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第四十二話 隻腕の怪物
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「お、お師匠様……」
伊織は武蔵の姿を見て、巨大な安堵感とともに複雑な思いに駆られた。
武蔵という大きな助け舟が来たと喜ぶ自分と、師匠に無様な格好を見られたと恥じるもう一人の自分がいたのだ。
一方、伊織に興味を無くしたカイエンは、武蔵に下卑た笑みを浮かべた。
「絶好な時機(タイミング)であったな。もう少し来るのが遅ければ、お主の弟子はこの世にいなかったぞ」
「どうやらそのようだな……それで? どうしてお主は女子相手に本身(本物の刀)など抜いておるのだ?」
「継承作品が来るまでの戯れのつもりであったが、お主の弟子がまあまあ出来た剣者だったゆえ、こちらも少しながら応えたまでのことよ」
不敵な態度を取ったカイエンに、武蔵はそれ以上何も言わず本堂の中を見渡す。
やがて武蔵の視線はリーチへと向けられた。
「そこの男を殺ったのはお主か? それとも伊織か?」
死んでいるリーチを見つめた武蔵は、続いてカイエンと伊織を交互に見る。
伊織が自分ではないと伝える前に、カイエンが「拙者だ」と言った。
「解せんな。そやつはお主の仲間ではなかったのか?」
武蔵の問いかけに、カイエンは「最初はそうであった」と眼光を鋭くさせる。
「だが、そやつには武人の気概が欠如しておった。それゆえに一人の武人として制裁を加えたまでのことよ。しかし、解せないのはこちらも同じ。お主の口振りからして、そこの男と拙者が手を組んでおったのを知っていたようだが……」
そこまで言うと、カイエンはすぐにピンと来たのか大きく頷いた。
「なるほど、案内役の連中から拙者たちの関係を聞いたのか?」
「いかにも」
武蔵は正直に答えた。
「それで、案内役の連中はどうした?」
「三人とも殺した」
武蔵は落ち着いた声色で、悪鬼羅刹の台詞を口にする。
まるで案内役の三人を殺したのは、至極当然だと言わんばかりであった。
そんな武蔵に伊織は「なぜ?」という表情を向ける。
案内役の三人は明らかに武蔵よりも格下の相手だった。
しかも三人はこの本堂に武蔵を連れてくる案内役でしかなかったはずである。
どうしてわざわざ殺す必要があったのだろうか。
「帰る際に邪魔だと思ったのでな」
武蔵は伊織の心中を読み取ったかのように呟く。
カイエンは嬉しそうに口の形を半月状にした。
「ほう……その心は?」
愚問だな、と武蔵はカイエンに射貫くような視線を飛ばす。
「闘いとは一対一の尋常な果し合いのみならず。特にこのような人質を取り返さなくてはならない場合、肝心の人質を取り返しても伏兵がいてはこちらの分が悪くなってしまう」
武蔵は淡々と言葉を紡いでいく。
「そして戦力にならない人間を連れた状態で襲われれば、戦力が半分以下になるのは自明の理。もしも遠間から複数の弓で狙われでもしたら、俺はともかく人質や伊織の身に危険が及ぶ。ならば、邪魔になりそうな敵を先に排除しておくのは兵法者として当然のことだ」
このとき、伊織は宮本武蔵という人間に対して衝撃を受けた。
武蔵を最強たらしめていたものは、身体能力の高さや剣の腕前だけではないと改めて察したのだ。
それは恐ろしいほどの合理主義と、先見の明の高さであった。
宮本武蔵の一生を知識で分かっていた伊織だったが、実際の武蔵の日常はここまで極めなければ生き残れないほど本当に苛烈だったのだろう。
と、伊織が武蔵の半生に畏怖の念を抱いたときだ。
伊織は軽めの頭痛に少しだけ顔をしかめた。
直後、カイエンの姿が二重映像のように見え始める。
(これって……)
伊織は何度か両目を開けたり閉じたりした。
だが、やはり目の錯覚ではない。
生身のカイエンの前に、白煙で模ったような二人目のカイエンが現れたのだ。
伊織は食い入るように二人のカイエンを見つめた。
アルビオン城内において、実際に一騎打ちをする前の武蔵とアルバートの姿が浮かんでくる。
あのときは異様な光景の正体を知らなかったものの、今の伊織はどうしてこのような現象が起こるのか知っていた。
「たぎるな……やはり死合うのはクズや未熟者よりも、お主のような一角の兵法者に限る。されど、今の拙者の目的はあくまでも伝承作品の刀だ」
生身のカイエンがそう言い放つと、白煙のカイエンに変化があった。
幻である白煙のカイエンは、小刀の切っ先を武蔵に突きつける。
「さあ、渡してもらおうか。むろん、二振りともだ」
武蔵はマサミツをちらりと見た。
「その前に人質を返してもらおう」
「いや、まずは伝承作品の刀をもらうのが先だ。人質を返したあとに、そのまま伝承作品の刀とともに逃げ出されてはかなわんからな」
ふん、と武蔵は鼻で笑う。
「思ってもいないことを口にするのは止めにいたせ。お主は最初から人質を返す気などないだろう」
武蔵は眉根を強く寄せて二の句を紡ぐ。
「俺も大勢の兵法者を見てきたが、その中にはお主のような目に闇を持った兵法者も多くいた。新しい得物を手に入れると、すぐに試し切りをしなければ気が済まない兵法者をな。そのような兵法者たちの目と、今のお主の目は同じだ」
試し切り、という言葉に伊織は寒気を覚えた。
武蔵が口にした試し切りとは、畳表や死体を使った試し切りのことではない。
それは生きた人間を使った、生き試しのことを指していたのだろう。
しかもマサミツを使った生き試しのことに違いなかった。
「くくく……大した心眼だな」
やがて本堂の中に、カイエンの濁った笑い声が響き渡る。
「いかにも。伝承作品の刀を手に入れたあとは、まずは二代目殿の息子で生き試しをするつもりであった」
そう言うと、生身のカイエンは小刀を武蔵に突きつける。
「あの鍛冶師ギルドの幹部連中が認めたほどの刀だ。造りもさることながら、切れ味も相当なモノに違いない。ならば、手に入れた暁には人間の身体で切れ味を試したくなるのが道理というものではないか。そうであろう?」
(な、何て勝手な言い分なの……)
伊織は再び下丹田に凄まじいほどの熱を感じた。
それだけではない。
カイエンに対して激しい怒りが込み上げくる。
本性を現したカイエンの人間としての器は、最低を通り越して最悪だった。
武蔵も伊織と同意見だったのだろう。
「この気狂い者め……童(子供)を使った生き試しを考えている時点で、お主はもはや兵法者でもましてや人間でもない」
武蔵の全身から、凄まじい怒気が放たれた。
すると生身の武蔵の前に、白煙で模られた二人目の武蔵が現れる。
伊織の頭痛はさらに強くなった。
何もできないほどの痛さではないものの、気にならないと言えば嘘になる。
そして、この頭痛の正体は病気から来るものではない。
身近な人間の天理の気に、脳が過敏に反応したことで出たのだ。
伊織もそれは分かっている。
明らかに武蔵の天理の気に脳が反応したのだろう。
だが、白煙で模られたもう一人の自分を出現させたのは武蔵だけではない。
「その様子だと、大人しく伝承作品の刀を渡す気はないらしいな……まあいい、目的の代物はここにあるのだ。お主ら二人を葬ったあとに、ゆっくりと切れ味を試させてもらうとしよう」
次の瞬間、カイエンの下丹田に黄金色の光球が現れた。
その光球からは黄金色の燐光が噴出し、やがて右回りの光の渦となってカイエンの全身を覆い尽くしていく。
「我が兵法は善にして善ならず、悪にして悪ならず。何れにむかって万丈の巌の如く、ただ敵を滅することを望むものなり」
カイエンの口から呪文のような言葉が発せられると、身体に寄り添うように垂れていたカイエンの右袖に異変が起こった。
一人でに右袖が動き始め、やがて袖口が真上を向いたのである。
そして――。
「天掌板――顕現!」
カイエンが高らかに言い放った直後、袖口から数十センチほどの空中に〝何か〟が出現した。
武蔵と伊織の二人は大きく目を見張る。
空中に出現した〝何か〟の正体――それは肩の付け根から五本の指までしっかりと揃った人間の右腕であった。
伊織は武蔵の姿を見て、巨大な安堵感とともに複雑な思いに駆られた。
武蔵という大きな助け舟が来たと喜ぶ自分と、師匠に無様な格好を見られたと恥じるもう一人の自分がいたのだ。
一方、伊織に興味を無くしたカイエンは、武蔵に下卑た笑みを浮かべた。
「絶好な時機(タイミング)であったな。もう少し来るのが遅ければ、お主の弟子はこの世にいなかったぞ」
「どうやらそのようだな……それで? どうしてお主は女子相手に本身(本物の刀)など抜いておるのだ?」
「継承作品が来るまでの戯れのつもりであったが、お主の弟子がまあまあ出来た剣者だったゆえ、こちらも少しながら応えたまでのことよ」
不敵な態度を取ったカイエンに、武蔵はそれ以上何も言わず本堂の中を見渡す。
やがて武蔵の視線はリーチへと向けられた。
「そこの男を殺ったのはお主か? それとも伊織か?」
死んでいるリーチを見つめた武蔵は、続いてカイエンと伊織を交互に見る。
伊織が自分ではないと伝える前に、カイエンが「拙者だ」と言った。
「解せんな。そやつはお主の仲間ではなかったのか?」
武蔵の問いかけに、カイエンは「最初はそうであった」と眼光を鋭くさせる。
「だが、そやつには武人の気概が欠如しておった。それゆえに一人の武人として制裁を加えたまでのことよ。しかし、解せないのはこちらも同じ。お主の口振りからして、そこの男と拙者が手を組んでおったのを知っていたようだが……」
そこまで言うと、カイエンはすぐにピンと来たのか大きく頷いた。
「なるほど、案内役の連中から拙者たちの関係を聞いたのか?」
「いかにも」
武蔵は正直に答えた。
「それで、案内役の連中はどうした?」
「三人とも殺した」
武蔵は落ち着いた声色で、悪鬼羅刹の台詞を口にする。
まるで案内役の三人を殺したのは、至極当然だと言わんばかりであった。
そんな武蔵に伊織は「なぜ?」という表情を向ける。
案内役の三人は明らかに武蔵よりも格下の相手だった。
しかも三人はこの本堂に武蔵を連れてくる案内役でしかなかったはずである。
どうしてわざわざ殺す必要があったのだろうか。
「帰る際に邪魔だと思ったのでな」
武蔵は伊織の心中を読み取ったかのように呟く。
カイエンは嬉しそうに口の形を半月状にした。
「ほう……その心は?」
愚問だな、と武蔵はカイエンに射貫くような視線を飛ばす。
「闘いとは一対一の尋常な果し合いのみならず。特にこのような人質を取り返さなくてはならない場合、肝心の人質を取り返しても伏兵がいてはこちらの分が悪くなってしまう」
武蔵は淡々と言葉を紡いでいく。
「そして戦力にならない人間を連れた状態で襲われれば、戦力が半分以下になるのは自明の理。もしも遠間から複数の弓で狙われでもしたら、俺はともかく人質や伊織の身に危険が及ぶ。ならば、邪魔になりそうな敵を先に排除しておくのは兵法者として当然のことだ」
このとき、伊織は宮本武蔵という人間に対して衝撃を受けた。
武蔵を最強たらしめていたものは、身体能力の高さや剣の腕前だけではないと改めて察したのだ。
それは恐ろしいほどの合理主義と、先見の明の高さであった。
宮本武蔵の一生を知識で分かっていた伊織だったが、実際の武蔵の日常はここまで極めなければ生き残れないほど本当に苛烈だったのだろう。
と、伊織が武蔵の半生に畏怖の念を抱いたときだ。
伊織は軽めの頭痛に少しだけ顔をしかめた。
直後、カイエンの姿が二重映像のように見え始める。
(これって……)
伊織は何度か両目を開けたり閉じたりした。
だが、やはり目の錯覚ではない。
生身のカイエンの前に、白煙で模ったような二人目のカイエンが現れたのだ。
伊織は食い入るように二人のカイエンを見つめた。
アルビオン城内において、実際に一騎打ちをする前の武蔵とアルバートの姿が浮かんでくる。
あのときは異様な光景の正体を知らなかったものの、今の伊織はどうしてこのような現象が起こるのか知っていた。
「たぎるな……やはり死合うのはクズや未熟者よりも、お主のような一角の兵法者に限る。されど、今の拙者の目的はあくまでも伝承作品の刀だ」
生身のカイエンがそう言い放つと、白煙のカイエンに変化があった。
幻である白煙のカイエンは、小刀の切っ先を武蔵に突きつける。
「さあ、渡してもらおうか。むろん、二振りともだ」
武蔵はマサミツをちらりと見た。
「その前に人質を返してもらおう」
「いや、まずは伝承作品の刀をもらうのが先だ。人質を返したあとに、そのまま伝承作品の刀とともに逃げ出されてはかなわんからな」
ふん、と武蔵は鼻で笑う。
「思ってもいないことを口にするのは止めにいたせ。お主は最初から人質を返す気などないだろう」
武蔵は眉根を強く寄せて二の句を紡ぐ。
「俺も大勢の兵法者を見てきたが、その中にはお主のような目に闇を持った兵法者も多くいた。新しい得物を手に入れると、すぐに試し切りをしなければ気が済まない兵法者をな。そのような兵法者たちの目と、今のお主の目は同じだ」
試し切り、という言葉に伊織は寒気を覚えた。
武蔵が口にした試し切りとは、畳表や死体を使った試し切りのことではない。
それは生きた人間を使った、生き試しのことを指していたのだろう。
しかもマサミツを使った生き試しのことに違いなかった。
「くくく……大した心眼だな」
やがて本堂の中に、カイエンの濁った笑い声が響き渡る。
「いかにも。伝承作品の刀を手に入れたあとは、まずは二代目殿の息子で生き試しをするつもりであった」
そう言うと、生身のカイエンは小刀を武蔵に突きつける。
「あの鍛冶師ギルドの幹部連中が認めたほどの刀だ。造りもさることながら、切れ味も相当なモノに違いない。ならば、手に入れた暁には人間の身体で切れ味を試したくなるのが道理というものではないか。そうであろう?」
(な、何て勝手な言い分なの……)
伊織は再び下丹田に凄まじいほどの熱を感じた。
それだけではない。
カイエンに対して激しい怒りが込み上げくる。
本性を現したカイエンの人間としての器は、最低を通り越して最悪だった。
武蔵も伊織と同意見だったのだろう。
「この気狂い者め……童(子供)を使った生き試しを考えている時点で、お主はもはや兵法者でもましてや人間でもない」
武蔵の全身から、凄まじい怒気が放たれた。
すると生身の武蔵の前に、白煙で模られた二人目の武蔵が現れる。
伊織の頭痛はさらに強くなった。
何もできないほどの痛さではないものの、気にならないと言えば嘘になる。
そして、この頭痛の正体は病気から来るものではない。
身近な人間の天理の気に、脳が過敏に反応したことで出たのだ。
伊織もそれは分かっている。
明らかに武蔵の天理の気に脳が反応したのだろう。
だが、白煙で模られたもう一人の自分を出現させたのは武蔵だけではない。
「その様子だと、大人しく伝承作品の刀を渡す気はないらしいな……まあいい、目的の代物はここにあるのだ。お主ら二人を葬ったあとに、ゆっくりと切れ味を試させてもらうとしよう」
次の瞬間、カイエンの下丹田に黄金色の光球が現れた。
その光球からは黄金色の燐光が噴出し、やがて右回りの光の渦となってカイエンの全身を覆い尽くしていく。
「我が兵法は善にして善ならず、悪にして悪ならず。何れにむかって万丈の巌の如く、ただ敵を滅することを望むものなり」
カイエンの口から呪文のような言葉が発せられると、身体に寄り添うように垂れていたカイエンの右袖に異変が起こった。
一人でに右袖が動き始め、やがて袖口が真上を向いたのである。
そして――。
「天掌板――顕現!」
カイエンが高らかに言い放った直後、袖口から数十センチほどの空中に〝何か〟が出現した。
武蔵と伊織の二人は大きく目を見張る。
空中に出現した〝何か〟の正体――それは肩の付け根から五本の指までしっかりと揃った人間の右腕であった。
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