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Ⅰ.宰相閣下と彼の侍女
1.宰相閣下と彼の侍女
しおりを挟む――ひらけごま。
魔法の扉を開く呪文。
あなたが隠していることも、そんな風に、開けることができればいいのに。
本日も、宰相閣下はゴキゲンナナメ。
「ハスミ、茶!」
ガリガリ書類にサインをして、決裁印を押して、を延々繰り返していた閣下が声を上げる。執務室のすみっこで縫い物をしていた私は弾かれたように立ち上がった。
「ハイハイハイハイただいまただいま」
「ハイは一回だ!」
小姑ですか、アナタは。内心のツッコミを表には出さずにもう一度だけ、ハイ! と返事をして、私はお茶の用意のためにチョコマカ執務室を駆け回る。
今日はグランクレール産の茶葉にドライフルーツをブレンドした羽純すぺしゃるだ。イライラしてばっかの宰相閣下のために、甘いものもバッチリ用意してある。
侍女の鏡だと思いませんこと、閣下?
……ハイ、とっとと寄越せ、ですね。
そんなに生き急がなくても、閣下は過労死まっしぐらな人生歩んでいるんだから、余裕を持った方がいいと思うの。
陶器の水差しの中に火熱の魔法石を落とす。しゅわ、と音がして石の表面から小さな泡粒がぽこぽこ。あっという間に大きな水泡が溢れて、水が湯になる。
いつ見ても不思議だ。指で触れても熱くないのに、水に魔法石が触れると熱を発するなんて。
どういう仕組みなのかな、って、うっかり訊くと優秀な魔術士でもあらせられる閣下のちんぷんかんぷん講義が始まるから、言わないけど。
うん、あの時はエライ目にあいました。
だいたい、魔法力がない私に関係のない世界の話をされても。こうやって、仕組みはわからなくても使えたらいいんだし。
飛行機が何で飛ぶのかわからないけど、乗ったら便利、みたいなものだよね。
最初に使い方教えてもらったときにそう言ったら、閣下は飛行機とは何だって逆に訊ねてきたけど。飛行機は飛行機だよ、空飛ぶ機械だよ、だから仕組みなんかわかってないものを頭のいい閣下の満足がいくように説明できるわけないじゃない。
水差しから沸騰した湯を茶葉を入れたポットに注ぐ。
どんなに急かされても、お茶を淹れるときはゆっくり丁寧に。ゆとりを無くしては、美味しいお茶はいただけません。
執務室にふんわり広がる甘い香りに、眉間にシワを寄せていた閣下の表情もほのかに和らぐ。
いつもそーゆー穏やかなカオしてたら男前五割増しなのにー。ムッツリしててもイイオトコだけどさ。
木製のトレイに閣下用の大きめカップを置いて、いい感じに抽出された羽純すぺしゃるをいれて。くるくるくる口っと、少し冷ますように、空気に触れさせながら、が閣下に出すときのポイント。
さらにものぐさな閣下のために、一口サイズに切り分けた焼き菓子を添え、ティーセット完了。
書類から目を離さない閣下の左側に置く。
「ん」
短い“ご苦労。”のコトバを漏らして、閣下は器用に右手でサインをしつつ左手でカップを掴んだ。
まだアツアツですよ~、と注意をするまでもなく、口をつける前になにかつぶやき、ふうっと息をカップの中に吹きかけ。
あ、ずるっこ。魔術で中身冷ましやがった。
定位置のすみっこソファーに戻った私も、オコボレにあずかり淹れたばかりのお茶を飲む。もちろんフーフーしてだ。
グランクレール茶の尖った高級な渋味が混ぜたドライフルーツの甘酸っぱい風味で包まれまろやかになってる。渋いのが苦手な私の苦心の作。
うん、いい感じ。あとでメモったレシピを清書しておこう。閣下の反応も悪くないみたいだし。
まるで水のようにゴクゴク飲むのはいただけないけれど、あれは気に入ったってことだもんね。
不味かったら、眉の間の谷間はさらに深くなり、二度と口を付けないはずだもん。まったくもう、自分で淹れないくせに、味にはウルサイんだから。
「ハスミ、もう一回茶を沸かしておけ」
あいかわらずこちらを向かないで命じる声に首を傾げる。
「む。オカワリですか、まだありますよ?」
「ああ、それはもらうが、じきに――」
その続きの言葉は言われなくてもわかった。
よく知ったにぎやかな気配がだんだんと執務室に近づいてきて、ノックと同時に扉を開け放ったからだ。
「ごっ機嫌うるわしゅう、宰相閣下~! や、今日もカワイイね、ハスミちゃんっ」
「失礼しますディレイ様。追加の決裁書です」
やって来たのは赤い髪と灰色の髪、着崩した軍服と襟までキチンと止めた軍服、感情豊かな笑顔と密やかな微笑みを浮かべたどこまでも対称的な二人の青年だった。
「マシアス、やかましい。何でお前が持ってくるんだ、リンドウ?」
ご機嫌うるわしゅうなかった閣下は、マシアスさんを射殺しそうな瞳で睨んだあと、リンドウさんから書類を受け取り、山と積まれた決裁済みの束を見つめた。
そういえば、いつもの文官さんがまだ来ないなぁ。
自分が仕事をしているときに、他人が側に居ることを好かないワガママな宰相閣下は、手足となるはずの部下の人たちを別室に待機させて使っている。執務中の閣下の側に控えるのは緊張するから、かえってその方が働きやすいって、彼らは言ってたけど。
閣下の仕事が片付くタイミングを見計らって、入れ替わりで報告に来たり書類を運んだりしてるのだ。
どこから湧いて出るんだろう、という新しい確認書類を閣下に渡すときに、サイン捺印済みの書類を回収していくのに、今日は朝に挨拶をしたっきり誰も来てないの。あっちも忙しいのかな。
「終わったやつ、羽純が持っていきましょうか?」
閣下のお守りをする以外は暇な私が親切にもそう言ったというのに。閣下は鼻先で笑われて、却下なさいました。
むかー。いくら羽純が世間知らずでどんくさいからって書類のお運びくらいできますよ! それに、イイオトコでもムッツリ不機嫌な野郎の側からちょこっとは離れて外の空気を吸いたいってものなのですよ!
「ちょろちょろせずに茶でも淹れてろ」
お前の取り柄はそれくらいだ、みたいな口調で言われて、ぷりぷりしながらポットを引っつかんだ。
今度閣下のお金で最高級の茶葉を買い付けてやる。でも閣下には淹れてやんないんだからねーっだ。日頃横暴な上司に苦労させられてる皆さんと、鬼がいないときにお茶会してやるんだ。仲間になんか入れてやんないもん!
*******
「余計な虫が付くから目の届くところに居ろと仰ればよろしいのに」
からかい混じりの武官の言葉に彼は眉を上げた。視線の先には、ぶんむくれた顔を隠さずチョコマカ動く小娘。
「閣下ナニやったんスか。控えの間にいるヤツラ、みんなしてここに来るのヤだって書類の押し付けあいしてましたよー? 邪魔したら殺される、とかって」
ニヤニヤ笑いながら、皿の菓子を摘まもうとするマシアスの手を叩く。
邪魔とはなんだ、と考えて、そう言えば先日小娘にチョッカイを出そうとしていた部下の一人に、わざと現場を見せつけてやったことがあったなと思い出す。
自分の腕の中で普段の生意気さはなりを潜め、可愛らしく啼く小娘に、アレが誰のものか思い知ってヘコんでいた様子だったが。覗きなんかするからだ、馬鹿者。
「阿呆か。仕事中に邪魔されるようなことするか」
「仕事中じゃなかったらするっていうことですかい」
「……ディレイ様、ハスミは普通の少女なんですから」
茶化すマシアスは無視、頭が痛いと言わんばかりに渋い顔をするリンドウを横目で見た。
小娘に対する気遣いはリンドウでなければ、お前も悪い虫かと駆除するところだ。
しかし、見せたのは一人だけだったのに他の者までそう言うということは――口の軽いやつめ。教育のし直しが必要なようだな。
「……すげえ黒い笑顔になってるぞ、ディレイ」
「こんなのに気に入られて可哀想にハスミ……」
「やかましいぞ」
幼馴染みの気安さからか、立場もわきまえず言いたい放題な二人を睨んでおいた。
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