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第三章 ~『サーシャとのカフェ』~
しおりを挟む数日後、王都の裏通りにあるカフェでマリアは人を待っていた。薄暗い店内と、覇気のない店主が営んでいる店だが、コーヒーの味は悪くない。黒い液体を啜ると、カフェインが頭の回転を速めてくれた。
(ケイン様に喜んでもらおうと調べていた店でしたが、まさかサーシャとの密会に使うことになるとは思いませんでしたわ)
人目に付かず、また客もマリアしかいないため、密会をするなら最適な場所だ。貴族カップルの破局話など、他人に聞かれてはすぐに面白がって広められてしまう。誰にも聞かれるわけにはいかないからだ。
(手紙では来てくれるとのことでしたが、本当に約束を守ってくれるのでしょうか)
サーシャなら約束しておいて、敢えてマリアとの約束を無視することもありうる。そんな不安に駆られていると、杞憂だと証明するように彼女が入店してくる。
「半年ぶりですわね、サーシャ」
「お姉様も変わりないようで安心しました」
ドレスの裾を摘まんであげる仕草は令嬢そのもの。地味な店内がまるで舞踏会だと錯覚するほどの輝きを放っていた。
「それにしても、よく来てくれましたわね」
「お姉様の頼みですから。それに家族から離れて暮らすお姉様が、寂しい想いをしていないかと気になっていましたから」
「…………」
(家族から迫害されていた私を馬鹿にしているのかしら!)
サーシャの一言を皮肉として受け取ったマリアは眉間に皺を寄せる。
(ジル様はどうして性悪のサーシャを好きになったのかしら)
意地悪な性格を見抜けないほど、ジルは無能ではない。きっと彼なら気づくはずだ。
(もしかして気づいたからこそ別れたのかしら。だとしたら話に辻褄があいますわね)
一人で納得していると、サーシャの分のコーヒーも届く。彼女は優雅にカップに口を付けると、口元に笑みを浮かべる。
「このコーヒー、美味しいですね、お姉様!」
「まぁ、私のお気に入りですもの」
「ふふ、さすがは姉妹。味覚も似ていますね」
嬉しそうに笑うサーシャはとても魅力的で、憎んでいるはずのマリアでさえ、ハッとさせられてしまった。
「それで、今日はジルの話を聞きたいとか……」
「やっぱり恋人だったんですの⁉」
「はい。間違いありませんよ」
「あっさりと認めますのね」
「認めなければ話が前に進みませんから。それで、どうしてジルの話が聞きたいのですか?」
「実は……ジル様に告白されましたの」
「――――ッ」
サーシャのカップを持つ手が空中で静止し、眼を見開く。さすがの彼女も驚きを隠せていなかった。
「告白なんてありえません。ジルはイリアス家を恨んでいるはずですから」
「サーシャではなく、イリアス家を?」
「家族ぐるみで彼には酷いことをしてしまいましたから……」
虚空を見つめるサーシャの瞳には後悔が滲んでいる。彼女のこのような表情を見るのは初めてだった。
「事の始まりは私のお節介でした。虐められている彼を放っておけず、救いの手を差し伸べたのです」
「その優しさを私にも向けて欲しかったですわ……」
「心外ですね。私はお姉様にも優しいですよ」
そう主張するサーシャに怒りが込み上げてくるが、グッと我慢する。感情的になっても情報は得られないからだ。
「その後、ジルは私を好きになったとアプローチしてきました。最初は断っていた私でしたが、熱意に負け、ジルとの交際を始めました。彼は完璧でした。顔も整っているし、学業も優秀。ただ唯一、子爵家の次男である点を除けば……」
貴族の家は基本的に長男が家督を継ぐ。そのため次男では婿養子という形になってしまうのだ。
これだけ聞けば十分だった。なぜ破局したのか、容易に想像がつく。
「お父様が邪魔しましたのね」
「家督を継げない次男と結婚する意味はないと、領主であるお父様に反対されては、娘である私に拒否権はありません。二人の仲はそこで終わったのです」
「だからイリアス家を恨んでいると……でもそれなら矛盾が生じますわ」
「矛盾?」
「お父様から私にジル様と婚約させる旨の手紙が届きましたの」
「お、お父様が……でもそんなはずが……」
今までの話から、グランドがジルとマリアとの結婚を望む理由はない。しかし実際は婚約させたいとの手紙が届いている。
(急に娘への愛情が目覚めた……なんてことはありえませんわね)
あれほどの冷遇をしてきた父だ。急に心変わりするとは思えない。
「お姉様、ジルとの結婚は止めておくべきです。あなたに彼は勿体ないですから」
「私も不釣り合いだとは自覚していますわ」
「なら……」
「でも、ジル様は私を好きだと言ってくれましたわ。あの人は……どんな思惑があろうとも、私に悪意を向ける人ではありません。必ず事情があるはずですわ」
縋るような願いを口にするマリアに、サーシャは小さく息を吐く。
「……そうですね。ジルは優しい人でした」
「サーシャ……」
「だから私が謝罪していたと伝えてください」
それだけ言い残してサーシャは店を後にする。一人残されたカフェで、マリアはコーヒーを啜る。冷めていたためか、舌に残る苦みは強かった。
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