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秘密篇
第十話 お婿様、絶好調。(前)
しおりを挟む「カノンどの、はい。」
今日も朝からキラキラと麗しい笑顔を振り撒く旦那様は、うやうやしくあたしの口元までスプーンを差し出した。
今朝何回目かの逡巡のあと、あー、と開けたあたしの唇に程よく冷まされたスープが流し込まれる。
ぱくりむぐむぐごきゅん。
さすが王宮の料理人、何てまろやかで野菜のそのままの風味を生かした素晴らしいスープなのかしら!
……なんて味を楽しむ神経は今のあたしにはない。
旦那様自ら小さく千切って下さったパンの欠片をまたしても、はい、あー、ぱくり、むぐむぐ、ごきゅん、を繰り返して腹の中に納める。
………ううううう! 幼児じゃないのよあたしはあぁっ!!!
怒鳴りたくても怒鳴れない。
何故ならば、自業自得故に。
ジトリと恨みがましくあたしは自分の手を見下ろした。
白い三角の布で吊られた、包帯ぐるぐる巻きの、自分の右手を――。
なんで後先考えず手を切り開いちゃったのよ昨夜のあたしーーー!!!
自由に手を動かせない妻のために、甲斐甲斐しく朝食の介添えをする王子を、またしても今朝何回目かになるため息を吐きながら、あたしは眺めたのだった……。
……一応ね、あたしだって固辞したのよ。
ちっちゃい子じゃあるまいし、ましてや王子に食事の介添えをしてもらうなんて、そんなこと。
しかも、プライベートエリアと言えど、王宮の庭ですよここ!
屋内にいるより外で過ごす方が、あたしたち魔女には世界を巡るチカラを受けやすいということは、確かにあたしが王子にお教えしたんですけども!
今もこうしつつ、体内に万物の気を取り入れてチカラを蓄えていますけども!
その方が治りも早いんだけど!
衆人環視(衛兵さんとか侍女の方々ね)の中、はい・あ~ん☆ を繰り返さなければいけないって何の羞恥プレイっっ?
左手は動くんだからこっちで手掴みするよ!
……ええまぁ、ミルクの入ったコップ倒しかけました。
フォークでトマト刺そうとして皿の外に逃がしました。
ほうら、やっぱり不便じゃないですか、なんて、してやったりな笑顔を浮かべた王子に負けたのはあたしだけど!
てゆーかね、動かせないくらいこんな包帯ぐるぐる巻きにするほどの怪我じゃないと思うの。
ヘアピンの針で手のひらをザックリ切った傷と、呪いを下準備もなく力業で封印し、未熟にも体内魔力のバランスを崩して昏倒寸前になったあたしを、王子が心配するのもわからないでもないんだけど。
一晩ゆっくり寝て、もう大丈夫になったんだってば!
だから、過保護はやめてお仕事に行ってくーだーさーいーー!
キリキリと念を送るあたしに気づいているのかいないのか、王子は笑顔で受け流す。
あたしを見つめるその瞳はひたすら甘い。
なんかパワーアップしてませんか王子。
こう、王子様フェロモンだだ漏れな感じなんですが。
笑顔がキラキラ過ぎて眩しいんですけど!
爽やかな風がそよぐ緑揺れる庭園で、あたしは何故か貞操の危機をビシバシ感じていた。
だってさ、なんかさ、王子の瞳が。
……あのときと同じ熱を、秘めてるように思えて。
それを思い出した途端、ドレスのデザインと髪型にうまく隠されている、肌に散った薄紅色の花びらが熱くなったような錯覚に、内心慌てる。
起床して、手が動かせないあたしのために侍女の方々が何処からか用意された(昨日着せ替えされたのともまた違う)ドレスを着付けて下さったんだけれども。
見ないフリしてた、胸元に残された王子の付けたアト、を、発見され、意味深に微笑まれたりして……あたしがどんなに恥ずかしかったかー!
……あのときの、あたしを組伏せ見下ろした男の目をしてる気がするなんて、気のせいよねー?
いやいや、まさかこんな場所で、ねー?
……お願いだから、今にも押し倒しそうな目で人を見るのはやめてええぇ―――っ!!
誰か助けてくれ! と祈るあたしの願いがどの神に伝わったのかは知らないけれど、とりあえず、それは有能官僚の仮面を被ったちゃらんぽらん親父の姿をしてやって来た。
近衛兵に先導されて現れた親父は文官のタイをきっちり締めて、王子に礼を取る。
「お寛ぎのところを申し訳ありません、殿下。妃殿下のお時間を暫し頂きたく」
うおぅ、親父がマトモに見える、気持ち悪。
他人の目があるため、平然としつつも怖気をふるっていると、親父の申し出に鷹揚に頷いた王子は、傍に居た侍女らに合図をして東屋を片付けさせ、自ら席を外された。
「少し執務をして参ります。用のあるときは侍女に命じて、くれぐれもご自分で動こうとはなさらないように」
いや王子、デコチューは余計だと思うのよ。
そして残されたあたしと親父。
……ん? アレ、妃殿下ってあたしのことかッッ!?
ここは王宮、となれば外では伯爵令嬢とその婿なあたしと王子の立場は逆転し、王子と王子妃になる。実父でも、あたしを王族扱いしなければならない面倒な事情。
王子は我が家の籍に入ってるはずなのに、その辺、融通が利かないっていうか。
「妃殿下、お怪我をなされたとのこと、具合はいかがですか」
態度はあくまで丁重に、しかしあたしの護衛にと配置された衛兵と侍女には見えない角度で悪戯っぽく笑む金緑の瞳。
このくそ親父。
「ご心配には及びません。大事をとって、このようにしておりますが、数日あれば治りますわ」
座ってもよいですよ、と身ぶりで示すついでに辺りの風の流れをいじって会話が聴こえないようにする。
その気配を感じた途端に親父は仮面を外した。
ニヤリ。
「首尾よくヤった?」
「ヤってねーよ!」
呪いを封じた話を聞いて、たぶん契りを結んだのかと思ったんだろうけど、仮にも父親が妙齢の娘に聞くことかッ!
ち、孫はまだまだか、と舌打ちする赤い頭に蹴りを入れたくなった。
「ちょっとそれより王子のあの呪いどーゆーコト! なんで最初に言っとかないのよ、あと数日気付かなかったらヤバイとこよ!?」
八つ当たりぎみに問い詰める。
しかし親父はヘッと鼻であたしの勢いを削ぐように笑い、爆弾を落としてくれる。
「アイラちゃんは一目で見抜いたぜ? 修行が足りねえな、<永和>?」
………ッきいーーー!
なんで母様まで言ってくんないのよー!?
思いつつも、母様の――長の幻が、厳しく醒めた瞳で告げる言葉が聞こえる。
『平時と言えど、感覚を鈍らせるな。常に思識《シシキ》の網を張り巡らせておけ』
はいはいはい、あたしが悪ぅございました!
確かに怠っておりました!
ちっくしょー、魔女永和、またしても一生の不覚よ!
でもだからってどうなの、あれ以上呪いが広がってたら王子、堕ちてたとこよ? それでも放置しておくつもりだったのかしら。
そんなあたしの心の声が聞こえたわけでもないだろうけど、親父が静かに話し出す。
「……国から緋の一族に助力を求めることも出来たんだがな。それは殿下が拒否した。世界の危機でもあるまいに、自分個人のことに国も一族も巻き込むつもりはないとな」
あたしはキュッと眉根を寄せた。
……それは、人間としては立派なことかもしれない。
だけど、一国の未来を背負う皇太子としてどうなのか。
国を思うなら尚更、どんな手を使っても自身を魔の手に堕とすことは避けるべきなのに。
王子らしくない。
「……殿下がまだ、緋の一族をさほどご存じでなければ頷かれたんだろうがなぁ?」
どういう意味よ?
怪訝に親父を見返すあたしを揶揄するように眺め、ヒラリと手を振って乱暴に話をまとめた。
「で、サウスリード殿下の情報もあって俺が最終手段をとったわけだ。――どうせ棄てるつもりなら降下してうちの姫の婿になりませんかーってな」
サウスリード殿下の情報?
そう言えば、何かいろいろ変なこと仰ってたわね。
王子の呪いが分かったのも、彼が示唆したからだし……。
「……ねえ親父、王子って以前あたしと会ったことあるの?」
クク、と含み笑いで答えるだけで、親父は結局その辺りのことははぐらかした。
――王子に直接訊け、だなんて可笑しそうに言って。
「とりあえず俺は優秀かつカワイイ孫が出来りゃあ何にも言うことはないんでな。
“成り上がりの伯爵家”に王族の血も入って、さんざん養父母やアイラちゃんを馬鹿にしてくれた奴らを見返せて万々歳だし。
あとはカノンちゃんがうちの婿殿を逃がさないようにガッチリ捕まえとけるか、そこだけが問題」
失礼な。
だけど軽い言葉に隠された全権委任状をあたしはしっかり受け取った。
あとの問題は―――、
「ついでに“長どの”から伝言。自分のオトコは自分で守りな、だってよ」
パチリと瞬いた。
――長がそう言うってことは、良いのか。
全力で戦っても。
「……争いを収めるはずの緋の一族が実は武闘派で好戦的って、誰も思わないだろうなぁ~……」
いつか聞いた母様と出会った頃のアレコレを思い出しているのか、遠い目をして呟く親父にあたしは微笑んだ。
「うふふ、お父様、心配無用ですわ。わたくし、絶対に浮気なんて許しませんから」
「そうかー……魔術省に国の結界強化しとけって言っとかないとなー…」
「ついでにいくつか王宮の結界も綻んでいるの、指摘しておいてくださいな」
「え、マジで? どこ?」
「王宮魔術士を気取るなら自分で見つけてみな、と御伝言くださる?」
「……不意打ちで拉致られたの根に持ってるだろ、お前」
そんな生温い父娘の会話は、王子が戻ってくるまで続けられたのだった。
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