魔女とお婿様

深月織

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秘密篇

第二話 ムコ殿は王子

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 あたしは今、人生最大のピンチに立たされている。
 “ちょこん”と、大人の男のくせに可愛らしい風情で私のベッドに腰掛けているのは、白い夜着を身につけた王子様。ドアにへばりついているあたしを、不思議そうに小首を傾げて見ていた。
「お眠りにならないのですか、カノン殿」
「ええええちょっと喉が渇いたから何か取りに行こうかと」
 苦し紛れに言ったその言葉に、王子の視線がサイドテーブルに置かれた水差しに向かう。
 あわわわわ。
 その間もあたしの手はドアノブを掴み、この状況からトンズラすべく必死で動かそうと試みている訳だが。
「ごめんなさいごめんなさいお嬢さま、旦那さまのお言い付けなんですここを開けるわけには行かないんですうぅぅぅっ」
 扉の向こう側で同じく必死に動かないようノブを押さえているメイドの泣き声。
 チッ、リリアが相手じゃドアをぶち壊すことも出来やしない。クソ親父め、ウマイこと謀りやがって。
 窓から飛んで逃げようにも、寝台のすぐ側を横切らないといけないし。
 いや、育ちのよい上品な王子が、腕ずくでナニかをするなんて思ってるワケじゃないけどね?
 ソロリ、背後を窺うと、フワリと微笑む麗しの夫と目が合う。
 そう、夫。
 本日出来立てホヤホヤ、降ってわいたあたしの花婿が、新妻と初夜を迎えるべく、寝台の上で、待ち構えていた―――。
 


 

 出張から戻ったクソボケアンポンタン親父が、こともあろうにお土産と称して自国の王子をあたしのお婿さんとして連れ帰ったことを知った家の者たちは阿鼻叫喚。
 執事のグラントだけが、片眉を僅かに上げたのち、あたしを抱っこしたままの王子に一礼し、
「お帰りなさいませ、若旦那様」
 と何事もなかったかのように迎え入れた。
 それに習って混乱が見えるものの、伯爵家の使用人としての作法を思い出したのか、お帰りなさいませ! と口々に皆、礼をとっていく。それに軽く頷き、「初めまして、今日からお世話になります」と微笑む王子様。
 ザ・悩殺スマイル。
 大体、この国の王族は美男美女揃いで有名。
 特に、北国出身の王妃様譲りの銀の髪と神秘的な紫紺の瞳を持つ皇太子は、年頃の乙女の憧れのマトで。
 その王子に至近距離で笑顔を向けられ、うちの若いメイドたちは今にも失神しそうだ。
  ……高貴な生まれ育ちのくせに、彼は下々の者にも礼儀正しいと思う。
 言葉つかいも綺麗なだけじゃなくて丁寧だし。
 乗ってきた馬車から王子の分の荷物を運び出している従僕に、ありがとうと言うのも忘れない。
 目が合う使用人一人一人に、こんにちは、初めまして、宜しくお願いします、と笑顔の大盤振る舞い。
 ていうか、何でこの人こんなに嬉しそうっていうか楽しそうなの。
 少し見下ろす形になった彼をマジマジ見ていると、視線を感じたのか、ふとあたしと目を合わせ。ほんのり頬を染めて視線をそらす。
 いやいやいやアンタが恥じらう場面じゃないだろ!
 初対面の勢いはどこへやったのよ、そんな反応されるとこっちが照れる………、
「おーいそこの新婚さん、居間で茶ぁにしようぜ」
 バカ親父のノンキな声に、誰が新婚さんだと怒鳴り返そうとして、自分がまだ王子に抱っこされているのに気付いた。
 ぬあッ! どうりで、皆が“見てはイケナイものを見てしまった”と顔を赤くして目をそらすくせに、“でも怖いもの見たさなの”とチラチラ様子を窺ってると思った!!
「で、殿下っ、降ろしてくださいよ!」
「嫌です」
「は!?」
「それに“殿下”ではありません。名前で呼んでください」
 ちょ! なにその、プイって!
 なに唇尖らせて拗ねてんのよ、ウッカリかわいいとか思うとこよ!
「と、とにかくですね、あたしはちっちゃい子じゃないんですから、この抱き上げ方はやめて下さい!」
 ペシペシ腕を叩くと、真顔で返される。
「この方が貴女のお顔を良く見ることが出来るじゃないですか」
 な……っ!?
 問題発言とジッと見つめてくる真摯な瞳に、かあ、と頭に血が昇るのがわかった。
「や、あたしの顔なんか見てもツマンナイデスヨ! のっぺりしてるし童顔ですし!!」
 思わず声がひっくり返る。
「そうですね。私より歳上の女性とは思えないほど、愛らしくて居られる……」
 溶けそうな微笑みを向けられて、その指先が硬直したあたしの頬をそうっと撫でた。
 ……幼女趣味ロリコン
「違います」
 呟きが漏れていたのか、笑顔のまま即否定される。
 いや、自分で認めるのもヤだけど外見的に、あたしパッと見十代にしか見えないし。哀しいくらいに凹凸ないし。
 でも実年齢は二十六歳だし、だから犯罪にならずに手を出せるから、それであたしを見初めたのかと……、
 あ。そういやこの人さっき変なこと言ってなかったか。
 自分が是非にとあたしのお婿様になることを望んだとか何とか――、
「もうらぶらぶ? カノンちゃんは面食いだったんだねぇ。お父さま嬉しいけどフクザツ」
 茶化すような親父の声に、我に返る。
 いつの間にやら居間のソファ、隣にはちゃっかり王子が座っていて。
 ニンマリ顔の親父とニッコリ笑顔の王子を代わる代わる見る。
 読めねえ二人を前にして、不利を悟るあたし。
 ……ちょっと気分を落ち着けよう。
 大体、婚約期間もなしに突然王子と結婚だなんておかしいし。皇太子が式も触れもすっ飛ばして、しかも王位継承権放棄して、伯爵家に婿入りってありえなさすぎ。何か裏があるに決まってる。
 ちゃらんぽらん親父はこれでも国内外では有能な外交官だ。
 国政に関わること……?

 あたしは魔女。
 だから、伯爵家の跡取り娘というより、魔女としての生き方を優先している。
 と、いうより、我が一族の魔女として生まれたからには魔女として生きなければならない。
 故に、世俗の事柄に関われない。それが世界を揺るがす事象でない限り、関わってはいけないことになっている。
 それが緋色の魔女の掟だから。
 とはいっても、あれこれ面倒な事情があって、あたしは伯爵家に関する範囲の事柄でのみ、微妙に動けることになっている。
 ラシェレット家にはあたし以外に後継が居ないからね。
 母様と結婚した親父はそれを重々分かっているので、あたしに裏事情を話さないのかもしれない。
 だとすれば、いくら二人を問いつめたって、このありえない状況を納得することができる説明をして貰えるとは思えない。
 よし、落ち着いた。
 そうなれば、この茶番劇が終わるのを、どーんと構えていればいいワケだ。
 そうよねー、これで大々的に世間様に発表しない理由が分かったわ。きっと問題が解決したら、結婚したとかいう事実はキレイサッパリなくなるんでしょ。
 うんうん、なら、王子様がお婿様だなんて滅多に出来ない経験、楽しませてもらおうじゃない。だって、結構どころかかなり好みだし。触られて嫌悪感なんてないし。あの抱っこの仕方だけは、ごめんこうむるけど。
 そう結論付けて、気が楽になったあたしはメイドが用意したお茶を美味しくいただく。
 まったくもって、その考えが甘かったのをあたしが知るのは、数時間後のことだった………。
 
 
 母様が東国の出身のせいで、うちの入浴設備はこの地方では考えられないくらい整っている。
 なんでも、浴槽と浴室がない限り、結婚なんてするものかと、親父に求婚されているときに言ったんだって。……他にも色々言ったらしいけど。
 それで屋敷を改造して浴室を作る親父も親父、しかしそのお陰で恩恵を受けているあたしたちは母様サマサマだ。
 通常の家で、浴室を作り毎日風呂を湧かすなんて大変だろうけど、そこはほら、
 あたし、魔女だから。
 水を呼び寄せ、湯にするくらい、毎日風呂に入れることを思えば苦でも何でもない。
 母様が地下にコッソリ作った天水を溜めておく貯水槽もあるわけだし、そんなに負担でもない。
 うちの勤め人たちも、風呂に入る心地好さと毎日清潔を保てる幸せに、もう他の所では働けないと言うくらいだ。特に女の子たちはね。あたしが調合した美肌の効果があるハーブも、人気の秘密。
 今日は薔薇の香りを足してみた。明日みんなにどうだったか聞いてみよう。 ふんふふん、と鼻歌なんか歌っちゃいながらご機嫌に自室へ向かう。と、あたしの部屋の前辺りで、メイドのひとり、リリアが挙動不審にうろうろしていた。
「リリア? どうしたの、そろそろお風呂に行かないと、冷めちゃうわよ」
「はう! お、お嬢様、はい、用事がすみましたらスグに!!」
 もともと一生懸命だけどドジッ娘なリリアだから、何か手間取ってるのかしらとそう思い、あまり遅くならないようにねと声をかけ、ドアを開ける。
と。
 ごめんなさいいいぃ! と半泣きの叫び声と共に、勢いよく背を押されて部屋に転がり込む。
 なっ………、
「ちょっと、リリア!?」
 膝をついた姿勢で扉を振り返り、閉められた向こう側でガチャガチャと何か金音がするのを耳にした。
 おいコラ。
 立ち上がって、ドアを開けようとすると。
 ガチリと硬い感触がして、ドアノブは固定されたように動かない。
 なにぃ?
 扉の向こうにいるはずのメイドに声をかけようとして、口を開いた瞬間。
「……カノンどの?」
 居るとも思っていなかった人物の声がして、あたしは凍りついた。
 おそるおそる振り返り、目にしたのは―――、
 ちょこんと、大人の男のくせに可愛らしい風情で私のベッドに腰掛けている、白い夜着を身につけた王子様、だった。
 
 これって貞操の危機?
 相手は書類上とはいえ夫、いやこの状況からして事実上も夫となろうとしているのは間違いなくて!
 吹っ飛ばす、ぶっ飛ばす、ぶちのめす、
 あたしが取るべき手段はどれ?
 でも彼は夫として当然の義務を果たそうとしているだけであって、上記のことをすればあたしが暴力妻になるってことか?! つうか、結婚て便宜上のことだったんじゃないの!
「いつまでもそんなところに居られると、せっかく温まった身体が冷えてしまいますよ」
 知らぬ間に側に来ていた、王子の耳に甘く響くその言葉と同時に腕に抱き上げられ、機能停止してる間に寝台まで運ばれる。
 薄物の夜着の下すぐに感じる逞しい体にパニックになりかけた。
 ポスン、と柔らかくシーツの上に降ろされて。
 固まっているあたしを覗き込むように、王子は床に膝をつく。
 眉を下げて困りまくってる顔をしてるだろうあたしに、優しく微笑いかけて。
「カノンどのの意思を無視して、躰を繋げようとは思いませんから、安心してください。……急なことでしたし、まだ、貴女もそんな気分ではないでしょう?」
 そんな気分てどんな気分。 ツッコミかけたけど、ヤブヘビになりそうだったのでコクコク頷くに留めた。
「ゆっくり、私を知って下さればいいんです。今は貴女の傍に居られるだけで……」
 王子の言葉の意味の半分も分からないまま、コクコクコク首振り人形と化すあたし。
 とりあえず、今は何もする気はないってことよね?
 貞操の危機、回避!
 ホッとしたあたしは、次に王子が言ったことにもうっかり頷いてしまった。
 ――くちづけを許してくださいますか?
 あれ、今のは頷いちゃマズイんじゃないかと気付いたときには手遅れ。王子の唇があたしのそれに触れていた。
 驚いて身を引こうとしたあたしの首の後ろを、大きな手のひらで支え、更に深く唇を合わせてくる。
 苦しくてもがき、息を求めて開いた隙間から、やわらかく侵入してくる、舌。
「……ン、っ……ふ、ん、んー!」
 くちづけって可愛いもんか、コレが!!
 初めて感じる他者の舌が、歯列を割り、上顎を舐め、逃げるあたしを追いかけて絡めとって。
 見開いたあたしの瞳に間近に写る、王子の紫闇。
 熱を秘めたその魔法の瞳に吸い込まれるようにして、呼吸もままならなくなったあたしの意識は遠退く。
 包み込む温かな腕の感触と、
「何処まで我慢できるかな……」という、稚気に満ちた少年のような、王子の呟きを耳に―――。
 
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