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第三十八話   悪の栄えた試しなし

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 白龍寺と呼ばれた廃寺の本堂から外に出ると、かつては参道の役割を果たしていた林道がある。

 その林道の両側には鬱蒼うっそうとした木々が生え茂っており、日中でありながら夜かと勘違いしてしまうほどの暗闇が広がっていた。

 やがて木々の太い枝が揺れる音がして、耳障りな鳴き声を上げながら無数のカラスたちが一斉に空へ向かって飛んでいく。

 凄まじい数だった。

 十羽や二十羽程度の数ではない。

 それこそ百を超えるほどのカラスたちが、まるで何から逃げ去るようにどこかへ飛び立ったのである。

「何て不気味な場所だ……昼間だってのに肌寒くなってきたぜ」

 そう呟いたのは、先ほど本堂の中でリーチに怒鳴られた男であった。

 男の名前はリック。

 ボサボサの髪に、伸ばし放題の口ひげが特徴的な男である。

 そしてリックの年齢は二十代のリーチよりも一回りは上であったが、冒険者の等級クラスはリーチよりも下のDクラスという冒険者の一人だった。

「まったくだ。こんなところを取り引き場所に指定することもなかったんじゃねえのか。もっと別な場所もあっただろうによ」

 リックの呟きに同意したのは、ゼノンという長身の男だ。

「なあ、知ってるか? この廃寺は以前に音も立てずに人間を殺す悪霊が出たと言うことで、近隣の奴らも滅多めったに近づかないいわくつきの場所らしいぞ」

 などと若干の怯えた声で言ったのは、トンゴという固太かたぶとりな男であった。

 リックはトンゴに「必要以上にビビるんじゃねえよ」と強く言う。

迷宮ダンジョンの中でもないのに悪霊なんて出るわけねえだろ。それに俺たちの仕事は悪霊退治じゃねえんだからな」

 そうである。

 自分たちの仕事は断じて悪霊退治ではない。

 今からこの廃寺へとやってくる男を、リーチたちがいる本堂へと案内することが仕事であった。

「でもよ、考えてみればおかしくないか。どうしてリックの旦那はたかが案内役に俺たち全員をよこしたんだろうな」

 何気ない一言を漏らしたゼノンに、三人のリーダー格であったリックは無言になった。

 ゼノンの言いたいことはよく分かる。

 正直、三人で一人の男を案内する意味があるとは思えない。

 だが、三人にとってリーチの命令は絶対であった。

 Dクラスから上のクラスへと昇級できない自分たちに対して、何かと裏の仕事を回してくれているのが他でもないリーチだったからだ。

 今回のこともそうである。

 リーチから朝一で呼び出されると、リックたち三人は誘拐の手伝いをするよう言われた。

 しかし誘拐と言っても万が一の場合であり、もしも綺麗に事が運ぶのならば物陰に隠れていればいいだけの簡単な仕事だったのだ。

 それだけで銀貨が十数枚も手に入るという話だったのだから、リックたちが断る理由などなかった。

 誰を誘拐するのか、なぜ誘拐するのか。

 などということを、リックたちはいちいち詮索せんさくする気などもない。

 ただ、リーチの言うことを聞いていれば簡単に大金が手に入る。

 リックたちがリーチの命令を聞くのはそれだけの理由である。

 冒険者にとって必要なのは金以外にない、というのがリックの考えだ。

 冒険者というと一部の世間では自由を愛し、自分の腕一本で生きていく気骨者きこつものという印象が強いものの、そういった幻想にとらわれているのは冒険者の実情を知らない世間知らずな人間である。

 冒険者など実力がなければ、単なる根無し草でしかない。

 その証拠に冒険者の中でもまともな依頼を受けられるのはCクラスからであり、それより下のクラスが受けられる仕事の報酬などすずめの涙ほどもないのだ。

 けれども冒険者の等級クラスなど簡単には上がらず、自分たちのような汚い仕事をしなくてはならない冒険者が大半を占めている。

 いや、まだ汚い仕事でも受けられる伝手つてや人脈があるのならマシなほうだ。

 それもできない冒険者は一攫千金いっかくせんきんを狙って無理に迷宮ダンジョンの奥へと潜り、無残むざんな死体となって発見されるというのが日常茶飯事となっている。

 そのため冒険者ギルドでは最低限の冒険者と認められる最下級のEクラスから、初級のDクラスの昇級試験などは頻繁ひんぱんに行われている有様だ。

(俺はそんなみじめな死に方は絶対にしねえぞ。リーチの旦那を利用して、贅沢ぜいたくな生活をするんだ)

 リックはリーチから聞かされた、今回の仕事のあとのことを思い出す。

 どうやらリーチは今から案内する男からSクラスの冒険者になるための条件を聞き出したかったらしく、そのために最初は男の弟子になって近づくのが目的だったのだという。

 ただしリーチが言うにはまともな弟子になる気などなく、適当な頃合いを見計らって弟子の少女を人質に無理やり聞き出す算段だったらしい。

 清々しいほどのクズっぷりである。

 だからこそ、自分たちがついて行くに値する男だった。

 この目的のためなら手段も手間も惜しまないリーチについていけば、今の自分たちの惨めな生活から抜け出せる機会を与えてくれるに違いない。

(俺たちの未来のためにも、リーチの旦那には何としてもSクラスの冒険者になってもらわないとな)

 Sクラスの冒険者。

 世間からうとまれている冒険者の中でも、このクラスにまで駆け上がると信じられないほどの恩恵を手に入れることができる。

 国が定めた迷宮ダンジョン内の立ち入り禁止区域への通行許可。

 アルビオン魔法学院における、武術教官の採用試験の資格。

 魔道具を使って生活している、中央街に住む富裕層たちの護衛。

 他にも自分で適当な武術の流派を立ち上げて、中央街や商業街で道場の一つでも開けば迷宮ダンジョンに潜らなくても多額の月謝が見込めるだろう。

 まさにSクラスの冒険者という肩書きだけで飯が食えるようになるのだ。

 これはアルビオン王国において、平民と同様の冒険者にとっては目指すべき目標の一つである。

 なぜなら〈世界魔法政府〉の加盟国であるアルビオン王国において、魔法使いでない者は高給取りである国の重要機関で働くことはできないからだ。

 そして魔法使いになれる素質の判断は、富裕層である貴族や王族たちが何らかの方法で行っており、必然的に魔法使いになれる人間は富裕層の貴族や王族たちに集中しているのが現状である。

 聞いたところによると昨今では大金を持っている商人たちも、何とか貴族たちに取り入って自分の子供に魔法使いの素質を見出してもらえるよう便宜べんぎはかってもらっているという。

 だが、商人たちの都合などリックにはどうでもいいことだった。

 大事なのは一つである。

 いかに自分たちがこれから楽をして金を手に入れることができるのか、という一点のみだ。

 リックは今回の一件のあとにリーチがSクラスの冒険者になり、自分たちに多大なを分けてくれることを想像した。

 そのときである。

「あーすまん。何か急に腹が痛くなってきた……ちょっくら行ってくるわ。俺一人ぐらい抜けても構わねえだろ」

 朝飯に腐りかけのパンでも食べたのだろうか。

 ゼノンは片手で腹をさすりながら、鬱蒼うっそうとした茂みのほうへと歩き始めた。

「汚ねえから近くでするんじゃねえぞ。奥でやってこい奥で」

 リックがシッシッと手を振ると、ゼノンは「分かったよ」と返事をして茂みの中へ消えていく。

 ほどしばらくして、トンゴが「なあ、リック」と話しかけてきた。

「今から来る男ってのはどんな奴なんだ? リックの旦那が弟子になりたいってほどだから、もしかすると凄え強い奴なのか?」

「さあな。俺も詳しくは聞いてないからよく知らねえよ。それにリーチの旦那が弟子になりたいってのも、どうやら今から来る男はSクラスの冒険者になる条件の一つを知っているかららしいぜ」

「じゃあ、今から来る男はSクラスの冒険者なのか!」

 トンゴは目を丸くさせながら激しく動揺する。

「いや、そうでもないらしい。どうやらそいつは冒険者じゃないくせに、Sクラスの冒険者になる条件を知っているらしいんだ」

 本当かどうかは分からない。

 リック自身も今から来る男については、リーチから最低限のことしか知らされていないのだ。

 それこそ見た目と体格しか教えられていなかった。

 しかし今から来る男が何者であれ、自分たちはリーチたちのいる本堂に案内するだけである。

「相変わらずリーチの旦那は俺たちに必要な情報をあんまり教えてくれねえよな」

「いいじゃねえか。言われたことをはいはい聞いてりゃ大金が入ってくるんだ。金づるには楯突かないことが世渡りのコツだぜ」

 などと二人はしばらく談笑していたのだが、ふとトンゴは神妙な顔つきで茂みのほうを見た。

「なあ……ゼノンの帰りが遅くねえか?」

 トンゴに言われてリックもハッとなった。

 言われてみればそうである。

 用を足すと茂みの中へ消えてから、それなりの時間が経っていた。

「トンゴ、ちょっと行って様子を見て来いよ」

 リックの命令にトンゴは大人しく従った。

 トンゴはゼノンが消えた方向の茂みの中へと入っていく。

 このとき、リックはさほど二人のことを気にかけなかった。

 しばらくすれば二人とも鬱蒼うっそうとした茂みの中から帰ってくるだろう、とたかくくっていたからだ。

 しかしリックの予想以上に、ゼノンとトンゴの二人は中々帰ってこなかった。

(さすがに遅すぎるだろ)

 と、リックが自分も様子を見に行くかと思った直後である。

 ゼノンとトンゴが消えた方向の茂みの奥から、二つの丸い物体が大きく弧を描いて飛んで来た。

 その二つの丸い物体はリックの頭上を通り過ぎると、地面に落ちてゴロゴロと転がった末に止まる。

 最初、リックは二つの丸い物体の正体に気がつかなかった。

 いや、厳密にはのである。

 リックの背筋に凄まじい悪寒が走り、多少のことでは動じないリックの顔が大きく引きつった。

 二つの丸い物体の正体は、ゼノンとトンゴの生首であったのだ。

 断面から見て、鋭利な刃物で斬り落とされたようだった。

 リックの脳裏に先ほどのトンゴの言葉がよぎる。

 ――なあ、知ってるか? この廃寺は以前にが出たと言うことで、近隣の奴らも滅多めったに近づかないいわくつきの場所らしいぞ。

「音も立てずに人間を殺す悪霊……そ、そんなもん迷宮ダンジョン以外に出るわけが」

 ない、とリックが口にしようとした瞬間だった。

 いきなり背後から巻きついてきた太い腕に首を極められ、まったく声が出せなくなったのだ。

 恐ろしいほどの力だった。

 咄嗟とっさに振りほどこうと激しく抵抗したが、リックの首に巻きついている腕は微動だにもしない。

「正直に答えよ。敵は何人いる? 他にも伏兵はいるのか?」

 リックの耳元に野太い男の声が聞こえた。

「まさか……てめえが……例の……」

 姿形こそ見えなかったが、冒険者として経験がそれなりにあったリックはすぐに分かった。

 背後から自分の首を絞め上げている男こそ、本堂へと案内するべき男なのだと。

「待て……俺たちは……頼まれただけだ……あんたを本堂へと案内……」

「ご託など並べずとも、お主は聞かれたことだけ答えれば良い。敵は何人いる? お主たちの他にも伏兵はいるのか? 嘘偽りを申してもタメにならんぞ」

「わ、分かった……言う……何でも……言うから……」

 意識が切れるか切れないかの絶妙な力加減を加えられている中、リックは自分だけでも助かりたい一心で今回の一件について知っている情報を話した。

 リーチのこと、黒ずくめの男のこと、他に伏兵などはいないこと。

 これら余すことなくすべてである。

「なるほど、どうやら嘘はついてはおらんようだな」

「……そ、そうだろ……だったら……腕を離してくれ……でないと息が……」

 リックはすべて話したのだからすぐに解放されると思ったものの、背後から首を極めている男の腕から力が抜ける様子はまったくなかった。

「……おい……知っている……ことは……話した……だから」

「だから助けてくれ、とでも言うつもりか?」

 男の腕からは力が抜けるどころか、さらに力が加えられてリックの首を真綿まわたのように絞め上げていく。

「この武蔵、女やわらべ(子供)をかどわかすような外道どもを生かしておくほど甘くはない」

 無慈悲な男の言葉に対して、リックはかつて迷宮ダンジョンの中で見た光景を思い出す。

 一匹のネズミが巨大な蛇にすべもなく絞め殺される光景を。

「た……頼む……助け……」

「生まれ変わって出直して参れ」

 ゴギャ。

 リックの首から何かが砕けるいびつな音が鳴る。

 その致命的な音こそ、リックがこの世で聞いた最後の音であった――。
 
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