魔女とお婿様

深月織

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秘密篇

第四話 恋に落ちた王子様

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「じゃあ王子、いま休暇中なの?」
 大きな瞳をクルクルさせて、見上げるひとに、笑みを返す。
 そうだよね、将軍さまだもんね、うちのバカ親父にすら仕事はあるのに変だなと思ったの。とサンドイッチを頬張りながら頷きつつ、小さな手で最後の一切れを掴み、はい王子のぶん、と私に差し出してくる。
 何故こんなに可愛らしいんだろうと思う。
 艶々した長い黒髪は砂糖菓子のようにふわふわと小さな顔、背を覆い、その輪郭に触れば淡く溶けてしまわないか心配になる。
 黒々とした丸い瞳はよく見ると金と翠が散っていて、それだけで魔法のようだ。
 これで自分より歳上の、類い稀な力を有す魔女姫だなど、この目で見ていなければ信じられなかっただろう。
 公式な場では緋色を身につけることを定められている彼女は、家の中だということもあるのか、胸の下でリボンを結んだだけの簡素な薄紅のドレスをまとっている。
 妙齢の女性なら結い上げるのが常になっている長い髪も、髪留めで耳横部分を留めているだけで、あとは背に流されたまま。
 少女めいた容姿によく似合う。
 貴族の姫君なら常に華美なものを好むという印象があった私は、その素っ気ないともいえる飾り気のない格好に、ますます彼女を愛しく思った。
 彼女が自分の妻。
 まだ信じられない。
 この幸運。
 彼女を目にするだけで自然と笑みが浮かぶ、そんな自分は他者から見ると、さぞかし奇異に写ることだろう。
 変な男だと思われていないだろうか。それだけが心配だ。
 彼女は私が詐欺のような手口で夫となったことを、政治的な理由があるものだと考えているようだが、実のところ、それは正解だ。 まだ話すことは出来ないが。
 しかし、こればかりは知らないだろう。
 私がカノン姫を四年前から知っていて、ずっと想っていたことなど―――。
 


 

 まるで、彗星のように彼女は目の前に現れた。
 黒塗りの魔術杖に跨がり、今まさにぶつかり合おうとしていた両軍の真中に。
 
「両軍、退け! この争いは我らが預かる!!」
 
 緋色の着物を翻し、大地に降り立つと同時に、響き渡る声。小さな身体の何処からそのような覇気が出るのかと、不思議に思うほど、意識が惹き付けられた。
 緋の魔女のことは知っていた。
 修行により力を持つ魔術師とは違い、血によって力を継承する、一族。
 その力は個人のためではなく、均衡を保つために使われるという、世界の調停者。
 この世のどんな権力者であろうと、彼女等が膝を折ることはない。
 中立の立場を保ち、こんな、国と国との争いに口を出すこともないはず―――、
 合戦の号令を待っていた兵に一時待機の指示を出し、取り敢えず魔女の動きを待つことにした。
 が。
 静まり返った場に、ヒュッ、と弓がしなる音。
 あちら側の誰が逸ったものか、一本の矢が射たれたのを合図のように、豪雨のように、矢が降り注ぐ。
 我々の元に、
 あの、小さな魔女の元に――、
 咄嗟に飛び出しそうになった私の身体を、従者が慌てて抑える。
 飛び出しても、この身を盾にしても助からないのは見えていたのに、何故動こうとしたのか、その時の自分には分からなかった。
 周りの者が私を囲み、襲い来る矢から守ろうと頭上に盾をかざす。
 魔女は微動だにしない。
 ただ、杖を持った右腕を天に突き上げただけだ。
 瞬間、ゴッ、とドーム状に炎の壁が出来る。
 そして魔女を中心に、こちらの軍に至るまで包み込んだその壁に阻まれ、矢は全て燃え尽きた。
 魔女がクルリと小さな手のひらで杖を回し、空を凪ぎ払う仕草をする。
 ざあ、と風が吹いたあとは、何も、残っていなかった。
 燃えた矢の灰も、炎の一欠片も。
 その場にいた全ての者の思考が停止し、今起こった事を理解するより早く、魔女が動く。
 杖の先を敵軍に向ける、と同時に緑の波が彼らに襲いかかった。
 意思持つ生き物のように、緑の草が伸び、兵等の手足に絡み付いて。
 派手な詠唱も身振りもなく、ただ意識をそちらに向けただけ。
 それだけで、彼女はその場を支配した。
 城の魔術師が術を使う時に感じる違和感もなく、世界を動かすその力。
 調停者。
 バランスを保つ者。
 世界の代弁者―――。
 一人の狂える魔術師が、その戦を裏で操っていた、と知らされたのは全てが治まったあと。
 禁呪に手を出し、外法を行い、望んではならないものを求めた――その魔術師がどうなったかまでは、語られなかった。もとより、我が国にとっては望まぬ戦。ただでは起きない外交官の手腕により、幾ばくかの有利な条件をあちらに飲ませ、和睦となった。
 それで終わりだった。
 自分の胸に残った、小さな、星の瞬きのような、光るもの意外は―――。
 
 言葉も交わさず瞳の交叉すらなかったのに、忘れられない印象を残したあの魔女に再び出逢ったのはそれから一年が過ぎた頃。
 我が父王の生誕祝いの舞踏会で。
 異国風の着物ではなく、我が国特有のドレスを纏い、名のある姫君のような出で立ちで、つまらなさそうにグラスを傾けていた。
 鮮やかな緋色。
 最初にそれが目に入り、それが間違いなく彼女だと分かった瞬間、何も考えられなくなった。
 ――何故ここに。
 呆然と彼女を見つめていると、誰かに呼ばれた風に首を傾げて、移動するのが見えた。
 背の高い、赤毛の男性と腕を組み、玉座へ。
 その男性がラシェレット伯爵だというのは、燃えるような髪色で分かった。
 それと同時に、卿に関する情報が浮かび上がる。
 彼は確か、異例の婚姻をしたことで有名で――そもそも、あの戦の時に、我が軍が緋の魔女の登場で浮き足立つ事がなかったのも、他国より彼の一族に対する情報があったからで――ラシェレット伯爵は、緋の魔女の一人と婚姻を結んでいるのだ。
 その存在は知られていても実像は謎に包まれている彼女たちが、僅かでも身近に感じられる、それが理由。
 ラシェレット伯の人柄と政治的手腕があるからこそ、彼は王宮で一目置かれているが、通常なら魔女と結婚した貴族など見向きもされないだろう。
 確か彼には息女がひとり――、
 彼女が?
 いやしかし、令嬢は私より歳上のはず。
 彼女は十四、五歳ほどにしか見えない。
 さざめくように、自分の周りにまとわりつく者たちと、皇太子に相応しい態度で当たり障りなく言葉を交わす。
 その間も、自分の瞳が彼女を探しているのが分かった。
 何故こんなに気になるんだろう。
 胸が苦しい。呼吸の仕方を忘れたように、意識しなければ息も出来ない――、
 何故?

「兄上、どうかされましたか」
 気分を落ち着かせようと、人波から離れてバルコニーに出た私をサウスリードが追ってくる。
「まるで夢の中にいるような顔をしていらっしゃいますよ」
 水の入ったグラスを渡されながら楽しげに言われて、熱い気がする頬を押さえた。
 夢の中?
 確かに、こんなふうにもう一度会えるなんて思ってもみなかったから―――、
「……兄上? ホントにどーしたのさ、熱でもあんの?」
 社交用の顔からやんちゃな弟の口調になったサウスリードがペタリと私の額に手を当ててくる。
 熱……。 そうかもしれない。
 具合が悪いから、こんなにも動揺するんだ、きっと。
 名も分からない魔女から、ラシェレット伯の娘(推定)だということが判明した。
 伯を通せば直に会うことも出来る――、
 と、無意識に考えて、
 何故会うことを望んでいるのだろうと自問自答する。
「……あ。魔女の姫君」
 ガシャン。
 持っていたグラスが手を滑った。
「……ベタだな~、兄上」
 有り得ない失態に呆然としていると、呆れ顔の弟と目が合う。
 ニヤリと口の端を上げたサウスリードは内緒話をするように顔を寄せ、肩を組んできた。
「ず~っと彼女のこと見てたでしょ。珍しいよね、兄上が自分から女性を気にするなんて」
「………」
「ああいうのが好みだったとは意外だけど、いいじゃん? ラシェレット伯爵令嬢なら迎え入れるにもそんなに害はないし」
「……なんの話だ」
「ん? だから未来の王妃様の話。」
 未来の……?
「一目惚れしたんでしょ、ようするに」
 あっけらかんと言い放った弟をジイッと見下ろした。
 一目惚れ、とは何だ。
 ………私が彼女のこと、を?
 え………。
 

 恥ずかしながら、弟に指摘されて初めて、自分の気持ちを自覚したのだった。
 十四、五歳に見えた彼女が実はとっくに成人している年齢で――私より三つ年上の二十三歳、普段は社交界に出ることはなく、あの日は母親の代わりに伯爵のパートナーとしてやってきていたらしい。
 という情報は全てサウスリードが集めてきた。
 婚約者はいないようだし、とっととお手つきにしちゃえと無責任にけしかける弟とは逆に、私は自覚したと同時にその想いを封印することに決めた。
 彼女がただの伯爵令嬢なら問題はなかった。
 父王に話して、議会の承認を得て、伯爵家に王子妃内定を伝えればいいのだ。
 しかし、彼女は緋の魔女。
 個や家や国に所属せず世界に奉仕することを定められた一族の娘。
 自分一人の物に、と望んでよい相手ではない。
 少しでも彼女のことが知りたくて、緋の魔女について調べた私が出した結論だった。
 あるいは、自分が皇太子でなければと思わなかったわけではない。
 そして、一瞬でも生まれ持った責任を放棄するようなことを考えた自分に驚いた。
 言葉すら交わしたことのない、彼女がどんな女性なのかも本当には知らない、なのに何故、こんなにも惹かれるのか。
 戦場にひとり、凛と立ったあの姿が魂に焼き付けられてしまった。
 胸の奥に静かに瞬く想いは消えなくて、どんな女性を薦められても、頷くことはできず、月日がたった。
 頼みもしないのに、サウスリードが彼女に関しての情報を持ってきたりして、様々なことを知るたびに、会いたいと思ってしまう気持ちを抑えられなくて。
 正直、心労をかけている両親や事情を知っている人々に申し訳ないと思うのだが、緊急避難的なこの結婚をラシェレット伯から提案されたとき、元凶である人物に感謝すら覚えた。
 初めて直接に言葉を交わし見つめることができた彼女は、やっぱり歳上とは思えないほど小さくて可愛らしく、楽しいくらい元気な女性で。
 ますます心を奪われて、この一方的な想いは勘違いでも思い込みでもなかったと確信する。
 何も知らない彼女には、申し訳ないと思うけれど――このチャンスを逃したくない。
 夫として傍にいられる間に、彼女の心も手に入れてみせる。
 警戒心の強い子猫のようにジッとこちらを観察する、まだ言葉の上だけの妻に、微笑みかけた―――。

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