ヒロインかもしれない。

深月織

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【結婚式篇】

エピローグ1

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「フミタカさん、先にお風呂入っていーい?」
 本日のお宿に着いて、あたしは早速とばかりにヒールを脱ぐ。
 ゴールドっぽいベージュのワンピースに合わせてですね、ネイビーの丸っこいフォルムのとっても可愛いハイヒールを履いていたのですが、これが可愛さに比例するように足に負担のかかるもので。
 辛うじて靴擦れは出来ていないものの、爪先が曲がりそうなくらい痛かったんだよ。
 ソファーでだらけているフミタカさんの生返事を背に、ストッキングも脱ぎ捨て、裸足になったあたしはバスルームへ向かった。
 服を脱ぐ前にバスタブにお湯を溜めて、その間に化粧を落とす。
 プロがメイクした化けの皮はこの時間になっても崩れることなく残っていたけれど、躊躇せず剥がしますよー。
 一日ずっと作っていたから、顔の表情筋も表面も疲れた。
 指の腹を滑らせて、化粧を浮かせてよく洗い流す。ゴシゴシしてはいけません。熱いお湯もダメです。必ずぬるま湯で流してください。
 式前に通ったエステのお姉さんの指導が脳にこびりついている。こわい。
 いやいや、平凡顔だからこそスキンケアには人の倍気を遣うべきよね。数少ない美徳であるもちもち肌を、なるべく長く保つために!
 誰に主張しているんだか、と自分で自分に突っ込んで湯気の立つバスルームに入った。
 洗い場のあるバスルーム。白いバスタブ、金色の蛇口はピカピカ。
 気のせいでなくデジャヴュを感じるゴージャス仕様のバスルームには、あのときはなかった薔薇の花が窓辺に活けられている。
 チラッとしか見なかったけど、同じように部屋のあちこちに花が飾られていたのは新婚仕様なのかな。フミタカさんならそれくらい手回ししていそう。
 バスルームから見える夜景は変わっていなくて、だけど決定的に変わったものがあって、あたしは忍び笑いを漏らした。
 半年前にあんなにテンパって、ギャーギャー悶えながら彼に抱かれる準備をしていたのに、今のあたしのこの落ち着き様ってば、十年もたったみたい。
 フミタカさんも、プロポーズしたときと同じ部屋をとるとか、どこまでロマンチストなんだか。
 はじめてのときも、贅沢だよって言ったのに。

『――女の子はこういうシチュエーションが夢なんだろ?』
 得意そうに言った専務に、あたしは嬉しいのと悔しいのとが混じりあった思いを抱いたんだったか。
 妹扱いじゃなく、女の子として甘やかされるのは嬉しい。
 でも、他の子にもこんなことをしてあげたのだと思うと、複雑。
 そりゃ彼が結構な数の女性と付き合っていたことはよぉーく知ってるし、昔のことを気にしたって仕方がないってわかってる。面白がったりもしていたあたしが、今さらムッとする資格はない。ないけどね!
 変な顔をしていたあたしに、照れているのかとキスをくれた彼に、そんな不満は言えなかった。
 だけどそのモヤモヤした気持ちは、次に彼が呟いた言葉できれいさっぱり吹っ飛んでしまう。
『ニブいお姫様にはこれくらいしないとわかってもらえなかっただろう? 下調べに貴重な休みを費やした俺の苦労を思い知れ』
 他に考えていたところは、などと続く専務の作戦話は右から左へ、あたしにとって重要だったのは、彼があたしだけのために、プロポーズにまつわる演出を考えたってことで――
 それを知って、馬鹿みたいに単純に、あたしの気分は浮上した。
 前は前。これからの彼は、あたしのものだと言っていいのだろうか。いいんだよね――?
 そんな自問自答を繰り返し、今日に辿り着いたんだ。

 ゆっくり感慨に浸っていたかったけど、痺れを切らしたフミタカさんに突入されても困る。
 バスルームから出たあたしは、手早く髪を乾かしてまとめたあと、とある紙袋を前に腕を組んだ。
 こちらに見えますは、持ち手が可愛らしくリボンに結ばれた、お洒落な紙袋でございます。二次会で友人たちに頂いた逸品でございます。
 中に見えますは総レース使いのナイトドレス。肩紐にお花と蝶々のアップリケが施されており、フロントや裾には小花柄の刺繍やプリーツリボンが重ねられ、ロマンティックな一枚となっております。
 って、ス ケ ス ケ じゃないかこんにゃろう!!
 一瞬床に叩きつけたくなったが、進物品であるがゆえに衝動をグッと堪えた。
 胡乱な目付きのまま、指先でそれを取り上げる。
 繊細なレースや工夫を凝らしたリボンは可愛い。確かに可愛い。お花と蝶のモチーフも、乙女心がとってもくすぐられます。
 だ が !
 し か し !
 なんでスケスケなんだッ!
 思わず空になった紙袋をぶっ叩いてしまう。
 いけないいけない。衝撃で転がった紙袋を取り上げると、まだ中に何か入っていたことに気付いた。
 底に蟠っていた布を引き出すと、シルクサテンのインナースリップが出てくる。上品なベージュ色で、布地のテカりでゴールドにも見える。
 ああ……。レースは黒だから、合わせるといい感じにきゅーとにせくしーですね、これは。
 みんなあたしをよくわかってるよ、ホントにね! これなら着るだろうという思惑が透けて見えるよ! 着るよ、着ればいいんでしょー!
 ついでにセットされていた下着も着けて、肩にバスタオルを羽織り、どっからでもかかってこーい! とリングに向かうレスラーが乗り移った勢いでドアを叩き開けた……ら、今まさにノックしようとしていたポーズでフミタカさんがそこにいた。
「うおっ」
「湯船に沈んでるかと思ったぞ。……ははあ」
 これが原因か、と肩紐を引っ張られて反射的にあたしはその手を叩き落とす。
 フミタカさんが、にっこり笑った。
 おおう…………。

「ぎゃー!」
 その場からヒョイと抱え上げられて、奥に運ばれる。この荷物運びは一生治らないのかな!
 ジタバタする足を押さえたフミタカさんは、捲れたスリップの裾を引っ張って、愉快げに唇を曲げた。
「誰のプレゼントだ、これ? うちの奴らか」
「ぶぶー。幼馴染みたちだよ。これで旦那を悩殺して逃げられないようにね! とか、失礼なメッセージ付きだったよ」
 ニヤニヤ笑いと共に渡されたときのことを思い出し、あたしがぶうたれながら言うと、フミタカさんは肩を揺らす。
「悩殺してくれるのか、そりゃ楽しみだ」
 できるわけないってわかってて言ってるのがまたムカツク。どうせセクシーナイティ着てもあたしに色気がないのは承知の上だよ、もう!
 てっきりそのままベッドへ直行かと思ったら、そうではなく、ソファへ下ろされた。
 面したテーブルにはグラスとシャンパンボトル、おつまみのチーズやハム、ボリュームのあるサンドイッチ。
 いつの間にセッティングしたんだろうと目を瞬いていると、フミタカさんがグラスにシャンパンを注いで、あたしに目配せした。
 示された通りに、掲げられたグラスを軽く打ち合わせて、涼やかな音に唇が綻ぶ。
「お疲れさん」
「でした」
 ものすごーく長かった一日に乾杯する。
 ささやかな晩餐てとこかな。
 こちらの味覚に合わせてくれたのか、シャンパンは仄かに甘くて果実の風味が強い。
 やり遂げたあとのお酒は美味しいねえ! とばかりに二杯目を注いだあたしをよそに、珍しくフミタカさんが食事を優先している。
 サンドイッチをあたしが一つ食べる間、に三つくらい片付けてた。
 まじまじ見ていると額を小突かれる。
「お前は披露宴でも二次会でもバクバクバクバク食ってただろうが、俺はほとんど食ってないんだ」
「あー、みんなにお酒ばっかり飲まされてたもんねー」
 逆にあたしはあまり飲んでいなかったので、きっとお高いのだろうシャンパンを存分に堪能することにした。
 蜜色の中、ふわふわ揺れる泡を眺め、ふと笑みをこぼす。
 うん? と問い掛ける目をしたフミタカさんに、なんでもないよと首を振って。
 あの日まで、フミタカさんとこんな関係になるなんて思いもしてなかった。
 彼と出会った頃のあたしに、「将来このひとと結婚するんだよ」と言っても、ありえないって笑い飛ばしただろう。
 それくらい、近くにいても遠い存在だった。
 ――今は、どんなに遠くにいたって、一番近いひとだって言える。
 距離じゃなく、心が。
 くすくすと笑いやまないあたしに、もう酔ったのかとフミタカさんは呆れ顔。杯を取り上げられる。
 あんまり酔われても困るからな、ってどういうことかしらー。
 いい気分だけど、酔ったわけじゃないのに。
 不満に唸り声を漏らして睨んだら、ミネラルウォーターを渡される。
 グラスを持った手に、対の指輪。あたしの指にも同じものがあるのをチラリと見やってから、呟いた。
「ホントに結婚したんだよねぇ……」


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