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第二章
第二章 ~『物色された部屋』~
しおりを挟む琳華と天翔は後宮に向かう馬車の中で、にこやかに会話を交わす。窓の外に広がる街の風景は夕暮れの光に染まり、ゆっくりとその中を進んでいた。
「天翔様のおかげで、一時的とはいえ宝石店に帰ってこれました。これで心置きなく、後宮務めを頑張れそうです」
琳華の感謝を受けて、天翔は優しげに微笑む。
「君が喜んでくれて嬉しいよ。ただ彼と再会してしまったことだけが残念だったね」
「不快にさせてしまいましたよね?」
「僕は構わないさ。ただ君が心配でね」
「明軒様が最低なのは今に始まった話ではありませんから」
婚約していた頃から人間性に問題のあった人だ。今更、彼の無礼に感情が揺れ動くこともない。
「明軒は君に嫌がらせをしないだろうか?」
天翔が心配そうに呟くが、琳華は心配無用だと首を横に振る。
「私は後宮で暮らしていますから。あの人に危害を加えられることはありません」
「でも宝石店を荒らされるかもしれないよ」
「あの人は妙に計算高いですから。後宮を敵に回してまで無益な嫌がらせはしないはずです」
借金がなくなり、宝石店を連帯保証で奪われる心配はなくなった。ただ管理そのものは引き続き後宮が担ってくれており、看板も掲げられている。重罪に処される危険を犯してまで宝石店を荒らすほど馬鹿ではないはずだ。
「明軒様の思考パターンは予想しやすいですから。ほぼ間違いなく、私に害は及びません。むしろ不満をぶつける対象は妹と母に対してでしょうね。なにせ明軒様は自分より立場が弱い者には強気に出るタイプですから」
織物屋の支配者として君臨していた明軒は、詩雨と梅蘭を従えていた。貯めたストレスをぶつける相手として、二人を選ぶ可能性は高い。今頃、怒りを発散していることだろう。
「先ほど、宝石店の前を通りかかった警吏に様子を見てきて欲しいと伝えておきましたから。もし予想通り暴れているなら、次会うときは牢屋の中でしょうね」
本人の歪んだ性格を直すためにも良い薬になる。そんな説明を聞かされた天翔は驚きで目を見開いた。
「君の先を読む力は神がかっているね」
「明軒様の行動が単純なおかげです。それにあの人はお灸を据えないと、一生反省しないでしょうから」
「彼は喧嘩を売る相手を間違えたようだね」
天翔は苦笑いを浮かべながら、視線を窓の外に移す。賑やかな街を映していた風景が変化し、後宮の東門が近づいていた。
壮麗で厳かな雰囲気を放つ東門をくぐり、後宮の敷地内へと進んでいく。門を守る宦官たちは、通り過ぎる馬車に目を留め、敬意を表して頭を下げる。
中庭まで移動し、馬車が停車すると扉が開く。車内から降りると、夕日の輝きは強さを増していた。
「本日はありがとうございました。とても充実した休日を過ごせました」
「僕も君とのデートは楽しかったよ」
「デートだったのですね」
「僕はそのつもりだったよ」
「ならそういうことにしておきましょう」
二人は軽く頬を染めながら笑みを交わすと、別れ際の言葉を残す。
「じゃあね、また一緒に過ごせる日を楽しみにしているよ」
「私もです」
天翔は宮殿へ向かい、琳華はその背中を見送りながら、この日の記憶を胸に刻む。彼の姿が視界から消えると、彼女もまた自室へと帰っていく。
鍵を開け、扉を開いた琳華は早速ベッドに向かう。フカフカの布団に包まれながら、頭の中に浮かんだのは天翔についてだ。
(天翔様はもしかしたら私に好意を抱いているのでしょうか……ですが彼のような素敵な男性が、私を好きになるはずが……)
琳華は異性に対する魅力が欠けていると思い込んでいた。妹と比べられ、明軒から地味だと馬鹿にされてきたトラウマが自信を奪っていたのだ。
(悩んでも仕方がありませんね)
気持ちを切り替えるためにベッドから起き上がり、何気なく周囲を見渡した。その瞬間、彼女の目が細まる。
(何か違和感が……)
書籍や資料が整理されている棚は、一見すると異変を感じない。しかし琳華は物の配置に敏感だった。背表紙が少しずれていることに気づく。
(誰かが私の部屋を物色したのでしょうか?)
金品が盗まれた様子もないため、金目当ての犯行ではないだろう。念の為、部屋を調査するが失くなっているものはなかった。
(犯人の狙いは不明なままですが、被害がなかったのでまずは一安心ですね)
静かに息を吸い込んで心を落ち着ける。そうしていると扉がノックされ、「琳華、いるかしら?」と声が届く。
慌てて扉を開けると、麗珠と取り巻きの女官たちが待っていた。
「近くまで通りがかったものだから顔を見に来たの……昼は不在だったようだけど、どこかに出かけていたの?」
「天翔様が外出許可を取ってくれたので、宝石店に足を運んでいました」
琳華の答えを聞いて、女官たちは一斉にどよめく。その理由には容易に見当がついた。
「やはり外出許可は簡単に取れるものではないのですね」
「難しいわね。私が申請しても数日はかかるもの」
「麗珠様でもそれほどに厳しい壁が……」
四代女官の一人でさえこうなのだ。天翔に無理をさせたかもしれないと申し訳ない気持ちになる。
「即日で必要な場合は、皇族の力に頼ることが多いわね。私だと皇后様にお願いしているわ」
「天翔様も皇族の誰かにお願いしてくれたのでしょうか……」
「もしくは彼自身が皇族だったりして」
「まさか……」
「ふふ、冗談よ。宮殿で暮らす皇族は皇帝陛下、皇后様、皇子様の三名のみ。私が顔を知らないのは皇子様だけだけど、彼は引きこもりという噂だもの」
「そうですよね……」
そもそも本当に皇子だとすれば、琳華を友人に選ぶ理由がない。ただ頭にモヤがかかったように疑念を払拭できないのは、彼が皇子だとすれば、織物屋を買い取った経済力や、後宮内での特別扱いの理由などにすべて説明がつくからだ。
「琳華は皇族に興味を持ってくれたのね」
「いえ、そういうわけでは……あれ?」
麗珠の問いに違和感を覚える。部屋を物色されていた形跡と結びつき、一つの仮説が頭の中に浮かぶ。
「もしかして麗珠様は私に置き手紙を残しましたか?」
「遣いの宮女からは扉の間に挟んだと報告を受けているわ。それを読んでくれたのでしょ?」
「いえ、どうやら盗まれたようでして」
「お金と誤解したのかしら」
「きっとそうでしょうね」
琳華は心のなかで金目当ての可能性を否定する。彼女の頭の中には事件の全貌が描かれていたからだ。
(手紙を奪った犯人は文面を見られたくなかったのでしょうね。そして念の為、他にも手紙が届いていないかを確認するために、私の部屋に侵入したのでしょう)
棚を物色した上で、何も奪わなかったのもそのためだ。犯人に心当たりはあるものの、証拠はない。無用な心配をさせないために、今は琳華の心の中に留めていた。
「なら手紙の内容をここで伝えるわね。実は皇后様が琳華に関心があるらしいの。時間を作ってくれないかしら?」
麗珠は困り顔で両手を合わせる。無理にとは言わないだろうが、提案を断れば、彼女に迷惑をかけるかもしれない。
「私で良ければ喜んで」
世話になっている麗珠の期待に応えるため、琳華は提案を快諾する。麗珠の口元には笑顔の花が咲くのだった。
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