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#1
しおりを挟む少し前から不穏な視線は感じていた。
しかし、視線の発信先を窺うに、あまり――かなり関わり合いになりたくない気配を醸し出していたため、俺はひたすら無視することに決め、その通りにした。
よくわからないが、奴の性質からして、そのうち飽きるだろうと、軽く、考えていたんだ。
それが間違いだった。
疑問を覚えたときに問い質しておけば、あんな面倒なことにはならなかったのではないだろうか――
*****
「な・ん・で・だ! どうしてだあああああっ!!」
「小嶺うるさい」
登校直後の昇降口で、出会い頭に叫びながら俺に突撃してくる友人の手を避け足を払った。
俺よりも小柄な小嶺はあっさり転がったかと思うとすばやく起き上がり、ゾンビのようなしぶとさで懲りずにこちらへ掴みかかってくる。
「どう考えてもおかしいんだよ!」
「おかしいのはお前だ」
現在取っている行動もここ最近の挙動も、すべておかしい。採決を取れば、十人が十人、俺の意見に賛成してくれるだろう。
男に迫られて喜ぶ趣味はないので、小嶺の脇腹に拳を入れ怯んだ隙にもう一度蹴り転がした。乱暴ですか。そういうことは、くそやかましい男に叫ばれながら全力で抱きつかれても笑顔を保っていられる自信ができてから言ってくれ。
打たれ慣れている小嶺は、俺の容赦ない扱いにまったく堪えた様子もなく、膝をついた体勢のまま床を殴りつけている。
「なんで、なんでだよおおお!」
「なぜと言いたいのはこっちだが」
朝から意味不明に絡まれて磨り減った俺の気力を返せ。
嘆きながら床を叩いている男子生徒に、登校してきた生徒たちの困惑の眼差しが集中しているが、当人は気づく様子もない。
律儀に付き合ってやることもないかと思い直して、簀の上に放り出したままになっていた上靴に履き替えた。
そのまま放置して通りすぎようとする俺に、再び小嶺が奇声を発してすがり付いてくる。踏んでもいいか。あ、もう踏んでいた。
「ぐおおおああちょお待てってー! 高瀬、俺に対して必要以上に冷たくない? 冷たくないっ!?」
「自分の胸に手を当ててよく考えてみろ」
見下ろした俺の言葉にその通りのしぐさをしてみせ、心当たりなどまるでないと首を傾げる小嶺にほんのり殺意を覚える。もう一回踏んでもいいと思うよな? 思う。
自問しながら足を上げかけたとき、ふと背後で吹き出す気配に気付いた。首を巡らせると、背後で隣のクラスの芝浦真秀が肩を震わせていた。
「芝浦……」
脱力しながら彼女に声をかけると、芝浦は完璧な作り笑顔で挨拶をしてくる。
「おはよう、いつもホントに仲良しだねー」
「やめて。激しく誤解のある見解やめてください」
彼女の下駄箱を遮る形になっていたことを謝るよりも、馬鹿とのやり取りを見られ笑われている状況に疲労のため息が出た。
というか、いつから見てた。
「高瀬と小嶺くんのじゃれあい見ると、学校来たなーって気がするよ」
「しみじみ頷かないで。こんな風景を青春の一ページにメモらなくていいから」
にこやかに繰り出される彼女の軽口にそこはかとないダメージを受けた俺は、そういえば原因がやけに静かだなと思い小嶺を見る。と。
「……きっも」
「そんなこと言っちゃダメだよって擁護したいけど、同意する」
小嶺くん、キモい。
俺の発言を後押しするかのように、芝浦が涼やかな声で断言した。
先ほどまで俺に意味不明の訴えを投げかけていた馬鹿は、現在何故か期待に満ちた表情でこちらを見ている。
頬を上気させ、潤んだ瞳でチラチラと俺たちを伺い、何か言いたげに口を開閉させては顔を背け。
まるで恥じらう乙女のような小嶺の素振りに、俺と芝浦は目を見交わした。
「――そういや高瀬聞いてる? 図書委員の選書実習、来週になったの」
「今聞いた。今週末じゃなかったのか? 俺わざわざバイト休みにしたんだけど」
「里ちゃんが急用で変更するって。昨日の放課後に話してたから、まだ回ってないんだね」
「それでいいのか学校司書……」
俺と芝浦は従事している委員会の話などしつつ、教室へ向かう。にやにやとゆるんだ顔で体をくねらせついてくる、おかしな人のことは全無視で。
(……あれ、なに?)
小声で問うてくる芝浦に、小さく頭を振る。
(俺に訊くな。陽気のせいにしておくんだ)
(精神衛生上それが良さそうだね……)
ひそひそと囁き交わす俺たちの後ろを、小嶺はご機嫌にスキップしていた。軽快な足捌きが微妙にムカつく。
しかし触らぬ神になんとやらである。
不可解な小嶺の様子に、俺と芝浦は見ざる言わざる聞かざるを決め込んだ。
「なあなあなあ、芝浦ちゃんってかわいいよなっ」
「ソウダネー」
「正統派女子高校生ってカンジで、ストレートの黒髪ロングヘアすげーきれいだし、あといつもニコニコしてるとことか、優等生だけどそれだけじゃなくてお茶目なとこもあるし、明るくて話し上手だし、同い年なのにお姉さんぽいとこもいいよな!」
「ソウデスネー」
隣のクラスである彼女と別れ、教室に入るなり始まった小嶺の芝浦押し押しコメントに、生返事を返しながら俺はスマホを操作する。
小嶺、キモイ、継続中、ナリ――
……と、ついでに危険人物注意と促しておいたほうがいいな。半径一メートル半に近づくなかれ……、
すぐに返ってきた【おかしなひとはちゃんと親友が管理して見張っといてください】というメッセージに、【親友の心当たりがないよ?】と再返信。
小嶺の妙な態度は突然訪れた芝浦ラブのせいだったようだ。
こいつ、先々週まで一年のちまっこい美少女追っかけていなかったか? 妹属性萌えからいきなり姉属性萌えに方向転換か。いや、中学の時は「女教師イイ……!」とか言っていたし、もとに戻ったのか。あるいは節操なしなのか。
「実は脱いだらスゴイんですなスタイルも――ぎゃっ」
「あ、悪いなんか殴らなきゃいけないという電波が飛んできた」
机の中に入れていた教科書が俺を勝手に操作したんだよ。
いやあ、『スパアン!』っていい音したな。もっかい音させてもいいか?
「やめて!? 笑顔で振り上げないで! どめすてぃっくばいおれんす禁止ッ!」
教科書にぶん殴られた頭を押さえながら小嶺が喚く。お前とドメスティックな関係になった覚えはない。
野郎がしてもまったくかわいくないというのに、小嶺は唇を尖らせて拗ねた声を出し、上目づかいに俺を睨んだ。
「もー、想像でヤキモチ焼かなくても~」
「ヤキモチってなんだよ友人が変質者に狙われてたら当然退治しなきゃと思うだろ知人が道を踏み外そうとしてたら殴ってでもやめさせようとするだろ」
「……なんのはなし?」
首を傾げる小嶺は気付いてもいなかったようだ。
「お前が犯罪者予備軍だという話」
「なんでっ!?」
愕然と目を見開く小嶺に俺は首を振る。
自覚がなかったとは、それも怖いな。知人として諭すのも役目か……めんどくさい。
この馬鹿にどうやって言い聞かせるべきか考えていると、目の前にいる男と同じくらいやかましい声と走る足音が教室の外から響いてきた。
「たかちいぃぃぃーーーーー!」
高ちーはやめろと言うべきか、俺のあだ名を叫びながら廊下を走るなと言うべきか、悩んでいるうちに足音がたどり着く。
「たかちーおねがいーーー!」
寝ぐせではねまくったショートカットを振り乱し、片手にやたらふくれた鞄、もう片手にブレザー、リボンタイはかろうじて引っかけただけ、とりあえず制服着てるからいいよねっ、という寝坊したこと丸出しの女が教室に走りこむと同時に俺に突進してきた。
「たかちー! たかちーたかちー! 数Ⅱの課題やってきてるよねっ見せて見せてくださいおねがいしゃす!」
「落ち着け矢田。数学一限だぞ、間に合うのか?」
「今からやるうぅ~! 今日なんか当たりそうなんだよ、イヤな予感がびしばしなんだよ!」
ジタバタ足踏みしながら手を出してくる矢田に、お小言は後にしてノートを渡してやる。
「ぎゃああありがとうすぐ写すすぐ返すー!」
女がぎゃーとか……いまさらか。
ノートを捧げ持って自分の席に飛び込む矢田を呆れながら見送り、俺はハンカチを噛みしめて悔しがる小芝居をしている小嶺に訊ねた。
「それで、お前は何を不服そうにしてるんだ、小嶺」
「ボーイッシュでおバカなやんちゃっ子とかあざといんだよ……! 俺は認めねーからな、俺はタカマホ派なんだよ……!」
小嶺が何の話をしているのかさっぱり分からない。
あれか、矢田とはお騒がせキャラが被ってるから同族嫌悪なの? 俺はやかましいのは好かないけど、どっちかというなら女の子の味方だよ?
「こうなったらルートを潰すしか……! なんとしてでも芝浦ちゃんに……」
あいかわらず胡乱なつぶやきを漏らしている小嶺に、そうだったと思い出す。
「――あのな、小嶺。お前は芝浦の好みにまったくかすってもいないから、傷が浅いうちに諦めたほうがいい。あいつの理想は恐ろしいことに『お父さん』だ」
「ええっなにそれ! 芝浦ちゃんがファザコンだなんて攻略本に書いてなかったし!」
俺は眉を顰める。
攻略本って何だ。そんなものが出回っているのか。新聞部か報道部の仕業としか思えない。ミスコン紛いのことをしているのは知っていたが、個人のプライバシーにまで手を伸ばしているのなら、生徒会の知り合いに注進しておこう。
とりあえず、この馬鹿をなんとかするほうが先だな。
「以前、委員会の女子連中と話してたんだよ」
「……芝浦ちゃんのお父さんてあれだろ……岐中の教頭、鬼畜眼鏡で有名な……」
「娘の目にはあれが知的で優しくてかっこよくてとても頼りになる理想の男性に見えるらしい」
ちょっと厳しいけどホントはすごくやさしいの、などとハートマーク付きで言っていたが、それは単に娘限定の仕様だと思う。
トラウマが発動したのかガクブルしながら小嶺が身を縮めた。
「俺、猛スピードで追っかけ回されて廊下に正座で説教されたことある……」
「なにやらかしたんだよ……」
思い出し恐怖で目が虚ろになっている小嶺には悪いが、これで諦めるだろう。芝浦の平和は守られた。
安堵しつつ、俺はスマホを鞄に戻し、乱れた机の上を整える。
小嶺が占領していた前の座席の持ち主に目で謝って、馬鹿を立ち上がらせた。お前の席はあっちだと背を押しやって。
動かされるままになっていた小嶺はハッと我に返り、声を上げ振り返る。
「ちっがーう! 俺が好みにあわせてどうするんだよ、お前があわせなきゃ! 鬼畜はあってるから、あとは眼鏡を!」
「……なんで」
「なんでってお前が高瀬侑一だからだろー!」
俺は確かに高瀬侑一だが改めて確認される意味がわからん。大丈夫かこいつ。
「もう二年の一学期だっていうのにお前ってばぜんぜんイベント起こさねーし! こんなペースじゃトゥルーエンドどころかバッドエンドも迎えられないじゃないかー!!」
真面目に耳を傾けることはやめて、俺は嘆息したあと椅子に腰かけなおした。
ノートはまだ戻ってこないが、一限目の用意くらいはしておこう。
俺に向かって意味不明にエキサイトしている小嶺は気づかない。
課題を写すのに一心不乱な矢田はさておき、小嶺以外の全員が自席に着き、正面を向き生ぬるい微笑みを唇に浮かべていることを。
HRの時間になったためやってきた担任が、愛の鞭を打つため小嶺の背後で出席簿を掲げていることを。
ああ、いい音だなー。
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