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第二章
第二章 ~『ただいま宝石店』~
しおりを挟む揺れる馬車の中、琳華と天翔は対話を交わす。狭い空間での会話は互いの心の距離を驚くほど早く縮めてくれた。
街の人々の好奇の目を集めながら、馬車が宝石店の前に停まる。
扉が開き、外の空気が流れ込むと、そこには琳華の思い出の宝石店が広がっていた。店の入口には手入れの行き届いた植物が並び、大窓も清掃が行き届いている。今からでも営業を再開できそうなほど整った店構えだった。
(門番様が見回りをしてくれると聞いていましたが、ここまで管理していただけるとは……あの方には感謝しないといけませんね……)
留守にしていた間に店が荒らされた形跡もない。店先に掲げられた木製の看板に『後宮管理物件』と明記されているからだろう。
「ここが琳華の店か……うん、雰囲気の良い外観だね」
「店内はもっとこだわっているのですよ」
合鍵の場所は以前と変わらない。植木鉢の下から鍵を取り出すと、扉を開ける。懐かしい空気を感じながら、琳華は感慨深げに足を踏み入れる。
木製のショーケースが整然と並び、高級感を感じさせる赤い壁紙は暖かみのある雰囲気を演出している。
カウンターの奥には特別な顧客のためのスペースも用意されており、テーブルセットと落ち着いた色調の絨毯が敷かれていた。
「琳華が自慢するだけはある。落ち着いた店内だ」
「亡くなった父から引き継いだ自慢の店ですから」
「お父さんのことを尊敬していたんだね」
「とても優しい人でしたからね」
妹贔屓の母と違い、姉妹両方に平等に愛情を向けてくれた父は、子供の目から見ても優れた人格者だった。いつも笑顔を絶やさない彼のような大人になりたいと、子供心に願っていたことを思い出す。
(また父のように宝石鑑定士として働ける日が楽しみですね)
時が流れるのは早い。一年間の後宮での勤務もきっとあっという間だろう。その日を夢見て、心を踊らせていると、店の扉が開かれた。
「琳華!」
扉を開いたのは元婚約者の明軒だった。かつての彼は端正な顔立ちと洗練された風貌で周囲を魅了していた。
しかし、今の彼は目の下に暗い影を落とし、かつての輝きを失っている。その変わり果てた姿は、彼の身に起きた艱難辛苦を静かに物語っていた。
「どうして明軒様がここに?」
「店を見張っていたんだ。絶対にお前が戻ってくると信じてな」
静かながらも力強く語る明軒の瞳はどんよりと淀んでいた。不気味さを覚え、琳華の心臓は鼓動を早めていく。
そんな彼女を庇うように、天翔が足を前へと踏み出す。彼の背中に守られたおかげで、不安は抑えられていった。
「お前は?」
「僕は天翔。琳華の友人だ」
「なら部外者だろ。引っ込んでろ!」
明軒は怒声を浴びせるが天翔は動じない。怯まない彼を前にして、明軒は冷静さを取り戻すために息を吸い込んだ。
「俺は琳華の婚約者だ」
「話は聞いているよ。元婚約者だとね。つまりは君も部外者だろ?」
「ぐっ……」
天翔の正論に黙り込む。だが退くわけにはいかないのか、琳華に視線を向ける。
「琳華、俺と復縁したくないか?」
「馬鹿馬鹿しい提案は止めてください。あなたは私を騙して、借金を押し付けようとしたのですよ」
「それについては悪かったと反省している」
「ならここから立ち去ってください。私はあなたの顔を見たくありませんから」
琳華の瞳には裏切られた怒りが滲んでいる。。許す気はないと理解したのか、明軒の顔色が変わり、沈黙が場を支配する。そんな中で彼は重く沈んだ表情で口を開いた。
「実はな、借金返済のために織物屋を売却することになった。もうあの店は俺達のものではなくなったんだ」
「そうですか……」
「だから頼む。この通りだ。俺を助けてくれ」
明軒は琳華に向かって深く頭を下げると、切実な願いを口にした。
「頭を下げても無駄です。私に助ける力はありませんから」
「この宝石店を売ればいいだろ。そうすれば、織物屋を買い戻せる」
明軒は琳華が宝石店を大切にしていると知っている。それにも関わらず、手放せと要求してくる彼に怒りが沸く。
「あなたは本当に変わらない人ですね」
「なら琳華も昔のように俺の要求に黙って従ってくれるよな?」
「お断りします」
「どうしてだ!」
「私にとってこの店が命より大切で、あなたはそうでない。ただそれだけですよ」
静かに紡いだ言葉だが、そこには強い拒絶の意思が込められていた。だが明軒は諦めない。下唇を噛みながら悔しげな表情を浮かべると、何かを思いついたように言葉を続ける。
「家族が酷い目にあってもいいのか?」
「脅しなら無駄ですよ。妹も母も、あなたの味方ではありませんか」
明軒との関係性は把握済みだ。共闘して琳華を陥れるような仲なのだから、彼が危害を加えるはずがない。
「誰も俺がやるとは言ってないだろ」
「では誰が?」
「新しい織物屋のオーナーだ。そいつは酷い奴でな。高齢の梅蘭と、身重の詩雨を無理に働かせるような鬼のような男なんだ。このままだと過労で倒れるかもしれない。家族を救うためには、琳華が一肌脱いでくれ!」
額に汗を浮かべながら、必死に助けを乞う明軒。だが琳華は一瞬で嘘だと看破する。
(織物屋を購入したオーナーが天翔様だと知らないようですね)
念の為、天翔と目を見合わせるが彼は首を横に振る。また明軒は琳華を騙そうとしていたのだ。
「明軒様はオーナーに会ったことは?」
「あるとも。鬼のような顔をした巨漢だ。荒い口調で怒鳴られたからよく覚えている」
人はここまで迫真の演技ができるのかと、ある意味で感心しそうになる。天翔と見つめ合うと、二人は思わず吹き出してしまった。
「なにを笑って……」
「あなたが嘘吐きで最低な人だと改めて認識したからですよ」
「俺は嘘なんて吐いてない。信じてくれ!」
「織物屋のオーナーは私の友人です。だからあなたの言葉が嘘だと分かるんです」
「――――ッ」
琳華の指摘に一瞬、表情を強張らせるが、明軒はすぐに態度を一変させる。
「なら最初からそう言え。下手な三文芝居をさせやがって……」
「開き直りですか?」
「それの何が悪い。俺は琳華のせいで織物屋を継ぐ未来を潰されたんだ。これくらいの嘘は許されて当然だろ」
悪びれた様子のない明軒を前にして、琳華は呆れ果ててしまう。一方で天翔は目を細めて、鋭い眼差しを向ける。
「僕は平和主義者だ。でも大切な友人を馬鹿にするなら放ってはおけない。大人しく立ち去るか、僕の怒りを受け止めるか。君が選ぶと良い」
威圧された明軒はふいに目を逸らす。天翔の冷たい視線と琳華の断固たる拒絶を受け、彼は逃げるように店を後にした。
走り去りながら「覚えていろ」と負け惜しみを残していく。屈辱を滲ませた彼の背中を眺めながら、琳華は心のなかで溜飲を下げるのだった。
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