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第25話   受け継がれたモノ

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 玉座に座っていたサクヤの瞼が、ゆっくりと開いた。

 すでに事切れる寸前だったのかもしれない。 

 自分の胸元から流れ出す鮮血が、生暖かくさえ感じられる。

 薄れていく意識の中でサクヤは見た。

 女神のように艶かしい黄金色の長髪を風になびかせ、すべてを見透かすような鋭い双眸が輝き、その下には一切の無駄がない鍛え抜かれた肉体を持った男。

 その姿は、幾度となくサクヤの夢の中に出てきた闘神の姿そのものであった。

 そして、その闘神の左目が真紅に輝いていることも――。

 封印が完全に解けた〈オリティアスの瞳〉。 

 正確には、300年前に封印されたオリティアスの悪の怨念が、カルマと融合したのである。

 そんな闘神と化したカルマの目の前には、シュラの姿が見えた。

 紅蓮の炎を身に纏い、闘神に向かって猛進していくシュラの姿が。

 一撃だった。

 カルマが振り上げた拳が、シュラの身体に深々と突き刺さったのだ。

 絶対的強者と絶対的弱者。 

 シュラと闘神と化したカルマの戦闘能力には、それほどの開きがあった。 
  
 カルマはシュラの胴体から拳を引き抜くと、無造作にシュラの身体を床に投げ捨てた。

 ほとんど即死だったのだろう。 

 ピクリとも反応しないシュラの姿が、サクヤの視界には映し出されていた。 

 ほんの数十秒前には生きていたシュラが、今では生命の灯火を消されたただの骸となっていた。

 サクヤの目元からは、一筋の涙が流れ落ちた。 

 サクヤは理解していた。 

 すべての元凶は、闘神と化したあの銀髪の男――カルマだということを。

 しかし、もう何もかも手遅れだった。

  自分の母国であるブリタニア皇国を滅ぼされ、ヒューイ、ジェシカ、そしておそらく、ジンも殺された。 

 そして、今まさにシュラでさえも。

 わずかに働く思考の中、サクヤの体温は徐々に低下していく。 

 身体が痙攣し、凍り付くような悪寒が全身を走り抜ける――それは、間違いなくこれから訪れる死の感覚。    

 もういい、このまま眠ろう…… 

 そう自分に言い聞かせたサクヤは、静かに目を閉じようとした、

(…………)

 どこからか声が聞こえてくる。

(…………サクヤ)

 自分の名前を呼んでいる聞き慣れた青年の声が。

(サクヤ……サクヤ……)

 サクヤの頭の中に聞こえてきた声は、間違いなくシュラの声であった。 

 何でお前の声が聞こえてくるんだ? お前は……あいつに殺されたはずなのに

(たしかに俺の肉体は死んだ……だがそのおかげで、直接〈意志気〉の波動をお前に伝えられるようになったんだ)

 ――そうなのか……でも、もう終わりだ。私の命も消えかけている。最後くらい、安らかに天に召されたい

(馬鹿野郎! こんな終わり方でいいのか? それで、お前は納得できるのか?)

 ――いいわけないだろう! でも、あんな化け物に勝てるわけがない。最初から無理だったんだ。ジン、ジェシカ、ヒューイの三人とも、私の我が儘に付き合って死んだ。全部、私のせいなんだ

(それは違う……ジンもジェシカも、自分で決意してお前について来たんだ)

 ――気休めを言わないでくれ! 私はただの無力で弱い小娘だったんだ。皇国のため、父上のため、すべて嘘なんだ。本当は……ただ、怖かった。何も出来ない自分が……ただ、怖かったんだ

(それでも、お前はお前だ。弱くてもいい、無力でもいい、全部がお前なんだ。胸を張れ、サクヤ)

 ――ふふっ、そんな台詞は、せめてお前が生きているうちに聞きたかったな。

(……そうだな。だが、俺の心はまだ死んではいない。そして、お前だけは死なせたくない。 受け取ってくれ、サクヤ。 俺の思いのすべてを――)



 カルマは冷たくなったシュラを見下ろし、闘いの余韻に浸っていた。

「シュラ、所詮はお前も運命の歯車の一つに過ぎなかったな。まあいい、姉とともにあの世で見ていろ。これから始まる世界の終末を……」

 そう呟いた直後、カルマの心臓の鼓動が一気に加速した。

 まるで火山が爆発したかのような激しい〈気〉の波動が自分の後方から途轍もない熱風とともに伝わり、カルマの銀色の長髪を生き物のように蠢かせる。 

 カルマは一気に振り向いた。

「馬鹿な! きさまはたしかに殺したはず……」

 目の前には、サクヤが悠然とカルマを見据えていた。

 サクヤの身体は紅蓮の炎が渦を巻くように燃え盛っており、カルマによって傷つけられた刀傷は目に見える速度で塞がっていくのがわかる。 

 そしてその姿からは、圧倒的な力にただ怯え、恐怖にすすり泣く小娘の表情は微塵もなかった。 

 小型の太陽を思わせる、紅蓮の輝きを身に纏った炎の女神の姿がそこにはあった。 

 カルマは数歩後ずさった。

「きさま、いつの間に〈闘神術〉を……いや、その力はまるで私と同じ……」

 サクヤの頭の中にシュラの声が響いてくる。

(サクヤ、やれるか?)

「ああ、お前の思いは無駄にはしない」

 サクヤは静かに目を閉じると、両手をゆっくりと手前に動かした。

 まるでそれ自体に意志があるかのように、身に纏っていた紅蓮の炎が生き物のように蠢きながら両手に収束されていく。 

 サクヤは頭の中で想像した。 

 より具体的に、より鮮明に頭の中で想像されたモノが〈気〉の力でこの世に現れる。 

 部屋全体を真昼さながらに輝かせたそれは、天すらも燃やし、切り裂いてしまわんばかりの〈灼熱の大剣〉であった。

 天井にまで達するその〈灼熱の大剣〉からは、無数の火の粉が飛散している。

「ふふふっ……フハハハハハハハっ!」

 カルマは狂喜した。 

 目の前に現れた女神の力を気に入ったのか、闘いを好む闘神としての本能なのか。 

 サクヤの紅蓮の炎に対して、カルマの両手に形成されたモノは絶対零度の氷柱であった。

 サクヤに対抗するかの如く、その氷柱の一角が割れると、天に届かんばかりに衝き伸びていく。

 そして、その氷柱が天井に達した頃には余計な部分は削りとられ、巨大な〈氷魔の大剣〉として完成されていた。

 すべてを炎滅する〈灼熱の大剣〉と、すべてを氷滅させる〈氷魔の大剣〉。

 正反対な性質の二つの力は、相手の存在を完全に否定していた。

「「ハアアアアアアアアアアッ!」」

 炎と氷。 

 二つの力の象徴である大剣が、持ち主の咆哮とともに相手に襲いかかった。

 ビキイイイイインッ!

 二つの大剣が切り結ぶと、大気を切り裂かんばかりの衝撃音が鳴り響く。

 サクヤの炎撃はカルマの肉体を焼き尽くし、カルマの氷撃はサクヤの肉体を凍結させる。

 二人の力は拮抗していた。 

 その場に踏みとどまり、相手の大剣を押し返そうと渾身の力を込めている。

「くうっ!」

 その時、サクヤの身体に異変が起こった。 

 体内に流れる血管に、数百本の針を流されたような鋭い痛みが全身を駆け抜けていく。

 全身を走り抜ける強烈な痛みに、サクヤの片膝がガクリと地面に落ちた。

「ハハハハハハッ! 当たり前だ! 付け焼刃の〈闘神術〉で肉体が持つわけがない!」

 カルマはここぞとばかりに、手にしている〈氷魔の大剣〉に巨大な〈意志気〉を流し込んだ。 

 カルマの〈気〉を大量に吸収した〈氷魔の大剣〉はさらに冷気が増し、刀身の部分からは槍のような氷柱が無数に突き出てくる。

 サクヤの肉体は限界に近づいていた。

 本来ならば気の遠くなるような肉体と精神鍛錬の果てに体得する〈闘神術〉を、サクヤは死んだシュラの〈気〉の塊を取り込むことにより、一時的に発動させたのである。

 今のサクヤが巨大な〈気〉を具象化させた〈氷魔の大剣〉を喰らえば、それこそ肉体は細胞の隅々まで凍結され、肉片すら残らない。  

「だ、だめだっ!」

〈灼熱の大剣〉を持つ両手にはすでに感覚がなく、かろうじて〈気〉の力で支えられている状態であった。

「すまない、シュラ。 最後の最後まで……役に立てなかった……」

(諦めるな、サクヤ!)

 サクヤの頭の中に、シュラの力強い声が響いてくる。

「ハハハハハハハッ! さっさと諦めてしま……」

 ビキッ!

「?」

 今まさにサクヤの息の根を止めようという時に、カルマの耳に何かが割れる音が聞こえてきた。

 ビキッ……ピキィ……

 カルマは戸惑った。 

 割れる音の正体は、自分が手にしている〈氷魔の大剣〉からではなかった。 

 しかし、他に割れるようなものなどない。 

 だが、割れた音の正体はすぐに判明した。

 カルマは自分の左目を押さえ、恐怖に引きつった声を上げた。 

「馬鹿なっ! 〈オリティアスの瞳〉が砕けるはずが……」

 割れる音の正体は、カルマの左目と同化していた〈オリティアスの瞳〉であった。

「そんなっ! 〈オリティアスの瞳〉は私を主人と認めたはずだ!」

〈闘神術〉の持続時間を無効化する魔石が砕け散るということは、一体化した自分も砕け散る。

 〈オリティアスの瞳〉を体内に取り込んだカルマは、本能でそれを悟っていた。 

 燃え尽きる前の蝋燭の炎のように、カルマの〈気〉が倍に膨れ上がった。

 灼熱の炎の渦と、絶対零度の氷柱が互いにぶつかり合い、すべてを無に帰していく。

 ここにきてカルマの力がさらに上昇した。

 その紅い瞳にはもはや神ではなく、すべての生物を破滅へと導く魔が宿っていた。

「そうかっ! この娘を殺せば、また私を主人と認めるということなのだな!」

 カルマはすでに闘神ではなく、暗黒の邪気を放つ魔神と化していた。

〈オリティアスの瞳〉の崩壊は、カルマの肉体にも確実に影響を与えていた。 

 全身に網目のような亀裂が走り、今にも肌が剥がれ落ちてきそうな勢いである。 

 もはや、カルマの命は風前の灯であった。 

 だがそれは、サクヤも同じだった。

 圧倒的な〈気〉の膂力を発揮するカルマの〈氷魔の大剣〉を、サクヤは押し返すことができない。

「死ねえっ! 死ねえっ! 死ねえええええええええっ!」

 狂気を孕んだカルマの〈気〉は〈氷魔の大剣〉に残さず吸収され、その圧倒的な氷圧が、サクヤの身体に怒涛のように襲いかかってくる。

 ――その時である。 

 すでに感覚が無くなってきていたサクヤの両手に、何か熱い感触が伝わってきた。 光り輝く逞しい腕が、サクヤの両手を力強く握り締めている。

「シュラ!」

 そこには、サクヤの身体を後ろから抱きしめるように〈灼熱の大剣〉を握るシュラの姿があった。

(諦めるな、サクヤ! 諦めるな!)

 直にサクヤの身体に浸透してくるシュラの声。  
  
 サクヤの体内で何かが覚醒した。

 自分の中に眠っていた隠された力が、突如、目覚めたかのような開放感。 

 自分は一人ではない。 

 そう思うとサクヤの体内からは、溢れんばかりの〈意志気〉が湧き上がってきた。
  
 ゴオオオオオオォォォォォォ――――ッ!
  
 消えかかっていた〈気〉の炎が、サクヤの覚醒と同時に再び息を吹き返した。

 それだけではない。

 天高く燃え上がっていた〈灼熱の大剣〉にも著しい変化が見られた。

 紅蓮の炎で形成されていた刀身の部分が、まるで赤い竜巻のように天に向かって螺旋を描いていく。  

 サクヤとシュラの融合により完成された、すべてを灰燼と化す超高熱の炎の竜巻は、カルマの〈氷魔の大剣〉を欠片も残さず炎滅していった。 

「はあああああああ――っ!」

 大気を震わす咆哮とともに、サクヤの手元から放たれた〈真・獅神煉剣〉。

 その剣がカルマの五体を貫いた時、部屋全体が激しい炎の奔流に包まれた。

 それは同時に、サクヤの旅が終焉を迎えた瞬間でもあった。
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