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第19話

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「異世界の救世主殿。本来ならば盛大な宴を催して歓迎したいところなのですが、実はこちらにも込み入った事情というものがありましてな。早速ですが本題といきたいのですがよろしいですかな?」

 その一瞬、常に菩薩顔を浮かべていたアコマの瞳が怪しく輝いた。

 さて、どうするか。

 瞬時に宗鉄は様々な考えを巡らせた。

 アコマの話しを聞いてしまえばおそらくもう後戻りはできない。

 異国の事情に疎い宗鉄だったが、このような集落に住まう人間の心理くらいは何となく読める。

 それに奇人変人と呼ばれていた平賀源内を師に仰いでいた宗鉄だ。

 世の中には常識が通用しない場合があるということも十分に教わっていた。

 だとすると、この場合に取らなければならない回避行動とは何か。

「いや~、実はですな」

 と宗鉄の返事を聞かずに話しを切り出したアコマを見て、宗鉄は慌ててアコマに右手を突きつけた。

 アコマは宗鉄の意図を理解したのか話しを止める。

「どうしました、救世主殿?」

「あ、う、うむ……実は何やら身体の調子が悪くなってきたようだ。これはおそらく慣れぬ土地に寄ったからだろう。う~ん、それとなく頭まで痛くなってきたような」

「それはいかん。万が一にも救世主殿に何かあったら大変です。今すぐ祈祷師を呼んでこなくては」

 宗鉄の安否を気遣ったアコマは振り返って一人の人間に指示を出した。

 すると指示を受けた中年の男は立ち上がり、建物内から出て行こうと扉に向かう。

「あいや待たれい!」

 その行動を制止したのは他ならぬ変調を訴えた宗鉄だった。

「そのような気遣いは無用に願い申す。おそらくこれは一時的なもので一晩休めば治るに違いない。うむ、そうに違いない」

「はあ~、左様ですか」

 自分たちが救世主と敬う人間から治療はいらないと言われれば、アコマたちは素直に従うしかなかった。

 それでも中には訝しむ顔をする者もいたが、宗鉄が苦しそうに咳き込めば一変して表情が青ざめる。

「そういうわけで悪いが今日のところは一人にしてくれないか? 先ほども言ったが一晩休めば治ると思う」

 しばしの沈黙のあと、アコマは自分の膝を盛大に叩いた。

「わかりました。救世主殿がそう仰るのなら詳しい話は明日に致しましょう。では後ほど夕餉だけは持ってこさせますから、それを食べて英気を養ってください」

「かたじけない」

 宗鉄が慇懃深く頭を下げるや否や、アコマは数十人を引き連れてぞろぞろと出て行く。

 やがて三十人以上いた広間が宗鉄一人だけとなると、想像以上な静寂に包まれた。

 それでも見慣れぬ人間たちに終始監視されるよりは大分マシである。

 宗鉄は大きく両手と両足を伸ばしてごろんと後方に倒れた。

「ソーテツソーテツ。どうして他の人間たちを追い払ったの?」

 エリファスは左肩から腹の上に移動すると、憔悴しきった宗鉄を見下ろしながら訊く。

「決まってるだろ。あんな大勢に取り囲まれた中で話し合いもない。

 大方、俺一人では手に負えないような厄介事を頼まれたに違いないさ」

「ふ~ん、でも別にいいじゃない。厄介事の一つや二つ頼まれるくらい」

「勝手なことを言うな……それに元はと言えば連中が望んでいたのは俺じゃなくてお前だったんじゃないのか? 強大な力を持つ精霊様なんだろ?」

 両指を絡めた腕を枕代わりにした宗鉄は、皮肉たっぷりにエリファスを見上げた。

「それなんだけど、明らかにあの連中は思い違いをしているわね。わたしにそんな力があるはずないじゃない」

 エリファスは両腕を組みながら自信満々に胸を張った。

「何だと? じゃあお前の力とはなんだ? 流暢に人語を喋って空を飛ぶだけか? それだけならば耳障りな蝿とあまり大差ないぞ」

「は、蝿なんかと一緒にしないでよ! それに流暢に人語が喋れるだけとは心外だわ。わたしのお陰であんたはこの世界の住人と会話が成立してんのよ」

「何だって?」

 その瞬間、宗鉄の目の色ががらりと変わった。

 腹の上で仁王立ちしているエリファスを一心に見据える。

「だから、こっちの世界の住人と普通に会話ができるのはわたしのお陰なの。最初はわたしも気づかなかったけど、ソーテツがあの馬鹿でかい獣を仕留めたときに確信したわ」

 一拍の間を置いた後、エリファスは一本だけ突き立てた人差し指を宗鉄に差し向ける。

「あんた、あの獣を仕留めたときにウィノラの声を聞いたでしょ? でも、何を言っているかわからなかったんじゃない?」

 獣を仕留めたときに発したウィノラの声? 宗鉄は視線を天井に彷徨わせながら数刻前の記憶を徐々に呼び起こしていく。

 そう言えばあのとき、ウィノラが叫んだ内容は理解できなかった。

「ほらね、心当たりがあるでしょう? 多分、それはわたしが近くにいなかったからよ」

「すまん。もう少しわかるように言ってくれないか?」

 上半身をゆっくりと起こした宗鉄は、腹の上から空中に飛び上がったエリファスに鋭い視線を向けた。

 エリファスは空中で器用に胡坐を掻いたまま宗鉄を見下ろす。

「つまり、わたし自身がある種の言語変換の役割を担っているってこと。そう考えれば、ソーテツがこっちの世界の住人と普通に会話ができることも頷けるわ」

 驚愕の事実である。

 密かに鬱陶しいと思っていたエリファスがそんな重大な役割を担っていた物ノ怪だったとは。

 しかし、あながち嘘でもないと思う。

 よく考えてみれば褐色肌の人間と会話する折は常にエリファスがいた。

 そして異国の獣を仕留めたときには、自分だけが先に牢屋から突っ走ったせいでエリファスを置いてきていたのである。

「と言うことは、こちらの世界の人間と話すには常にお前を傍に置けと?」

「そうね。一定の距離を離れたら効果はないと思う。正確な距離は知らないけど」

(大雑把な意見だな。それでも物ノ怪の端くれか?)

 などと胸中で思った宗鉄だったが、あえて口に出すのは留めておいた。

 もしもエリファスの言っていることが真ならば、鬱陶しい存在だろうと傍にいてくれないと大いに困る。

 上方や遠方の田舎から江戸に流れてくる素浪人の方言すら理解できないこともあったというのに、こんな見たことも聞いたこともない異国で言葉が交わせないなど船頭を連れずに江戸湊を渡るに等しい。

(まあ、これで疑問が一つ解決したのだから良しとするか)

 正直、異国の生まれとはいえ物ノ怪につき纏われるのは釈然としなかったが、そのお陰で言葉が通じるようになるのならば堪えよう。

 それにここは自分が住み慣れた江戸とは違う異国なのである。

 もしかすると、異国の出自であるエリファスの知識が後々必要になってくるかもしれない。

「それはさておき」

 宗鉄は再び上半身を後方に倒し、ひんやりとした板張りの床に寝転がった。

 結ってある髷を崩さないように両指を絡めた腕を後頭部に置く。

「いつまで盗み聞きするつもりだ? いい加減に姿を現せ」

 天井を見据えながら宗鉄が呟くと、板屏風の向こう側で何かが蠢く気配があった。

 獣臭が漂う動物の気配ではない。

 息を潜めていた人間の気配である。

「あれ? あなたは……」

 板屏風の向こう側から姿を現した人物は、空中を飛んでいるエリファスを無視して暢気に寝転がる宗鉄を見下ろした。

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