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Ⅰ.宰相閣下と彼の侍女
3.昼下がりの共犯者のこと(後)
しおりを挟むムスッとしてお茶をガブガブ飲む少年……もとい王子さまにニッコリ笑んで、お口に合いますかしら、と訊ねた。鼻息も荒くまあまあだな、と仰るところへ爆弾投下。
「お気に召して頂いたようで、宜しゅうございましたわ。……宰相閣下のお小遣いでこっそり購入したローデ・ハリスの最高級茶葉ですのよ。換算するとカップ一杯八十デジル」
ちなみに、日本円にすると五デジル千円相当でございます。
ぐふっ、と奇妙な音を立てて咳き込む殿下。あら、気管にでも入っちゃったかしら。つくづく期待を裏切らない反応してくれるなぁ。
「おま……! 八十……!?」
恐ろしいものを見るような瞳でカップの中とポットを交互に見つめられる。王太子殿下、金銭感覚は普通みたい。高貴な方なのに意外だわー、と思いかけて日頃の宰相閣下のケチっぷりが頭を過り、兄がアレなら当然かと頷いた。
「閣下にはナイショですよ。――美味いと仰られた殿下もこれで、きょ・う・は・ん、ですわね?」
ハートマークが乱舞する声音で言ってやった。
そんな私に殿下は唖然としたあと憮然となり、開き直ったのか空のカップをこちらに突き付けて。お代わりを要求ですか。
「……お前のような無礼で変な女を愛妾にしているとは兄上の気が知れんっ」
兄上兄上ってさっきからブラコンかこの坊っちゃんは。
そして訂正すると、私は愛妾などという甘ったるいものではない。拾われて飼われているペットのようなものだ。ここにいるために侍女としての身分を貰っているが。意外と家政が有能だったお陰で、いろいろと使われてもいる。
――閣下が私を側に置く理由も、抱く理由も、全て私の預かり知らぬところにある。
私を生かすも殺すも彼次第なのだ。
だから敵意を向けられても困るのよ、殿下。
にしても、私がここに来て一年と少し。今まで弟君である王太子殿下と顔を会わせる機会がなかったということは、閣下がそれを避けていた、ということ。……私の立場からは殿下を無視することは出来ないとはいえ、二人きりでお話してたなんてバレたらヤバイなー、お仕置きかなー。
目の前にいる殿下のことも忘れて遠い目になっていると、唸るような声が聞こえて。
「増長するなよ。兄上は冷静なお方だ。今お前が寵愛されてようが、長く続くものではない。恋人ではないと言ったその言葉通り、身をわきまえていろ」
「……前言を撤回したらいかがなさいますか」
作った笑顔を、王太子という立場からは信じられないくらい素直な表情を見せる少年に向ける。
眉がしかめられた。
「単なる侍女が兄上の伴侶になれるとは思っていないだろう。……もうすぐ、リデルマリスの王女がこの国にやってくる」
「ええ、お輿入れに」
連日閣下が忙しくしているのはそのせいだ。外賓の接待準備やら国内外の警備調整やら後宮整備やら、閣下がそこまでする? というものまで全て手掛けていて。あのひと有能なだけに自分でやらなきゃ気がすまない質なのよね。ちょっとは他人に任せろとマシアスさんやリンドウさんにいつも注意されてるのに。
特に今回は、久々の慶事、しかも隣国の第一王女を王太子妃に迎えるということで、みんな気合いが入ってるし。
他ならぬ王太子殿下の花嫁が、今の話にどう関係するのかわからず、首を傾げた。
「アイーシャは、兄上に嫁ぐべきなんだ。なのに兄上は……」
キッと私を睨み付ける王子さま。まるで、お前がそこにいるから悪いんだとでもいうように。
だからそんなことを言われても困るんだってば。
自分自身でも、何故ここに私がいるのかわからないのに――……
「マリッジブルーですか、殿下」
答える代わりにものわかりのよい侍女の笑顔を見せてやった。「まりっじ……?」と殿下は訝しげな顔をされ、どうやら意味が通じていない様子だったので、説明して差し上げる。
「結婚前の花嫁が陥る症状のことですよ。相手が彼でいいのかしら、もっと素敵なひとがいるんじゃないかしら、と不安になってしまうっていう」
「私は花嫁ではないぞ」
「男性の方はまた別の理由があるそうですわ。――責任を負う立場になることから逃れたい、とそんな風に思われるようで」
チクリ、毒を混ぜる。少し意地悪な気分になっていた。
王女が閣下の花嫁になるべきだというその理由は部外者の私にはわからないけれど。政略結婚とはいえ、彼女を率先して迎えなければいけない殿下がそれを言ってどうする。そんなんじゃ嫁いでくる王女も不安だろう。
まあ、十五で結婚しなければいけない殿下の気持ちもわからないことはないけど――次期国王でしょ。余所者の私にもわかる理屈が、王になる者として育てられてきた殿下にわからないはずがない。
彼が弱年の現在、国王代理として宰相閣下が政務のほとんどを請け負っているとはいえ、それはちょっと考えなさすぎな発言じゃないですか。
「――アイーシャが来たら、兄上に進言するつもりだ。自分ではなく、兄上が彼女と、」
「何考えてんですか阿呆ですか」
最後まで言わせなかった。
何をぬかしてやがるのですかこのバカ王子は。子どもだからって言っていいことと悪いことがあるのですよ。
「いま王宮がてんやわんやしてるのは一体何故だと思ってるんです。王女さまは王太子――次期国王陛下の正妃としていらっしゃるんですよ? そのための準備にどれだけの人手と手間が掛かってるとお思いです。来られてから相手を変えろだなんて言ったら国際問題でしょうが、そんなこと話が本決まりになる前に言うべきことでしょう。そんなこともわからないんですか坊っちゃん王子め!」
次の王様だからって甘やかしすぎじゃないですか。大体みんなが忙しくしていると言うのに、この殿下はこんなところをフラフラと何をしているんだ。お勉強はどうした。叱られようが言ってやる、閣下にも言ってやる、お前の弟教育し直せと!
こんなこと言っちゃってお手打ち確実だあ、と諦観しつつも言葉は止まらない。
「王女さまがどうとか閣下がどうとか、自分が嫌なことをしたくない甘えた言い訳にしか聞こえませんよ」
図星をついたせいか、こんな暴言(といっても羽純にしてみればまだまだ優しいですよ)を吐かれたことがないのか、さっと怒気を上らせた殿下が立ち上がる。
「お前、侍女のくせに出過た口を……!」
「――控えろ、ハスミ。不敬である」
王太子殿下がキレる寸前、響いた冷たい声に私も殿下もそろって硬直した。
みぎゃーっ!! と、毛を逆立てた猫みたいに飛び上がって逃げてしまいたい。
書斎の扉をくぐり、気配なくそこに現れた宰相閣下の冴えた紫色の瞳が、蒼白になっている弟殿下と“お仕置きっお仕置きだべー!”とアワアワしている私に均等にあてられる。ふっ、と細められて寒気のする笑顔が美しい面に浮かぶ。
「王太子殿下。私をお訪ねとは知らずお待たせしました。躾のなっていないうちの侍女が、失礼を致しませんでしたか?」
言葉こそ柔らかだけど、どす黒い冷気漂うオーラが閣下の方から押し寄せてくる。私と殿下の心の叫びは一致していただろう。もうひと思いに殺してくださいいぃっ!
「う、いえ、美味い茶を頂きました……」
このおばか! 余計なことを言わんでいいのよ!
ほう、と眇められた目がテーブルに広げられたティータイムセットに向かう。
ううっ……私の予定では、閣下が帰ってくる前に痕跡をキレイサッパリ消しておくはずだったのにー。と、そこで閣下のお戻りがやけに早いことに気づいた。
夕刻を過ぎるだろうから、晩御飯は遅めで構わないって仰ってたのに。太陽は頂点から傾いたとはいえ、まだ明るく空に存在している。あれ?
「閣下? 会議もう終わったんですか?」
今度は殿下が“余計なこと言うな!”と私を睨む番だった。ナンデスカ。
「会議、な。ご出席予定のとある方が行方をくらませたお陰で明日に延期になった。ハスミ、明日以降の執務の予定変更調整をしておけ。――殿下、」
ビクゥ! と面白いくらい殿下が肩を跳ねさせて直立不動に気を付けの姿勢になる。……ああ、ご出席予定のとある方、はこんなところにいらしたのですね。
「会議を欠席されてまで私にお話が? ……ですが、こちらにいないことはお分かりだったでしょう、当の会議に出席中だったのですから。――それとも、私ではなく、この娘に用が……?」
ぶんぶんぶんっ! と殿下の首が激しく振られ。
「回廊で跳ねている変な女がいたから注意をしていました! 兄上の侍女だとは知りませんでした、ええ全く!」
嘘つきな上に苦し紛れにこっちをお売りになりやがりました。てゆうか実の弟にもこんなに恐れられているってどうなんですか閣下。日頃の兄弟関係が偲ばれるやり取りに羽純、心が寒うございます。
「それは重ね重ね失礼を。ですが、予定を覆してまで殿下が注意なさる必要はないのですよ。コレのことは私の管轄ですから」
テーブルの上を片付けるふりをして逃げようとした私の動きはそれより早く伸ばされた閣下の手によって阻止される。頭を鷲掴みにされて、ジタバタ。
それを見てひきつった笑顔で「そうですね、お邪魔しました」とこれまた逃げようとした王太子殿下の首根っこをひっ捕んで、扉の外にいた近衛に一言。
「ジャンス、殿下が見つかったと皆に知らせを。アルキス、タザール執政官のところへ殿下を連行しろ。逃がすなよ」
「はっ! 了解しましたっ」
ピシ、と敬礼した近衛の方々は閣下の命令通り殿下を捕縛した。ガクリと項垂れた殿下は素直に連行されて行く。……どっちの立場が上なんだか。
お達者で口と手をヒラヒラしていたら、背後から回された長い指に顎を捕まれた。
強引に上を向かされて、私の視界に入ったのは閣下の笑顔で。それが閨で見せるものと一致し、危機は去っていなかったことを悟る。あわわわ。
「……さてハスミ? 俺の弟を部屋に引っ張り込んで、なにをしていたんだ」
「いかがわしい言い方しないで下さいっ! 羽純はブラコン殿下にイチャモンつけられてただけですよっ」
噛みつくように叫んだら、物理的に噛みつかれた。そのまま、口腔を蹂躙される。
「むぅー!」
苦情の声も食べられて。
気付いたら、ソファーに押し倒されていた。胸元を寛げた閣下は既にヤル気だ。
まだ昼ですよー!? 今さらですけどもっ。
「かかか閣下っ、おおお仕事はっっ」
「会議が延期になったせいで空いた。最近まともに休んでなかったからな、半日自由だ。……ゆっくり出来るぞ?」
複雑な侍女服のボタンが、閣下の手が滑るだけでポロポロと外されていく。ゆ、ゆっくりってゆっくりって私は全然ゆっくり出来ないってアレですよね?!
「か、閣下、羽純、お仕事しなきゃ……」
「お前にも半日休みをやろう。嬉しいか」
休みより自由を下さいいぃぃ!!
そんな訴えは聞き届けられることはなく。
「んやっ……、あぅ…」
「……いい香りがするな。クライスと飲んだ茶か? 俺の目を盗んで、いい度胸だ」
ちり、と焼けつくような熱い唇が晒された肌を吸う。小さな声を上げて身体を跳ねさせた私を包み込む腕が。
何もわからない私が、この世界で頼れる唯一のもの。
――恋人とか。
――愛妾とか。
――侍女とか。
閣下が私をどう思っているのかなんて、考えてはいけないの。
考えたくないの。
欲を吐き出すだけなら必要のないくちづけの意味も。
身を穿つ熱と名前を呼ぶ声に潜んだ想いも。
見えないように、目を閉じた―――。
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