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第二章 ~『第一皇子との舌戦』~
しおりを挟む第一皇子と会うために、クレアとギルフォードは、帝国と王国の国境沿いにある彼の邸宅を訪れていた。
国力の差をアピールするように聳え立つ屋敷は厳重な警備で守られている。武装した騎士団に案内され、応接室へと通された。
絨毯の上に黒塗りのソファが並べられた品のある部屋だ。そこで待っていた一人の男がクレアたちを出迎えてくれる。
背が高く、彫りの深い顔立ちは女性ならば誰もが見惚れるほどに整っている。燃えるような赤髪と赤眼は皇帝の血筋を証明しており、彼の正体はすぐに察した。
「あなたが第一皇子様ですね」
「ウィリアムと呼んでくれ。私もクレアと呼ぼう。ギルフォードとも久しぶりだな」
「お兄様は顔見知りだったのですか⁉」
「ただの腐れ縁だよ」
「相変わらず冷たい男だな」
「冷たくもなるさ。ウィリアムのせいで、今まで多くのトラブルに巻き込まれてきたからね」
「ははは、優秀な奴はついつい利用してしまう性分でな。それよりも長旅で疲れただろう。紅茶とケーキを用意してある。まずは体を休めてくれ」
ウィリアムが手を鳴らすと、扉の向こうから侍女が人数分の紅茶とショートケーキを机の上に並べる。注がれた紅茶からは湯気が立ち込め、ケーキの甘い香りが鼻腔を擽った。
「紅茶もケーキも帝国の一級品でな。クレアたちのためにわざわざ帝都から取り寄せたのだ」
「なら僕から頂くよ」
ギルフォードはケーキに手を伸ばし、ゆっくりと咀嚼してから、紅茶を啜る。その口元には笑みが浮かんだ。
「うん。美味しいね」
「毒が入っているとは警戒しないんだな?」
「僕たちを殺せば国際問題になるからね。十中八九、君はそんなことをしないさ」
「私を信頼してくれたわけか。さすが我が友だ」
「まぁそうだね。それに妹のために死ねるなら本望さ」
十中八九ないとは知りながらも、万に一つという言葉もある。ギルフォードが先に口にしたのは毒味を兼ねてのことだった。
彼の厚意に応えるため、クレアも紅茶とケーキに手を付ける。ギルフォードに負けないくらいの笑みが浮かんだ。
「うわぁ、美味しいですね~。紅茶は丁度良い渋味で、ケーキはクリームがふわふわです」
「言っただろ。我が国の一級品だと」
「ふふ、帝国は素晴らしい国ですね♪」
「帝国の良さを理解できる女は嫌いではないぞ。それにギルフォードが毒味したとはいえ、躊躇わずにケーキと紅茶に口を付けた肝の太さも評価に値する。容姿も美しく、きっとカリスマもあるのだろう。30点をやってもいいぞ」
「辛口なのですね」
「簡単に褒めると、私の威厳がなくなるからな」
冗談だったのか、ウィリアムは口角を僅かに上げる。初対面から僅かに話をしただけだが、彼との距離が近づいた気がした。
(本題に入るための心の準備をしてくれたのでしょうね)
その厚意に応えるため、クレアから話しを切り出すことに決める。
「ウィリアム様が私たちを招待してくれたのは、小麦の価格を安くしてくれるためですか?」
「それが私の交渉材料であることは否定しない。なにせ小麦がなければパンが焼けない。美味しいケーキも同様だ。王国にとって小麦価格は死活問題のはずだからな」
(足元を見られていますね。まぁ、ウィリアム様にも立場があるので、仕方ありませんが……)
正義は立場によって変わってくる。皇子として国の利益のために動いている彼を怒ることはできない。
「それでどうすれば小麦を安くしてくれるのですか?」
「条件はただ一つ。同盟を結ぼう」
「同盟ですか……」
「そう、今までも帝国と王国は友好関係を築いてきた。だがこれからは違う。もっと密接な関係になるのだ。具体的には我らの軍を王都に在留させて欲しい。他国に対する抑止力にも繋がり、王国としても利はあるはずだ。どうだろうか?」
「それは……」
王都に帝国軍が在留することになれば、喉元に刃物を突き付けられているに等しい。今後、帝国が牙を剥けば、どんな理不尽な要求も断れなくなってしまう。
「それでは同盟という名の属国です」
「要求は飲めないと?」
「はい。別の条件でお願いします」
「では聞くが、魅力的な交渉材料が王国にはあるのか?」
「では小麦を安くしてくれれば、魔物の肉を相場より安く売ります。これならどうでしょうか?」
「却下だ。肉は小麦ほど腹が膨れない。価格が高くて困るのは王国の方だからな」
「なら私たちは帝国以外の国から小麦を輸入します」
「王国から帝国の次に近い国家は共和国か……輸送費での値上がりを加味すると、我が国と値段は変わらないはずだがな」
「それは……」
ウィリアムの含みのある笑みから、事前に計算して価格を決めているのだと察せられた。用意周到さに、まるで罠に嵌められているような錯覚に陥る。
「では共和国の国境に近い地域では輸入に頼り、王都では魔物の肉などで補います。これなら帝国の頼りになる必要はありません」
「思った以上に優秀だな。80点をやろう。だが魔物の肉だけでは王都の住民を養えないことは確認済みだ。食料が尽きれば、暴動が起きる。ようやく復活した王家も短命で終わるな」
チェックメイトだと、ウィリアムは口元を歪める。だがクレアは諦めていない。
「ウィリアム様はどうして王国を属国にしたいのですか?」
「帝国の利益のため、そして私の次期皇帝の座を確実なものとするためだ」
「だからこそ、このタイミングなのですね」
現在、皇室には二人の皇子がいる。ウィリアムと、サーシャが嫁いだ第二皇子だ。二人は熾烈な権力争いを繰り広げており、勢力は拮抗している。
そんな中、皇帝が病で倒れ、玉座が宙に浮いた状態となった。周囲が納得する成果を示すため、彼は王国を狙ったのだ。
「あなたの目的が理解できました。だからこそ私にはまだ交渉材料が残っています」
「聞こう」
「それは……私です」
「は?」
呆気に取られたウィリアムは口をポカンと開ける。想像さえしていなかった提案に困惑させられたのだ。
「まさか私に嫁いでくると?」
「いいえ、愛のない婚約はもうコリゴリなので」
「ならどういう意味だ?」
「私の回復魔法で皇帝陛下を治療します」
「――――ッ」
病気や怪我を治療できる回復魔法の使い手は王国の王族の血を引く者にしか使えない。クレアだけが持つ最強の切札だった。
「父上を治すために私が要求を飲むような甘い人間だと思うか?」
「思いません。あなたは家族より国を優先するタイプでしょうから」
「ならどうする?」
「この提案を第二皇子様に持ち掛けます。運良く妹のサーシャが嫁いでいますから。会合の場を設定するのは難しくないでしょう」
「…………」
「もし第二皇子様が提案に乗れば、皇帝陛下を助けた救世主となります。その手柄は、次期皇帝の座を得るのに十分なほどの成果となります」
「確かに、弟が成果を得ると、私は困ったことになるな」
「でも小麦を安くしてくれるなら、ウィリアム様の手柄で治療しましょう。次期皇帝の椅子はあなたのものになるはずです。如何でしょうか?」
脅しをセットにした要求に、ウィリアムは喉を鳴らして笑う。
「ギルフォード、貴様の妹は素晴らしいな」
「なにせ僕の妹だからね」
「契約成立だ。父上の元へと案内しよう」
その一言で、クレアは拳をギュッと握りしめる。
「やりましたね、お兄様!」
「クレアの交渉が上手かったおかげさ」
これで王国は救われる。視線を合わせた二人の表情には達成感が浮かんだ。
「あ、そうそう、これは要求ではなく、確認だが……私と結婚するつもりはないか?」
「ふふ、微塵もございません」
「残念だ。女性に振られたのは初めての経験だが、失恋も悪くないものだな」
ウィリアムは気恥ずかしさを誤魔化すように紅茶を啜る。冷めた紅茶は渋味が増していたのか、苦々しい表情を浮かべるのだった。
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