後宮の宝石鑑定士は黙ってない! ~「浮気して何が悪い?」と開き直る婚約者に制裁を~

上下左右

文字の大きさ
上 下
15 / 40
第二章

第二章 ~『訪問者と借金完済』~

しおりを挟む

 夜が深まり、琳華りんふぁは自分の部屋に戻ると、ベッドで横になった。部屋の静寂が心地よく、天井を見上げながら、今日一日の出来事を思い返す。

 頭の中に浮かんだのは映雪えいせつとのやり取りだ。

 中級女官である琳華りんふぁは、下級女官の映雪えいせつよりも上位の役職だ。普通なら敵対しても益に繋がらないはずなのだが、彼女は敵意を隠さずに接してくる。

 さらに下剤を仕込む行為は、単なる妬み以上の恨みを感じさせるが、琳華りんふぁに心当たりはない。

(後宮に入る前に恨みを買ったとしたら……)

 宝石を扱う仕事に関わっていたのだとしたら、過去に接点があったとしても不思議ではない。だがその可能性を琳華りんふぁはすぐに否定する。

映雪えいせつ様の反応は初対面のそれでした。後宮に入る前に知り合ったとは思えません)

 悩みが膨らむばかりで解決の糸口は見つからない。頭を抱えて、思案に耽っていると、部屋の扉がノックされる。

 ほとんど音がしない小さなノックだが、沈黙を破るには十分すぎるものだった。

「誰でしょうか?」
「儂だ。慶命けいめいだ」

 琳華りんふぁは一瞬、何事かと心を緊張させるが、夜の帳が深く降りたこの時間に訪問してきたのだ。只事ではないだろう。

 扉を開けると、慶命けいめいは月明かりに照らされた廊下に立っていた。琳華りんふぁの姿を認めると、静かに口を開く。

「夜分遅くにすまんな。少し良いか?」
「もちろん。どうぞ、部屋の中へ」
「いや、ここでいい。儂も宦官ではあるが、一応、男だからな。配慮はしたい」

 さすが総監の立場にまで登りつめただけはあると感心させられる。だがそんな気配りのできる彼が夜中に訪れたのだ。より緊張が増す。

「大食堂での騒動について聞かせてもらった、大丈夫だったか?」

 その問いかけは琳華りんふぁへの思いやりが込められていた。わざわざ夜中にやってきてくれたのは、心配してくれていたからだと知る。

「私に怪我はありませんでした」
「それなら安心だ。琳華りんふぁの茶に薬が混ぜられたと聞かされた時は慌てたぞ」
「――ッ……慶命けいめい様も傍で見ていたのですか?」
「儂は宦官たちを統括する立場だ。故にあらゆる場所に後宮の動きを把握するための目を配置しているのだ」

 客のいない大食堂も人がいなかったわけではない。料理人や皿洗いの宮女たちの姿はあった。彼女らが慶命けいめいの目としての役割を担っていたのだ。

「この話は広まっているのですか?」
「口止めしてあるからな。一部の者しか知らんことだ」
「それは安心しました」
映雪えいせつを罰しなくていいのか?」
「私もお茶をかけちゃいましたから。お互い様です」
「そうか……人が良いのだな……」

 慶命けいめいは嬉しそうに微笑むと、何かを思い出したように話を続ける。

天翔てんしょうとは仲良くやっているようだな」
「最近、友人になりました」
「良好な関係なら何よりだ……それで天翔てんしょうをどう思う?」
「優しくて素敵な人ですよ」
「そうか、そうか。それは重ねて素晴らしいな」

 慶命けいめいは膝を叩いて大喜びする。その反応の理由がどうしても気になってしまう。

天翔てんしょう様とはどのような関係なのですか?」
「息子のような存在でな。目に入れても痛くないほどに可愛がっているのだが、向こうからは煙たがられている」

 冗談を口にする慶命けいめいに合わせて、琳華りんふぁも笑みを零す。緊張は解れ、自然体となっていた。

「これからも天翔てんしょうと仲良くしてやってくれ」
「もちろんです」

 天翔てんしょうとの友情は望むところだ。大きく頷くと、慶命けいめいは満足げな表情で新たな話題を持ち出す。

「友情といえば、麗珠れいしゅとも仲良くなったようだな」
慶命けいめい様に隠し事はできませんね」
「後宮のことなら知らぬことはないからな……その麗珠れいしゅから琳華りんふぁを部下にしたいと申し出があったのだが、どうしたい?」

 後宮は常に人手不足だ。優秀な人材のスカウトは頻繁に行われており、珍しいことではない。

 だからこそ琳華りんふぁは事前に答えを用意していた。静かに首を横に振る。

「謹んでお断りさせていただきます」
「四代女官の麗珠れいしゅからの誘いだ。給金も上がるし、上級女官へ出世する近道だぞ。それでもか?」
「はい。でも誤解しないでくださいね。麗珠れいしゅ様が不満なわけではないのです」
「ならどうして?」
翠玲すいれん様の下で働きたいからです」

 琳華りんふぁが抜ければ、皺寄せは翠玲すいれんに向かう。世話になった彼女に恩を仇で返すような真似はできない。

「残念だが、仕方ないな。諦めるとしよう」

 慶命けいめいは最初から予想していたのか、琳華りんふぁの決断を受け入れる。その反応は琳華りんふぁに気づきを与えた。

「もしかして他にも話がありますか?」
「なぜあると分かる?」
慶命けいめい様は良い話題があると、口元に皺を寄せる癖があるのです。麗珠れいしゅ様の誘いを断ったにも関わらず、皺が消えていませんから」
「…………」

 慶命けいめいは一瞬言葉を失う。だが次の瞬間には心からの笑みを浮かべていた。

「これは驚いた。さすがの洞察力だな。琳華りんふぁの推察通り、もう一つ話がある」
「内容を伺っても?」
「聞いたら驚くぞ」
「良い意味での驚愕なら望むところです」

 琳華りんふぁの返答を受け、慶命けいめいは静かに息を吸い込み言葉を紡ぐ。

「お主の連帯保証になっていた借金が完済された。これで後宮が宝石店を担保に取って、守る必要もなくなったことになる」
「本当ですか!」
「儂がこんな冗談を口にするものか」
「私はお店を守り抜けたのですね……」

 明軒の借金がなくなり、連帯保証の義務が失効した以上、琳華りんふぁの宝石店が差し押さえられる心配もなくなった。口元に笑みが溢れる一方で、ある疑問も湧いた。

「返済のために、やはり織物屋は売却されたのですか?」
「ああ。おかげで利子含めて、借金は綺麗さっぱり完済できたそうだ」
「そうですか……」

 宝石店ほどの思い入れはなく、母たちの自業自得だと納得はしている。ただ生まれ育った織物屋が第三者の手に渡ったと知り、内心は複雑だった。

 その心を見抜いたのか、慶命けいめい琳華りんふぁを見据える。その口元には、まだ皺が浮かんでいることに気づく。

「どうやら話はまだ終わりではないようですね」
「肝心の話がな。織物屋は売れた。だが買ったのは誰だと思う?」

 慶命けいめいは静かに、しかし意味ありげに問いかける。その問いに対する答えを探る琳華りんふぁの目は、一瞬で幾つかの感情を映し出し、答えへと辿り着く。

「もしかして天翔てんしょう様ですか?」
「なぜそう思う?」
「こうして質問する以上、答えは私の知っている人です。その中で、私の実家が織物屋であることを知る人物は三人、人事情報にアクセスできる翠玲すいれん様、後宮に入るキッカケをくれた慶命けいめい様、そして友人の天翔てんしょう様です」
「三択からどうやって答えを絞ったのだ?」
「借金返済には多額の資金が必要ですから。翠玲すいれん様は私と似たような経済力ですし、慶命けいめい様にはお金があっても買う理由がありません。残るは友人の天翔てんしょう様だけです」

 天翔てんしょうの身なりから、高貴な出自だとは気づいていた。彼なら織物屋を購入できる資金を持っていても不思議ではない。

「素晴らしい推理だ」
「では、やはり天翔てんしょう様が?」
「半分は正解だ」

 どういう意味かと慶命けいめいの続く言葉を待つと、彼は穏やかに頷く。

「実はな、織物屋を最初に買ったのは儂だ」
慶命けいめい様がですか!」
「その後、天翔てんしょうに売却を持ちかけたのだ。この時、もし断られるようなら儂がそのまま経営しても構わなかった。なぜだか分かるか?」
「いえ……」
琳華りんふぁに恩を売れるなら、店を買うくらい安いものだと判断したからだ。それほど儂はお主を評価しておるのだ」

 事実、琳華りんふぁ慶命けいめい天翔てんしょうに感謝していた。宝石店を守るため実家売却に繋がってしまったが、見ず知らずの第三者に買われたくはなかったからだ。一礼すると、慶命けいめいは微笑む。

「借金が完済されたことで、いつでも宝石店の経営を再開できるようになった。さらにだ、織物屋のオーナーが天翔てんしょうとなった今、お主が望めば、裏切った婚約者や家族を煮るなり焼くなり自由にできる」

 織物屋から追い出したり、従業員としてこき使ったりするのも胸三寸だと、慶命けいめいは続ける。だが琳華りんふぁは首を横に振った。

「復讐なんて愚かな真似はしません。それに織物屋が他人の手に渡った時点で十分にお灸は据えられたと思いますから」
「それでこそ儂が認めた女だ」

 慶命けいめいは感心した様子で微笑むと、背中を向けて去っていく。月光に照らされた彼の後ろ姿が見えなくなるまで、琳華りんふぁは頭を下げ続けるのだった。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

実家を追放された名家の三女は、薬師を目指します。~草を食べて生き残り、聖女になって実家を潰す~

juice
ファンタジー
過去に名家を誇った辺境貴族の生まれで貴族の三女として生まれたミラ。 しかし、才能に嫉妬した兄や姉に虐げられて、ついに家を追い出されてしまった。 彼女は森で草を食べて生き抜き、その時に食べた草がただの草ではなく、ポーションの原料だった。そうとは知らず高級な薬草を食べまくった結果、体にも異変が……。 知らないうちに高価な材料を集めていたことから、冒険者兼薬師見習いを始めるミラ。 新しい街で新しい生活を始めることになるのだが――。 新生活の中で、兄姉たちの嘘が次々と暴かれることに。 そして、聖女にまつわる、実家の兄姉が隠したとんでもない事実を知ることになる。

異世界に召喚されたけど間違いだからって棄てられました

ピコっぴ
ファンタジー
【異世界に召喚されましたが、間違いだったようです】 ノベルアッププラス小説大賞一次選考通過作品です ※自筆挿絵要注意⭐ 表紙はhake様に頂いたファンアートです (Twitter)https://mobile.twitter.com/hake_choco 異世界召喚などというファンタジーな経験しました。 でも、間違いだったようです。 それならさっさと帰してくれればいいのに、聖女じゃないから神殿に置いておけないって放り出されました。 誘拐同然に呼びつけておいてなんて言いぐさなの!? あまりのひどい仕打ち! 私はどうしたらいいの……!?

『王家の面汚し』と呼ばれ帝国へ売られた王女ですが、普通に歓迎されました……

Ryo-k
ファンタジー
王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。 優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。 そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。 しかしこの時は誰も予想していなかった。 この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを…… アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを…… ※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

妹に婚約者を取られましたが、辺境で楽しく暮らしています

今川幸乃
ファンタジー
おいしい物が大好きのオルロンド公爵家の長女エリサは次期国王と目されているケビン王子と婚約していた。 それを羨んだ妹のシシリーは悪い噂を流してエリサとケビンの婚約を破棄させ、自分がケビンの婚約者に収まる。 そしてエリサは田舎・偏屈・頑固と恐れられる辺境伯レリクスの元に厄介払い同然で嫁に出された。 当初は見向きもされないエリサだったが、次第に料理や作物の知識で周囲を驚かせていく。 一方、ケビンは極度のナルシストで、エリサはそれを知っていたからこそシシリーにケビンを譲らなかった。ケビンと結ばれたシシリーはすぐに彼の本性を知り、後悔することになる。

影の聖女として頑張って来たけど、用済みとして追放された~真なる聖女が誕生したのであれば、もう大丈夫ですよね?~

まいめろ
ファンタジー
孤児だったエステルは、本来の聖女の代わりとして守護方陣を張り、王国の守りを担っていた。 本来の聖女である公爵令嬢メシアは、17歳の誕生日を迎えても能力が開花しなかった為、急遽、聖女の能力を行使できるエステルが呼ばれたのだ。 それから2年……王政を維持する為に表向きはメシアが守護方陣を展開していると発表され続け、エステルは誰にも知られない影の聖女として労働させられていた。 「メシアが能力開花をした。影でしかないお前はもう、用済みだ」 突然の解雇通知……エステルは反論を許されず、ろくな報酬を与えられず、宮殿から追い出されてしまった。 そんな時、知り合いになっていた隣国の王子が現れ、魔導国家へと招待することになる。エステルの能力は、魔法が盛んな隣国に於いても並ぶ者が居らず、彼女は英雄的な待遇を受けるのであった。

婚約破棄されて勝利宣言する令嬢の話

Ryo-k
ファンタジー
「セレスティーナ・ルーベンブルク! 貴様との婚約を破棄する!!」 「よっしゃー!! ありがとうございます!!」 婚約破棄されたセレスティーナは国王との賭けに勝利した。 果たして国王との賭けの内容とは――

処理中です...