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第三十話    刀を求めて異人街へ

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 迷宮ダンジョンに潜る。

 そうルリが口にしたとき、扉の外からノックする音が聞こえてきた。

「失礼、邪魔させてもらうよ」

 やがて扉がゆっくりと開き、ある人物が部屋の中に入ってくる。

 赤猫チーマオと同じく、動きやすそうなシャツとズボン姿の男。

 ファングであった。

「お疲れ様ッす。もう全部の魔核コアの回収は済んだんッすか?」

「いや、さすがに人手が足りないから冒険者ギルドに応援を出したところだ」

「五十匹のゴブリンと十匹のオーク、それにギガントエイプの魔核コアやからな。取り出す作業も一苦労やろうし、生き残った連中は犠牲者のとむらいもせなあかん。冒険者ギルドに応援を出したのは正解やと思うで」

 ルリがうんうんと頷くと、ファングは「ギガントエイプの魔核コアは駄目だった」と溜息混じりに言った。

「ゴブリンとオークの魔核コアはほとんど無事だったんだが、肝心のギガントエイプの魔核コアは頭部の中にあったらしくてな。見つけたときには一部が欠けていた状態だった。当の本人の前で言うことではないのだが、別の場所を斬ってもらえたら無傷の状態で魔核コアが手に入ったかもしれない」

「おいおい、そんな言い方はないやろ。オッサンがギガントエイプを斬ってくれたお陰でうちらの命は助かったんや。確かに街災級の魔物の魔核コアが手に入らんかったのは惜しかったけど、オッサンも魔核コアを斬りたくて斬ったわけやないと思うで」

「その点は俺も承知しているさ。彼が命を懸けてギガントエイプと闘ってくれたこともだ。ただ、それらを踏まえても街災級の魔物の魔核コアが無傷で手に入らなかったのは惜しい。さすがに学院の連中も破損している魔核コアは欲しがらないからな」

「それはそうや。学院の連中もただの鉱物になった魔核コアに大金を払うほど研究費があるわけやないからな。ましてやゴブリンやオークなんかの魔核コアは連中にとって希少価値があるわけやないし……残念やけどギガントエイプの破損した魔核コアを欲しがるのは物好きな収集家コレクターか、良くて異人街の鍛冶師ギルドの連中くらいか」

 このとき、武蔵の目の色が明らかに変わった。

 武蔵には迷宮ダンジョン魔核コアという言葉の意味は分からなかったが、その中でも自分が知る言葉があったことを聞き逃さなかったからだ。

 鍛冶師、という言葉をである。
 
「一つ聞きたい。この国に刀を打てる刀工とうこうは何人いる?」

 こればかりは知っておかなければならないことであった。

 現在、武蔵には頼りにすべき得物えものがない。

 小刀は目の前で巨猿に叩き折られ、あれから見てはいないが〈無銘むめい金重かねしげ〉もおそらく無事ではないだろう。

 さすがに折れてはいないだろうが、下手をすれば刀身に曲がりやねじれが生じているかもしれない。

 武蔵はせめて〈無銘むめい金重かねしげ〉は無事であってほしいと思った。

 もしも刀身に曲がりやねじれがあれば刃筋はすじが通らなくなり、相手を上手く斬ることができなくなる。

 それは即ち、相手に不意な反撃をされる可能性が高くなるということだ。

 だからこそ、武蔵は〝剣〟ではなく〝刀〟を打てる刀工と会いたかった。

 理由は当然ながら折れた小刀の代わりの刀が欲しいということと、もう一つは弟子である伊織の大小刀も手に入れたいからである。

 だが、この異世界に日ノ本のような刀を打てる刀工はいるのか?

 おそらく、刀を打てる刀工はいると武蔵はある人物を見て思っていた。

 ルリである。

 今は襦袢じゅばんのような衣服を着ているが、初めて会った昨日は日ノ本の着物に似た衣服を着ており、なおかつ刀に非常によく似た刀身の仕込み杖を持っていたのだ。

「刀工って大倭国やまとこくの刀を打てる鍛冶師かじしのことか? それなら異人街いじんがいにおるで。なんせうちの仕込みも異人街の刀工に打ってもらった特注品やからな」

(やはり、いるのか!)

 武蔵の胸中に希望の光が灯った。

 この際、著名ちょめいな刀工が打った刀などという贅沢ぜいたくは言わない。

 せめて刀身に曲がりやねじれ、研ぎにムラがない真面目な作刀さくとうが手に入ればそれだけで満足であった。

 武蔵は真剣な眼差しをルリに向ける。

「ロリよ、すまんがその刀工のところへ案内してくれんか?」
 
「誰がロリやねん! うちの名前はルリやっちゅうとるやろうが! 名前をおぼえてくれんのやったら、どこにも案内せえへんぞ……っていうか、オッサンらはまったく金がないんやろ。せやったら、刀工のところに行く前にやっぱり迷宮ダンジョンに潜るんが先――」

 そのとき、ルリは大きく目を見開いた。

「そうや、金やったらゴブリンとオークの魔核コアを売ればええやないか。ほとんど無傷で手に入ったんなら、あれだけの数の魔核コアなら売れば一財産やろ」

「残念ながらそれは無理ッすよ。確かにゴブリンとオークの魔核コアを売れば数が数なんでそれなりの金額になるッすけど、武蔵さんたちは冒険者章ライセンスのない等級なしノークラスッすからね……規定上の関係で等級なしノークラスの武蔵さんは今回の任務での分け前は得られないッす。本当に申し訳ないんッすが」

 構わん、と武蔵は赤猫に声をかける。

「俺が今回のいくさに参加したのは、元より金のためではなく人としての義のためだ。お主が気に病むことはない」

 とはいえ、さすがの武蔵もこのときばかりは表情を曇らせた。

(さて、どうするか……)

 これが自分一人だったのならば、あまり悩まずに済む話だった。

 金が無くとも山の中で獲物えものを仕留めて生き長らえるか、どうしても金が必要になるのなら人足にんそく仕事などを見つけて汗水を流せばいい。

 武蔵はちらりと伊織を見た。

 しかし、今は宮本伊織という女子おなごを弟子にしている身だ。

 どのような形であれ弟子として認めた以上は、伊織を〝一人前の兵法者〟に育てるのが師である自分の役目であり責任だと武蔵は思っている。

 そうなると、やはり先決なのは伊織の大小刀を手に入れることに尽きるだろう。

 大小刀がなければ自分の身を守れないどころか、円明流の技を教えることも満足にできない。

 それに伊織が大小刀を持つことにより、自分の対人稽古の相手もつとめられる。

 また冒険者として仕事をすれば、実戦を経験させつつ路銀も手に入るとまさに一石二鳥であった。

 だからこそ、まずは何としてでも刀を手に入れるための金がいる。

(あまり気乗りはせぬが、いざとあらば道場破りの一つや二つせねばならんか)

 などと武蔵が考えをめぐらせたときだ。

 ルリは「すっかり忘れとったわ」と頭を掻いた。

「そう言えば、オッサンらは冒険者章ライセンスのない等級なしノークラスやったな。せやったら迷宮ダンジョンに潜る前に冒険者章ライセンスを取るのが先なんやけど、どのみち冒険者章ライセンスを取る試験にも武器がいるかもしれんし……」

 数秒後、ルリは「しゃあないな」と大きく柏手かしわでを打った。

「オッサンらの刀の代金はうちが持ったるわ」

 このルリの提案に、驚きの声を上げたのは赤猫チーマオであった。

「熱でも出てきたんッすか。あんたが他人の武器の代金を払うなんて信じられないッす……まさか、よからぬことでも企んでいるんッすか?」

「あほか、何も企んでいることなんてあるかい。これはちゃんとした善意や。うちの大事な取り引き先の修道院を守ってくれた礼に決まってるやろ」

 ただな、とルリは満面な笑みを浮かべながら両手をこすり始める。

「もしもオッサンがうちの善意に少しでも恩を感じてくれるゆうんなら、冒険者章ライセンスを取って迷宮ダンジョンに潜るときには是非ともうちを一緒に連れて行ってほしいんや」

「構わんぞ」

 武蔵はあっさりと即答した。

「刀の代金を肩代わりしてくれるというのなら、こちらとしては願ってもいないことだ。そのとやらもどういう場所かは分からぬが、俺たちに必要な場所と言うのならばともに行こうではないか」

「待つッす、武蔵さん。こいつのは善意じゃなくて思いっきり私欲ッすよ。こいつは武蔵さんと一緒に迷宮ダンジョンに潜って財宝やレアアイテムを手に入れたいだけッす」

「それでも構わん。善意だろうと私欲だろうと、金を出してくれること自体が今の俺たちにはありがたいことだ」

 ルリよ、と武蔵は今度こそ名前を間違わなかった。

「案内してくれ。その異人街とやらの刀工の元へ」

「商談成立やな。ほな、一息ついたら出発しようか。それともまだ休んでたほうがええか?」

「手足が折れているわけでもないのだ。俺のことは気遣い無用。それよりも――」

 武蔵は伊織の方へ顔を向けた。

「お主のほうはどうなのだ。怪我の具合はもうよいのか?」

「私は大丈夫です……それで、お師匠様。刀と聞いて思い出したんですけど」

 伊織は「少しお待ちください」と武蔵に頭を下げ、そのまま部屋を出ていった。

 ほどしばくして、伊織は大事そうに二本の大小刀を抱えて帰ってきた。

 二本ともきちんと鞘に納められた、武蔵の大小刀である。

「見せてみよ」

 伊織から大小刀を受け取った武蔵は、まずは小刀を鞘から抜いた。

 やはり小刀は真ん中の部分からへし折れている。

 こうなってしまっては刀としての役目は果たせない。

 けれども、小刀に関しては分かっていたことなので大きな落胆はなかった。

 問題だったのは大刀のほうである。

 武蔵は折れた小刀を鞘に納めると、今度は大刀――〈無銘むめい金重かねしげ〉をすらりと抜いた。

(よくぞ、無事でいてくれた)

 武蔵は〈無銘むめい金重かねしげ〉を見て、心の底から安堵あんどの息を漏らした。

無銘むめい金重かねしげ〉は折れてはいなかったのである。

 しかし、もしかすると刀身に曲がりやねじりが生じているかもしれない。

 武蔵は両眼の間に刀を立て、刀身に曲がりやねじれがないか確認していく。

「まだ俺にも運があるようだ。この金重かねしげさえ無事ならば、大抵のことはどうにでもなる」

無銘むめい金重かねしげ〉の刀身に曲がりやねじれは生じてはいなかった。

 さすがは幾多の修羅場をともに潜り抜けてきた愛刀である。

 武蔵は大刀を鞘に納め、刀工の場所を知っているルリに視線を移す。

「待たせたな。俺のほうはいつでも行けるぞ」

 ルリはこくりと頷いた。

「そうか。ほな、ここの後始末は他のもんに任せて、うちらは準備を整えたら向かおうか」

 などと話がまとまったとき、赤猫チーマオが「武蔵さん、私も一緒に行くッす」と話に割り込んできた。

「はあ? 何でお前がついてくるんや?」

「当たり前じゃないッすか。私は師父シーフー(お師匠)からお二人の面倒を看るよう言われてるッすよ」

「それは討伐任務が終わるまでの話やろ。せやったら、ここら先はお役目ごめんとちゃうんか。それに、お前は冒険者としてきちんと事後処理をせなあかんで」

「彼女の言う通りだ。君には任務に当たった冒険者として、俺らと一緒に後始末をしてくれないと困る」

 先輩の冒険者であるファングに言われてはどうしようもなかったのだろう。

 赤猫チーマオは渋々と了承するように、やがて小さく首を縦に振った。

「わ、分かったッす。でも、武蔵さん。新しい武器を手に入れたあとには、必ず冒険者ギルドに来てほしいッす。そのときは私が責任を持って冒険者登録や試験の案内をさせてもらうッすから」

「ああ、そのときはよろしく頼みたい」

 武蔵は赤猫チーマオに軽く頭を下げ、持っていた大刀の鞘を強く握った。

 早く異世界の刀工が打った刀を見てみたい、と武蔵は期待に胸をおどらせたのだ。

 やがて武蔵、伊織、ルリの三人はキメリエス女子修道院をあとにする。

 けれども、このときの武蔵は知らなかった。

 自分がこれから向かう異人街と呼ばれる場所が、アルビオン王国の中でも暗部あんぶと呼ばれるほどの無法地帯だということを――。
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