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Ⅱ.記憶の迷夢
-6.その日(三)
しおりを挟む床を蹴り走り出す。
金切り声にリンドウの宥める声が重なるが、心を乱している娘には聞こえないらしい。誰かを必死で呼んで、泣き叫んでいる。
扉を叩き開けて飛び込んできた上司の姿に、暴れる娘を押さえていたリンドウが安堵の表情になった。
「目が覚めた途端にです」
「ああ」
一先ず安静の呪を与えようと近づいた彼の手を、娘が叩き払った。かと思えば、ハッとしたように動きを止め、じっと一点を見つめる。次の瞬間、逆に腕を伸ばし小さな手が掴んだのは、彼の髪だった。
自意識がない動作は遠慮がなく、髪を引く強さに顔をしかめた彼に構わず、娘はそのまま擦り寄ってきた。甘え、何事か訴えるように呟く言葉は意味をなさない。
いや、娘の出自を考えれば当然のことで、言語が通じないのだ。
いとけない幼子めいた振る舞いに、眉を寄せながらも落ち着いたのならばと彼はそのままにさせておく。
痛みも何もなくなっているのだろうか。子細かまわず暴れたせいで、応急措置として止めておいた傷が開いていた。せっかくの手当てが台無しだ。
滲んだ血色に解析をかけて、得た情報と照らし合わせる。
これがそこらの兵であれば、持ち前の体力に任すことにして術で治癒能力を底上げするのだが、娘に関しては何がどう作用するかわからない。
一点一点確認しながら構成を頭の中で書いていく。腕の包帯を解き、一直線に走った傷へ、試しに術を流してみた。
くすぐったいのか、身をよじる娘を膝に抱き抱え直すと、おとなしく体を預けてくる。
赤い傷口から黄褐色の液体がじわりと滴る。軽く拭うと、時間を早回ししたように新しい皮膚が生まれ、肌にはうっすらと薔薇色の痕が残った。
術に対する反発はなく、ただ傷に触れられるのが嫌なのかむずかる幼子をあやすように、背を叩きながら目につく怪我を癒していく。頬や額に触れたときは、傷が残らぬようにと精密にも精密を心がけて、柄にもなく緊張した。
せめて肌に残る損なった痕くらい、なかったことにしてやりたい。そんな思いも、ただの自己満足だとわかっていた。
活性化を促したせいもあり、熱の上がった娘をもう一度寝台に寝かせる。
寝かしつけられ素直に従うその態度に、眉を下げたリンドウが引っ掛かれた手をさすりながら首を傾げた。
「……どういうわけでなつかれているんですか?」
「知らん」
答えたものの、もしや、という予想はついていた。
眠ったにもかかわらず、娘は彼の髪を握りしめたままだ。
亡くなっていた女性の方、娘の母親の髪は、転移の衝撃か切り飛んでいた部分が多かったが、基本は長かったらしく、黒の色が強かった。
性別も体格も声も何もかも違うというのに、彼の、この国の中でも珍しい黒髪が、混乱した娘の唯一頼れるものなのか。
目を閉じて再び眠り始めた娘の顔を覗き込む。
「弟君より二つ三つ年若でしょうかね?」
「そんなものか。言葉が通じんのは厄介だな……」
娘がこの調子では、状況を理解させるどころか、彼女自身のことを尋ねるのも難しい。長期戦を覚悟して面倒を見るしかないとは思うものの――いつまでも存在を隠し通せないだろう。
ファミールのこともあり、欲を持った魔術士が妙な気を起こさねばよいが。
考え込んだ彼にリンドウが声をかける。
「貴方の術がもとになっているとはいえ、盗み出して、精緻を無視して行使した責は死んだ者たちにあります。確かにこの娘は気の毒ですが、そうまでして閣下が保護をしなければならないものですか?」
宰相自ら気を配って、ただでさえ敵の多い彼が弱味を作る必要があるのか、と。
いっそのこと、事情も何も知らぬ相手に預け、任せた方が目にもつかないのではないか。
「矜持の問題だ」
忙しさを言い訳に、術を完成させることなく放り出した。あげく管理を怠り、誇りのない者共に利用され中途半端な結果を招き、何の関係もない者を死に至らしめ傷を負わせたどころか、娘にとっては未知の世界に身一つで引きずり込んだのだ。
行ったのは自分ではないかもしれないが、突き詰めての原因は、己にあると思っている。
魔術など関係のない世界で平穏に暮らしていただろう家族を無惨に引き裂き、もとに還すこともできない。
自らの身も命も顧みずただ娘を守ろうとした――そして、守りきったあの二人に敬意を表しての厚遇とも言える。
この世界で、この国で、戦で人が死ぬならば割り切れることが、今回に限りはできなかった。
あるいは、自分が術を完成させていれば、こうはならなかったという自負と悔恨が、娘に対する保護を彼に選ばせた。
「俺個人のこだわりで、お前たちを巻き込むのは悪いと思っているが」
珍しい彼の殊勝な言葉にリンドウが頬をゆるめる。
「マシアスならば、水くさいことをって拗ねますよ。――早く、落ち着くといいですね」
「……そうだな」
眠る娘を眺めながらの彼らの願いは、だが、長くの間叶わなかった。
一か月が過ぎても娘の正気は戻らず、夢うつつの覚醒を繰り返し、時には狂乱して自身を傷つける。
どうにか術を練り意思疎通を図れるようにはしたが、そもそも娘の正気が戻らぬことにはあまり役に立たない。
かろうじて、食べろ、眠れ、というこちらの意思を伝えるだけだ。
混乱した娘の心は、ただひたすらそばにいない父と母を呼んでいる。
まだ心の整理がつかないのか、果たしてつくことはあるのか。そうなれば彼の元で匿うよりも健やかに過ごせる場所を用意したほうが良いのか。
自責の念で己が面倒を見ると決めたが、それもまた娘に取っては偽善で、迷惑なことかもしれない。
だが、想定よりも早く娘の存在が魔術士たち――ウトゥドルの同類に知られたために、手放すこともためらわれた。こちらを探る動きに、魔術士相手となれば対抗できるのが彼しかいない。
悩む彼に、とうとう素性の知れない娘の噂について、魔術省からの問い合わせが届く。
どうすることが娘にとって一番良い方法なのか――
覚悟を決めていたはずなのに、今さら迷うかと自分を笑った。
「……なんだ?」
窓も開いていないに関わらず寝室の窓掛カーテンが揺らめいた。いつと思う間もなく存在した、寝台に向かって佇む影に気づいて、彼は息を呑む。
陽炎のような二つの人影が、眠る娘の顔を覗き込んでいる。
誰か。何者か。『何』か。
はっきりとはわからない影の手が伸び、娘の頭を撫ぜる。額を、頬を。いまにも消えそうな彼らの姿に、彼は直観で悟った。迷いを振り切る。
「――必ず。あなた方の娘は、私が守る」
できもしないことを約束するなど彼の主義ではなかった。だからこそ、言葉にして告げた。
必ず、と。己を縛める。
そうして、ゆらゆらと影は彼に頭を下げる仕草を取り――消えた。
ドッと汗が背中を流れ落ちる。
暗闇の中、彼の耳に、静かな娘の寝息が届いた。
寝室に掛けていた術が反応したことに気づき、彼は書面から目を上げた。
あの娘が目覚めるのは大抵夜だが――珍しい。そう考えている時間も惜しく、席を立った。
隣室に控えていた彼の部下が、執務室から出た上司に気づいて問い掛ける視線を向ける。彼がそのまま待機、の一瞥を与えると再び各々の仕事に戻った。
さして急ぐ懸案がないことが救いか。多少娘に時間を取られても、執務に支障を来すことはないだろう――執務室から一棟しか離れていない彼の居室まで、数えるほどの時間も立たない。
しかしあの娘を一秒でも一人にさせていることに、自分でも意外なほど焦燥を覚えた。
角を曲がったところで、知った声に呼び止められる。が、足は止めず、少しだけ歩調を緩めて追い付くのを待った。すぐに二人の青年が彼に並んだ。
「どうなさったんですか、急がれて」
「娘が目覚めたらしいのでな」
「ああ――あいかわらず?」
事情を知る二人に隠す必要はない。頷いて、途中自分しか入れないようにしていた結界を作り替えながら扉へ向かう。
「ディレイ。許可をいただけるなら、事情を明らかにして、妻にその娘の世話を手伝わせたいと思うのですが」
「……そうだな。女手もさすがに必要か……」
ディルクたちには裏で警護を任せていたが、表立って動ける者も必要かと彼は申し出に頷いた。
誰かを巻き込まねばならないなら、リンドウの妻は最適だった。
こちらの敵にはならないと確信でき、夫の意を汲み事情を知っても利己に走らない、母性も気も強い女だ。
娘の窮状を知れば、おおいに心を痛めて手厚く保護するだろう。
「やはりローダリアを借りた方がよいか」
夜ならまだしも、この様に日があるうちから目覚めることが続くなら、彼一人では世話をしきれないとの判断からそう発言する。
件の彼女の夫は頷いた。
「うちのは喜んで世話をすると思いますよ」
「でも、それって妙なウワサ立ったりしないー? 周囲はあの娘がいることを知らないから、姐さんが閣下のところに通ってるみたいに見えるよ?」
考えもしなかった、だがもっともな年下の青年の言葉に二人は固まった。
彼と彼女と彼女の夫の関係を知るものならば有り得ない疑惑も、王宮でなら有ることにされてしまう――それを思って、彼はゲンナリした声を出す。
「誤解でもかなわんな。いっそのことリンドウごと、しばらくこっちに部屋を用意するか」
「私は構いませんが」
「俺は俺はー?」
仲間外れイヤー、などと幼年舎の子どもの様なことを言う弟分を彼は小突いた。
そうこうして辿り着いた自室。おそらく開けた瞬間に飛び込んでくるだろう悲鳴を覚悟して、手をかける。
――オトウサン。
――オカアサン。
身を切られるような、娘の絶望の叫びを受け止めるべく――
扉を開けた。
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