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Ⅰ.宰相閣下と彼の侍女
8.閣下と私と舞踏会(2)
しおりを挟む閣下が扉を通る。エスコートされている私も、もちろん共に。
目前に広がる別世界。
薄暗かった回廊から一転、目が痛いほどの光に溢れた会場は、磨かれた魔水晶のシャンデリアがビカビカ輝きつつ(ええ、キラキラなんてかわゆらしいものではありませんことよ)、エヘンウフフとさざめいている紳士淑女の皆さま方を見下ろしている。
舞踏会ってこんな感じかなー、と物語で培ったっぽい羽純の頭の中の映像とあまり変わりはないのが不思議。
お互いの明かりを反射して輝くシャンデリア。国中の花を集めたのかと見紛う花々。埃ひとつなく磨かれた柱や床や、その上を滑るように行き交うドレス姿の女性や正装の男性。緩やかな音楽。
羽純は普段、閣下の執務室及び居室周辺しか動くことを許されていないので、こんな表に出るのは初めてだ。数えきれないくらい人がいるところにいるのも。
閣下はこの国で二番目くらいに偉いので、入場するのは最後の方。閣下の名及び地位が告げられ、ついでに私の名前も呼ばれたあとで、会場をぐるりとまわる。
いちいち入場者の名前を発表しなくちゃなんないのか、リングネームとか作ったらどうだ、なんて余計なことを考えているのは緊張を誤魔化すため。
弱気な態度など、羽純のプライドに掛けて見せられませんよ! 言いたいことがおありになるならベルサイユへいらっしゃい! などと洒落にならないことを内心で宣いつつ、突き刺さるような視線を開き直った作り笑顔で跳ね返し、緩やかに足を運ばせる。羽純は女優、羽純は女優、そう自分に言い聞かせながら。
閣下がそれでいいと満足そうに笑う。
ところで閣下、羽純の名前にプラスされていたラッシュローズって何ですか。いつの間に私めに名字が増えていたのですか。そのお名前を聞いたとたん、メタボ予備軍のお貴族様方に衝撃が走ったのはナニユエですか。あとでお聞かせ願いますよ。
お砂糖に群がる蟻のように閣下に近寄り挨拶をして行く方々。羽純をチラチラ窺い見つつもハッキリ「この娘っこ誰?」なんて訊く人は一人もいない。私は広げた扇で半分顔を隠しつつ、言われた通りにこにこ笑いながら閣下にへばりついていた。暇だ。
早くあそこで睨んでるお嬢様方と遊びたーい。ビシバシ突き刺さる敵意にワクワクしていると、不意に辺りが静まり返った。
皆が一斉に扉の方へ注目し、閣下が私の手を引いて上座と思わしき位置まで移動する。促されるまま腰を軽く落として。この礼ってば、膝を床に着かず中腰になる格好なんだけど、限りなく拷問に近いのです。ぷるぷるするっ。膝とふくらはぎがぷるぷるするよぅ、早く楽にしてくれー! ドレスの膨らんだスカートの内側で、羽純の筋肉が試されている。すぐ横で片足を立て、もう片足を引き涼しい顔をされている閣下が憎い。
王太子殿下並びに妃殿下――正しくはまだ妃殿下じゃないけれど――入場が告げられ、頭を垂れる。
下げた視線の先を殿下の磨かれたブーツとおそらく妃殿下がお召しになられている藤色のドレスが軽やかに通りすぎて。
「皆、楽にせよ」
張りのある殿下の声が響き、ようやく拷問から解放される。姿勢を正すと、一段高いところに殿下と妃殿下の姿。
口上を述べられておられる殿下は、いつものヘタレた様子などこれっぽっちも窺わせない立派さで。が、しかし真面目かつ堅い顔つきはどうにかならないのでしょうか。その隣でフンワリ微笑んで我々を眺めていらっしゃるアイーシャ様とまるきり対称的なのだ。余裕が感じられませんよー、殿下ー、しっかりー。
私のエールが聞こえた訳でもなかろうが、ふとこちらに視線を合わせた殿下がムッと眉をひそめられた。プイッと背けたように見えたのは気のせいじゃありませんよね? ね? あんにゃろう、もうお菓子分けてあげないんだから。
「音楽を!」
閣下が高らかに告げられて。殿下と妃殿下が中央へお進みになられる。穏やかなワルツが始まる。
ブラコン殿下も今ばかりは見惚れるほど凛々しく美しい。麗しの妃殿下とお似合いの一対だ。正しく王子さまとお姫さま。ぽわ~と見とれていると、閣下の低い囁きが。
「要は簡単な動きの繰り返しだ。――行くぞ」
(……は?)
叫び出さなかった羽純を誉めてほしい。いつの間にやら扇をぶんどり、側で控えていた従者の方に渡し、閣下が空いた羽純の手を取って中央へ――
マ ジ で す か。
踊るなんて聞いてねええぇぇ!!!
はぎゃーもぎゃーと内心で大絶叫しながら閣下に操られるようにステップを踏む。ワンフレーズ殿下方が踊っていたのを見ていたとはいえ、羽純社交ダンスもしたことないですよ(たぶん)! 羽純のスキルにあるのはマイムマイムとかジェンガとか花笠音頭なのですよ! 必死です。必死なのです。右っ右っ左後ろ下がって右っ、はっ、ここでクルリですかっ。ニヤニヤ笑いの閣下に今ほど殺意を覚えたことはございません!
「あとで覚えてやがれなのですよ、閣下のバカちんっ。無謀にもホドがあるのですよっ、いっぺんトーフの角に頭ぶつけておバカさんになっちまえばよいのですよっ」
「余裕があるじゃないか」
一心不乱にステップを踏んでいる間に、次々と他の方々もフロアに進み出て。クルリクルリ、ドレスが揺れて、色とりどりの花が咲く。傍観者であればきっとうっとりものの光景だったと思われる。
実際にはそれどころじゃありませんでしたが!
柔らかにターンして、近くにいたカップルとすれ違う。って、殿下と妃殿下でしたよ! 妃殿下の青い瞳が羽純の瞳と交叉した瞬間、悪戯っぽくにっこりされたような気がするのは気のせい? でもってあんな美人さまと踊っているにもかかわらず、苦虫を噛み潰したような顔をされている殿下はダメダメです。結婚する前から離婚の危機ですよ。
だけどその殿下に妃殿下が何事かささやいて、殿下が拗ねたように言い返される。その様子を眺める限りでは、仲の良い姉弟にしか見えなかったりして。あまり心配することはないかもしれない。
「ハスミ、ご苦労様でした」
なんとか一曲終わって、精も根も尽き果てた羽純が閣下にぶら下がるようにして脇へ移動すると、側に来たリンドウさんがにこにこと労ってくれた。
ううっ、リンドウさんこのひとになんとか言ってやってくださいよ! もうサイアクですよこの俺様宰相様!
「いつの間にダンスの練習をしていたんですか? あとで私とも一曲どうですか」
「却下」
「無理無理無理無理無理ですッ」
羽純が激しく首を振る横で閣下がサラリと駄目を出される。当たり前ですよ。あれだけでもかなりボロが出ていたのに、閣下ならともかくリンドウさんにご迷惑を掛けるわけには行きませんっ。
「いや、ディレイ様が許可なさらないのはそうでなく――え? 練習してないんですか」
「ぶっつけやっつけ本番だったのですよ! 引っ張り出されるまで踊るなんて思ってなかったですっ」
「音感はいいからな。なんとかなるだろうと思ってな」
そんな博打を打たないでください! スッ転んでいたらどうするつもりだったのです!
「それはそれでいろいろと楽しかっただろう」
もうちょっとで、フフと場違い極まりないキザな笑みを浮かべた閣下に掴みかかるところだった。リンドウさんの後ろから、真っ赤なお花のような人がやってくるのを見なければ。私は歓声を上げる。
「ダリアさんっ」
「ハスミ、お久しぶり」
艶やかな笑顔のお姉さまは、リンドウさんの奥さまであるダリアさん。彼女が着ていたのは一般的な腰からスカート部分が膨らんでいるタイプではなく、身体にピッタリした、いわゆるマーメイドラインのドレスだった。こっちでは何て言うのか知らないけれど。色は鮮やかな臙脂。お胸の際どい切れ込みがまたせくしーなのです。メリハリボディがそのままわかるデザインなのに、下品にならないのはダリアさんだからこそだろうなぁ。
ドレスアップされたダリアさん、黒を基調とした軍服姿のリンドウさんご夫婦はしっとりとした落ち着きでもって微笑みを交わされた。オトナだ! 素敵だ! なんて興奮していると、「それにしてもカワユイわ~」と豊満なカラダに埋もれるようにハグされる。むはー、シアワセー、リンドウさんたら羨ましい。
頭を崩れない程度にナデナデされる。これが閣下とかマシアスさんにされたものならば、子ども扱い拒否ですと叩き落とすのだけれど、ダリアさんなら別だ。もっとナデナデしてください。ウフフ。
「とっても愛らしかったわよー。初めての舞踏会で緊張気味な感じがまた初々しくて」
他の方々にもそう見えていたなら助かりますが。
そうやってダリアさんになついていると、後ろから伸びてきた手にベリッと剥がされる。
………なんですか閣下。
「まあ。久しぶりに会った妹と仲良くするのもお許し頂けないのですか? そんな器の小さいことでは愛想尽かされましてよ宰相様」
ツンと唇を尖らせて、ダリアさんが再び私を奪い返す。深くなる閣下の眉間のシワ。にこにこしているリンドウさん。いやリンドウさん、微笑ましく眺めてないで止めてください。
「ふふ、ねえハスミ。今度おとうさまにもお会いしに行きましょうね?」
渋い顔の閣下はそっちのけ、ダリアさんはチョン、と羽純の唇をつついて色っぽく笑う。頷きつつ首を傾げた。
はあ、オトウサマってどのオトウサマでしょう?
「私とハスミのお父様よ、もちろん」
ハテナ顔が隠せない私に、閣下がため息を吐いて説明される。
「……お前を公に出すにあたり、後見人をローダリアの父親に頼んだ。今お前はラッシュローズ侯爵の養女ということになっている」
ええとーつまりーラッシュローズさんはダリアさんのお父様で羽純のオトウサマ……?
「オトウサマはなんぞお偉い立場の方ですか」
それは誰だ、なんで養女だ、なんて質問はせずに一番引っ掛かった事柄を口にする。閣下は眉を跳ね上げた。
「なぜそう思う?」
「メタボ……いえ、上位の方々が紹介された羽純の名前を聞いて動揺されてましたので」
ただの倉石羽純にビビる要素はないはずだし。そう考えるとやっぱりラッシュローズさんの名前に反応したとしか思えない。
「表向きは、もう政治の舞台から引退したジジイだ」
表向きにはってことは裏向きがあるってことですよね?
閣下の言葉に揚げ足を取ろうとすると、ダリアさんが。
「心配しなくても大丈夫よ、お父様自身は普通に好好爺を演じてらっしゃるから」
……演じていては、ダメなんじゃないでしょうかー……。
ダリアさんのフォローにならないフォローにますます羽純が不安を高めていると、リンドウさんがトドメのにっこり。
「ある程度の地位におられる方々に、影響を持っている方だと思っておけばいいですよ」
そのような方のご威光を利用してまで羽純を舞踏会に出席させなくても、と思ってしまうのは、なんだかメンドクサイ予感がするからかもしれない。
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