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第十七話 武蔵と伊織、それぞれの覚悟
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「その戦、俺も混ぜてもらおうか」
武蔵の意気込みに伊織を含め、黄姫や赤猫は目を丸くさせた。
「はあ? あんたは冒険者でも何でもないただの素人なんッすよ」
声を荒げたのは赤猫である。
「素人? 冒険者? それが一体、何だと言うのだ?」
武蔵は赤猫に対して、特に怒ることもなく平然と言い放った。
「大事なのはそんなことではないだろう? 人々の生活の支えとなっている場所が魔物共に襲われるかもしれないというのならば、それを知った以上は〝武〟に生きる者として断じて見過ごせん。素人や冒険者云々など関係ない。これは人としての問題だ」
本音を言えば武蔵にとって、実際の魔物を自分の目で見たいという思いも多少なりともあった。
日ノ本には古来より様々な魔物の存在が伝わってはいたが、あくまでも噂程度で実際に誰も見たことがなかったのが実情だ。
それがこの異世界には〝本物の魔物〟がそこら中に生きて存在しているという。
強さを求めている武人にとって、これほど興味をそそられることはない。
しかし、その尼寺の女子たちを助けたい思いは興味よりも桁違いに上だった。
たとえ異世界の宗派が違う女人たちだろうと、日ノ本の尼僧のように日頃から質素倹約に務め、修行に励んでいる者たちというのは容易に想像できる。
武蔵も目指す場所は別だったものの、自分を厳しく律して剣の修行に打ち込んできた人間だ。
そんな女子たちを、魔物共の餌にさせるわけには絶対にいかない。
か弱い女子供を守るのも武人の役目である。
「分かったのなら、早くその尼寺へ案内いたせ。事態は急を要するのだろうが」
武蔵が 赤猫に射貫くような視線を飛ばしたとき、黄姫が「お待ちください」と武蔵をなだめた。
「あなたは一度も魔物と闘ったことはおろか、遭遇した経験すらもないのでしょう? でしたら今回の討伐任務に参加させるわけにはいきません」
「それは今の俺が冒険者とやらではないからか? ならば冒険者の許可をくれるだけで事足りるだろ」
「たとえ冒険者の登録をしたとしても、最初は誰であろうとも見習い期間のEクラスからです。そして先ほども赤猫に伝えたように、今回の討伐任務の参加条件はCクラスからAクラスのみ。報酬が目当てなのかもしれませんが、どちらにせよあなたの出番は――」
ないのですよ、と黄姫が告げようとしたときだ。
「たわけが! この期に及んで何をごちゃごちゃと抜かしておる!」
武蔵は部屋全体を揺るがすほどの怒声を上げた。
「この武蔵、幼少の頃より武の修練を積んできたのは、断じて己の私利私欲のためだけにあらず! 士道を守り、仏法を尊び、か弱き女子供を守るためこそ武人の本懐! それらを無くせと言うのならば、俺はこのときより人でなくなるわ!」
静まり返った室内において、やがて武蔵は呆気に取られていた赤猫に大刀の鯉口を切って見せる。
「さあ、俺を今すぐその尼寺へ案内せい。それとも、力づくで止めてみるか? 言っておくが、今の俺は先ほどよりもずっと強いぞ」
「う……」
武蔵のから放出された凄まじい闘気に圧倒され、赤猫は何歩か後ろへ下がった。
「分かりました……宮本武蔵さん、あなたの参加を特例として認めます。おそらく、あなたは私たちに止められても勝手に場所を探し出して向かうつもりでしょう。でしたら、最初から任務に参加してもらったほうが現場の混乱が小さくてすみます」
赤猫が本気で斬られると錯覚したのか、黄姫は喉の奥から絞り出すような声で武蔵の参加を認めた。
「ほ、本気ッすか。資格のない素人を今回のような討伐任務に参加させるなんて、他の冒険者たちに何て説明すればいいんッすか? 特にAクラスの連中からは絶対に非難が来るッすよ」
「非難は覚悟の上です。ですが、武蔵さんが言うように事態は切迫している。それに戦力は多いに越したことはありません。私が見たところ武術の腕前だけで判断するのならば、武蔵さんの実力はBクラス……いいえ、それこそAクラスの冒険者にも届くほどでしょう。きっと皆の力になってくれるはずです」
二人のやり取りを聞いていた武蔵は、「話は決まったな」と切っていた鯉口を戻した。
「だが、俺もお主たちに迷惑をかけるつもりは元よりない。その仕事に冒険者の資格がどうとか言うのだとしても、現場に荷物持ちの一人や二人ぐらいいてもおかしくはあるまい。俺たちのことはその程度に考えてくれて構わん。あとは必要に応じて、こちらで勝手に闘るつもりだ」
待ってください、と眉根を寄せたのは黄姫である。
「俺たち、とはどういうことです? まさか――」
黄姫は武蔵から伊織へと視線を移す。
武蔵は当たり前のように力強く首を縦に振った。
「伊織も連れていく。こやつは俺の弟子だからな」
「それだけは許可するわけにはいきません」
黄姫も立ち上がると、険しい表情を浮かべて武蔵と対峙する。
「あなただけならばともかく、この伊織さんは見たところ本当の素人でしょう? みすみす殺されに行くようなものです」
「なるほど、お主の言うことも一理ある。ならば、それは本人に決めてもらおう」
武蔵は一呼吸の間を置くと、ゆっくりとした動きで伊織に顔を向けた。
それだけではない。
武蔵は大刀をすらりと抜くと、その刃を伊織の細首にぴたりとつけたのだ。
その行為に黄姫と赤猫が何か言おうとしたが、武蔵は二人に対して「黙っておれ」という意志を込めた眼光を飛ばして黙らせる。
「今すぐ決めろ、伊織。これから俺とともに尼寺へ行くか。それとも、俺に斬られてここで死ぬか。どちらだ?」
一方の伊織は驚きのあまり目を見開くのみで、言葉が出てこない様子であった。
「何も難しいことを言っているのではない。俺はお前の覚悟のほどを聞いているのだ。俺とお主はこの世界において一蓮托生。どちらが欠けても、まともにこの世界で暮らすことは敵わんだろう。だが、俺ひとりくらいならばある程度はどうにでもなる。今までもそのような放浪の旅を長くしてきたのでな。しかし――」
お主はどうだ、と武蔵は落ち着き払った様子で伊織に尋ねる。
「伊織、お主はこの宮本武蔵の弟子になると息巻いていたが、それはどれほどの覚悟を持って口にしたことだったのだ? まさか、この俺のそばにいながら平民と同じ生き方ができるとでも思っていたのではあるまいな? だとしたら、お主の寿命はそう長くない。どこかで野垂れ死ぬか、誰かに騙されて殺されるか、はたまた魔物の餌になるか……どちらにせよ、そんな無残な死に方をさせるなど師としてあまりにも不憫」
武蔵は大刀を握る手にぐっと力を込めた。
その光景は数時間前におけるアルビオン城内の一室の再来だったものの、あのときとは違って今の武蔵は首から血が出ないように細心の手加減をしている。
「ならば、いっそここで苦しまずに死なせてやるのも師としての務め……だが、お主がこれから俺とともに屍山血河への道を歩む覚悟があるというのなら――」
武蔵は慈愛を含んだ眼差しで伊織を見つめた。
「この宮本武蔵が持つすべての技をお主に伝授することを約束する。剣術はむろんのこと、兵法軍学、秘武器術、操気術、これらすべてをだ」
ほどしばくして、伊織は驚きの表情から一転して凛々しい表情になった。
それは守るべき、か弱い女子供の顔つきではない。
ともに合戦へ赴く覚悟を持った、〝兵法者〟の顔つきである。
「一緒に行かせてください。私はお師匠様の……宮本武蔵の弟子です!」
「よくぞ言った」
小さく微笑んだ武蔵は、抜いていた大刀を鞘に納めた。
「黄姫殿、話はついたぞ。俺とともに伊織も尼寺へ行く。異存はないな?」
「ある……と言っても無駄なのでしょうね。いいでしょう、伊織さんの同行も許可します」
けれども、と黄姫は念を押すように言葉を続けた。
「今回の任務において、冒険者未登録のあなた方は立場的にはよそ者です。ここにいる赤猫の荷物持ちとして現場へ行くことを許可しますが、くれぐれも他の冒険者たちと騒動を起こさないようにお願いします。特にAクラスの冒険者たちは実力もそうですが、自尊心も高い者ばかりです。重ねて申し上げますが、揉め事は極力避けて、現場の指揮官の指示に従ってください」
「善処する」
そう告げた武蔵は、不満顔の赤猫に視線を移す。
「さあ、俺たちを尼寺へ案内いたせ」
この後、準備を整えた武蔵たちはキメリエス女子修道院へと向かった。
しかし、このときの武蔵たちは知る由もなかったのである。
単なる日常の魔物討伐に過ぎないはずだった今回の闘いが、後世において長くアルビオン王国の歴史に刻まれるほどの伝説の闘いになることを――。
武蔵の意気込みに伊織を含め、黄姫や赤猫は目を丸くさせた。
「はあ? あんたは冒険者でも何でもないただの素人なんッすよ」
声を荒げたのは赤猫である。
「素人? 冒険者? それが一体、何だと言うのだ?」
武蔵は赤猫に対して、特に怒ることもなく平然と言い放った。
「大事なのはそんなことではないだろう? 人々の生活の支えとなっている場所が魔物共に襲われるかもしれないというのならば、それを知った以上は〝武〟に生きる者として断じて見過ごせん。素人や冒険者云々など関係ない。これは人としての問題だ」
本音を言えば武蔵にとって、実際の魔物を自分の目で見たいという思いも多少なりともあった。
日ノ本には古来より様々な魔物の存在が伝わってはいたが、あくまでも噂程度で実際に誰も見たことがなかったのが実情だ。
それがこの異世界には〝本物の魔物〟がそこら中に生きて存在しているという。
強さを求めている武人にとって、これほど興味をそそられることはない。
しかし、その尼寺の女子たちを助けたい思いは興味よりも桁違いに上だった。
たとえ異世界の宗派が違う女人たちだろうと、日ノ本の尼僧のように日頃から質素倹約に務め、修行に励んでいる者たちというのは容易に想像できる。
武蔵も目指す場所は別だったものの、自分を厳しく律して剣の修行に打ち込んできた人間だ。
そんな女子たちを、魔物共の餌にさせるわけには絶対にいかない。
か弱い女子供を守るのも武人の役目である。
「分かったのなら、早くその尼寺へ案内いたせ。事態は急を要するのだろうが」
武蔵が 赤猫に射貫くような視線を飛ばしたとき、黄姫が「お待ちください」と武蔵をなだめた。
「あなたは一度も魔物と闘ったことはおろか、遭遇した経験すらもないのでしょう? でしたら今回の討伐任務に参加させるわけにはいきません」
「それは今の俺が冒険者とやらではないからか? ならば冒険者の許可をくれるだけで事足りるだろ」
「たとえ冒険者の登録をしたとしても、最初は誰であろうとも見習い期間のEクラスからです。そして先ほども赤猫に伝えたように、今回の討伐任務の参加条件はCクラスからAクラスのみ。報酬が目当てなのかもしれませんが、どちらにせよあなたの出番は――」
ないのですよ、と黄姫が告げようとしたときだ。
「たわけが! この期に及んで何をごちゃごちゃと抜かしておる!」
武蔵は部屋全体を揺るがすほどの怒声を上げた。
「この武蔵、幼少の頃より武の修練を積んできたのは、断じて己の私利私欲のためだけにあらず! 士道を守り、仏法を尊び、か弱き女子供を守るためこそ武人の本懐! それらを無くせと言うのならば、俺はこのときより人でなくなるわ!」
静まり返った室内において、やがて武蔵は呆気に取られていた赤猫に大刀の鯉口を切って見せる。
「さあ、俺を今すぐその尼寺へ案内せい。それとも、力づくで止めてみるか? 言っておくが、今の俺は先ほどよりもずっと強いぞ」
「う……」
武蔵のから放出された凄まじい闘気に圧倒され、赤猫は何歩か後ろへ下がった。
「分かりました……宮本武蔵さん、あなたの参加を特例として認めます。おそらく、あなたは私たちに止められても勝手に場所を探し出して向かうつもりでしょう。でしたら、最初から任務に参加してもらったほうが現場の混乱が小さくてすみます」
赤猫が本気で斬られると錯覚したのか、黄姫は喉の奥から絞り出すような声で武蔵の参加を認めた。
「ほ、本気ッすか。資格のない素人を今回のような討伐任務に参加させるなんて、他の冒険者たちに何て説明すればいいんッすか? 特にAクラスの連中からは絶対に非難が来るッすよ」
「非難は覚悟の上です。ですが、武蔵さんが言うように事態は切迫している。それに戦力は多いに越したことはありません。私が見たところ武術の腕前だけで判断するのならば、武蔵さんの実力はBクラス……いいえ、それこそAクラスの冒険者にも届くほどでしょう。きっと皆の力になってくれるはずです」
二人のやり取りを聞いていた武蔵は、「話は決まったな」と切っていた鯉口を戻した。
「だが、俺もお主たちに迷惑をかけるつもりは元よりない。その仕事に冒険者の資格がどうとか言うのだとしても、現場に荷物持ちの一人や二人ぐらいいてもおかしくはあるまい。俺たちのことはその程度に考えてくれて構わん。あとは必要に応じて、こちらで勝手に闘るつもりだ」
待ってください、と眉根を寄せたのは黄姫である。
「俺たち、とはどういうことです? まさか――」
黄姫は武蔵から伊織へと視線を移す。
武蔵は当たり前のように力強く首を縦に振った。
「伊織も連れていく。こやつは俺の弟子だからな」
「それだけは許可するわけにはいきません」
黄姫も立ち上がると、険しい表情を浮かべて武蔵と対峙する。
「あなただけならばともかく、この伊織さんは見たところ本当の素人でしょう? みすみす殺されに行くようなものです」
「なるほど、お主の言うことも一理ある。ならば、それは本人に決めてもらおう」
武蔵は一呼吸の間を置くと、ゆっくりとした動きで伊織に顔を向けた。
それだけではない。
武蔵は大刀をすらりと抜くと、その刃を伊織の細首にぴたりとつけたのだ。
その行為に黄姫と赤猫が何か言おうとしたが、武蔵は二人に対して「黙っておれ」という意志を込めた眼光を飛ばして黙らせる。
「今すぐ決めろ、伊織。これから俺とともに尼寺へ行くか。それとも、俺に斬られてここで死ぬか。どちらだ?」
一方の伊織は驚きのあまり目を見開くのみで、言葉が出てこない様子であった。
「何も難しいことを言っているのではない。俺はお前の覚悟のほどを聞いているのだ。俺とお主はこの世界において一蓮托生。どちらが欠けても、まともにこの世界で暮らすことは敵わんだろう。だが、俺ひとりくらいならばある程度はどうにでもなる。今までもそのような放浪の旅を長くしてきたのでな。しかし――」
お主はどうだ、と武蔵は落ち着き払った様子で伊織に尋ねる。
「伊織、お主はこの宮本武蔵の弟子になると息巻いていたが、それはどれほどの覚悟を持って口にしたことだったのだ? まさか、この俺のそばにいながら平民と同じ生き方ができるとでも思っていたのではあるまいな? だとしたら、お主の寿命はそう長くない。どこかで野垂れ死ぬか、誰かに騙されて殺されるか、はたまた魔物の餌になるか……どちらにせよ、そんな無残な死に方をさせるなど師としてあまりにも不憫」
武蔵は大刀を握る手にぐっと力を込めた。
その光景は数時間前におけるアルビオン城内の一室の再来だったものの、あのときとは違って今の武蔵は首から血が出ないように細心の手加減をしている。
「ならば、いっそここで苦しまずに死なせてやるのも師としての務め……だが、お主がこれから俺とともに屍山血河への道を歩む覚悟があるというのなら――」
武蔵は慈愛を含んだ眼差しで伊織を見つめた。
「この宮本武蔵が持つすべての技をお主に伝授することを約束する。剣術はむろんのこと、兵法軍学、秘武器術、操気術、これらすべてをだ」
ほどしばくして、伊織は驚きの表情から一転して凛々しい表情になった。
それは守るべき、か弱い女子供の顔つきではない。
ともに合戦へ赴く覚悟を持った、〝兵法者〟の顔つきである。
「一緒に行かせてください。私はお師匠様の……宮本武蔵の弟子です!」
「よくぞ言った」
小さく微笑んだ武蔵は、抜いていた大刀を鞘に納めた。
「黄姫殿、話はついたぞ。俺とともに伊織も尼寺へ行く。異存はないな?」
「ある……と言っても無駄なのでしょうね。いいでしょう、伊織さんの同行も許可します」
けれども、と黄姫は念を押すように言葉を続けた。
「今回の任務において、冒険者未登録のあなた方は立場的にはよそ者です。ここにいる赤猫の荷物持ちとして現場へ行くことを許可しますが、くれぐれも他の冒険者たちと騒動を起こさないようにお願いします。特にAクラスの冒険者たちは実力もそうですが、自尊心も高い者ばかりです。重ねて申し上げますが、揉め事は極力避けて、現場の指揮官の指示に従ってください」
「善処する」
そう告げた武蔵は、不満顔の赤猫に視線を移す。
「さあ、俺たちを尼寺へ案内いたせ」
この後、準備を整えた武蔵たちはキメリエス女子修道院へと向かった。
しかし、このときの武蔵たちは知る由もなかったのである。
単なる日常の魔物討伐に過ぎないはずだった今回の闘いが、後世において長くアルビオン王国の歴史に刻まれるほどの伝説の闘いになることを――。
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