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第二章

第二章 ~『お裾分け』~

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 琳華りんふぁは菓子の詰まった黒い木箱を抱えながら麗珠れいしゅと別れた。出口に近づくと、宴会に参加していた取り巻きの女官の一人が、琳華りんふぁを見つけて柔らかい笑顔を浮かべる。

麗珠れいしゅ様がお見送りできずに申し訳ございませんでした」
「気にしていませんよ。むしろ、お土産まで頂いて感謝したいくらいです」
「優秀な上に人格者だなんて……やはり琳華りんふぁ様は麗珠れいしゅ様の友に相応しいお方です」

 キラキラと瞳を輝かせるのは、宴での琳華りんふぁの活躍を知っているからだ。気恥ずかしさを覚えた彼女は、誤魔化すように話題を逸らす。

「お土産を天翔てんしょう様にも分けてあげたいのですが、どこにいるかご存知ですか?」
「あの宴にいた綺麗な男性ですよね?」
「その人です」
「申し訳ございませんが、私もあの場で初めて見た人でした……ただ同じ宦官なら何か知っているかもしれません。試しに聞いてみますね」
「お願いします」

 麗珠れいしゅの側近なら勤続年数も長いはずだ。その彼女が存在を知らなかったことに違和感を覚えながらも、琳華りんふぁは職場へと向かう。

(お菓子はたくさんありますし、翠玲すいれん様にお裾分けしてあげましょう)

 文書管理課を訪れると、翠玲すいれんは椅子に腰掛けながら仕事に集中していた。邪魔しないようテーブルに静かに木箱を置くと、彼女は顔を上げる。

琳華りんふぁは休暇のはずでしょ。どうして職場に?」
「お菓子のお裾分けを持ってきました」
「さすが琳華りんふぁね。それでこそ私の可愛い部下だわ」

 菓子と聞いて翠玲すいれんは目の色を変える。二人で木箱の蓋を開けると、菓子の甘い匂いに頬が緩んでしまう。

「豪華なお菓子ね。誰から貰ったの?」
「上級女官の麗珠れいしゅ様からです」
「え……」

 琳華りんふぁの答えに空気が一変する。

「本当にあの麗珠れいしゅ様から頂いたの?」
「それほど驚くことでしょうか?」
麗珠れいしゅ様は後宮の四大女官の一人なのよ。私なんて恐れ多くて話をしたことさえないわ」

 麗珠れいしゅは皇后の直属として働く上級女官だ。それでいて人望に厚く、教養もあり、高貴な出自から来る品格と愛嬌は多くの人を惹きつける。

 親しみやすい性格のおかげで感じさせないが、麗珠れいしゅもまた雲の上の住人なのだと認識を改めた。

琳華りんふぁもいつか遠い世界の人間になっちゃうかもしれないわね」
「私がですか?」
慶命けいめい様も琳華りんふぁには一目置いているようだし、十分に現実味がある話よ」
「私はただ周囲の人に恵まれているだけですから」

 出世に興味があるわけでもない。優秀だと認めてもらえるのは嬉しいが、成り上がりたいと願ってはいなかった。

「でも、もし琳華りんふぁが出世したら困るわね。また一人で仕事をすることになったら、私が過労で死んじゃうもの」
「当分はこの部署で頑張るつもりですから。安心してください」
「絶対よ」
「約束します」

 軽口を交わし合いながら、琳華りんふぁ翠玲すいれんは菓子を片手に会話の華を咲かせる。

 主な話題は琳華りんふぁが招待された宴についてだ。そこで起きた宝石喪失騒動や、課題解決のお礼として麗珠れいしゅと仲良くなったこと。そして映雪えいせつから近寄るなと脅されたことを語ると、興味深そうに聞いていた翠玲すいれんは疑問を口にする。

「どうして、映雪えいせつ琳華りんふぁに嫉妬するのかしら?」
「側近の立場がおびやかされるのを恐れてのことでしょうか……」
映雪えいせつについて調べれば、理由が分かるかもね」
「ですがどうやって?」
「忘れたの? ここは文書管理課よ。個人情報には困らないわ」

 女官たちがどのような家庭で育ち、どのような背景で後宮に採用され、どのような人事評価を受けてきたのか。それらの情報が資料として集約されているのが、文書管理課だった。

「職権乱用になりませんか?」
「私たちの仕事は書類整理の過程で個人情報の閲覧を避けて通れないわ。業務上、知ってしまったということにしましょう。それにこの場にいるのは琳華りんふぁと私だけ。二人だけの秘密にすれば問題ないわ」

 翠玲すいれんは棚から映雪えいせつの資料を探し出し、机の上に並べていく。職権乱用と知りながらも、そこに記された内容を目で追ってしまう。

映雪えいせつ様は能力の高さを評価されているようですね」
「でも下級女官のままのようね……きっと性格が足を引っ張っているのね」

 宝石の買い付けスキルや事務能力が高く評価されている一方で、攻撃的な性格が多くのトラブルを引き起こし、中級女官への昇格の道から遠ざかっていた。

映雪えいせつ様は採用時から下級女官なのですね……」
「それの何がおかしいの?」
映雪えいせつ様のスキルセットは私と似たようなものです。中級女官として採用され、性格の問題で降格したのなら理解できるのですが……」

 映雪えいせつは下級女官からスタートしている。自分との扱いの差に違和感を覚えていると、翠玲すいれんが答えに辿り着く。

「それはきっと窃盗で捕まった罪歴があったからね。宝石の知識がある優秀な人材でも、前科があるとどうしても不利になってしまうもの」

 経歴書には映雪えいせつが犯した罪として、買い物に出かけていた宮女から財布を盗んだとの記載がある。ジッと眺めていた琳華りんふぁは、その記述に違和感を覚える。

「変ですね……」
「何か気付いたの?」
映雪えいせつ様は投獄されてすぐに解放されています」
「あ、本当だ」
「宮女からの窃盗は後宮に対する謀反のようなものです。罪も重くなるはずですから、普通ならすぐに解放はありえません」
「まだ子供だったからかも?」

 窃盗で捕まった時の映雪えいせつの年齢は十五歳だ。まだ子供と呼べる年齢だが、琳華りんふぁは否定するように首を横に振る。

「もっと幼い子供が長期間勾留されていた例があります」
「年齢でないなら、いったい……」
「きっと冤罪だったのではないでしょうか……」

 琳華りんふぁの予想に、翠玲すいれんは驚く。

「どうして分かるの?」
映雪えいせつ様は釈放後すぐに後宮に入っています。これは普通ならありえません」
「いくら人手不足とはいえ、後宮のお金を盗んだ罪人を雇わないものね」
「はい。ですので、ここからは私の予想です。きっと宮女は財布を落としたのです。そして映雪えいせつ様は、善意でそれを届けた。ですが非を認めたくない宮女は、嘘を吐いて盗まれたことにしたのです」

 落としたのなら叱責されるのは宮女だ。それを恐れ、矛先を盗人に向けるために、映雪えいせつを罪人に仕立て上げたのだ。

「その後、真実が明らかになり、後宮は謝罪も兼ねて映雪えいせつ様を雇ったのでしょうね」

 琳華りんふぁの推測を黙って聞いていた翠玲すいれんは、感心したように目を輝かせる。

「たったこれだけの情報から当時の状況を推理できるなんて、琳華りんふぁの洞察力にはいつも驚ろかされるわね」

 凡人では決して辿り着けない能力の高さ。才覚では決して敵わないと、翠玲すいれんは心のなかで白旗を上げる。

 そんな時、文書管理課の居室の扉が開かれる。宮女に案内されてきたのは天翔てんしょうだった。

天翔てんしょう様がどうしてここに?」
「僕を探していると聞いたからね。迷惑だったかな?」
「いえ、丁度良かったです。渡したいものがありましたから」

 麗珠れいしゅから貰った菓子をお裾分けしようと、天翔てんしょうの前に差し出す。彼は遠慮がちに「なら一つだけ」と月餅を受け取った。

 月餅の美しい模様を眺めながら、繊細な指先でそっと半分に割る。豊かな餡の香りに表情を綻ばせながら、ゆっくりと口に運ぶ。

 餡の甘さが口の中で広がったのか、天翔てんしょうの瞳が深い満足感を示す。食べ終えると、彼は微笑を浮かべた。

「美味しい菓子をありがとう」
麗珠れいしゅ様から頂いたものを、ただお裾分けしただけですよ」
「それでもさ。君が僕のためを想って分けてくれた。それだけで嬉しいんだ」

 天仙のような美しい笑顔で、心からの感謝を伝えられる。友人に向ける表情だと理性で分かっていても、心臓が高鳴るほどに魅力的だった。

 頬が赤くなっていくのを自覚し、琳華りんふぁは誤魔化すように心の中に仕舞っていた疑問を思い出す。

「そういえば、天翔てんしょう様はどちらにお住まいなのですか?」
「気になるかい?」
「会いたい時に会えないのは不便ですから」

 琳華りんふぁの問いを受け、天翔てんしょうは少し躊躇いながら言葉を選ぶ。

「僕は宮殿に住んでいるんだ」
「あれ? ですが宮殿は……」

 皇族やそれに連なる者しか住めない場所のはずだ。

「事情があってね。詳しくは話せないけど、僕は宮殿で暮らしているんだ。会いたいなら門番に伝えてくれればいい。いつでも参上するよ」

 それだけ言い残して、天翔てんしょうは宮女と共に去っていく。彼の秘密は解けないままだが、無理に問い詰めることもできないため、その背中を黙って見送る。

 天翔てんしょうの姿が見えなくなると、真っ先に反応したのは翠玲すいれんだった。

「凄く綺麗な男の人ね……もしかして恋人?」

 翠玲すいれんの興味深げな質問に、琳華りんふぁは首を横に振る。

「ここは後宮ですよ」
「そっか。宦官とは恋人になれないものね……でも、あれほどの美丈夫なら恋人でなくても羨ましいわ」
「自慢の友人ですから」

 胸を張る琳華りんふぁに、翠玲すいれんは笑みを零す。

「ただ謎多き人のようね。宮殿で暮らしている宦官なんて初めて聞いたわ」
「前例はないのですか?」
「少なくとも私は知らないわ。ただ宮殿は慶命けいめい様のような上位の役職者でないと、足を踏み入れることさえ禁止だもの。知られていないだけで、そういった宦官がいるのかもしれないわね」

 天翔てんしょう本人に確認できれば良いが、無理強いもできない。深まる謎に悶々としていると、翠玲すいれんは思いついたように、ある可能性を口にする。

「もしかすると噂の皇子かもしれないわね」
「まさか。ありえませんよ」
「そう?」
「断言できます。なにせ、もし本当に天翔てんしょう様が皇子なら、私と友人になる理由がありませんから」

 皇族なら周囲に華やかな美女はいくらでもいる。地味な自分をわざわざ友人に選ぶはずがないと、琳華りんふぁは自己肯定感の低さ故に否定する。

(でも、いつか宮殿に住んでいる理由を知りたいものですね)

 秘密を詮索するつもりはない。ただ天翔てんしょうの方から打ち明けてくれる日が来ればと、まだ見ぬ未来に期待を抱くのだった。

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