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Ⅰ.宰相閣下と彼の侍女
9.閣下と私とお姫様
しおりを挟む「ラッシュローズ卿にローダリアどの以外にも、こんなに可愛らしい姫君がいらっしゃったとは」
「遠縁の娘ですのよ。事故で身内を亡くしまして、父が引き取ったんですの。私も実の妹のように可愛がっておりますもので、こうして皆様にご紹介できてとても嬉しいですわ」
お偉いさんの突撃により羽純と閣下に少し距離が出来た隙に、何故か津波のように押し寄せてきた殿方の群れを、ダリアさんが押し止めてくれていた。羽純はその横でニコニコと愛想よく微笑む。
本人の知らぬ間に勝手に羽純を養女に出して下さっていた閣下は、事前にリンドウさんたちには説明をしていたらしい。
ダリアさんが滑らかに吹くホラを聞いて、当の羽純は、ほうナルホドそんな設定になっているのですかと顔には出さずに頷いた。
まったくもう閣下ってば事後承諾もいいとこです! お仕置きしてやります! 明日のご飯はテラッド責めですから!
まとめるとこういうことですね。
羽純はダリアさんの親戚。行儀見習いという名目で、閣下のもとにいる――。なんてこちらに都合のよいつじつま合わせ。無茶もよいとこですけど、それを通しちゃうところで閣下のワンマンさ加減がわかろうというもの。大丈夫なんでしょうか、無駄な権力使っちゃって。
自分の隣でヘラヘラ笑っていればいい、と言いやがった……いえ失礼、仰られた閣下といえば、囲まれてもあまり嬉しくはないだろうオジサンたちと面倒くさそうな顔で会話をされていた。
一応は、目の届く範囲にいるので私のことは放置らしいですよ。時折ビシリッと突き刺さるような視線をこちらに送っていらっしゃる。
ダイジョウブですよ~、ほぅら猫! 羽純、バッチシどでかい猫かぶってますよ~! 悪さしないか気になるんだったら、そもそも最初から羽純を連れてこなきゃいいのに閣下のお馬鹿さん、ほほほ。
と、そんな私と閣下との視線での攻防に気付いた方が、ずぃと身を乗り出される。
一般的な日本人である羽純はこちらの方々よりも頭二つは小さいので、近寄られるとものスッゴい圧迫を感じますからあと一歩離れてくれないかしらー。ええと、たしか、スウェルズ候のご子息でしたっけ? 一度妹君にすれ違いざま「侍女風情が!」なんて捨て台詞吐かれちゃったことございますわあ。あれはなかなかトキメいた出来事でございました。
若君は薄っぺらい笑顔を私に向けて、皆様が聞きたくてウズウズしてらした事柄を、ズバリ口にされた。
「――失礼ながら、姫君はリーグレン閣下とは、どのようなご関係で?」
雇い主でセフレですー、などとこの場で言うわけにはいかないことは、いくら羽純にだってわかる。
ダリアさんを見習って、有無を言わさぬ完璧な営業スマイルを唇に張り付けた。
「とても良くしていただいております。――それ以上のことは、ディレイ様よりお話がございますまで、ご容赦くださいませ」
かわいこぶって首を傾げ、ウフッと笑う。頭の中身カラッポ的なお嬢様ぽく。ハスミムツカシイコトワカンナーイ。閣下に丸投げだもん。せいぜい言い訳に苦労するがいいんですよ。
こっそりダリアさんが親指を立ててサインを送ってくれましたが、“それでよし!”ですか。丸投げオッケーですか?
わずかにザワリと狼狽の気配を漂わせた皆様が、次の言葉を発する前に、絶対零度の声が私を読んだ。
「ハスミ」
ささーっと目の前が開く。
うおお、スゲエ。鶴の一声? 違う、モーセの十戒だったっけ、海が割れるやつ。あんな感じ?
その先には手をこちらに差し伸べられた閣下。当然のごとく私がその手を取ると、クルリと腰を抱かれる。
「他にも挨拶せねばならぬ方がいるので、失礼する」
閣下がそう言うと、再び進行方向先の人波が割れた。羽純からは見えなかったけれど、声の調子からして、ひんやりした笑顔なんだよきっと。なんだか一気に皆様硬直されたもの。
羽純のフォロー役から解放されて、リンドウさんに寄り添ったダリアさんがニヤニヤしてるのにちいさく手を振って。閣下に引きずられるように羽純はその場を後にした。
「アレですねー、皆様意外と侍女ハスミに気が付いていらっしゃらない感じ?」
「まあ、お前はあまり表に出さんようにしているし、この場に居る大概の奴等は一々下の者の顔までじっくり見とらんだろうよ」
驚愕や好奇心の瞳は向けられたものの、侮蔑や侮りはあまり感じなかったことに羽純が首を傾げると、閣下がそう頷く。
「――気付いている者は、お前の後見人と揉めたくなくてなにも言わんだろうしな」
だからラッシュローズぱぱ、一体どんな方なのですか……。
ああ、そういや上の方々と回廊や館ですれ違うときも、こちらはひたすら頭を下げてますし、意外とわからないものかもしれません。気合い入れて損した。わかってたなら言ってくださいよ閣下。
しかしお嬢様がたは女の勘か、絶対に気付いていらっしゃるんじゃないかと思う。突き刺さる厳しい視線。それとも単に閣下のパートナーが気に入らないとか? どちらにせよひと騒ぎあるかしら、わくわく。
フロアを通る間も頭を下げてくる人々におうように頷きつつ、閣下は進む。バルコニーのある所まで来ると、見たことのある近衛のお兄さんが閣下に会釈する。あ、マシアスさんの隊のひとだ。
「お待ちです」
「ああ、ご苦労。そのまま待機、他は近付けるな」
お待ち? って誰が――
閣下の手に運ばれるままバルコニーに踏み出した羽純は、瞬間、広がった眩しさに目を瞬いた。
「……何をしとるか」
デカイ図体の後ろに隠れて、チラ、チラチラッと窺うように前方を覗き見る私を、閣下はウロンな目付きで見下ろしてくる。
「だって閣下、おひめさまですよオヒメサマっっ!」
はわわわとコーフンした私は持っていた扇で閣下の背中をバシバシ叩いた。
「そんなもんそこらにもウロウロしているだろうが。初めて見るわけでもあるまい」
「何言ってんですか、そこらにウロウロしている似非姫など羽純の眼中にはございません! オヒメサマに対する一家言を持つわたくしめが言わせて頂きますとこちらの方はプリンセスインザプリンセスでございますよ! 意味的には姫君の中の姫君! そんな使い方しねえんじゃね? とか気にしたらオシマイなのです!」
――むかし、むかし。お話の中のお姫さまや、小さなお人形として型どられたお姫さまは、羽純にとって、お友だちだった。
しかしまさかモノホンのお姫さまとお近づきになるときが来ようとは! お釈迦様でも思うめぇ、なのですよっ、閣下!!!
「……お前の言うことはいつもよくわからん」
疲れたような面持ちで、私の訴えをいつもと同じように一刀両断した閣下は、目の前でコロコロお笑いになられている方に向かって、コレは、と私の頭を押さえる。
「ハスミという。おかしな娘だが害はない。仲良くしてやってくれ」
「倉石羽純でございます! お見知りおきをっ」
柄にもなくあがりまくった私は、直立不動敬礼の勢いでその方に挨拶をした。お前は新兵か、なんて閣下のボヤキなんて無視だ、無視。
だって目の前には正真正銘のお姫様がいらっしゃるのだ。
見目が美しい、だけではなく、強い眼差しを持つ心身共に姫と呼ぶに相応しい女性が。羽純がこうあるべしと夢描いたそのままを体現されている、女性が!
カブトを脱いじゃいますよ。ええ、閣下がめろめろだというのも許します。許して差し上げます、だって既にワタクシめがやられちゃってるんですもの!
――今日の夜会の主役、隣国の姫君、お兄ちゃん大好きクラウス殿下のお嫁様、アイーシャ妃殿下(予定)。
遠目にもお綺麗な方だなと思っていましたが、近くで見ると輝きが倍増です。
華奢でたおやかなのに、女を象徴する部分はあくまでも上品かつ豊満に丸みを持ち、その肢体を魅惑的に見せていて。おいそれとは近付けない雰囲気を纏いつつも、全てを包み込むかのようなまなざし。
光をはらんだ金糸の髪、夏空の青い瞳のその方は、羽純を見つめて目を細められる。ニコリ、親しみのある笑みがその顔に浮かんだ。
ああ、なんだか甘いかおりがしますぅぅ、うっとり……。
「兄様の大事な方ならば、望むところですわ。――姉妹になるんですものね。嬉しいわ、よろしくね、ハスミ」
「はいっ是非に!」
大輪の花の幻を背負われた姫君がもったいなくも笑顔を向けてくださる。そんな風に笑いかけられますと、羽純デロリと溶け崩れてしまいますぅ。何ですか閣下小突かないでくださいよウザイです。溜め息とかもウザイです。
「男より女になつくのはいいがそれにしても……ダリアといい……年上の女に弱いのか……?」
「まあ、兄様おもしろいこと」
ぶつぶつ意味不明なことを呟く閣下に、姫君が目を丸くしたあと興味深げに私を見、瞳を煌めかせる。
なんでございましょう、でも閣下がオカシイヒトだというのは賛同するところですよアイーシャ様。――てゆか姉妹になるってなんデスカ。ドウイウイミデスカ。あとで聞こう。
「アイーシャ、兄上、ここに――うげ」
喧騒を抜けて、少しくたびれた様子で姿を見せた王太子殿下が、羽純を見た途端いやあな顔をされる。ホントに失礼な坊ちゃんでございますわあ。
近衛のひとも、さすがに殿下が来るのは止めなかったらしい。
「……貴様こんなところにまで」
「ごきげんようクライス様。妃殿下とご一緒が嬉しくてヤニ下がったお顔しっかりばっちり拝見させていただきましたー」
「ヤニ下がってねえ!」
条件反射になってしまった言葉のやり取りをポンポンと投げ合う私たちを見て、まあ、とアイーシャ様が可笑しそうに口に手を当てられた。
「仲良しなのね」
「ア、アイーシャ? 違うよっ?」
「徐々に餌付け中なのですよ」
「貴様黙れ!」
んまあ、えらく態度が違いますこと。
羽純とアイーシャ様の間に立ち塞がるように陣取られた殿下に、私は唇を尖らせる。邪魔なのです。もっとお話ししたいのにぃ。
切なく姫君を見つめていると、何だか呆れたような目付きの閣下に、頭をポスンと叩かれて。
「クライス、そういうわけでお前にも了承してもらうぞ」
「兄上! 正気ですかっ」
羽純の頭に肘を置きながらわけのわからない宣言をされた閣下に、殿下が目を見張った。そこへ追い討ちをかけるように、ウフフと無邪気な笑い声。
「クライス、兄様にハスミを紹介して下さいなとお願いしたのはわたくしよ。許してくださるわよ、ね?」
ね? のところにポイントを置いたアイーシャ様が、微妙に圧力を感じる笑顔で、殿下に何かの許可を求める。
この世の終わり的な表情で、彼はそこに揃う私たちを順々に見つめたあと、「兄上と、アイーシャがそういうのなら……」そう、何かを諦めた風に項垂れられた。
だから恨みがましく睨まれても、羽純は何も知りませんてば。
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