平和だとしても、〈蛇龍十字団〉の人間がすべて〈マナの欠片〉を集めれば、再び五百年前の戦争が始まる。

 人類と魔族の戦争がである。

 それだけは絶対に避けなければならない。もうこの世には魔族側に寝返った〈蛇龍十字団〉の魔法使いしかいないのだ。人類と魔族の戦争が起これば、いくら人間側が近代兵器で武装しようと意味がない。今度こそなす術もなく人類は滅びるだろう。

 そんなことは絶対にさせない。

「古の契約を交わし神霊の御魂……煉獄森羅の……狭間の神刃……」

 身体中から鳴り響く痛みの警告を無視しながら精霊魔法の詠唱が最終段階に入ると、シュミテッドの目の前に形成されていた光弓の中心に変化が見られた。

 触れるもの一切を焦土と化す無限の炎。最初は小さな火種であったはずが、シュミテッドの魔法力により瞬く間に〝炎の矢〟に姿を変えた。

 見た目には業火に包まれた槍のようにも見えるが、それは間違いなく一本の〝矢〟であった。

 その威力が本来の十分の一だろうが関係ない。これが今の自分に残された魔法力で発動できる最後の精霊魔法である。

 しかし、シュミテッドの詠唱よりもロジャーのほうが早く攻撃の準備が整った。大砲の照準は寸分の狂いもなくシュミテッドに合わされている。

 万事休す。シュミテッドは一瞬そう思ったが、思わぬ助け舟が現れた。

『何ダトオオオオオオ――――ッ!』

 魔法砲弾は撃たれなかった。それどころか、ロジャーの身体は大きく平衡感覚を欠いて吹き飛んだ。

 リンゼである。

 まったくロジャーが警戒していなかったリンゼが、背中にイエラを乗せたままロジャーに体当たりしたのである。

 魔法砲弾を撃つ瞬間の無防備なところを突かれたロジャーは、リンゼの負傷した身体の体当たりでも十分な効果があった。

 精霊魔法は発動させた後が一番無防備になり危険になる。しかし、ロジャーの場合は魔法砲弾を放つ前が一番無防備になるのである。

『ナメルナアアアア、コノ使イ魔フゼイガッ!』

 攻撃を邪魔されたロジャーは、邪魔した本人であるリンゼに意識を向けた。

 だが、ほんの一瞬リンゼに気を取られた愚行の意味にロジャーは気づかなかった。そして、気づいたときにはもう遅かった。

 ハッと気づいたロジャーは、シュミテッドの方向から感じる圧倒的な魔法力に全身を身震いさせた。

 シュミテッドはいつの間にか光の弦を限界まで引き絞っていた。距離が離れているというのに、すぐ近くでギリギリと弦を引き絞る音が聞こえるような気がする。

 ロジャーはその場から一目散に逃げ出した。何十枚と重ねたような鋼の剣状の翼を羽ばたかせながら、虚空の彼方へと飛び去っていく。

 自分の攻撃は無力化されたが、相手はその効果を最大限に持続させている。

 もはやこの状況でロジャーが助かる道は一つ。一刻も早くシュミテッドの視界から消え失せることであった。

 しかしこのとき、ロジャーは気づかなかった。

 それは――絶対にこの場からは逃げ切れないということを。

 猛然な速度で飛び立っていくロジャーを魔法眼で捉えながら、シュミテッドは落ち着いて言い放った。

「我、ここに放たん――アルテイトッ!」

 その瞬間、リンゼの翼にしがみついていたイエラは、確かにその光景を目撃した。
 シュミテッドの手前に浮かんでいた巨大な光弓から放たれた〝炎の矢〟は、光の軌跡を残しながらロジャーの身体を貫いていった。

 イエラは瞬き一つしなかった。

 シュミテッドが魔法力のすべてを込めて放った最強の精霊魔法――アルテイト。

 それは、再び大宇宙へと帰還していく一条の流星のようであった。
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