Open Sesame

深月織

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Ⅰ.宰相閣下と彼の侍女

11.アカの記憶

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「可愛らしげに振る舞って、害のないふりをして―――お前はあの方の為にならないわ」
 そうですね、と私は密かに頷く。
 言われなくとも、それはハスミがいちばん承知していることだ。
 得体の知れない異世界人を保護下に置き、行動範囲を定め監視しているとはいえ、私の自由な言動を妨げようとはなさらない、閣下は本当にお馬鹿さんだと思う。
 そして羽純がそんな閣下に甘えていることも、自覚している。
「お前が側にいてあの方の益になることなど何一つない。今のうちに消えなさい」
 傲然と宣告する様は、ある種すばらしいまでの高慢さ。これも正しい貴族の姫君の姿なんだろう。
 でも、だ。
 羽純はいわば閣下の雇われで、飼い猫なのだ。彼の許可なくどこかにトンズラするなどしたら、見つかったときどんなお仕置きをされるか……ぶるぶる。
「申し訳ありませんが、出来かねます。わたくしはディレイ様に従うものでありますれば、他の方の進言を酌むと叱られてしまいます」
 先ほどのアイーシャ様の所作しょさを思い浮かべて、しっとり微笑む。なるべくおしとやかに、お嬢様っぽく、突っ込まれる原因を作らないようにしたつもり。
 ――それが余裕に見えたのか、すっとオネエサマの目が苛立たしげに眇められた。
「―――、」
 ざわりと空気が揺らぐ。いままで恐々こちらを窺っていた周囲の方々の狼狽する気配。私は髪を伝って流れ落ちてくる液体に眉をしかめた。
 頭のてっぺんから引っ掛けられた果実水ジュースが流れ落ち、薄紅の衣を渋い赤に染めていく。
 その色に既視感を覚えて――ずきりとこめかみを刺した痛みを誤魔化すために頭を振る。
 クスクスと侮蔑の忍び笑いを聞きながら、私は濡れて額に貼りつく髪をかきあげた。心底呆れた、という思いを隠さず、目の前の女たちを見やった。
「まあ、頭から果実水を頂こうとするなんて、よほど飢えていらしたのね。おかわいそうに」
「身の程に合わぬ慣れない場所で、緊張されてたのよねえ?」
「似合わないドレスも、ようやくこれで馴染んだんじゃありませんこと」
 私に果汁浴びをさせてくださったルティアンナ様に追従して、錦鯉のフンがさざめき笑う。
 染まってしまった白の長手袋を腕から抜きつつ、羽純も嘲笑わらった。
「アッタマわいてんじゃねーの、クソババア」
 ハタチもとうに超えた大人のやることかよ、と私は呆れとともに言い放つ。
 低脳。幼稚。ていうか食べ物を粗末にするなっつーの。
 羽純の乱暴な言葉にオネエサマ方の笑みが凍りついた。構わず続ける。
「おキレイな化粧でそのシミシワ隠せても根性の汚さは隠せないんデスネー。オバサンの嫉妬、ミグルシイの。ディレイもこんなオニババばかりじゃ、そりゃ若い羽純に走るわけだわー」
 そういいながらきゃらきゃら高い笑い声をあげたら、頬をひっぱたかれた。再びざわめく周囲。
 オネエサマたち、ケンカもしたことないのですか。理由がどうであれ、先に手を上げたほうが負けでしてよ。
「図に乗るのも大概になさい! お前ごときどうにでも出来るのよ!」
「まあこわい。どうにかなさるのは構いませんけれど、そのときはそちらもそれ相応の報いがあると覚悟なさってくださいませね」
「侍女上がりが何を――」
「オネエサマ方、そろそろ冷静になった方がよろしいですよ。ご身分がどうであれ、よってたかって年下の娘にこのような振る舞いをなさって、傍から見たらどう見えるかなんて、おわかりになるでしょう?」
 羽純の言葉にはっと我に返ったオネエサマ方は、自分たちが周囲の人たちに眉をひそめて見られていることにようやく気付く。普段は影でこそこそ陰湿なイヤガラセをしていたのに、今回は油断しましたね。
 ――しかしさすがの侯爵令嬢、一瞬で立ち直り、こちらを窺う人々にキツイ一瞥を投げて全員の目を逸らさせた。忌々しげなため息を吐くと、最後にもう一度私を睨みつけ、オネエサマ方はドレスの裾を翻して退場された。
「覚えておおき」なんて捨てゼリフ、お約束すぎて思わず萌えてしまいそうになったではありませんか。
 立場上、手を出すに出せず、おろおろしていた給仕さんからナプキンを拝借して、気遣う声ににっこり笑って閣下への伝言をお願いする。
 そうして、庭へ出た。


 果汁で汚れた部分にナプキンを押し当て、水分を吸い取る。せっかくの桜色が台無しだ。
 こんな古典的なイヤガラセするなんて独創性がないっていうか、どこの世界も女は一緒っていうか。
 長手袋もすっかり別の色に染まってしまったので、もうこれは思い切って廃棄処分にすることにして、それならと雑巾扱いすることにした。丸めてドレスの染みを叩く。
 オネエサマ方にはああ言ったものの、こんなナリでフロアに戻るわけにもいかない。
 ただでさえ羽純は注目の的、多数の人に何事かあったことがわかると、大事になりかねない。
 わかってやってるのかそれともオヒメサマすぎてわからないのか。
 私は閣下の庇護下にある者だ。
 本来の羽純の身分がどうであれ、こうして夜会にも出席して、お貴族様の名前も頭に乗っけられた。あちらは生粋の侯爵令嬢、片やこちらは同じ侯爵といえど、表からは退かれている方の、しかも養女。
 通常ならばあちらのほうが地位は高い。
 だけど私の後ろについてるのは、王族で国王代理の現宰相閣下。
 閣下の七光りがある私に無礼を働いたとして、マズイことになるとは思ったり、しないんだろうか? 羽純、どう考えても泣き寝入りするタイプじゃないのに。
 もちろんこのことは閣下にご報告させて頂きます。
 だって閣下のお金が使われているワケですし、この装い。羽純が汚したんじゃありません! ということはハッキリさせておかなくては。
 それを聞いて、閣下がどうされるかは、私、存じませんけども。
 服に付いた染みはこすってはいけません。叩くようにして染みを薄くしながら、建物に面した庭を歩く。
 普段羽純は、閣下の住居とお仕事場である東の離宮のみを活動場所にしているけれど、本宮との位置関係がわからない、というほど引きこもっているわけでもない。大体の道筋はわかるので、庭先から離宮に戻ろうと思ったのだ。
 今日は夜会があるために、庭の魔術灯もひときわ明るい。迷うことはないし、本当の意味で一人戻るわけじゃないし。
 道々、灯りの届かない繁みからガサゴソ「はあはあ奥様」「ああんだめえぇ」な、いやんばかん的な声が聞こえてきたりもするけれど、そこは見ざる聞かざるスルーするのがお約束。
 ああ、羽純ったらスレちゃったものよ。誰のせいとは言わないけれど。一人しかいないけれど。
 部屋に戻ったら。このキュークツなドレスとコルセットすぐさま脱いで、お風呂に入ろう。それで閣下が戻ってきたら、今夜のこと、いろいろ文句言ってやるんだ。
 ルティアンナ様の言葉がふと蘇る。
 益になるとかならないとか。閣下はそんなことを私に望んではいない。
 だけど時折、何故、と聞きたくもなる。

  ――羽純をお傍に置くのは何故ですか。
  ――羽純を抱くのは何故ですか。
  いつか要らなくなるものに、優しく触れるのは何故ですか―――

 手袋を外した手に輝くリングを見つめる。
 閣下は、どうして、
 離宮が見えて、思考を中断した。
 音楽はすでに遠く、喧騒から離れた私は夜の風と空気に包まれながら、ようやく肩の力を抜いた。
 と、そのとき人の気配を背後に感じてパッと振り返って――その誰かの姿を目にする前に、どこから現れたのやら黒装束の背中が私の視界を遮った。
「お下がり下さい」
 その手に刃物を構えた男の人は、一度紹介してもらったことのある閣下の裏の部下さんだ。羽純の護衛、監視役。お名前は教えていただけていないので、影さんとこっそり呼んでいたりする。
 そして対面にいたのは、片手に何か棒のような物を持った――
「ファミールさま?」
 魔術師の長衣に身を包んだ顔見知りの女性が、静かな眼差しでそこに佇んでいた。ハスミ様、と身を隠すことを促す影さんの緊張した声に、私は瞬く。
 彼が油断なく見据えているのはファミール様。王宮魔術士のお一人、上位の方だ。
 以前、彼女と閣下がオトナのお付き合いをされていたことは知っているし、だけどさっきのオネエサマ方とは違い、羽純にイヤガラセなどなさる方ではないこともわかっている。なのに、何故そんな緊張した顔をするのか。
 大丈夫ですよ、と、言おうとすると。
 ファミール様が、片手をまっすぐこちらに向けられた。
 棒のようなもの、に見えたのは、白い花を咲かせた木の枝で――それは、こちらにはないはずの、懐かしい、花、で、――ズキリと頭が痛む。
「――紫位の君ロゥア・シスも過保護なことだ。情に目が眩み真実の探求を放棄なさるとは」
 ハラリ、白い花弁が落ちる。
「なあハスミ。――私は知りたいだけさ。お前がどこから来たのか、そこはどのような地か、どのようなことわりが成す世界なのか―――」
「門を開くことは閣下が禁じられた」
 彼女の、宙に浮遊する、どこか歪んだ声を、影さんが切り捨てた。
 二人の話している内容は、私にとても関係のあることのはずなのに、頭の中に入ってこない。
 閣下が何。
 何を禁じたの。
 ファミール様はどうして、どこで、その花を、
「ああ、あの独裁者! 三十人の犠牲を出したことを理由に術を封印しやがった。宰相なんぞに着きやがったせいか、すっかり守りに入ってつまらない男になり下がって! 死んだ奴らのためにも真理を追究することが本当だろう!?」
「真理狂いの狂信者め」
 苦々しげに吐き捨てる影さんが、そうしてファミール様と言葉を交わしながら、羽純に逃げる時間を与えてくれているのはわかった。
 ――わかった、けれど、足がその場に縫いとめられたように動かない。
 ファミール様がわずかに動くたびに舞い落ちる、薄紅の花弁から目が離せず、ただじっと見ていた。

 ―――その、桜の花枝を。

 わたしの凝視に気付いたのか、ファミール様がふっと目を細めて、片手を上げた。
「さあハスミ。思い出そうじゃないか。知らずともお前の魂には刻まれている。お前の理を――私にお見せ」
 まるで祭司のように――ファミール様が、桜の枝を振った。
 ぐらり、と世界が揺らぐ。
「ハスミ様!」
 慌てたような影さんの声が、遠い。
 眩暈。桜の花の乱舞が私を襲う。桜吹雪が、目の前に蘇る。


   さくら。

   ――――桜。



 春から通う高校の通学路、その両端には桜並木があった。
 満開の時期にその下を歩くと、まるで桜の雲の中を歩いているみたいなのだ。なんて私がうきうきしてると、お兄ちゃんは「夏は毛虫の住処になって死にそうな目にあうんだけどね」と興ざめなことを言う。
 制服は襟がスクエアになったセーラー服。シンプルだけど可愛くて、着る日を楽しみにしてた。
 入学式の日は何かに祝福されているような晴天で、桜はくっきり空に白く、重たげに花枝を揺らしていた。
 跳ねるように前を行く私を、お父さんとお母さんが笑いながら呼ぶ。
 娘の入学式ために有休取っちゃうなんてどんな親バカなの、ってお父さんに照れまじりの憎まれ口を叩くと、お母さんにデコピンを喰らった。両親二人に付き添われて入学式なんて、恥ずかしい。でも嬉しい。お兄ちゃんまで来ようとしてて、それは断固拒否した。バイトに行け。

 風が吹いた。突然の桜吹雪に目の前がふさがれた。

 お父さんが私を呼ぶ。お母さんが叫ぶ。
 あついものが、頬を流れた。
 ポカンとした視界に赤いもの。また、今度は足に熱い線が走った。――切り裂かれて流れる、赤。
 
  「 羽純!! 」

 風が、巻くように周囲に吹き荒れて、桜の枝が切り折れて落ちる。花びらが流れ散り飛ぶ。
 ぶつかるように、お父さんとお母さんが、私を抱きしめた。
 包み込むように。
 風の刃の脅威から、私を守ろうとしたのか。
 お父さんとお母さんの悲鳴。
 私の身体を濡らす熱い水。
 それでも、お父さんとお母さんは、私を強く抱きこみ間に挟んで離さなかった。

 ―――あかに、そまる。


  オ ト ウ サ ン ト  オ カ ア サ ン ガ 

  ズ タ ズ タ ニ  ナ ル 。


 せかいがひびいてひびわれて、ゆらぐ。

 目の前に赤が緋が紅が朱が丹が
 たくさんのアカが―――その場を満たした。
 弾けとぶ人々。 
 見開いた眼で、私は確かにそれを見ていたのだ。

 乱れ散る桜嵐の中。


「―――――――ッあああああああああ!!!」


 
 頭を抱えて絶叫した。



 あの日。

 私はこの世界に現出し、

 両親は、肉の塊になった。

 
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