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第三十六話  薬士の仲間

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 夜空には銀色に輝く満月が浮かんでいる。

 時刻は夜――。

 俺とアリシアは上等なきぬの寝間着を着ながら、一流の庭師が管理しているのであろう中庭にいた。

 中庭には1年中において月見や花見が楽しめるように、何人も座れる長椅子が設置されている。

 その長椅子に、沐浴もくよくが終わった俺たちはすずしみのために座っていたのだ。

「やっぱり、どこの国でもお金持ちって変わっているのね。この屋敷のご主人もそうだけど、こんな凄いお屋敷に住んでいながら、昼間は平然と街の名所説明なんかをしているなんて信じられない」

 日光浴にっこうよくならぬ月光浴げっこうよく満喫まんきつしていると、俺の隣に座っていたアリシアが声を掛けてくる。

「この華秦国かしんこくでは珍しいことじゃない」

 俺は満月からアリシアに顔を向けた。

「他の大陸の国ではどうか知らないが、この華秦国かしんこくの富裕層の人間たちは人としての良い行いであるとくを積むと、来世では幸せな人間に生まれ変われると信じているからな……まあ、全員が全員ともそうだとは言わないが」

 俺の主人であった仁翔じんしょうさまはとくを重んじる人だったが、俺を屋敷から追放した笑山しょうざんはまったくとくを信じていない人間だった。

「でも、この屋敷のご主人はそのとくを重んじる人だったし、あなたに本気で恩義おんぎを感じたからこうして色々と便宜べんぎはかってくれたのよね」

「らしいな……しかし、まさかあの人が行政長官たちとも交流が深い大商人だったとは思わなかった」

 現在、俺たちがいるのは中農ちゅうのうの北にある、商同しょうどうと呼ばれる街区にのきつらねる屋敷の1つだった。

 どうとは「人が集まり住む」ということを意味しており、要するにここは商人の屋敷が集まっている場所ということだ。

 しかも相当な資産を持つ大商人たちの屋敷しかなく、それこそ商同しょうどう自体が専用のさくで守られた場所であるから、商同しょうどうに入るためには許可証とともに専用の出入り口の門を通る必要があったぐらいである。

 では、なぜそんな場所にある屋敷で俺たちはくつろいでいるのか?

 すべてはこの屋敷の主人――楊水連よう・すいれんさんのおかげだった。

 そう、広場で腰痛の完治を約束したあの水連すいれんさんである。

 事の経緯けいい発端ほったんは今日の朝だ。

 俺たちは昨日の昼間に春花しゅんかから魔王の手がかりになる情報を持っているのが水連すいれんさんであることを知ると、今日の朝になるのを春花しゅんかの家で待ってから水連すいれんさんのいる広場に春花しゅんかを含めた3人で向かった。

 そして俺は水連すいれんさんの腰痛を完治させたあと、何かお礼をしたいと言ってくれた水連すいれんさんに事情をすべて打ち明けたのである。

 俺たちはある目的のために旅をしていることと、その目的を果たすための手がかりを水連すいれんさんが持っているかもしれないこと。

 そのついでに春花しゅんか仙丹房せんたんぼうで起こったことを話し、水連すいれんさんのために作っていた薬を作れなくなったことも謝罪とともに伝えた。

 ところが水連すいれんさんはまったく怒らなかった。

 なぜなら、俺が最後の施術せじゅつ水連すいれんさんの腰痛を完治させたからだ。

 どうやら春花しゅんか水連すいれんさんのために作っていたという薬は、腰痛を限りなく軽減させる薬だったという。

 そのため水連すいれんさんは怒るどころか、そのような薬を親父さんが亡くなったあとも引き継いで作り続けてくれた春花しゅんかに非常に感謝をしていた。

 しかしそれ以上に水連すいれんさんは腰痛を完治させた俺に感謝してくれて、東安とうあんで起こっているという不可思議で血生臭い事件のことも事細かく教えてくれたのだ。

 それだけではない。

 水連すいれんさんは一宿一飯いっしゅくいっぱんを提供したいとこの屋敷へ案内してくれたばかりか、東安とうあんまでの旅費をすべて出してくれると申し出てくれたのだ。

 ただ、それは俺とアリシアも気が引けた。

 さすがに旅費まで出してくれるのは申し訳ない、と。

 そのときに俺たちが話題にしたのは、東安とうあんまでの路銀ろぎんになるかもしれなかった薬草薬果やくそうやくかのことだった。

 もっと詳細に言うならば、この街の薬家長やくかちょう仙丹果せんたんか以外の希少レアで貴重な薬草薬果やくそうやくかを不当な理由で没収ぼっしゅうされたことをである。

 ――そのお話をもっと詳しく教えていただけませんか?

 そうたずねてくると同時に顔から笑みが消えた水連すいれんさんは、私が返してもらいに行くので仙丹果《せんたんか》を少しの間だけ貸してくださいと言ってきた。

 その後、水連すいれんさんは俺たちから受け取った仙丹果せんたんかを持って屋敷から出て行った。

 複数の従者じゅうしゃを引き連れて、しかも本来は役人の高官しか乗ることが許されなかった車輪が朱塗しゅぬりされた馬車に乗ってである。

 向かった先は薬家行やくかこう

 そしてどんなやりとりを薬家長やくかちょうとしてきたのかは知らないが、夕方前に帰ってきた水連すいれんさんの手には、薬家長やくかちょう没収ぼっしゅうされた俺たちの薬草薬果やくそうやくかが1つも欠けることなくあったのだ。

 水連すいれんさんいわく、薬家長やくかちょう穏便おんびんな話し合いの末に返してもらったという。

 ちなみに薬家長やくかちょうこと鄭八戒てい・はっかいという男は、自分の犯した罪の重さを反省して薬家長やくかちょうを辞任し、みずからいさぎよてい(警察)に出頭したらしい。

 ただし、それが本当のことなのか俺は知らないし興味もなかった。

 けれども、水連すいれんさんがのだろう。

 などと俺が考えていたときだ。

「いや~、さっぱりしたわ。やっぱり、金持ちの家の沐浴もくよく庶民しょみんのとは違うな。まさか木の浴槽よくそうに家人が用意してくれた温水が張られて身体ごと入れるやなんて、こんなん士大夫しだいふ(貴族)や王族になったような気分やで」

 と、全身からまだ湯気を出している春花しゅんかが現れた。
 
 俺たちと同じ上等なきぬの寝間着を着ていた春花しゅんかは、俺とアリシアの間にちょこんと座る。

 そんな春花しゅんかを見て、俺は昼間に確認したことをもう1度だけくことにした。

「なあ、春花しゅんか。本当に俺たちの旅についてくるつもりか?」

「何や、今さらアカン言うつもりか? 荷物はもうまとめてもうたし、それに色々と水連すいれんはんと話はつけたんや。はっきり言って準備万端ばんたんやで」

 どうやら本気で俺たちに同行するつもりのようだ。

「でも、あんな立派なお店を放っておくのも勿体もったいない気がするけど」

「せやから、水連すいれんはんと話をつけたんや。うちがいない間の百草ひゃくそう神農堂しんのうどう維持いじは、水連すいれんはんがしてくれるってな。もちろんタダやないで。うちの出世払いでや」

「出世払い?」

 俺がそう言うと、春花しゅんかは「そうや」と俺に顔を向ける。

龍信りゅうしんはうちに言ってくれたやないか。うちは将来、この国に名をとどろかせるほどの名薬士くすしになるって。だから、うちは水連すいれんはんにそのことを話して、うちがいない間の百草ひゃくそう神農堂しんのうどう維持費いじひは出世払いで返すいうことになったんや。水連すいれんはんも龍信りゅうしんが言うのなら信用できると即決してくれたで」

 春花しゅんかは言葉を続ける。

「せやから、その水連すいれんはんに龍信りゅうしんのことを失望させんためにも、うちはホンマに華秦国かしんこく全土に名をとどろかせるほどの薬士くすしになったると決意したんや」

「だから俺たちについて来ると?」

「そうや。名薬士くすしになるためには王都の薬事情にも詳しくないとアカン。それにうちも1度は王都の薬屋なんかを見て回りたかったし、うちみたいな薬士くすしが一緒にいるだけで何かと融通がゆうずう利くと思うで」

 俺は「ふむ」と両腕を組む。

 それは俺も昼間に思ったことだった。

 水連すいれんさんからの情報によると、魔王の手がかりがつかめるかもしれない東安とうあんのある場所というのは薬士くすし重宝ちょうほうされるという。

 そして昼間は春花しゅんかの勢いに押されて何となく了承りょうしょうしてしまった俺とアリシアだったが、今のように納得のいく理由を聞いた後だと、むしろこちらから春花しゅんかに同行をお願いしても良いくらいである。

 それはアリシアも同じ考えにいたったのか、それ以上は特に何も言わなくなった。

 これも人のえんというやつかな。

 俺はふと夜空に浮かぶ満月を見上げる。

 俺たちの旅路たびじの行く末を暗示しているのか、満月は雲1つかかることなく煌々こうこうと輝いていた。
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