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第三章
第三章 ~『朗読会』~
しおりを挟む数日後、後宮の端にある小部屋が、新たな活気で満ちるようになっていた。ここはほとんど利用されることのなかった場所だが、琳華と翠玲によって活用されるに至っていた。
室内はほんのりと埃っぽい空気を帯びているが、本棚には伝承や神話、英雄譚などの豊富な書物が並べられており、背表紙を通して静かな存在感を放っている。部屋の隅には読書スペースも形成され、窓から差し込む温かみのある光が照らしていた。
そんな室内の中央の椅子に翠玲は腰掛けていた。大勢の聴衆を前にして、叙事詩を朗読している。彼女の声は落ち着いており、それでいて物語の登場人物たちの感情を巧みに表現していた。
聴衆は物語の世界に引き込まれ、クライマックスを迎えると、部屋の空気を緊迫させながら、息を呑んで彼女の朗読にのめり込む。
物語が終わると、その瞬間、室内は拍手で満たされていく。多くの聴衆が彼女に感謝の言葉を述べると、翠玲自身も予想外の盛況ぶりに確かな手応えを感じていた。
「素晴らしい朗読会でしたね」
琳華も拍手で称賛する。翠玲は頬を掻いて照れながらも、口元には自信を滲ませていた。
「これも琳華のアイデアのおかげよ。管理課の書物を使って図書室を始めるなんて、私では思いつかなかったもの」
「いえ、私はキッカケを与えただけですから……翠玲様がどの書物なら皆が楽しめるかを把握していたからこそ、これだけ多くの聴衆が集まったのですよ」
翠玲の深い書物への理解が、人を引き寄せる鍵になっているのだと謙虚に認めると、琳華はさらに言葉を付け加える。
「それに翠玲様の朗読も素晴らしかったです。どこかで演技を習っていたのですか?」
「一度も学んだことはないわ。でも演劇鑑賞が趣味だから。そのおかげかも」
「だからあんなに上手だったのですね」
翠玲の知らなかった一面に驚きながらも、琳華は尊敬を瞳に滲ませる。
「翠玲様はやっぱり優秀ですね」
「ありがとう、琳華に褒められるのは格別ね」
「そうなのですか?」
「尊敬している人に褒められたら、それは嬉しいものよ」
翠玲もまた琳華を尊敬していた。互いに実力を認め合う二人だからこそ、絆が強く結びついているのだ。
「でも朗読会にこれほど多くの人が押し寄せると思わなかったわ」
「それはきっと文字の読み書きができない人でも物語を楽しめるのが大きいのでしょうね」
後宮には娯楽が少ない。文字が読めないとなると、娯楽の範囲も狭まるため尚更だ。だからこそ朗読は多くの人を惹きつけた。
二人が協力して生み出した図書室は誰でも楽しめる娯楽として人気を博し、今や翠玲の名も琳華に負けないほどの評判になっていた。
「盛況だな」
「慶命様!」
「評判を聞いてな。実際に足を運んでみたのだ」
慶命は周囲を見渡すと、人々で賑わう様子と熱心に本を手に取る女官の姿を見て、満足げに感嘆の声を漏らす。
「翠玲の能力を疑う声が広がっていたが、これで一気に引っ込んだ。朗読を楽しみにしている女官や宮女も多いと聞いている。よくやったな、ふたりとも」
慶命の賞賛を受け、琳華と翠玲は頭を下げる。だが翠玲の表情からは僅かな不安が残っていた。
「本当に、私は降格を免れたのでしょうか?」
「なにか懸念があるのか?」
「図書室は皆を楽しませていると自負しています。ただ後宮の役に立てているかと問われれば……」
図書室の運営は金銭的な利益に繋がるわけではない。翠玲はそれを心配していたが、慶命は優しげに微笑む。
「翠玲は娯楽の効果を低く見積もりすぎだ」
「そうでしょうか……」
「少なくとも、離職率の低下には繋がる。ベテランの宮女や女官が定着すれば、業務も効率的にこなせるようになるだろう。お主は十分な成果を挙げている。胸を張るといい」
優秀な人材確保は後宮にとっても大きな課題だ。物語を楽しみたいからと、離職を躊躇う者も現れるだろう。図書室という福利厚生を提供した彼女は、評価されるべき人材だった。
「慶命様、実は離職率の低下以外にも狙いがあるのです」
ただ琳華の狙いは職場環境の改善だけでは終わらない。含みをもたせた笑みを浮かべると、慶命は興味深げに目を輝かせる。
「聞かせてもらおうか」
「私が採用された時、慶命様は『文字の読み書きができる女官は貴重だ』と仰られていました。長期的にはこの課題を解決する効果も見込めます」
「ほぉ」
「無理に文字を教えても簡単に習得はできませんし、そもそもモチベーションも湧かないでしょう。ですが翠玲様の朗読会を通じて、文学に興味を持っていただければ話は違ってきます。面白い物語の原作を早く読みたいと、読み書きの習得に意欲的になる者も現れるはずです」
慶命は目から鱗だったのか、感心したように何度も頷く。
「実際に書物の貸出もしていますが、辞書とセットで多くの方が借りています。長期的には後宮内の識字率が大幅に向上すると見込んでいます」
「素晴らしいな。これだけの成果が揃っていれば、四大女官どころか皇族が降格を要求してきても退けられる」
慶命の言葉は翠玲に大きな安堵を生んだ。彼女は琳華を見据えると、頭を下げる。
「琳華、ありがとう。あなたに助けられたわ」
「翠玲様の知識があったからこそ、成し遂げられたことですよ」
「でも、私は恩義を感じているの。このお礼は必ず返すわね」
琳華は優しく微笑みながら、翠玲の謝意を受け入れる。困難を乗り越えた二人は、大きな成長を果たすのだった。。
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