Open Sesame

深月織

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Ⅱ.記憶の迷夢

-7.私と異世界

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「はい、結構です――。私がお教えできるのはここまでになりますね」
「ありがとう存じます、先生」
 己の最大限のカワイコぶりっ子の皮を被って、はにかみながら礼儀作法教師の夫人にちょこんと膝を曲げ礼する。
 嫌だわディレイさんてば。いくらハスミが可愛らしいからってそんな腹心の部下に裏切られたときのような愕然とした顔なさらなくてもよろしいのに。
 眉間のシワ。癖になりますことよ?
「まだ物慣れないところはございますけれど、お嬢様の年齢から見れば、この調子で経験を積めば馴染んでこられるかと。とても素直で良い生徒でいらっしゃいましたわ、閣下」
 突貫での令嬢教育とやらにひとまずのオッケーをいただけたハスミは、淑やかに控えながらニコニコと先生とここでの保護者である宰相閣下の会話を見守る。先生が退出されるまで、試験の場は続いています。

 ディレイさんに、たぶんそれなりの立場でいらっしゃるご年配の貴族夫人を、教育係として引き合わされたのが、私が目を覚まして二週間ほど経ったころ。
 それまでもダリアさんからいろいろと教わってはいたし、何度かリンドウさんちにお邪魔してダリアさんから令嬢教育をうけるっていう案も話し合われていたそうなんだけど、なんかよくわかんない安全の面やらハスミの健康状態やらが結局問題で、すぐに対処できてこの国で最強の立場でいらっしゃるディレイさんの側にいるのがやっぱり一番だろうと結論が着けられていた。
 ハスミのー、知らないところで―、ハスミのー、ことをー、決めないでくださいー。
 って思ったけど、まあ仕方ないよね。ハスミ異世界人でこの世界の右も左もわかんないし、ディレイさんと離れたら会話自体が危ういし! 鋭意学習中だけど。
 っていうか、遠縁の娘を保護することになったが、今まで鄙びた処にいて、王宮での立ち居振る舞いがなっていないから、教育してくれ――なんて無茶なお願いをよく引き受けていただけたものだ。
 王族でいらっしゃるディレイさんの遠縁で無教育な田舎娘ってどんな設定なの? 無理が過ぎなくない?
 私としてはこれまでのお話で、ここが一国の王城とやらでディレイさんが宰相とかいう大臣……首相? 大統領? のようなお仕事に就いていることは聞かされていたから、なんにも知らないハスミが立ち入り禁止区域を無作法にうっかりうろちょろするとまずいこともあるだろうし、まあ教育は当然かな、と思って頷いたわけだけど。
 ハスミが面倒で厄介者だっていう自覚はあるのよ。
 なるべく保護してくださったみなさまの邪魔にならないように、心がけるのは必要だと思ってるのよ、これでも。
 朝、ディレイさんとリンドウ夫妻とたまにマシアスさんと一緒にご飯を食べて、お仕事に行かれる男衆を見送って、ダリアさんと一般常識と文字のお勉強。
 昼にちょっと重い目の食事を頂いて、再びダリアさんとお勉強と、先生による令嬢教育。
 体力作りにディレイさんの居住区域のお庭でお散歩もする。お散歩はだいたいマシアスさんが来てくれるかな。お仕事いいのかなぁ、って訊いたら、息抜きになるからつき合わせてって言われた。サボ……ってるとか思ってないよ、うん。
 夜のお食事は軽い目で、お仕事から一時戻ってきたディレイさんと取って、一日のご報告して解散。私は日記つけて、就寝、ディレイさんは再びお仕事。社畜かなー。知らない間に帰ってこられているので、朝起きるとびっくりする。
 そろそろハスミの感覚で一ヶ月くらい、こんな生活をしてる。
 ちなみに一般常識は異世界のお貴族様の一般常識でハスミは頭がツッコミの嵐になって大変でした。
 私の世界のことでも知ってることなんてただが知れてるけど、なんかこう、すべてが違いますよね。そりゃそうですよね、異世界。
 科学がないよ魔術があるよ! 魔術? 魔術????? ってなるよね。
 と、思えばなんとなく同じかなーって感じるものもあって。
 あ、食べ物だよ食べ物! 姿かたちが人種の違いはあれど、一つの頭に首胴体、二本の腕に脚、指は各十本っていう人類で同じものなんだから食物もそんなに違わないのは幸いでしたね異世界! ごはんだいじ!
 ーーーちゃんが読んでたSFの宇宙人さんたちみたいに、構成してるもの自体違ったらハスミ詰んでたわ。
 ……誰、だっけ?



「えっ、ハスミちゃんあのおっそろしいと評判のシトレグレーネ夫人の教育終わったの? ホントに?」
「免許皆伝ですよー」
 夕食に顔を覗かせたマシアスさんが、本日のハスミの修業成果を聞いて、この世の終わりかという表情で「ホントに? ホントに???」と何度もディレイさんに確認を取る。
 あっ、鬱陶しいって叩かれた。
「先生、厳しいけど良い方でしたよ。ハスミがぜんぜん無知の子だったからかも知れませんけど、三回目までは同じこと訊いても叱られませんでしたし」
 先生に教わった通りの所作で、お茶を淹れてお客様マシアスさんにお出しする。
 ひぇ~とか言わないでくださる?
 指先とか角度とか表情とか神経めちゃくちゃ使うけど、けっこうこういうの演技してるみたいで楽しいよね!
 ディレイさんは令嬢教育最終試験のあとからずっと死んだ目だ。しっつれいしちゃう。
「……稀に見る上機嫌だったな。急ぎの教育だったから、詰め込むだけは詰め込めたが困ったことがあったらいつでも声をかけてくれ、と」
「何してそんなに気に入られちゃったのハスミちゃん……」
「特に何もしてませんよう。しいて言えば、ハスミ、猫かぶりは得意です」
「ハッキリ言うな」
 んー。ハスミがちゃんとお話を聞く良い子だったからじゃありませんかね?
 教育の合間の雑談で、先生が教育されたお嬢様方は身分も高ければ気位も高くいらっしゃって、それはそれでいいのだけれど、学ぶときまでそのプライドの高さを発揮されるから、なかなか教えを飲み込んでいただけなかったとかなんとか。
 あと、ハスミすごく小さい子として見られていたような気がする。だから合格ラインも低かったんじゃないかなぁ。
 まあ長々と窮屈な礼儀作法のお勉強するのは私も避けたいところだったので、見目は有効活用させていただきましたけれども。
 先生、お歳は召していても若い頃はさぞかしお美しかったんだろうなあ、という容姿でいらっしゃったし、教えを請うハスミとしても勉強にも身が入りますよね! しょせん付け焼き刃ですけど頑張りました。
 ステキー、もっとー、って萌え萌えしていたのが素直で良い子の正体などとは先生には秘密にしていただきたい。わかってますか? 頭の中を覗き見していらっしゃるそこの魔王様に言ってるんですよ?
「あっ、そうだディレイさん、ダリアさんも交えてお茶会するお約束もしたので場所貸してくださいねー」
「怖い」
 マシアスさんは先生にトラウマでもあるのかな?
「……まあ、ボロは出なかったようで何よりだ」
「ディレイさんが連れていらしたんでしょう。ハスミだってそれなりに考えてますよ」
 先生が来るまでにダリアさんから大まかにこの世界のことを聞いていたから、なんとか取り繕えたという部分はある。
 彼ら以外の、ハスミが異世界人と知らない人から見て、自分がどう判断されるのかも知りたかった。
 ただの物知らずな子供だという見解のようでしたね、安心ですね。
 あとね、ハスミ、ディレイさんたち以外に後ろ盾がありませんから、味方になって貰える人はなるべく増やしておきたいなって思ってるの。
 記憶はなくとも、自分が由緒正しい名家の育ちでも、特別なナニカを持っているわけでもない、ふっつうの小娘だって確信があるし。
 庶民です。ディレイさんたちからすると村娘くらいかな。役に立たないな!
 何故かとても良くしてもらってるけど、本来なら見捨てられていてもおかしくないって知ってる。
 大怪我して転がってる不審人物なんて、そのまま見殺しにするのが普通だよね、彼らの立場としては。
 それを保護してくれて、衣食住の面倒見てもらって、記憶喪失の異世界人なものだからここでやっていけるように教育までしてくれるの、なにかな慈善事業かな?
 どうして面倒見てもらえるのか理由を訊いて、藪蛇だったらヤなのであえて訊いてはいない。
 筒抜けだしディレイさんは私がこう思ってるのも理解の上なんだろう。
 無言の受容に、甘えさせてもらっているのだ。
 だから、自分にできることはぜんぶやる。
 彼らが高位の身であるならばあるほど、その彼らの庇護を受けることは安全でもあり、危険でもある。
 私にあるのは記憶がないというハンデを抱えたこの身一つ。
 知識を、武器を増やさなきゃ。
 小賢しいな、なんて悪者な笑みを浮かべたディレイさんが満足そうなので、私の目論見はそう間違ってない。
 
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