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【蜜月旅行篇】
はにー・むーん◇07
しおりを挟むイルカはかわいかった。イルカはかわいかったけど――はっきり言いましょう。
めっちゃくちゃ邪魔でした! 誰がって、言わなくてもわかるよね!
背後で、こっちの思わず上げてしまった歓声にいちいち相槌打ってきたり話しかけてくる野郎のことだよ!
あたしはひとりごとあるいはフミタカさんに話しているのであって、知人とも呼べぬ偶然三回行き合った男には何も言ってないんだよ! 他人の間にクチバシつっこんでないでテメエは己の恋人に集中してろという!
どんどん冷えてくるフミタカさん周りの空気とずっと無言の彼女さんがひたすら怖い。
なのに馬鹿は空気を読み取ることなく無邪気にはしゃいでくださっているわけですよ……!
空気読めない人間がこんなにイラつくものとは……ごめんなさいごめんなさいこれまであたしの空気読めない振る舞いでご迷惑をかけたみなさまごめんなさい! 人の振り見て我が振り直せー!
奴のせいで心から楽しめず、拍手もおざなりになってしまったことをスタッフさんたちにお詫びしたい。
ショーが終わりぞろぞろと観客が去っていくなか、あたしたちだけ無言でその場に残っていた。
海風が寒いね……。
もう無視して帰りたい、しかしまたついてこられるかもと考えたらなんか嫌だ。
何故楽しい新婚旅行でこんな気苦労を覚えなければならないのか。
ひきつった笑顔で固まったあたし、目の据わったフミタカさん、真顔の彼女、笑顔の野郎。
「イルカショーで急いでたのかー、なんだろうと思って走っちゃたよ。でも、ついでに観覧できてよかったね敦子さん!」
こいつ一人がどういうわけかご機嫌だし。なにがついでなのか。そういう聞き方は彼女の発言を封じてしまうということに気づけ。
本当に、なんで、この男は恋人と一緒の旅行で全くの他人に絡んでいるのですか。
こんな美人さんを恋人にしておいて、旅行まで来て独り占めできるっていうのに、毎時見つめていないともったいないとは思わんのかコラあたしが代わりに見つめるぞ!
恋人であるはずの男にないがしろ(あたし比)にされている彼女さんは見れば見るほど以前のフミタカさん好みのお姉さまです。要するにきりっとした知的系美女。
初日にきちんとまとめられていた髪は軽くウェーブを描いて背中に流され、お化粧も淡くうらやましいくらいの自然な美しさ。出過ぎず引っ込まずのスタイルは、リゾートを意識したゆったりめのチュニックブラウスにざく編みのカーディガン、ワイドパンツ、全体的に大人イメージで装われているけど、足元の幅広リボンがアクセントになったヒール低めのシューズで甘さもプラスしている。
さりげなく素敵で女のあたしだって見惚れてしまいますのに、相手がコレってやっぱりもったいなさすぎる。
あたしはフミタカさんとか神代さん、室長と外見も中身もカッコイイ大人の男を知っているから基準が厳しくなっていると思うんだけど、まあ、この野郎だって見目だけ言うならそんなに悪くない。
背の高さもあるし、学生時代はスポーツでもやっていたのかそれなりに身体もがっしりした感じ。あたしはここ最近、本当に鍛えた人というのはどんなものなのかを間近にしていたので、あくまでも『それなり』という評価ですけども。
顔立ちはアイドル系っていうのかな。男らしさよりも愛嬌の良さが先にくる。
接近したのがこんな状況でなければ、まあまあ好感を覚えるくらいには、イケてるのではないかな。
偉そうに人様のことを述べているそーゆー自分(オマエ)はどうなんだというツッコミは今は聞かないよ!
「……お二人は、水族館はもう回られたのですか」
あたしが頭の中で彼らの診断を下している間に、無視しても無駄だと悟りを開いたのか、このままでは膠着した状況から好転が見られないと思ったのか、営業用の対人技能を面に張り付けたフミタカさんがうすら寒い笑みで訊ねる。
「ええ、朝方に……」
フミタカさんの表向きの社交姿勢に応じて、彼女さんがほんのり微笑んだ。それに乗っかって、あたしも会話をつなげる。
「ジンベイザメの給餌ってご覧になりました? わたしたち、時間が合わずに見逃したんですよね」
「とても興味深いものでしたわ」
「水槽を上から観るツアーにも参加してきたけど、あれも面白かったよ!」
お前は口を開かなくてもいい。ちょっとそれ詳しく聞きたいけど、どうせなら彼女さんから聞くし、いいから黙ってろ。
「裏方などなかなか見ることはできないでしょうしね――と、失礼。まだ名乗ってもいませんでしたね。私は来生史鷹と申します」
「来生鈴鹿です」
フミタカさんからの目配せにより、あたしは旅行先でも手放さないマイ手帳から彼の名刺とあたしの名刺を二人に差し出した。
企業の重役という事実をどこでどう利用されるかわからないので、素性の知れない相手に知らせるなんてこと不用意にはしないのだけれど――許可が出ましたからね。フミタカさんが何を考えているのか、いくつか見当がつくし。
彼女さんは名刺を差し出した瞬間、自然な様子で姿勢を整え受け取られたあたり、お勤め先ではそれなりの立場にいらっしゃるのだろう。あたしたちの肩書を見て目を見張った彼女は、思った通り、同じようにバッグから名刺ケースを出してこちらにも返してきた。
――食品会社の開発部係長さんとは、若い女性なのになかなかすごい。
「ご丁寧に……私、三田敦子です」
「津野勇次です。俺名刺持ってきてないんですけど、えーと、敦子さんの部下やってます」
新社会人かと意地悪を言いたくなる軽さで一礼する野郎に、彼女さん――敦子さんは、ちょっと苦い顔。
旅行先だからかと思ったのに、まさか普段でもこの調子なのか……!
常日頃あたしの間抜けさに渋い顔をしていらっしゃる先輩方に聞かれたら「お前が言うな」と突っ込まれそうだけど、言うよ!
それで大丈夫なのか津野とやら! そしてまさかの男女逆・上司部下カップル! やっぱり美女がもったいないー!
まあ、個人の自由ですけどね……。うん、他人のこと言えないし……
「こちらにお勤めですか。よく利用させていただいています」
これは嘘じゃない。彼女たちの勤める会社は、食品販売だけでなく関東中心にカフェレストランをチェーン展開しているところだ。
お値段はリーズナブルなものからすこし高級なものまでの品揃え、誠実な作りで、こうるさいフミタカさんがめずらしく気に入っていたりする。よく連れていってもらいました。
とりあえずあちらの素性に対するとっかかりは手に入れたので、あたしもフミタカさんも外面笑顔を全面出しで彼らと別れるべく会話を切り上げにかかる。
――が、またここで奴が希望通りの反応から外れてくださった。
津野が名刺を覗き込んで好奇心たっぷりに目を向けてくる。
「副社長さんてすごいですね! ええと、会社の名前が来生って、もしかして」
「ええ、身内の会社です。小さなものなのでお恥ずかしい」
フミタカさんの整った顔に浮かべられた完璧な笑みは、謙遜と牽制を含んだもので、おそらく他の人ならば踏み込むことはせず、その時点で退いただろう。
しかし彼は無邪気に「スッゲーっすね! 次期社長ってことですか! 奥さん玉の輿じゃん!」とあたしに笑顔を向けたので、フッと笑い返してやった。
「うらやましいか」
余計な一言をつい漏らしてしまったあたしの背中をフミタカさんがつねる。
つい。ついなの! なんかこいつ言い返したくなるんだよ!
「しかも秘書かー、社長さんと女性秘書で結婚とか、お話みたいだね」
つねづねあたしもそう思ってるよ。作り物のようにロマンチックな展開ばかりじゃないですけどね、主に自分のせいで。
フミタカさんの手がまだ背中にあるので、つねられてはかなわないとお口にチャックしたまま、笑顔を保った。
たまたま旅行先が一緒になっただけの、いわば通りすがりの相手にフミタカさんがこちらの身上を表したのは、威圧の意味を込めてでもあったんだと思う。
それなりの立場にあるから、面倒なことになる前に一歩引けよ、なんて、いつもなら嫌うような意思表明。
――でもさ、これまでの数回で理解していなきゃ駄目だったんだよね、この野郎の空気読めなさ加減を……!
当たり障りのない社交辞令を交わしてフェイドアウトを狙っていたというのに。能天気な笑顔のまま、奴はまるでグッドアイデア! とでも言うように、提案してきた。
「明日はどこ回るんですか? よかったらご一緒しません?」
「っは?」
今度は抑えるつもりもなく「正気を疑っていいかな、いいよね!」という心の叫びが駄々漏れた。
いや、マジで、なに考えてるの?
もう一回言うけど、なに考えてるの?
マンガなら大フォントで表すとこだよ。
当然ながら彼女さんも「なに言ってるの」と呆れていた。だがしかし、ただ一人空気を読めていない――それとも読むつもりがないのか――、「せっかく知り合ったんだしこれも何かの縁でしょー」などとお気楽に言っている。
「――先にも言ったが」
あたしの爆裂毒吐きが始まる前に、フミタカさんの冷静すぎて怒髪天を突いているってわかる声が間に入り込んだ。
「新婚なので邪魔しないでくれないか。ろくに休みもとれなくて、やっとの二人きりを楽しんでいるんだ」
「ええー」と不満を漏らす馬鹿の頭を彼女が叩いた。
「いい加減にしなさい! 当たり前でしょう、どうしちゃったの失礼すぎるわよ」
落ち着いた雰囲気の彼女さんもさすがに我慢ができなかったようだ。声を荒らげて怒っている。
どうしちゃったの、と言うことは普段はまだ礼儀を備えているということだろうか。
旅先だからおかしくなっちゃったの? 浮かれてるの?
でも、常と違うからって昨日今日の馬鹿しか知らないあたしたちには関係ないので、わぁこの男サイアク~と冷たい評価を下すよ。
「本当にすみません、ちゃんと注意しておきます」
ペコペコ頭を下げる彼女さんに対しては気の毒だなあという感想しかない。
保護者じゃないんだから責任感じることないと思いますよ。
同情のあまり、年上美女に弱いあたしが勢い余って変なことを言い出す前にと思ったのだろうか。フミタカさんはあたしの腕を引いてそのまま歩き出した。
引っ張られながらの「あ、えーと、じゃあ」というこちらの辞去だかなんだかあいまいな挨拶が聞こえたのかどうか、頭を下げている彼女さんと能天気に手を振っている男から視線を外した。半笑いになる。フミタカさんのこれ以上はないっていう無表情がコワイ。
ぺたりとくっついて、ひそひそする。
「彼女と旅行来てるのにそっちのけにして他人に絡んでくるとか、いたたまれないんでやめてほしいんですけどー」
「どういう神経してるんだ、あの男」
「フミタカさんの超絶不機嫌にも気づかないってよっぽどだよね。彼女さんは普通に常識的に察してるから、とっても気の毒だし」
「愛想つかされればいいのに」
「ブラックになってるし……」
機嫌悪く吐き捨てたフミタカさんにため息を吐きながら手を繋いでブラブラと振る。
お邪魔虫に捕まっていた間に、日はすっかり落ちてひんやりした空気と潮の匂いが吹き付けてくる。
昼間は日差しがあったから平気だったんだけど、うん寒いな!
あたしは一つ身震いすると、フミタカさんのブルゾンの中に潜り込んだ。
ミニマムだからできることだよ。
「二人羽織~」
「歩きにくい」
あたしたちのことを誰も知らない旅行地で、開放的な気分を味わいたかったというのに、どうしてこうなるのかなぁ。
「二人してからまれやすいって、前世の行いでも悪かったのかな」
「やめろ」
「日頃の行いはよいはずなのに!」
「その自信はどこからくるんだ」
「清廉潔白だから!」
「あとで意味調べような」
おバカなやり取りをするうちに、フミタカさんが笑みを浮かべる。よし。
仏頂面も嫌いじゃないんだけど、やっぱり二人でいるときは笑顔でいてほしいと思うんだ。
――彼女を困った顔ばかりにさせている、彼はそう思わないのかな?
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