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第十二話    名前

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「ひいっ!」

 小さく悲鳴をを上げたパーカスは、一歩たりともその場から動けなかった。

 胡坐を掻いていたということもあったが、それ以上に電光石火の速さで抜かれた長剣の切っ先が皮一枚切れるか否かの絶妙な箇所で静止しているのだ。

「そう答えた騎士とは誰のことだ! どういう人物だった!」

 オリビアは血相を変えて捲くし立てた。

 セシリアの救出部隊に傭兵を使うのはあくまでも偵察を込めた意味でもあり、最終的には近衛騎士団がセシリアを救出する。

 なのにその騎士団の一人がセシリア救出を諦めているかのような物言いには我慢できなかった。

「どうか剣をお納め下さい……私はしがないただの狩人です……その騎士様も夜分遅くの訪問でフードを被っていたので顔は見ておりません……ただ、その中でも近衛騎士団の刻印が入った長剣を携えていらしたので……それで……」

 涙目になりながら途切れ途切れに話すパーカスを見て、オリビアははっと我に返った。

 すぐに剣を引いて頭を下げる。

「す、すまん。少し気が動転していた。許してくれ」

「いえ、私のほうこそ余計なことまで喋ってしまったようで本当に申し訳ありません」

 深々と頭を下げるオリビアに対してパーカスも深々と頭を下げる。

 傍から見ると何やら滑稽な図だっただろう。騎士と狩人が互いに向き合って謝罪しているのだ。

「何やってるんだ?」

 案の定、傍からその滑稽な図を見下ろしていた四狼が訊いてきた。

「う、うるさい! 傭兵の貴様には関係のない話だ!」

 騎士として有るまじきところを見られたせいか、怒声を発したオリビアの顔は真っ赤に紅潮していた。

 パーカスの喉元から引いた長剣の切っ先を今度は四狼に突き向ける。

「どうでもいいが休憩は終わったのか?」

 向けられた長剣のことなどまったく意に介せず四狼が言った。

 その顔には長距離を歩いた疲労の様子もなく、顔には汗一つ浮かんでいない。

(こいつ、一体どんな体力をしているんだ)

 オリビアは心中で底が見えない四狼の実力に暗澹たる恐怖を感じていた。

 同行している最中、四狼はときに先頭を歩き、ときには最後尾について周囲を警戒していた。

 それだけではない。

 足場が不安定な樹海の中でも歩調を乱さず、呼吸もまったく切らせないのである。

 四狼は「いいから剣を退けてくれ」と長剣の切っ先を指で退かすと、右手に持っていた水筒の水を口に含んだ。

 喉の渇きを水筒に溜めた水で潤す当たり前の行為だったが、オリビアには少し気になったことがあった。

 四狼が手にしている水筒である。

 堅い革で作られた水筒ではない。

 中身の水が見えるほどの透明な容器で、四狼が軽く握るたびにベコベコと不可解な音が鳴るのである。

 しかも、口をつける部分の蓋を何回か回して綺麗に閉じていた。

 どこの国の水筒なのだろう。

 そんなことをオリビアは考えていると、四狼の双眸が獲物を狙う肉食獣のように鋭く輝いた。

 一瞬、オリビアは剣を突きつけたことに四狼が怒ったのかとも思ったが、その目線が自分ではなく樹海の奥に合わせられていたことで気がついた。

 オリビアはさっと立ち上がり、樹海の奥に向かって長剣を構える。

 樹海の奥は異様な静けさに包まれていた。

 そしてよく耳を澄ませば、木の上で羽を休めていた鳥の鳴き声や羽虫の鳴き声が消えていた。

 まるで何かを恐れるように。

 四狼とオリビアの身体から放出されている緊張感に中てられたパーカスは、ごくりと唾を飲み込みながら立ち上がった。

 樹海の奥に視線を合わせながらゆっくりと後退する。

「おい、貴様。先ほどから周囲を見回っていたんじゃないのか?」

 四狼の隣に近づいたオリビアが、憎らしそうに呟いた。

「そのつもりだったんだがな。もしかすると、俺の嫌な予感が的中したかもしれない」 

 そう答えるなり四狼は、鯉口を切って〈忠吉〉をすらっと抜いた。

 青黒い片刃の刀身が薄暗い樹林の中でも怪しい煌めきを放つ。

 そのあまりの優美さに、一瞬だったがオリビアの目は奪われてしまった。

 しかしすぐに目線を外し、樹海の奥に合わせる。

 これから向かわねばならない方向――樹海の奥には、盗賊団の一員らしき人間がそれぞれ武具を携えてこちらを見つめていた。

 人数は合計で六人。

 頭部と肩を覆うような頭巾を被った人間や、傷跡が目立つヘルメットに手甲をつけた兵隊崩れと見られる姿の人間もいた。

 別に珍しくもない。

 軍生活から抜け出した兵士が、山賊や盗賊に職を変えることなど頻繁にある。

「おい、どうする?」

 オリビアは四狼に耳打ちするように囁いた。

 相手が六人に対してこちらは四人。

 しかし狩人であるパーカスは戦力にならない。となるとこちらの戦力は三人。

 そして、オリビアは少なからず四狼の実力を知っている。

 だからこそ訊いたのだ。

 ここで戦うか、それとも逃げるか。

 四狼はちらりとオリビアに視線を向けると、ぼそりと言った。

「四狼だ」

「は?」

 思わずオリビアは頓狂な声を発した。

 それも無理はない。

 一触即発の危機的状況に置いて、何を思ったか四狼は自分の名前を答えたのだ。

「俺の名前は貴様じゃない。四狼だ。これからはきちんと名前で言ってくれ、オリビア」

「ば、馬鹿者! こんなときに何を――」

 反論しようとしたオリビアの言葉は続かなかった。

 こちらの様子を窺っていた盗賊団の連中に動きがあったからだ。

 低木の枝葉を掻き分け一斉に襲い掛かってくる。

「いいか、俺の名前は四狼だ」 

 さらに念を押した四狼は、次の瞬間には疾風と化した。

 そして――。
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