19 / 37
第十九話 過去
しおりを挟む
その日、家に帰った少女の姿を見て母親は驚いた。
少女は黒い長髪をくしゃくしゃにさせ、全身には擦り傷や青紫色に変色している打撲の痕が無数に見られた。
鼻をすすり、つうと垂れてくる鼻血を食い止めている。
母親は必死に少女の髪を整え、どうしたのかと訊いてきた。
「今日は三人に勝った」
と黒髪の少女はにこやかな笑みを浮かべて手に持った木剣を掲げた。
近頃、村では子供たちが兵隊の真似をして遊ぶことが流行っている。
男女の差別ない。
参加したい子供は二手に分かれ、木を削って作った不出来な木剣で相手と戦うのだ。
貧しい山村では子供たちは一日の半分を家の手伝いで費やされる。
そして残った時間で遊ぼうとしても、周辺を小高い山々に囲まれた場所では遊ぶことなど限られてしまう。
そんな中でも逞しい子供たちは必死で知恵を絞り、何とかみんなが参加できる遊びを考えて実行する。
兵隊ごっこもその一つだった。
たまたま親の仕事で首都に同行した子供の一人が、煉瓦造りの家々が立ち並ぶ首都の子供たちは兵隊の真似をして遊んでいる、ということを聞きつけてきた。
では早速とばかりに村の子供たちは手製に武器や防具で身を包み、遊びを開始した。
しかし子供という生き物は白熱すればするほど手加減ができなくなり、男女の扱いに対する気遣いが希薄になっていく。
十数人の子供たちが実行した兵隊ごっこは大半が男で、女は黒髪の少女ともう一人くらいのものだった。
母親は黒髪の少女の肩に手を置き、「もうそんな危険な遊びは止めなさい」と言った。
だが少女の返事は否だった。
「私、将来はこの国を守る騎士になりたい。そのために今は練習したいの」
黒髪の少女にとって兵隊ごっこは遊びではなく、将来を見据えた練習だと思っていた。
そのキッカケを作ったのは、何ヶ月か前に村に立ち寄った一人の吟遊詩人であった。
前あき型の衣服に外套を羽織った姿をしていた吟遊詩人は、反響板がついた弦楽器を巧みに使って歌を歌っていた。
美しい声色の旋律に乗って紡がれる、一人の騎士と一人の姫君の物語。
黒髪の少女はその歌に酔いしれた。
と同時に、強い憧れを持つようになった。
一緒に歌を聞いていた少女たちは精悍な騎士に命を懸けて守られる姫に憧れたが、ただ一人黒髪の少女だけは違った。
騎士になりたい。
漠然とだがそんな思いを抱くようになったのだ。
それから黒髪の少女は兵隊ごっこに積極的に参加し、自分よりも身体が大きな相手に対しても一歩も怯まずに戦った。
結果はいつも散々な目に遭っていたが、不思議と黒髪の少女の心は晴れやかだった。
強くなりたい。
強くなるには戦うしかない。
痛みなんて我慢できる。
鼻血で真っ赤に染まった鼻を手の甲で拭い、黒髪の少女は母親に微笑んだ。
怪我をすることなど黒髪の少女にとっては何でもないことだったが、黒髪を後ろで束ねていた若くて綺麗な母親は違った。
いつも涙目になって優しく「止めなさい」と言う。
さすがに二回も咎められると黒髪の少女は「考えてみる」と返事をするが、考えるだけで止めるつもりは毛頭なかった。
黒髪の少女は子供なりに考えていた。
自分には父親がいない。
母親が言うには病気で死んでしまったらしいが、黒髪の少女にとって顔もみたことがない父親のことはどうでもよかった。
問題は母親のことであった。
小麦の収穫期に入ると、どうしても男手が必要になる。
しかし父親がいないうちには男手が不足し、他の家よりも収穫が減るのは当たり前であった。
その皺寄せがいくのはいつも母親であった。
他家に頭を下げて収穫を手伝ってもらい、ようやく得たわずかな食料も黒髪の少女に与えてしまう。
母親は「たくさん食べて大きくなりなさい。それが一番の親孝行よ」と嫌な顔一つせずに笑ってくれる。
自分もお腹を空かせているはずなのに。
黒髪の少女は誓った。
大人になったら絶対に騎士になる。
そうすれば貧しい今の生活から抜け出し、苦労をかけている母親を楽にさせてあげられる。
黒髪の少女は肩に置かれた母親の手をそっと握った。
「お母さん。いつも私のせいで苦労をかけてごめんね」
そう言うと母親は、黒髪の少女を抱きしめて「ごめんね、ごめんね」と呟き続けた。
黒髪の少女は何のことかわからず、ただ母親の温もりを感じていた。
頬に何か硬い感触が広がっていた。
それでいて暖かく、妙に気分が安らぐような心地良さの中でオリビアは目を覚ました。
目の前には激しく燃えている焚き火があり、その炎に炙られるように何匹もの虫が飛んでいる。
その虫たちもやがて自身を炎に焦がし、ゆっくりと炎の中に落ちていく。
オリビアは顔を動かさず、目線だけを動かして周囲を見渡した。
ぼんやりと夢心地な心境の中で見えたのは、どこか薄暗い森の中だ。高い木々が立ち並び、茂みの奥からはいつ眼光を光らせた狼が飛び出してくるかわからない。
それでもオリビアは落ち着いていた。
焚き火の明かりと温かさが眠気を誘う。
目を開けたものの、意識はまだ完全に覚醒していないためにすぐ瞼が閉じかけてしまう。
(もう一度、眠りたいな)
オリビアはゆっくりと目を閉じかけた。
何故、自分がこんな森の中で焚き火を前に横になっているかの意味も考えられず、白濁した意識は混沌たる闇の中へ静かに落ちていく。
と、そのときだった。
「目が覚めたか?」
ドキリ、とオリビアは閉じかけた目を開く。
不意に男の声が真上から聞こえ、オリビアは頭を動かし目線を上に向ける。
黒髪黒瞳。
精悍そうな少年がこちらを見つめていた。
その少年の顔をしばし真下から見つめていると、朦朧となっていた意識が徐々に覚醒してきた。
記憶が凄まじい勢いで蘇ってくる。
「うわっ!」
オリビアは慌てて顔を上げた。
しかしすぐに右肩の付け根に走る痛みに顔を歪めた。
「無理するな。手当てはしておいたが痛みは当分残る。解熱剤は飲ませておいたから熱は引いていると思うがどうだ?」
そう言ったのは四狼だった。
そしてオリビアは視線を自分の右肩付近に落とすと、綺麗に包帯が巻かれていた。
そっと手で触れてみるとよくわかる。
実に手馴れたものだった。
あまりの鮮やかな治療の跡にオリビアは感心した。
だが、すぐに次の事態に気がつく。
「悪いと思ったが急いで手当てをする必要があった。すまんな」
先手を打ってきたのか四狼が謝ってきた。
オリビアはそんな四狼の言葉など聞き流し、わなわなと身体を震わせている。
裸だった。
上半身だけだったが身につけていた軽甲と衣服は脱がされ、その上から身体が冷えないように外套がかけられていた。
「き、貴様……よくも見たな!」
怒声を発したオリビアだったが、完全に目覚めた状態で四狼を見て言葉をなくした。
四狼も上半身だけが裸だったのである。
本人が身につけていたと思われる黒い衣服は焚き火の前に突き刺した木の枝にかけられ、その衣服の下には小さな水溜りができていた。
「何だ? 俺の顔に何かついてるか?」
四狼は鼻先を掻きながら尋ねてきたが、オリビアは顔を見ていたわけではなかった。
四狼の上半身は恐ろしいほど屈強に鍛えられていた。
いや、近衛騎士団にも鍛え上げた肉体を自慢する男もいたので、単純な筋肉質な身体などオリビアは別に気にしない。
けれど四狼の肉体は別だった。
筋と見間違うばかりに細くしなやかに鍛えられた肉体には一欠けらの贅肉もない。
剣を使うために二の腕が盛り上がり、腹筋は綺麗に六つに分かれている。
だがそれ以上にオリビアの目を注目させたのは、身体を埋め尽くすほどの大小無数の傷痕であった。
見るからに剣で斬られた傷。
そして大型の肉食獣の爪で引き裂かれたような傷が至るところに刻まれており、四狼が今までどんな人生を歩んできたのかが痛いほどよく分かる。
そしてオリビアも四狼が怪我を治療するために服を脱がせたことなど分かっている。
それでも怒りの表情を浮かべたのは、女性ならではの恥じらいに他ならなかった。
しかし、そんな恥じらいすら一瞬で消し去るほどの迫力を四狼の肉体は持っていた。
オリビアはかけられていた外套を身体に巻きつけて裸身を隠した。
そこではたと気がつく。
目の前に座っている四狼は胡坐を掻いていた。
硬い感触が残っている頬をオリビアはそっと擦った。
そうである。
オリビアは四狼の膝枕で眠りについていたのだ。
「ちょうどいい枕だっただろ?」
にこっと笑った四狼にオリビアは顔が真っ赤に紅潮した。
見抜かれている。
オリビアは気恥ずかしさのあまりに長剣を抜こうと手を伸ばす。
だが伸ばした手は虚空を摑んだに過ぎなかった。
(そうだ、剣は――)
脳裏に蘇ってくる橋の上の惨劇――。
矢が突き刺さったあまりの痛みに足がふらつき、足場が濡れていたせいもあって橋の上から落ちてしまった。
長剣を落としたのはそのときだろう。
どのみち、あんな急な流れの中で剣を落としてしまっては最早回収は不可能である。
「くそ、私としたことが」
唯一の武器である長剣をなくした負い目と、裸を見られた恥ずかしさも相まってオリビアは頭を掻き毟った。
だが、おかしい。いつもと髪を触る感触が違う。
まさか!
掻き毟った手を見ると、自分の髪の毛が数本付着していた。
黒髪ではない。
眩しいほどの輝きを持つ白銀色の髪がである。
一瞬、オリビアの思考が止まった。
子供の頃から母親に言われ続けてきた。
絶対に白銀の髪を他人に見られてはいけない、と。
オリビアは自分の手から四狼に視線を移した。
四狼は白銀色の髪の毛をしているオリビアに特に何も言わず、焚き火の炎を見つめながら身体を休めていた。
微妙な沈黙が二人を包む。
遠くからは羽虫の鳴き声がちらほらと聞こえ、近くからはパチパチという生木がはぜる音だけが響く。
先にその沈黙を破ったのはオリビアだった。
「詳しく聞かないのか?」
炎の光により赤く染まった四狼の顔がこちらに向けられる。
「白銀色の髪か……あのヴェールで顔を隠していた依頼人の髪も同じ白銀だったな」
四狼の言葉は続く。
「これは泊まった宿で聞いたんだが、この国で白銀色の髪は王家の血筋らしいな。そして現在、この国で白銀色の髪を持っている人間は二人だけとも聞いた。盗賊団に拉致された第一王女のセシリアと第三王女のオリエンタ」
オリビアはただ黙って四狼の話を聞いている。
「この話から俺に仕事を依頼したヴェールの女性が第三王女のオリエンタだとは分かる。しかしそれだと余計に分からない。オリビア、アンタは何者だ?」
はあ、と憂鬱そうにオリビアは溜息を吐いた。
もう隠し事はできないな。目の前に焚かれている焚き火の炎を見つめ、オリビアは静かに口を開いた。
少女は黒い長髪をくしゃくしゃにさせ、全身には擦り傷や青紫色に変色している打撲の痕が無数に見られた。
鼻をすすり、つうと垂れてくる鼻血を食い止めている。
母親は必死に少女の髪を整え、どうしたのかと訊いてきた。
「今日は三人に勝った」
と黒髪の少女はにこやかな笑みを浮かべて手に持った木剣を掲げた。
近頃、村では子供たちが兵隊の真似をして遊ぶことが流行っている。
男女の差別ない。
参加したい子供は二手に分かれ、木を削って作った不出来な木剣で相手と戦うのだ。
貧しい山村では子供たちは一日の半分を家の手伝いで費やされる。
そして残った時間で遊ぼうとしても、周辺を小高い山々に囲まれた場所では遊ぶことなど限られてしまう。
そんな中でも逞しい子供たちは必死で知恵を絞り、何とかみんなが参加できる遊びを考えて実行する。
兵隊ごっこもその一つだった。
たまたま親の仕事で首都に同行した子供の一人が、煉瓦造りの家々が立ち並ぶ首都の子供たちは兵隊の真似をして遊んでいる、ということを聞きつけてきた。
では早速とばかりに村の子供たちは手製に武器や防具で身を包み、遊びを開始した。
しかし子供という生き物は白熱すればするほど手加減ができなくなり、男女の扱いに対する気遣いが希薄になっていく。
十数人の子供たちが実行した兵隊ごっこは大半が男で、女は黒髪の少女ともう一人くらいのものだった。
母親は黒髪の少女の肩に手を置き、「もうそんな危険な遊びは止めなさい」と言った。
だが少女の返事は否だった。
「私、将来はこの国を守る騎士になりたい。そのために今は練習したいの」
黒髪の少女にとって兵隊ごっこは遊びではなく、将来を見据えた練習だと思っていた。
そのキッカケを作ったのは、何ヶ月か前に村に立ち寄った一人の吟遊詩人であった。
前あき型の衣服に外套を羽織った姿をしていた吟遊詩人は、反響板がついた弦楽器を巧みに使って歌を歌っていた。
美しい声色の旋律に乗って紡がれる、一人の騎士と一人の姫君の物語。
黒髪の少女はその歌に酔いしれた。
と同時に、強い憧れを持つようになった。
一緒に歌を聞いていた少女たちは精悍な騎士に命を懸けて守られる姫に憧れたが、ただ一人黒髪の少女だけは違った。
騎士になりたい。
漠然とだがそんな思いを抱くようになったのだ。
それから黒髪の少女は兵隊ごっこに積極的に参加し、自分よりも身体が大きな相手に対しても一歩も怯まずに戦った。
結果はいつも散々な目に遭っていたが、不思議と黒髪の少女の心は晴れやかだった。
強くなりたい。
強くなるには戦うしかない。
痛みなんて我慢できる。
鼻血で真っ赤に染まった鼻を手の甲で拭い、黒髪の少女は母親に微笑んだ。
怪我をすることなど黒髪の少女にとっては何でもないことだったが、黒髪を後ろで束ねていた若くて綺麗な母親は違った。
いつも涙目になって優しく「止めなさい」と言う。
さすがに二回も咎められると黒髪の少女は「考えてみる」と返事をするが、考えるだけで止めるつもりは毛頭なかった。
黒髪の少女は子供なりに考えていた。
自分には父親がいない。
母親が言うには病気で死んでしまったらしいが、黒髪の少女にとって顔もみたことがない父親のことはどうでもよかった。
問題は母親のことであった。
小麦の収穫期に入ると、どうしても男手が必要になる。
しかし父親がいないうちには男手が不足し、他の家よりも収穫が減るのは当たり前であった。
その皺寄せがいくのはいつも母親であった。
他家に頭を下げて収穫を手伝ってもらい、ようやく得たわずかな食料も黒髪の少女に与えてしまう。
母親は「たくさん食べて大きくなりなさい。それが一番の親孝行よ」と嫌な顔一つせずに笑ってくれる。
自分もお腹を空かせているはずなのに。
黒髪の少女は誓った。
大人になったら絶対に騎士になる。
そうすれば貧しい今の生活から抜け出し、苦労をかけている母親を楽にさせてあげられる。
黒髪の少女は肩に置かれた母親の手をそっと握った。
「お母さん。いつも私のせいで苦労をかけてごめんね」
そう言うと母親は、黒髪の少女を抱きしめて「ごめんね、ごめんね」と呟き続けた。
黒髪の少女は何のことかわからず、ただ母親の温もりを感じていた。
頬に何か硬い感触が広がっていた。
それでいて暖かく、妙に気分が安らぐような心地良さの中でオリビアは目を覚ました。
目の前には激しく燃えている焚き火があり、その炎に炙られるように何匹もの虫が飛んでいる。
その虫たちもやがて自身を炎に焦がし、ゆっくりと炎の中に落ちていく。
オリビアは顔を動かさず、目線だけを動かして周囲を見渡した。
ぼんやりと夢心地な心境の中で見えたのは、どこか薄暗い森の中だ。高い木々が立ち並び、茂みの奥からはいつ眼光を光らせた狼が飛び出してくるかわからない。
それでもオリビアは落ち着いていた。
焚き火の明かりと温かさが眠気を誘う。
目を開けたものの、意識はまだ完全に覚醒していないためにすぐ瞼が閉じかけてしまう。
(もう一度、眠りたいな)
オリビアはゆっくりと目を閉じかけた。
何故、自分がこんな森の中で焚き火を前に横になっているかの意味も考えられず、白濁した意識は混沌たる闇の中へ静かに落ちていく。
と、そのときだった。
「目が覚めたか?」
ドキリ、とオリビアは閉じかけた目を開く。
不意に男の声が真上から聞こえ、オリビアは頭を動かし目線を上に向ける。
黒髪黒瞳。
精悍そうな少年がこちらを見つめていた。
その少年の顔をしばし真下から見つめていると、朦朧となっていた意識が徐々に覚醒してきた。
記憶が凄まじい勢いで蘇ってくる。
「うわっ!」
オリビアは慌てて顔を上げた。
しかしすぐに右肩の付け根に走る痛みに顔を歪めた。
「無理するな。手当てはしておいたが痛みは当分残る。解熱剤は飲ませておいたから熱は引いていると思うがどうだ?」
そう言ったのは四狼だった。
そしてオリビアは視線を自分の右肩付近に落とすと、綺麗に包帯が巻かれていた。
そっと手で触れてみるとよくわかる。
実に手馴れたものだった。
あまりの鮮やかな治療の跡にオリビアは感心した。
だが、すぐに次の事態に気がつく。
「悪いと思ったが急いで手当てをする必要があった。すまんな」
先手を打ってきたのか四狼が謝ってきた。
オリビアはそんな四狼の言葉など聞き流し、わなわなと身体を震わせている。
裸だった。
上半身だけだったが身につけていた軽甲と衣服は脱がされ、その上から身体が冷えないように外套がかけられていた。
「き、貴様……よくも見たな!」
怒声を発したオリビアだったが、完全に目覚めた状態で四狼を見て言葉をなくした。
四狼も上半身だけが裸だったのである。
本人が身につけていたと思われる黒い衣服は焚き火の前に突き刺した木の枝にかけられ、その衣服の下には小さな水溜りができていた。
「何だ? 俺の顔に何かついてるか?」
四狼は鼻先を掻きながら尋ねてきたが、オリビアは顔を見ていたわけではなかった。
四狼の上半身は恐ろしいほど屈強に鍛えられていた。
いや、近衛騎士団にも鍛え上げた肉体を自慢する男もいたので、単純な筋肉質な身体などオリビアは別に気にしない。
けれど四狼の肉体は別だった。
筋と見間違うばかりに細くしなやかに鍛えられた肉体には一欠けらの贅肉もない。
剣を使うために二の腕が盛り上がり、腹筋は綺麗に六つに分かれている。
だがそれ以上にオリビアの目を注目させたのは、身体を埋め尽くすほどの大小無数の傷痕であった。
見るからに剣で斬られた傷。
そして大型の肉食獣の爪で引き裂かれたような傷が至るところに刻まれており、四狼が今までどんな人生を歩んできたのかが痛いほどよく分かる。
そしてオリビアも四狼が怪我を治療するために服を脱がせたことなど分かっている。
それでも怒りの表情を浮かべたのは、女性ならではの恥じらいに他ならなかった。
しかし、そんな恥じらいすら一瞬で消し去るほどの迫力を四狼の肉体は持っていた。
オリビアはかけられていた外套を身体に巻きつけて裸身を隠した。
そこではたと気がつく。
目の前に座っている四狼は胡坐を掻いていた。
硬い感触が残っている頬をオリビアはそっと擦った。
そうである。
オリビアは四狼の膝枕で眠りについていたのだ。
「ちょうどいい枕だっただろ?」
にこっと笑った四狼にオリビアは顔が真っ赤に紅潮した。
見抜かれている。
オリビアは気恥ずかしさのあまりに長剣を抜こうと手を伸ばす。
だが伸ばした手は虚空を摑んだに過ぎなかった。
(そうだ、剣は――)
脳裏に蘇ってくる橋の上の惨劇――。
矢が突き刺さったあまりの痛みに足がふらつき、足場が濡れていたせいもあって橋の上から落ちてしまった。
長剣を落としたのはそのときだろう。
どのみち、あんな急な流れの中で剣を落としてしまっては最早回収は不可能である。
「くそ、私としたことが」
唯一の武器である長剣をなくした負い目と、裸を見られた恥ずかしさも相まってオリビアは頭を掻き毟った。
だが、おかしい。いつもと髪を触る感触が違う。
まさか!
掻き毟った手を見ると、自分の髪の毛が数本付着していた。
黒髪ではない。
眩しいほどの輝きを持つ白銀色の髪がである。
一瞬、オリビアの思考が止まった。
子供の頃から母親に言われ続けてきた。
絶対に白銀の髪を他人に見られてはいけない、と。
オリビアは自分の手から四狼に視線を移した。
四狼は白銀色の髪の毛をしているオリビアに特に何も言わず、焚き火の炎を見つめながら身体を休めていた。
微妙な沈黙が二人を包む。
遠くからは羽虫の鳴き声がちらほらと聞こえ、近くからはパチパチという生木がはぜる音だけが響く。
先にその沈黙を破ったのはオリビアだった。
「詳しく聞かないのか?」
炎の光により赤く染まった四狼の顔がこちらに向けられる。
「白銀色の髪か……あのヴェールで顔を隠していた依頼人の髪も同じ白銀だったな」
四狼の言葉は続く。
「これは泊まった宿で聞いたんだが、この国で白銀色の髪は王家の血筋らしいな。そして現在、この国で白銀色の髪を持っている人間は二人だけとも聞いた。盗賊団に拉致された第一王女のセシリアと第三王女のオリエンタ」
オリビアはただ黙って四狼の話を聞いている。
「この話から俺に仕事を依頼したヴェールの女性が第三王女のオリエンタだとは分かる。しかしそれだと余計に分からない。オリビア、アンタは何者だ?」
はあ、と憂鬱そうにオリビアは溜息を吐いた。
もう隠し事はできないな。目の前に焚かれている焚き火の炎を見つめ、オリビアは静かに口を開いた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説

ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。
アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。
両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。
両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。
テッドには、妹が3人いる。
両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。
このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。
そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。
その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。
両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…
両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。
今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~
シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。
主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。
追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。
さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。
疫病? これ飲めば治りますよ?
これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。
完結【真】ご都合主義で生きてます。-創生魔法で思った物を創り、現代知識を使い世界を変える-
ジェルミ
ファンタジー
魔法は5属性、無限収納のストレージ。
自分の望んだものを創れる『創生魔法』が使える者が現れたら。
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。
そして女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。
安定した収入を得るために創生魔法を使い生産チートを目指す。
いずれは働かず、寝て暮らせる生活を目指して!
この世界は無い物ばかり。
現代知識を使い生産チートを目指します。
※カクヨム様にて1日PV数10,000超え、同時掲載しております。

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います
霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。
得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。
しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。
傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。
基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。
が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

【ヤベェ】異世界転移したった【助けてwww】
一樹
ファンタジー
色々あって、転移後追放されてしまった主人公。
追放後に、持ち物がチート化していることに気づく。
無事、元の世界と連絡をとる事に成功する。
そして、始まったのは、どこかで見た事のある、【あるある展開】のオンパレード!
異世界転移珍道中、掲示板実況始まり始まり。
【諸注意】
以前投稿した同名の短編の連載版になります。
連載は不定期。むしろ途中で止まる可能性、エタる可能性がとても高いです。
なんでも大丈夫な方向けです。
小説の形をしていないので、読む人を選びます。
以上の内容を踏まえた上で閲覧をお願いします。
disりに見えてしまう表現があります。
以上の点から気分を害されても責任は負えません。
閲覧は自己責任でお願いします。
小説家になろう、pixivでも投稿しています。

元万能技術者の冒険者にして釣り人な日々
於田縫紀
ファンタジー
俺は神殿技術者だったが過労死して転生。そして冒険者となった日の夜に記憶や技能・魔法を取り戻した。しかしかつて持っていた能力や魔法の他に、釣りに必要だと神が判断した様々な技能や魔法がおまけされていた。
今世はこれらを利用してのんびり釣り、最小限に仕事をしようと思ったのだが……
(タイトルは異なりますが、カクヨム投稿中の『何でも作れる元神殿技術者の冒険者にして釣り人な日々』と同じお話です。更新が追いつくまでは毎日更新、追いついた後は隔日更新となります)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる