ベルベット・ムーン

深月織

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Ⅲ.一族

027.a trap

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「アレイストが帰ってくるの、明後日でした?」
 私が課題をする横で、書類のファイリングをしていたロルフに訊ねる。
「ええ、予定では。どうなさったんですか?」
 そう訊ね返されるのも当然か。
 この頃毎日一回は訊いてるような気がするもんな、アレイストの帰りいつやったっけ、てゆうの。何もド忘れしとるわけやあらへんで、ちゃんと覚えとる。
 覚えとるんやけど、ふとした瞬間に(アレ? 今日帰ってくる日やなかったっけ?)と思ってしまうのだ。
 父親からすでに自分ちの領地の采配を任されてとるアレイストは、1ヶ月のうち数日を領地の見回りや訴えごとなんかを処理するために出掛けている。
 領民が領主に訴えごと。
 それを最初聞いたとき、いつの時代やーとか思ったんだけど、そう変なことでもないらしい。
 だいたい、治めなあかん領地があることにも庶民のあたしはビビるっつうの。
 まあ違う国やしな。影で吸血一族が暗躍しとる国やしな。
 と、またも自分を無理矢理納得させる日々。

 もちろん普通に司法機関はあるのだが、アレイストのところに持ち込まれるのはそういうのとは別物らしい。
 ヤツも大変やな、学生はしなあかんし、学院代表も務めとるし、執事に任せとるゆうてもこの城の責任者やろ、しかも領地の管理のおまけ付き。
 さらに今現在イミューン(あたし)という面倒ごとを抱えて、そのせいで敵対する野郎共が心休まるはずの自宅にウロチョロしとる。
 ……他人事ながら(いや他人事ちゃうんか、最後のことに関しては)心配になってきたで。アイツいきなり倒れたりするんちゃうやろか。無駄にストレス溜めてそうやし。

 そんなことをロルフに話して、
「アレイスト、無理してないかなとちょっと心配」
 何気に呟くと、彼は目を瞬いたあと、堪えきれないように破顔した。
「そう思われるなら、帰宅されたときに労って差し上げてください。そうですねぇ、ミツキ様が頭のひとつでも撫でられたら上機嫌になるんじゃないですか、根は単純ですから」
 ニコニコと、主を敬っているのかそうでないのか疑問を生じる発言をする。
「貴女からのキスでも有効ですよ、ていうか1ヶ月は寝ないで働くんじゃないですか」
 それはいいな、一度検討してみましょうか。などと半分本気の顔をして頷いている。
 ……なあ、ロルフあんたホンマにアレイストの下僕なん?



「ミッキさん」
 アレイストのいない日があと一日、というその日のこと。
 図書館に向かっていた私は知った声に呼び止められて振り向いた。
 ニコニコと可愛らしい笑顔で駆け寄ってくるのは、クラスメイトのリーリィ嬢。比較的私と仲良くしてくれる、無邪気なお嬢様の一人だ。
「図書館に行かれるの? わたくしも御一緒して良いかしら」
 小柄な彼女は肩で切り揃えたプラチナブロンドを揺らして、小首を傾げて訊ねてくる。
「いいですよ~」
 彼女を見るたびこみ上げてくる、ムギュッと抱きしめて撫でくりまわしたいいい! という衝動と戦いつつ、私は答える。
 可愛いねん! めっちゃ子リスみたいやねん、この子!
 いやいや、アレイストみたいな変態行為は慎まなアカン。セクハラで訴えられとうないからな。
「アレイスト様、御不在で寂しくないですか? もう十日にもなりますね」
 せやな、うっとうしいくらいにくらいにまとわりついとったヤツが居らへんのはちょっと調子狂うけどな。
 って、何あたし慣らされとんねん。
 解放されて清々しとるわー! なんて言いたいところだけれど、私とアレイストの婚約者芝居は現在も継続中なので、ヘラリと薄笑いを返す。
「そんな事無いですよ。電話、毎日してます」 
 コレはホント。ストーカー並みのしつこさで毎日決まった時間に電話を掛けてきて、何か無かったか、何してたとか、お前は過保護の親父かとツッコミたくなる程の細かい尋問に加え、更にうすら寒い砂糖言葉を言ってくるのだ。
 電話でまでイチャこく芝居せんでもええと思うんやけどな?

 は! まさか盗聴されとるとか?
 そうか、そんでか。それやったらそう言やいいのに、知らんかったし、キモイんじゃとかアホかとかネジゆるんでんのとか吐くとか、さんざん言うてしもたやんか。
 ……ま、ええか。慣れとるやろし。

 自問自答の結果そう結論付けて、うむ、と頷く不審な私に気付くことなく、リーリィは似合わない憂鬱そうな溜め息を吐く。
 俯きがちに、視線を落として、ポツリと呟き。
「……いいなぁ、ミッキさんは愛されてて…」
 ぞわわ。寒い単語に背筋を震わせつつ、私はしょんぼりしている彼女を見た。
「どうかしましたか? 悩んでる」
 いつも可愛らしく微笑んでいた彼女の愁い顔を不思議に思いそう訊ねると、唇を噛んだリーリィは、キラキラした瞳を潤ませて私を見つめた。
「……ミッキさん……」
 吸い込まれそうな青い瞳は涙を湛えて。何かに耐えるように胸元で手を握り締めている。

 ……!
 こ、これは、愛の告白―――!?

 違うだろ、とアレイストの幻に頭をはたかれたタイミングで、もう一度リーリィが「ミッキさん!」と私の名前を呼んだ。
 決意を秘めた強さで。
 ぎゅっと手を握って、金の睫毛にけぶる瞳が上目遣いに見上げてくるから私の理性は崩壊寸前。
 な、ナデナデしたいーーー!
 待って、ダメよ、そりゃ私はおじ様の次に美味しいモノと可愛いモノが大好きだけど…!
 お嬢さんの気持ちには応えられないわっ。
 あたしがアホウな妄想に浸っているとは露知らず、意を決してリーリィは私に願った。
最も、その手のことに向かない相手に。
「お願い……、私に男の人の誘惑の仕方を教えて下さらないっ!?」

 ………へぃ?

 可愛らしい彼女からそんな言葉が出てくるのもビックリだけど、
 何故、
 よりによって、
 そんなことをこの私にご教授願うのか理解できず、しばし思考停止。
 彼氏いない暦十七年やっちゅーねん!
 コイといったら『鯉? あんまあたしの口には合わんな~、骨がチクて痛いねん、あと水っぽいしー。』なんてコイ違いの知識しかないというのに、
 何故に一足飛びに男の誘惑の仕方。
 固まって無言になった私に自分の勢いが恥ずかしくなったのか、彼女は私からそっと手を離して、今度は赤くなった自らの頬を押さえて恥じらう。
「ミッキさんはあのアレイスト様が片時も離したくないなんて思うくらいの女性なんですもの。きっと、ほら、あの、男の人を夢中にさせるコツとか、ご存知なんじゃないかなって……」
 いやものすっごい誤解ある、それ、誤解やああぁ!!
 あたしどんな魔性の女やねん! アレイストめえええ!
 あんたがいらん作戦考えるから、めっちゃ間違ったミツキ像が浸透しとるやないけ!
 こんな好みの美少女に、男殺し(そこまで言ってナイ)て思われとるなんて、悲しすぎるーーー!!
 と。んん……?
 リーリィがそんな事を言うってことは、夢中にさせたい男がいるということ?
「リーリィ、好きな人がいます?」
 直球にそう訊ねると、ぱっと頬を染めて、小さく頷く。
 なんちゅううらやましい男や! ていうか誘惑する必要なんかあらへん、そのでっかいおめめを潤ませて、さっきみたいにソイツを見つめたらイチコロやで!!
「私のお慕いしてる方、少しアレイスト様に似ているんです。だから、彼とお付き合いされているミッキさんに相談に乗っていただけたらなって、思って……」
 ほうほうナルホド。
 それなら少しわかるけど、アレイストに似てるってどっちの?
 猫かぶりエリート学生か、変態セクハラ王子か。
 ……どっちにしろ私がお役に立てるようなことはないと思うんやけど。
 しかしお上品な彼女の仲間である良家のお嬢さん方には、なかなかそういう話は出来ないんだろうなと理解し私はいいですよと安請け合いしてしまう。
 ぜんぜんふつうの友達も欲しかったし。
「相談、無理だけど、お話聞くくらいならできます」
「いいの、それで! ありがとう、ミッキさん」
 久々に、普通の会話しとるなあ……、と、ちょっとカンドーした。



 連れ立って図書館に行くと、司書さんと話しているロルフと目が合った。
 実はさっきまでしっかり護衛されとりました。
 いつの間に先回りしたんやろ。
 アレイストの、校内でも一人にするなという命令を忠実に守る彼は、時には友人面してピッタリと、時には隠密のように影から私を護衛している。
 アスタの手が空いとるときはアスタが。
 何とかならんのやろか。
 もうすぐ冬期休暇や言うても、二人に負担かけんのは本意やないし。(アレイストは大迷惑の親玉やから、どんだけ世話になっても気にせんけどな!)
 リーリィが一緒にいるからだろう、こちらを確認しただけで、側には来ない。始終ベッタリ張り付いて、他者を寄せ付けようとはしないアレイストとは違って、アスタやロルフはある程度私を自由にしてくれている。
 ヤツがいないうちに、少しでも新しい友人と仲良くなっておこうと私は俄然はりきった。

 帰ってきたら邪魔されるんは目に見えとるからな。
 かわゆいリーリィは片想いの相手のことを話したりして、つかの間私を普通の女子高生気分に浸らせてくれる。

「まあ、勉強のために童話を? それならわたくし、お薦めしたいお話がありましてよ」
 ミツキさんはどんな物をお読みになるのという問いかけに、現在文法と言語の習得に、子供向けの本を片っ端から読んでいると答えると、あくまでも上品なリーリィはどこかのボクちゃんのようにこのお子様めとバカにしたりせず、そんなことを言ってくれる。
「ご存じかしら、この国に昔から伝わるおとぎ話ですの。アレイスト様の花嫁となられるのなら、是非一度目を通されるとよろしいわ」
 リーリィは、こちらにありますのと微笑みながら、書架の奥へ私を促す。
 いや嫁にはなりませんよー、と無駄なツッコミを心の中でしつつ、そんな曰くのあるおとぎ話なんぞ今までうちの城の誰も教えてくれなかったぞと、ふと疑問に思った。

 最近、何故か勝手に私の教育係と自己任命しているような、知ったかぶりで小姑みたいなボクちゃんさえも。
 そんな話があるのなら、「このようなことも知らないのか!」なんて鬼の首を取ったみたいに、嬉々として事細かく聞いてないことまで教えてきそうなのに。


「むかしむかし――」

 私の手を引いて奥へ進みながら、歌うようにリーリィが言葉を紡ぎだす。

「――とある国に、ヒトより遥かに優れた一族が在りました――」

 鈴を振るような、涼やかな、心の内に響く声に私は引き込まれた。

「――彼らは命を支配する一族。
 命を操る一族。

 その一族の真なる王、
 一族の神たる王、
 ぬばたまの髪を持ち、
 夜明けの瞳を有す彼の王は、
 ある日一人の娘と出逢いました――」

 陽の光を阻むほど高く聳える書棚の奥へ奥へ、私はロルフさえ見失う場所へ誘い込まれたことに気付かない。

 小柄な友人の手が、私を闇の中へ誘う。

「――その出逢いは、
 永遠なる真の一族が黄昏たそがれる時代を告げる、
 幕開けとなったのです――」

 リーリィの語るおとぎ話の断片が、私の思考を止まらせていた。

 ――“一族”。
 ――“王”。
 ――“ぬばたまの髪、夜明けの瞳の王”――、

「――それは、人間の娘を愛した夜の王と、その王の命を奪い女神となった愚かな娘の物語――…」

 ――“女神”。

「……リーリィ…?」
 ブロンドが揺れて、こちらを振り返る瞳はアイスブルー。
 冴え冴えとしたその瞳の色と同じように表情さえ凍らせて、彼女は呟くように私を見据えた。

「――本当に、何故女神はお前など選んだのか……」

 白い、花のような手が私の胸を押す。
 背中が書棚の隙間の壁に当たった、と感じたのもつかの間、ぐるりと天地が逆さまになったように暗闇が私を包んだ。


「――ご苦労」


 密やかに耳に響く男の声と、身体を捕らえた腕に、私はまたも罠に嵌まったことを、悟った。

 
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