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第十九話 過去
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その日、家に帰った少女の姿を見て母親は驚いた。
少女は黒い長髪をくしゃくしゃにさせ、全身には擦り傷や青紫色に変色している打撲の痕が無数に見られた。
鼻をすすり、つうと垂れてくる鼻血を食い止めている。
母親は必死に少女の髪を整え、どうしたのかと訊いてきた。
「今日は三人に勝った」
と黒髪の少女はにこやかな笑みを浮かべて手に持った木剣を掲げた。
近頃、村では子供たちが兵隊の真似をして遊ぶことが流行っている。
男女の差別ない。
参加したい子供は二手に分かれ、木を削って作った不出来な木剣で相手と戦うのだ。
貧しい山村では子供たちは一日の半分を家の手伝いで費やされる。
そして残った時間で遊ぼうとしても、周辺を小高い山々に囲まれた場所では遊ぶことなど限られてしまう。
そんな中でも逞しい子供たちは必死で知恵を絞り、何とかみんなが参加できる遊びを考えて実行する。
兵隊ごっこもその一つだった。
たまたま親の仕事で首都に同行した子供の一人が、煉瓦造りの家々が立ち並ぶ首都の子供たちは兵隊の真似をして遊んでいる、ということを聞きつけてきた。
では早速とばかりに村の子供たちは手製に武器や防具で身を包み、遊びを開始した。
しかし子供という生き物は白熱すればするほど手加減ができなくなり、男女の扱いに対する気遣いが希薄になっていく。
十数人の子供たちが実行した兵隊ごっこは大半が男で、女は黒髪の少女ともう一人くらいのものだった。
母親は黒髪の少女の肩に手を置き、「もうそんな危険な遊びは止めなさい」と言った。
だが少女の返事は否だった。
「私、将来はこの国を守る騎士になりたい。そのために今は練習したいの」
黒髪の少女にとって兵隊ごっこは遊びではなく、将来を見据えた練習だと思っていた。
そのキッカケを作ったのは、何ヶ月か前に村に立ち寄った一人の吟遊詩人であった。
前あき型の衣服に外套を羽織った姿をしていた吟遊詩人は、反響板がついた弦楽器を巧みに使って歌を歌っていた。
美しい声色の旋律に乗って紡がれる、一人の騎士と一人の姫君の物語。
黒髪の少女はその歌に酔いしれた。
と同時に、強い憧れを持つようになった。
一緒に歌を聞いていた少女たちは精悍な騎士に命を懸けて守られる姫に憧れたが、ただ一人黒髪の少女だけは違った。
騎士になりたい。
漠然とだがそんな思いを抱くようになったのだ。
それから黒髪の少女は兵隊ごっこに積極的に参加し、自分よりも身体が大きな相手に対しても一歩も怯まずに戦った。
結果はいつも散々な目に遭っていたが、不思議と黒髪の少女の心は晴れやかだった。
強くなりたい。
強くなるには戦うしかない。
痛みなんて我慢できる。
鼻血で真っ赤に染まった鼻を手の甲で拭い、黒髪の少女は母親に微笑んだ。
怪我をすることなど黒髪の少女にとっては何でもないことだったが、黒髪を後ろで束ねていた若くて綺麗な母親は違った。
いつも涙目になって優しく「止めなさい」と言う。
さすがに二回も咎められると黒髪の少女は「考えてみる」と返事をするが、考えるだけで止めるつもりは毛頭なかった。
黒髪の少女は子供なりに考えていた。
自分には父親がいない。
母親が言うには病気で死んでしまったらしいが、黒髪の少女にとって顔もみたことがない父親のことはどうでもよかった。
問題は母親のことであった。
小麦の収穫期に入ると、どうしても男手が必要になる。
しかし父親がいないうちには男手が不足し、他の家よりも収穫が減るのは当たり前であった。
その皺寄せがいくのはいつも母親であった。
他家に頭を下げて収穫を手伝ってもらい、ようやく得たわずかな食料も黒髪の少女に与えてしまう。
母親は「たくさん食べて大きくなりなさい。それが一番の親孝行よ」と嫌な顔一つせずに笑ってくれる。
自分もお腹を空かせているはずなのに。
黒髪の少女は誓った。
大人になったら絶対に騎士になる。
そうすれば貧しい今の生活から抜け出し、苦労をかけている母親を楽にさせてあげられる。
黒髪の少女は肩に置かれた母親の手をそっと握った。
「お母さん。いつも私のせいで苦労をかけてごめんね」
そう言うと母親は、黒髪の少女を抱きしめて「ごめんね、ごめんね」と呟き続けた。
黒髪の少女は何のことかわからず、ただ母親の温もりを感じていた。
頬に何か硬い感触が広がっていた。
それでいて暖かく、妙に気分が安らぐような心地良さの中でオリビアは目を覚ました。
目の前には激しく燃えている焚き火があり、その炎に炙られるように何匹もの虫が飛んでいる。
その虫たちもやがて自身を炎に焦がし、ゆっくりと炎の中に落ちていく。
オリビアは顔を動かさず、目線だけを動かして周囲を見渡した。
ぼんやりと夢心地な心境の中で見えたのは、どこか薄暗い森の中だ。高い木々が立ち並び、茂みの奥からはいつ眼光を光らせた狼が飛び出してくるかわからない。
それでもオリビアは落ち着いていた。
焚き火の明かりと温かさが眠気を誘う。
目を開けたものの、意識はまだ完全に覚醒していないためにすぐ瞼が閉じかけてしまう。
(もう一度、眠りたいな)
オリビアはゆっくりと目を閉じかけた。
何故、自分がこんな森の中で焚き火を前に横になっているかの意味も考えられず、白濁した意識は混沌たる闇の中へ静かに落ちていく。
と、そのときだった。
「目が覚めたか?」
ドキリ、とオリビアは閉じかけた目を開く。
不意に男の声が真上から聞こえ、オリビアは頭を動かし目線を上に向ける。
黒髪黒瞳。
精悍そうな少年がこちらを見つめていた。
その少年の顔をしばし真下から見つめていると、朦朧となっていた意識が徐々に覚醒してきた。
記憶が凄まじい勢いで蘇ってくる。
「うわっ!」
オリビアは慌てて顔を上げた。
しかしすぐに右肩の付け根に走る痛みに顔を歪めた。
「無理するな。手当てはしておいたが痛みは当分残る。解熱剤は飲ませておいたから熱は引いていると思うがどうだ?」
そう言ったのは四狼だった。
そしてオリビアは視線を自分の右肩付近に落とすと、綺麗に包帯が巻かれていた。
そっと手で触れてみるとよくわかる。
実に手馴れたものだった。
あまりの鮮やかな治療の跡にオリビアは感心した。
だが、すぐに次の事態に気がつく。
「悪いと思ったが急いで手当てをする必要があった。すまんな」
先手を打ってきたのか四狼が謝ってきた。
オリビアはそんな四狼の言葉など聞き流し、わなわなと身体を震わせている。
裸だった。
上半身だけだったが身につけていた軽甲と衣服は脱がされ、その上から身体が冷えないように外套がかけられていた。
「き、貴様……よくも見たな!」
怒声を発したオリビアだったが、完全に目覚めた状態で四狼を見て言葉をなくした。
四狼も上半身だけが裸だったのである。
本人が身につけていたと思われる黒い衣服は焚き火の前に突き刺した木の枝にかけられ、その衣服の下には小さな水溜りができていた。
「何だ? 俺の顔に何かついてるか?」
四狼は鼻先を掻きながら尋ねてきたが、オリビアは顔を見ていたわけではなかった。
四狼の上半身は恐ろしいほど屈強に鍛えられていた。
いや、近衛騎士団にも鍛え上げた肉体を自慢する男もいたので、単純な筋肉質な身体などオリビアは別に気にしない。
けれど四狼の肉体は別だった。
筋と見間違うばかりに細くしなやかに鍛えられた肉体には一欠けらの贅肉もない。
剣を使うために二の腕が盛り上がり、腹筋は綺麗に六つに分かれている。
だがそれ以上にオリビアの目を注目させたのは、身体を埋め尽くすほどの大小無数の傷痕であった。
見るからに剣で斬られた傷。
そして大型の肉食獣の爪で引き裂かれたような傷が至るところに刻まれており、四狼が今までどんな人生を歩んできたのかが痛いほどよく分かる。
そしてオリビアも四狼が怪我を治療するために服を脱がせたことなど分かっている。
それでも怒りの表情を浮かべたのは、女性ならではの恥じらいに他ならなかった。
しかし、そんな恥じらいすら一瞬で消し去るほどの迫力を四狼の肉体は持っていた。
オリビアはかけられていた外套を身体に巻きつけて裸身を隠した。
そこではたと気がつく。
目の前に座っている四狼は胡坐を掻いていた。
硬い感触が残っている頬をオリビアはそっと擦った。
そうである。
オリビアは四狼の膝枕で眠りについていたのだ。
「ちょうどいい枕だっただろ?」
にこっと笑った四狼にオリビアは顔が真っ赤に紅潮した。
見抜かれている。
オリビアは気恥ずかしさのあまりに長剣を抜こうと手を伸ばす。
だが伸ばした手は虚空を摑んだに過ぎなかった。
(そうだ、剣は――)
脳裏に蘇ってくる橋の上の惨劇――。
矢が突き刺さったあまりの痛みに足がふらつき、足場が濡れていたせいもあって橋の上から落ちてしまった。
長剣を落としたのはそのときだろう。
どのみち、あんな急な流れの中で剣を落としてしまっては最早回収は不可能である。
「くそ、私としたことが」
唯一の武器である長剣をなくした負い目と、裸を見られた恥ずかしさも相まってオリビアは頭を掻き毟った。
だが、おかしい。いつもと髪を触る感触が違う。
まさか!
掻き毟った手を見ると、自分の髪の毛が数本付着していた。
黒髪ではない。
眩しいほどの輝きを持つ白銀色の髪がである。
一瞬、オリビアの思考が止まった。
子供の頃から母親に言われ続けてきた。
絶対に白銀の髪を他人に見られてはいけない、と。
オリビアは自分の手から四狼に視線を移した。
四狼は白銀色の髪の毛をしているオリビアに特に何も言わず、焚き火の炎を見つめながら身体を休めていた。
微妙な沈黙が二人を包む。
遠くからは羽虫の鳴き声がちらほらと聞こえ、近くからはパチパチという生木がはぜる音だけが響く。
先にその沈黙を破ったのはオリビアだった。
「詳しく聞かないのか?」
炎の光により赤く染まった四狼の顔がこちらに向けられる。
「白銀色の髪か……あのヴェールで顔を隠していた依頼人の髪も同じ白銀だったな」
四狼の言葉は続く。
「これは泊まった宿で聞いたんだが、この国で白銀色の髪は王家の血筋らしいな。そして現在、この国で白銀色の髪を持っている人間は二人だけとも聞いた。盗賊団に拉致された第一王女のセシリアと第三王女のオリエンタ」
オリビアはただ黙って四狼の話を聞いている。
「この話から俺に仕事を依頼したヴェールの女性が第三王女のオリエンタだとは分かる。しかしそれだと余計に分からない。オリビア、アンタは何者だ?」
はあ、と憂鬱そうにオリビアは溜息を吐いた。
もう隠し事はできないな。目の前に焚かれている焚き火の炎を見つめ、オリビアは静かに口を開いた。
少女は黒い長髪をくしゃくしゃにさせ、全身には擦り傷や青紫色に変色している打撲の痕が無数に見られた。
鼻をすすり、つうと垂れてくる鼻血を食い止めている。
母親は必死に少女の髪を整え、どうしたのかと訊いてきた。
「今日は三人に勝った」
と黒髪の少女はにこやかな笑みを浮かべて手に持った木剣を掲げた。
近頃、村では子供たちが兵隊の真似をして遊ぶことが流行っている。
男女の差別ない。
参加したい子供は二手に分かれ、木を削って作った不出来な木剣で相手と戦うのだ。
貧しい山村では子供たちは一日の半分を家の手伝いで費やされる。
そして残った時間で遊ぼうとしても、周辺を小高い山々に囲まれた場所では遊ぶことなど限られてしまう。
そんな中でも逞しい子供たちは必死で知恵を絞り、何とかみんなが参加できる遊びを考えて実行する。
兵隊ごっこもその一つだった。
たまたま親の仕事で首都に同行した子供の一人が、煉瓦造りの家々が立ち並ぶ首都の子供たちは兵隊の真似をして遊んでいる、ということを聞きつけてきた。
では早速とばかりに村の子供たちは手製に武器や防具で身を包み、遊びを開始した。
しかし子供という生き物は白熱すればするほど手加減ができなくなり、男女の扱いに対する気遣いが希薄になっていく。
十数人の子供たちが実行した兵隊ごっこは大半が男で、女は黒髪の少女ともう一人くらいのものだった。
母親は黒髪の少女の肩に手を置き、「もうそんな危険な遊びは止めなさい」と言った。
だが少女の返事は否だった。
「私、将来はこの国を守る騎士になりたい。そのために今は練習したいの」
黒髪の少女にとって兵隊ごっこは遊びではなく、将来を見据えた練習だと思っていた。
そのキッカケを作ったのは、何ヶ月か前に村に立ち寄った一人の吟遊詩人であった。
前あき型の衣服に外套を羽織った姿をしていた吟遊詩人は、反響板がついた弦楽器を巧みに使って歌を歌っていた。
美しい声色の旋律に乗って紡がれる、一人の騎士と一人の姫君の物語。
黒髪の少女はその歌に酔いしれた。
と同時に、強い憧れを持つようになった。
一緒に歌を聞いていた少女たちは精悍な騎士に命を懸けて守られる姫に憧れたが、ただ一人黒髪の少女だけは違った。
騎士になりたい。
漠然とだがそんな思いを抱くようになったのだ。
それから黒髪の少女は兵隊ごっこに積極的に参加し、自分よりも身体が大きな相手に対しても一歩も怯まずに戦った。
結果はいつも散々な目に遭っていたが、不思議と黒髪の少女の心は晴れやかだった。
強くなりたい。
強くなるには戦うしかない。
痛みなんて我慢できる。
鼻血で真っ赤に染まった鼻を手の甲で拭い、黒髪の少女は母親に微笑んだ。
怪我をすることなど黒髪の少女にとっては何でもないことだったが、黒髪を後ろで束ねていた若くて綺麗な母親は違った。
いつも涙目になって優しく「止めなさい」と言う。
さすがに二回も咎められると黒髪の少女は「考えてみる」と返事をするが、考えるだけで止めるつもりは毛頭なかった。
黒髪の少女は子供なりに考えていた。
自分には父親がいない。
母親が言うには病気で死んでしまったらしいが、黒髪の少女にとって顔もみたことがない父親のことはどうでもよかった。
問題は母親のことであった。
小麦の収穫期に入ると、どうしても男手が必要になる。
しかし父親がいないうちには男手が不足し、他の家よりも収穫が減るのは当たり前であった。
その皺寄せがいくのはいつも母親であった。
他家に頭を下げて収穫を手伝ってもらい、ようやく得たわずかな食料も黒髪の少女に与えてしまう。
母親は「たくさん食べて大きくなりなさい。それが一番の親孝行よ」と嫌な顔一つせずに笑ってくれる。
自分もお腹を空かせているはずなのに。
黒髪の少女は誓った。
大人になったら絶対に騎士になる。
そうすれば貧しい今の生活から抜け出し、苦労をかけている母親を楽にさせてあげられる。
黒髪の少女は肩に置かれた母親の手をそっと握った。
「お母さん。いつも私のせいで苦労をかけてごめんね」
そう言うと母親は、黒髪の少女を抱きしめて「ごめんね、ごめんね」と呟き続けた。
黒髪の少女は何のことかわからず、ただ母親の温もりを感じていた。
頬に何か硬い感触が広がっていた。
それでいて暖かく、妙に気分が安らぐような心地良さの中でオリビアは目を覚ました。
目の前には激しく燃えている焚き火があり、その炎に炙られるように何匹もの虫が飛んでいる。
その虫たちもやがて自身を炎に焦がし、ゆっくりと炎の中に落ちていく。
オリビアは顔を動かさず、目線だけを動かして周囲を見渡した。
ぼんやりと夢心地な心境の中で見えたのは、どこか薄暗い森の中だ。高い木々が立ち並び、茂みの奥からはいつ眼光を光らせた狼が飛び出してくるかわからない。
それでもオリビアは落ち着いていた。
焚き火の明かりと温かさが眠気を誘う。
目を開けたものの、意識はまだ完全に覚醒していないためにすぐ瞼が閉じかけてしまう。
(もう一度、眠りたいな)
オリビアはゆっくりと目を閉じかけた。
何故、自分がこんな森の中で焚き火を前に横になっているかの意味も考えられず、白濁した意識は混沌たる闇の中へ静かに落ちていく。
と、そのときだった。
「目が覚めたか?」
ドキリ、とオリビアは閉じかけた目を開く。
不意に男の声が真上から聞こえ、オリビアは頭を動かし目線を上に向ける。
黒髪黒瞳。
精悍そうな少年がこちらを見つめていた。
その少年の顔をしばし真下から見つめていると、朦朧となっていた意識が徐々に覚醒してきた。
記憶が凄まじい勢いで蘇ってくる。
「うわっ!」
オリビアは慌てて顔を上げた。
しかしすぐに右肩の付け根に走る痛みに顔を歪めた。
「無理するな。手当てはしておいたが痛みは当分残る。解熱剤は飲ませておいたから熱は引いていると思うがどうだ?」
そう言ったのは四狼だった。
そしてオリビアは視線を自分の右肩付近に落とすと、綺麗に包帯が巻かれていた。
そっと手で触れてみるとよくわかる。
実に手馴れたものだった。
あまりの鮮やかな治療の跡にオリビアは感心した。
だが、すぐに次の事態に気がつく。
「悪いと思ったが急いで手当てをする必要があった。すまんな」
先手を打ってきたのか四狼が謝ってきた。
オリビアはそんな四狼の言葉など聞き流し、わなわなと身体を震わせている。
裸だった。
上半身だけだったが身につけていた軽甲と衣服は脱がされ、その上から身体が冷えないように外套がかけられていた。
「き、貴様……よくも見たな!」
怒声を発したオリビアだったが、完全に目覚めた状態で四狼を見て言葉をなくした。
四狼も上半身だけが裸だったのである。
本人が身につけていたと思われる黒い衣服は焚き火の前に突き刺した木の枝にかけられ、その衣服の下には小さな水溜りができていた。
「何だ? 俺の顔に何かついてるか?」
四狼は鼻先を掻きながら尋ねてきたが、オリビアは顔を見ていたわけではなかった。
四狼の上半身は恐ろしいほど屈強に鍛えられていた。
いや、近衛騎士団にも鍛え上げた肉体を自慢する男もいたので、単純な筋肉質な身体などオリビアは別に気にしない。
けれど四狼の肉体は別だった。
筋と見間違うばかりに細くしなやかに鍛えられた肉体には一欠けらの贅肉もない。
剣を使うために二の腕が盛り上がり、腹筋は綺麗に六つに分かれている。
だがそれ以上にオリビアの目を注目させたのは、身体を埋め尽くすほどの大小無数の傷痕であった。
見るからに剣で斬られた傷。
そして大型の肉食獣の爪で引き裂かれたような傷が至るところに刻まれており、四狼が今までどんな人生を歩んできたのかが痛いほどよく分かる。
そしてオリビアも四狼が怪我を治療するために服を脱がせたことなど分かっている。
それでも怒りの表情を浮かべたのは、女性ならではの恥じらいに他ならなかった。
しかし、そんな恥じらいすら一瞬で消し去るほどの迫力を四狼の肉体は持っていた。
オリビアはかけられていた外套を身体に巻きつけて裸身を隠した。
そこではたと気がつく。
目の前に座っている四狼は胡坐を掻いていた。
硬い感触が残っている頬をオリビアはそっと擦った。
そうである。
オリビアは四狼の膝枕で眠りについていたのだ。
「ちょうどいい枕だっただろ?」
にこっと笑った四狼にオリビアは顔が真っ赤に紅潮した。
見抜かれている。
オリビアは気恥ずかしさのあまりに長剣を抜こうと手を伸ばす。
だが伸ばした手は虚空を摑んだに過ぎなかった。
(そうだ、剣は――)
脳裏に蘇ってくる橋の上の惨劇――。
矢が突き刺さったあまりの痛みに足がふらつき、足場が濡れていたせいもあって橋の上から落ちてしまった。
長剣を落としたのはそのときだろう。
どのみち、あんな急な流れの中で剣を落としてしまっては最早回収は不可能である。
「くそ、私としたことが」
唯一の武器である長剣をなくした負い目と、裸を見られた恥ずかしさも相まってオリビアは頭を掻き毟った。
だが、おかしい。いつもと髪を触る感触が違う。
まさか!
掻き毟った手を見ると、自分の髪の毛が数本付着していた。
黒髪ではない。
眩しいほどの輝きを持つ白銀色の髪がである。
一瞬、オリビアの思考が止まった。
子供の頃から母親に言われ続けてきた。
絶対に白銀の髪を他人に見られてはいけない、と。
オリビアは自分の手から四狼に視線を移した。
四狼は白銀色の髪の毛をしているオリビアに特に何も言わず、焚き火の炎を見つめながら身体を休めていた。
微妙な沈黙が二人を包む。
遠くからは羽虫の鳴き声がちらほらと聞こえ、近くからはパチパチという生木がはぜる音だけが響く。
先にその沈黙を破ったのはオリビアだった。
「詳しく聞かないのか?」
炎の光により赤く染まった四狼の顔がこちらに向けられる。
「白銀色の髪か……あのヴェールで顔を隠していた依頼人の髪も同じ白銀だったな」
四狼の言葉は続く。
「これは泊まった宿で聞いたんだが、この国で白銀色の髪は王家の血筋らしいな。そして現在、この国で白銀色の髪を持っている人間は二人だけとも聞いた。盗賊団に拉致された第一王女のセシリアと第三王女のオリエンタ」
オリビアはただ黙って四狼の話を聞いている。
「この話から俺に仕事を依頼したヴェールの女性が第三王女のオリエンタだとは分かる。しかしそれだと余計に分からない。オリビア、アンタは何者だ?」
はあ、と憂鬱そうにオリビアは溜息を吐いた。
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