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奥さんのひとり言(前)
しおりを挟む長く骨ばった指が、上衣の留め具をきっちりと掛けていく。ただでさえストイックな作りの隊服を、一つの隙もなく整える姿は、彼の生真面目な性格をそのまま表すようだ。朝起きたときには乱れていた金褐色の髪も整えられ、美しい額があらわになっていた。
腰に下げた剣帯を確認して身支度が終わるのを見届けた私は、手にしていた手巾を彼の上着のポケットにこれまた“きっちり”と入れ込んだ。
これで我々の朝の儀式は終了である。
「……今日は、早く帰ります」
「はい。行ってらっしゃい」
ぎこちなく落とされた呟きに、こちらもぎこちなく頷くと、微妙な間を挟んで「行ってきます」と返される。
見下ろすついでのように私の前髪をすいて、指先がかすかに頬を撫でて。
外套の長い裾を翻して仕事へ向かう彼のまっすぐに伸びた背中を見送って、私はゆっくり扉を閉め――そのまま崩れ落ちた。
「…………っっ!」
ガツンだかゴツンだかドガンだか自分や扉が鈍い打撃音を発したが気にする余裕もない。
だってだ。
(……っあああなんなのあの『ほにゃっ』って笑みはあああああッ! ふだん置物かってくらい表情ないくせに予告もなくデレないでえええ!)
ガンガンと拳をなんの罪もない扉に打ち込んで、奇声をあげつつ床を転がり回りひとしきり悶えて気を落ち着かせると、私はのろりと起き上がる。
息を乱して髪を振り乱して何やってんだという様相だけど。
――旦那様が、マジイケメンすぎて毎日生きるのがつらい。
上気した頬のまま、私は深いため息をついた。
まったく私事で恐縮ですが、この世界に生まれて二十一年、先日まで恋人なしだった私、三週間前に結婚いたしました。
な、何を言ってるのかわからねーだろうが私も何がなんだかわからない!
……いや、説明したら単純明快な話なんだけど。
適齢期なのに結婚どころか恋人の気配も異性の影の欠片も感じない娘を心配した両親や周りの世話焼きな人々が、同じく適齢期なのに以下略な男性との見合いをセッティングした結果、どういうわけかめでたくまとまりまして、いまここに人妻な私、誕☆生☆ってなふうに。
……現実逃避はやめよう。
式の真っ最中に教会を逃げ出して青いお空の下を駆け回りたい気分になっていたこととか、キリリと引き締めた顔の裏で、九九を唱えていたこととか、夫となる相手と豊穣と契約の神の御前に跪きながら『緑神さま萌えー』とか考えてなかった、なかったんだから! ……どうしてあの教会の神像、あんなに美人さんだったの。
神官様による、聖典から抜き出されたありがたいお言葉と結婚に対する心得を頂戴したあと、誓約書にサインをして。生まれた地での戸籍謄本と共に受理されると、私はアデーラ・フロマーからアデーラ・ツァルクになった。
旦那様の名前はミロシュ・ツァルク。フルネームを口にしようと思うと、滑舌が悪い私はちょっと噛みそうになる。いまだに『みりょしゅ様』としか言えずどこの萌えっ子だよというありさまで、名前を呼べてないとか秘密……き、気づかれてないよね? お見合いのときは、「ツァルク様」だったし、結婚したあとは二人きりだしなるべく名前を呼ばずに回避してきたんだけど、ヤバイかな。
――別に、焦ってなんてなかったのに。
私の実家はこの領内でもわりと大きな食堂で、物心つく前から家業の手伝いをしていたから、忙しくて恋人なんて作ってる暇がなかった……めんどくさかったというのが本音だけど。
夜のメニューもあるため集う酔客やオッサン共をあしらっているうちに、男と付き合ったこともないのにやけに世慣れた性格になってしまっていた自覚はある。
でもね、私自身に意中の相手がいなくても、周りの友人や妹たちが良さげな異性とキャッキャしているのを微笑ましく眺めるだけで、満腹だったし、そもそも色気がないせいかモテなかったし。これと言って惹かれる相手もいなかったので、このまま独り身でもまあいっかと思っていた。
しかしある日両親は、しっかり者の長女が嫁き遅れになりかけていることに、ふと気づいてしまったのだ。
気づいてほしくなかったよ……!
このままでは家業の手伝いに明け暮れてかわいい娘が婚期を逃してしまう! と心配した我が善良なる両親は、誰か良い人はいないだろうかと周囲に喧伝しまくった。それが何故かご領主に伝わり、「ならうちにぴったりなのが」と紹介されたのが彼――バルトニェク領騎士団第三隊隊長ツァルク様だった。
御歳二十九。平民の出身という弱みを抱えながらも、文武の才に恵まれ人望厚く騎士隊長を務めご領主の信頼もあり、そりゃまあ大人の男性ですから多少のお付き合いもされていたようだけれどとりあえず品行方正、しかも(ここ大文字赤字でよろしく)誰もが認める美男子ときた。
はじめて顔を合わせたとき、ポカーンとしちゃったわよ。
ちょっと世界が違う感じ?
私だからそんなふうに思っちゃうのかしらと他の意見も訊ねてみたら、だいたい同じ印象を持ってたし。
私より頭ひとつふたつ高い上背と鍛え抜かれた身体のすばらしさ。なによりも! あのゴツゴツしてるのにすんなりと長い指とか骨が浮いた手の甲とか腕に浮いた筋肉の筋とかあああああ素敵にたまらんのよ!
初見で顔に見とれたもののそれよりも視界に入った彼の手に一目惚れした私は、そのあと何をどう受け答えしたのかあまり覚えていない。ひたすら手を見ていた気がする。
いくら美形でも、恋愛的な好みってあるじゃない。
わあ、カッコイイーステキー目の保養保養、とウットリするのと、惚れるのは違うでしょ?
それで言うなら、ミロシュ・ツァルク氏は私の好みにバッチリはまった。特に手フェチという項目において。
会う直前まで、『見合いとかメンドクセー』と思っていたにもかかわらず、あの手を見た瞬間に『うおお! これ欲しいー!!』になったもの。
まあ、私が乗り気になったってあちらにも当然好みというものがあるだろうし、優良物件を捕獲できるほど自分という女を過信していなかったから、この場限りだとイケメン(の手)を遠慮なく二つの眼で舐め回すように堪能し尽くしたわけですよ。
そう、本来ならそれで終わり、だったはずなのだ。
(いいもの見たー、いい男とお見合いしたってみんなに自慢できるな!)
なんてのんきに考えていた私は、見合いの翌日にツァルク様からの正式な求婚を受けて、呆然自失。状況についていく前に、あれよあれよと式の日取りが周りの人々の協力によって決められ、おそれおおくもご領主の後見で結婚式をあげることになって。
……いやいやいや、なんで?
容姿を卑下するつもりもないけれど自惚れるつもりもない私、十把一からげでまあかわいいんじゃない? と分類していただける私、一見で即座に快いお返事がいただけるほどの魅力などないと思うのですよ!
私が見合いの席でしていたことと言えば、彼の手の観察と城館のお雇い料理長が贅を尽くして用意してくださった高級料理を堪能することぐらいですよ!
ミロシュ様は、なにをどうしてどうなって私を妻に迎えることを決意されたのか。
結婚して三週間たってもいまだにわからない。
お互い、奥さん旦那さんという立場にまだ慣れず、微妙な緊張感をただよわせつつも、そう悪くない新婚生活を送れていると思う。
もともとミロシュ様は寡黙な性質なようで、あまり会話があるというわけではないけれど、二人で無言でいても空気は悪くないし、話しかければたまーにレアな笑顔も見ることができるし、それからその、あの、アレだ、毎日起きるのがつらいなって大きな声では言えないソッチのほうもそれなりに……いっぱいいっぱいなくらいには……営んでくださってるし……義務的でもないし……優しいし……でもけっこう絶…………だから、ご領主や周りの圧力に負けて私と結婚したわけでもないと思うの。
私はといえば不満などあるはずもない。
稼ぎはいいし、顔も身体も性格も申し分なし。不意打ちのデレに翻弄されたりもして刺激もじゅうぶん。
なによりあの手が! いつでも見放題、触り放題――されてる側だけど――弄り放題してくれて! とにかくそんな感じで! 俺のもの! うおおお! いつか弄り返してやる!
……じゃなくて。
まだ少し距離は測りづらいものの、私にとってミロシュ様はとっても良い旦那様だと言える。
――だからこそ、疑問がある。
どうしてあの人、今まで独り身だったんだろう?
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